【四月のお題について】
季何学研究所所長代理の堀田季何が毎月出すお題は3つ。モノ2つ、コト1つ。
モノの片方は必ず研究所っぽいものになりますが、今月は「白衣」。コート、ジャケット、ケーシー、スクラブ、様々な白衣が存在します。季何学研究所の助手たちはいつも着ていますし、研究所附属クリニックの医師も着ています。また、死者やお遍路さんの死装束も白衣と言われることがあるそうです。ただし、夏の季語「白服」は別物なのでご注意を。
もう一つのモノは「アドバルーン」。だいぶ少なくなりましたが、研究所の最寄駅すぐ前にあるデパートでたまに見かけます。一応「風船」の類ですが、春の季語にはなりません。
コトは「変身」。カフカの同名小説、そして少年少女のアニメ・特撮ドラマ等での変身シーンが有名でしょうか。研究所で昔働いていた狼男さんも夜勤の時に変身することがありました。もちろん、広義の変身ですので、変装、仮装、化粧、改心、変容、(虫の)変態といった内容の句も歓迎です。
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【実験結果】
【全体評】
最後まで無記名で選句しました。第一予選で100句強を選び、それから絞り込みました。秀句、佳句、意欲的な実験句が多く、悩みました。選者や選句方針が違えば、天地人の入選3句や佳作10句に入りそうな句は他に20句くらいありました。「今月の力学」には最後まで残ったその20句と瑕疵があってもインパクトや新規性が強かった句を入れました。賞品もお名前も出ませんが、敬意を表したいと思いました。
選考基準ですが、私が指導している句会や私が参加している超結社句会とは別の基準を採用しました。なぜなら、状況も投句者も異なり、「場」が違うからです。今回の「場」は、もちろん季何学研究所の4月の実験! 類句・類想・余りにも拙い句を落とすのは他の「場」と変りませんでしたが、多種多様な俳句が集まる「場」であるゆえ、今回は「きちんと作られている」や「句会だったら点を入れる」といったポイントの比重を少し下げ、他の懸賞や句会では出てこないであろう句や安全弁を外して冒険している句を多めに掬いました。伝統的な有季定型句を不利にするのでなく、イメージとしては、どんな句でも同じ土俵に載せる感じです。
なお、落とした句で一番気になったのは、白衣の研究者や医師の事を「白衣」だけで済ませていた事です(敢えて「白衣」だけで人物を描写する例外もありますが)。僧侶の事を「袈裟」と普通呼ばないのと同じです。他に気になったのは「白衣」の類想で、白衣を脱いだから日常に戻った、白衣が汚れた、といった発想が多かった事です。
私の予感では、無記名の選句でも、同じ人たちの投句でも、入選・佳作の作者は毎月かなり入れ替ると思います。なぜなら、当研究所で行う実験、結果が安定するとは思えないからです(笑)。
とほく見ゆる広告気球(アドバルーン)のたまの緒を絶ちたし絶てば楽になれるなあ
しろたへの寝具・点滴・粉薬・繃帯・小菊・白衣・死顔
おほぞらにおほぞら色の穴あれば一羽落ちたりはらりと消えぬ
【天】
アドバルーンが働いている 国東杏蜜
無季自由律。無機物であるアドバルーンが風に吹かれて「動いている」のは当たり前だが、「働いている」となると驚く。人偏一つでここまで印象が変わるのか。「働いている」という言葉も面白くて、必ずしも擬人化(例えば、広告掲示の労働をしている)で捉える必要はなく、「この一句はA音が働いている」「この件では裏金が働いている」といった用法の「働いている」で捉えても良いと思う。物理学で云う「仕事(work)」のような感じか。後者の場合、どこで働いているか、何に働いているか、という謎が生まれるが、それを言ってしまわなくて済むのが自由律。無論、擬人化した読みも可能で、ナチス政権が強制収容所の門のアーチの文字に用いた「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」を想起する事も(自由律とは関係なく)「自由」である。「働かされている」のに「働いている」のだ。思えば、アドバルーン全盛期の高度成長期からバブル期、長時間労働は多くの人々にとって美徳であった。
【地】
遠足の子皆土筆(つくし)に変身す 藪中藪
