9月の実験


【九月のお題について】
早いもので、すでに九月の実験ですね。
今回は、「サービス」(よみこみ)、「媒」(よみこみ)、「助ける」(しばり)という、似て非なる3つのお題です。
「サービス」は、色々な意味を持っています。純粋に人のためにする奉仕的な活動だったり、商売で顧客のためになされる種々の奉仕だったり、商売での値引やおまけだったり、物質を売買後残さずに効用や満足等を提供する形のない財(用役・役務と同義)だったり……。指示に困惑する助手に対する所長代理のリップサービス、弊所では禁止になったサービス残業、所内卓球大会で見られる(一時覚醒中の)所長のサービスエース、弊所がスポンサー企業に提供している新季語提案サービスやAI執事サービス、などもサービスに該当するでしょう。
「媒」の漢字は、仲立ちを意味し、触媒、媒体、媒介、媒酌といった言葉に使われますね。「媒」を経た「サービス」も多いです。「媒」といえば、弊所では俳人霊媒の実験も行っております。東北地方の「いたこ」を参考にしつつ、助手の身体に芭蕉や蕪村の霊を降ろそうという、俳壇的にも宗教的にもグレーな実験です。世間での混乱を避けるため、死後200年経っている霊に限定しているので、近代以降の俳人は降ろしていません。厄介なのは、ハイジンを降ろしているという噂を耳にして江戸時代の「廃人」の霊たちが西鶴や其角を押しのけて降りてきてしまうことです。
「助ける」のお題はしばりですので、そのテーマに沿ってさえいれば別の言葉でも構いません。ヘルプデスク、カウンセラー、町の助役、家庭教師、(良し悪しは別として)大学の代返、奉仕的な「サービス」、化学反応を助ける触「媒」等は該当するでしょう。弊所でいえば、何といっても助手。毎月の投句をしっかり選句しやすい状態にしてくれます。

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【全体評】
どんな投稿企画にも時事が映りこむが、8月は香港のデモ、9月は佐野サービスエリアのストライキを詠んだ句が多かった。短歌と違って、俳句は(特定の時事に基づいていても)それを越えた広がりを持つ方が良いと思う。デモの句もストライキの句も厭ではないが(むしろ好きな方だが)、香港や佐野に限定しなくても良いと思う。無論、新季語になるくらいの大きな人災に発