「遠足」「土筆」いずれも春の季語で季重なりだが、一方を消す必要はない。土筆になったかのようであるという解釈をすれば、読者によっては、実の遠足を主季語、虚の土筆を従季語とするかもしれない。しかし、この句は、遠足の子たちが一人残らず本当に土筆になってしまったものとして読んで方が断然楽しい。遠足という行事には日常を離れる象徴性があって、こういう不思議な事があっても何ら不思議ではないし(!)、そもそも子どもの世界には本物の不思議があるのだ。なお、一見可愛い句だが、「ハーメルンの笛吹き男」と一緒に消えてしまった子どもたちの行く末を連想すると、怖い句かもしれないと思う。
【人】
ふりだしにもどる寝息のもんきてふ 小津夜景
攝津幸彦が多用した「一句内連想ゲーム」(評者の造語)の技法を使った句だと思って採った。「一句内連想ゲーム」とは、句や言葉に句や言葉を連想で付けていって、うまく絡まった状態で一句にしてしまう技法で、「三島忌の帽子の中のうどんかな」「国家よりワタクシ大事さくらんぼ」「路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」等はその作例だと思っている。さて、この句だが、拍子と音程にパターン的な周期性がありそうな「寝息」を「ふりだしにもどる」から連想するのは連句のよう。「寝息」のように羽ばたいている「もんきてふ」(紋黄蝶)を連想するのも同様。そして、一句の肝は「もんきてふ」を平仮名で書いている事。音節文字である平仮名は音を意識させる表記であり、それにより「ふりだしにもどる寝息」から「ふ」「も」「き」という音を持ってきているのが判り、「もんきてふ」は音によっても一句の他の部分と連想がつながっている。さらに、結句が平仮名である事により、平仮名の初句で始まった句は文字通り「ふりだしにもどる」。しかも「ふりだしもどる」かのように最後の字は最初の字と同じ「ふ」。つまり、内容的にも全体がつながっているのだ。「変身」しばりの句だが、こういった形で変身させたのはお見事。
【佳作】
枯枝を振る第九今Seid umschlungen, Millionen! 遠音
何かを振って指揮者の気分になるという句は、たまに見るが、それだけでは物足りない。読者に作中主体がどういう曲を浮かべて振っているのか全く伝わってこないからだ。それに対し、この句は、曲名を述べ、さらにその歌詞の一部「Seid umschlungen, Millionen!(抱き合おう、諸人よ!)」をそのまま提示し、この瞬間曲のどの部分を振っているのかまで明らかにしている。ここまで踏込んで、はじめて具体的なイメージが立ちあがる。曲を知っている人には合唱が佳境に入ったことが分かるし、旋律も浮かんでくるであろうし、知らない人間にはそこまで浮かんでこないものの、CDや動画で容易に確認して追体験できるであろう。
アドバルーンも絶滅危惧種風光る 岩井茂
普通、「絶滅危惧種」は生物に用いるものであって、アドバルーンのような無生物には用いない。しかし、「風光る」という季語と組み合わさることにより、アドバルーンが風によって動いている事、その風とともに光っているであろう事、つまり生物に見えなくもない事が判る。アドバルーンは絶滅寸前だが、「絶滅危惧種」と言う語彙を使っている以上、「も」で示しているアドバルーン以外の「絶滅危惧種」は、決してアドバルーンのような「消えていく昭和」、例えばキャバレーやエレベーターガールといったものではないだろう。本当の意味での、今地球上から消えつつある生物たちの事であろう。では、何が作者の意図したアドバルーン以外の「絶滅危惧種」か、という事になるが、それは読者の想像に委ねられる(俳句では難しい「も」をうまく遣っているのだ)。ジャイアントパンダのようなワシントン条約規制対象種でも良いが、私はこの句の作者を含む「ヒト」全体だと思っている。風に光るアドバルーンが人類への警告のように見えたに違いない、と。
白衣脱ぎ軍帽顔に三尺寝 由良天悟
白衣を脱いだ句は他にもあったが、この句が一番踏み込んでいた。景がよく見える。特に「軍帽顔に」で、どのような姿で寝ているかが判るし、作中主体が軍人だという事も伝わってくる。なお、どういう軍人であるかは、軍帽と白衣の組合せから二つの可能性が浮かぶ。一つは軍医。もう一つは傷痍軍人の白衣募金者。いずれも白衣を着て軍帽を被った写真がたくさん残っている。どちらの軍人でも成立するし、リアルに感じられるが、戦争の恐ろしさを思うと、どちらも令和の時代には現実では見たくない。
主婦が入り嬢として出る扉かな 叶裕
無季句。「扉」を介して、人間が変身するのだ。外見だけでなく内面も変身しているのかもしれない。「扉」がキーワードとして季語のような役目を果たしている。風俗の句として読んだが、選から排除する理由ではない。こういう素材は俳諧の時代から受容れられているし、いま我々の住んでいる社会の現実、その闇を描いているのだ。
An autumn wind / grasps my ankle / I’m a truss tower 斎藤秀雄
直訳すると「秋かぜが/わたしの踵をつかむ/わたしは鉄塔」。二通りの解釈ができるが、「作中主体が擬人化された本物の鉄塔であって、その踵のような根元の部分を擬人化された秋風がつかんだかのように当たった」という解釈ではつまらない。この解釈のように鉄塔になったつもりでは、鉄塔に感情移入できるはずもないので描写が表層的になり(風につかまれるように当たられただけ)、発見が全くない。しかも、秋風と鉄塔の無生物二つを擬人化していて、気持ち悪い。この句は、あくまでも「人間である作中主体の踵に秋風が当たり、作中主体が自分を鉄塔のようだと思った」という解釈で行きたい。その場合、発見は、自分が鉄塔のようだと気付いた結句にある。また、この解釈だと、無生物である秋風が擬人化されるかわり、それに踵をつかまれた瞬間、生物である人間の作中主体が無生物化(変身)するので面白い。
旧姓に戻りし夜の布団かな 玉木たまね
見た目以上に情報量の多い句である。旧姓に戻るのは、(他の可能性もあるが)婚姻関係か養子縁組を解消した場合が多く、前者の場合、日本では女性が大半である。いずれの場合も、家族の縮小ないし消失を意味し、関係悪化してからだいぶ経っていたにせよ、ぬくもりが消え去る暗示がある。同時に、法的手続きが終了して、どこかホッとした感じもある。その、ぬくもりの消えた寒い感じとホッとして心地良く寝られる感じが合わさった不思議な感覚が「夜の布団」という言葉につながり、(家族の誰とも一緒に寝ない関係であったにせよ)作中主体の不思議な感じが体感として表される。
清明の風に吹かれて白衣着る 窓辺猫
ありそうな句で、あまりない句。着ている白衣に風が吹くのでなく、吹かれながら着るのだ。「春風や闘志いだきて丘に立つ」(高浜虚子)という名句の本歌取かもしれないが、清明の風に吹かれている姿は文字通り清清しく、そして、虚子が闘志を抱きながら前を向いたように、主体は(医療や研究の)仕事着である白衣を今着る事で一種の決意を以てその道に臨んでいるのだ。また、現在の暦では清明は4月5日頃、年度の始まりとも重なり、主体の門出を祝している様子もうかがえる。
春の陽の底に貼りつく鱏(エイ)となる 坂口香野
「春の陽」は春の季語、(アカエイ科の)「鱏」は夏の季語で季重なりだが、気にならない。どう読んでも春の句である。季感は間違いなく春の日を浴びている感じ。季語の主従を決めたい人は「春の陽(日)」を主季語とし、「鱏」を従季語とするであろう。だが、よく読めば、一句の要になっているのが「春の陽」でなく「鱏」である事が判る。「春」という漢字を入れなくて普通の「陽(日)」にしてしまっても句は一応成り立つが、「鱏」を入れないと困る。「鱏」の人間の顔のような部分、全体の形、泳ぎ方、すべてがイメージされるから成り立つのである。つまり、一句の中のキーワードとしては「鱏」の方が強い。
熱帯夜でっかくなって泣くアリス 中川多聞
不思議の国では、アリスは瓶入りの液体を飲んで小さくなりすぎてテーブルの上の鍵が取れずに泣きだし、その後、箱入りのケーキを食べて大きくなりすぎてドアを通る事ができずにまた泣き出す。不条理な世界でのアリス本人の気持ちになるだけでも泣きたくなるが、それが熱帯夜だったら尚更である。いや、熱帯夜の不条理な暑苦しさの中だからこそ、「でっかくなって」しまったアリスのように絶望の中で泣きたくなるのであろう。いらいら感や触覚的な不快感がアリスのそれと重なりながら募る。無論、自分自身が作中主体でなく、同じ部屋にアリスのような少女が別にいて泣き喚いていたら、しかも熱帯夜だったら、という読みもあるが、この場合、苦しさは倍増、自分がその少女よりも泣き出したくなる事は必至。
月を見て暴悪大笑面黙る 海音寺ジョー
最後まで迷ったが、いただいた。暴悪大笑面は十一面観音等の後ろに付いている顔。しかも、怖ろしい笑顔。悪への怒りが極まり、悪に塗れた衆生の悪行を滅する大口の笑顔。笑顔だけど眼も表情も怒っている。たぶん、獅子の咆哮並みの大声で笑っているのであろう。しかし、その暴悪大笑面がいきなり黙る。一瞬で笑いが失せている。「月」を見たからだ。禍々しさや狂気とつながる欧米の「月」の真反対、秋の静けき鏡のような季語の国の「月」であろう。よく考えてみれば、観音が後ろの顔の眼で月を見て表情を変えるわけがないのだが、この句を読むと有り得そうな気がする。「月」と言う季語の本意が活きている。
【今月の力学】
百着の白衣が溜息をつく
白衣屋の電話面接花の雨
教官がソクラテスめく大試験
春休み甥は男の声を出す
春の蚊が亡き友でないといいきれぬ
白衣の水死人スワンと呼ばむ
視界にはアドバルーンの乳房のみ
アカシアや白衣の袖に金の刺繍
変身の 呪文はひとつ「春が来た!」
生れ変はる前は桃色してゐたる
馬の歯でバカボンが噛むアドバルーン
アドバルーン揺れて記憶の古層まで
山猫軒より血なま臭き匂ひかな
白衣脱ぐ君に興味が失せてゆく
AIが纏う 知 意とは異なる白衣
セーラーを強いられ女子となる四月
制服は蛹と大人たちが言ふ
黒服に囲まれ横たはる白衣
晩秋の埴輪白衣を着たさうな
アドバルーン夕陽にルドンの瞳めく
アンポンタンポカンと窓にアドバルーン
白衣とは良識といふ拘束具
女王とは総合職か夜半の春
行く春やバラ鞭丹念に拭ふ
のどかさや白衣といへど薄ピンク
丸刈りや床屋白衣と髭と櫛
蛇穴を出づる刹那を龍の顔
白衣よりエプロン似合う人少な
春の雲アドバルーンとごつつんこ
布団出て歯磨きヒトに変身す
妹は蛍になって星を狩る
魚は氷に上る白衣の漫談家
変身が解けて気づいて口つぐむ
世に白き事は少なし白衣増えても
揺れ惑ふアドバルーンや三鬼の忌
春愁や白衣の袖のチョークの粉
物言はぬ白衣に囲まれゐて裸
猫柳魔法少女になれなくて
声落とし「DVですか?」白衣問う
しつけ糸外せば尾が出る人類は
春光や聖と俗とのあわいに仁
春の闇アドバルーンは浮いたまま
アドバルーン春が好評開催中
しんがっきはくいきながらじっけんだ
良妻も賢母も返上春の宵
店頭のやかん一つは狸です
物の怪と恋に落ちたし春嵐
親指の腹に目が在る白衣の師
戦場に屹立してる白衣ども
さくらんぼのように浮かぶアドバルーン
ゴーレムが群れで越境アドバルーン
アドバルーン上に鍾馗がしゃがみおり
人格者もやられてしまうアドバルーン
薄闇の中に居るはずの妹
ひな菊の中に人面混じりおり
裸婦流れ来た白衣着け踊る浜
如意棒を握るギニョル・ザ・涅槃西風
風船のかるさの遺書をふところに
死は/いまも/静かに朧/拭いてゐる
アドバルーンでかけれやいいつてもんでもないな
アドバルーずつと繋がれてをりぬン
白衣脱ぎ母に戻りぬ理科教師
春雷や体温残す白衣あり
アドバルーン射落としたるも与一かな
トンビさえ寄らぬ領空アドバルーン
【助手の一句】
変身と呟きくぐる赤提灯
【もう少し】
胸元に見慣れぬ谷間夏臨月
妊婦が自分の「胸元に見慣れぬ谷間」がある事に気づく。リアル。ただし、「夏」の位置が悪い。こういう2~3音の季語を投げ入れる場合は句の最後に。「胸元に見慣れぬ谷間臨月夏」だったら秀句。
医学徒や白衣得て向う春の都
地方の医学部を三月卒業して白衣を与えられて、中央でのポストに着任する、という句意だろう。「医学徒「白衣得て」「都」という言葉の斡旋は、現代でなく、少し昔の時代を思い起こさせる。ただし、「医学徒」と「白衣」の重なりが気になるし、「春の都」もやや雑だし、「向う」という報告も少々まずいと思う(短歌なら都に向かう気持ちを抒情的に描いて一首になるが、俳句だと厳しい)。この際、上京して、そこで白衣を着てみた瞬間を詠めばいかが。例えば「給はりし白衣羽織るや帝都春」にすると韻も踏める。
A silver brooch / on her chest / opens its forewings
この句の手柄は「forewings(前翅)」という言葉で、ブローチが特定の昆虫型をしている事を暗に示している。しかも前翅をひらいてしまった状態でなく、ひらく瞬間を詠んでいて面白い(ブローチの昆虫が自動的に翅をひらくわけがないので、見立て、もとい幻想であろう)。ただし、一つ難を言えば、現状の語順では状況説明っぽくなってしまう。二行目までに彼女の胸にあるブローチだと種明かしされてしまっているので、三行目の驚きが弱い。そこで、一行目と三行目をingを付けて逆転させてみてはどうだろうか。そうすれば、最初の二行で動きを見せたて読者に何の虫だろうと想像させ、二行目の終わりに(表記上は省略するが)カンマの間が生じたのち、三行目を読んでやっと本物の昆虫でなく銀のブローチだったのだと判らせる仕組みになる。「Opening its forewings / on her chest / a silver brooch」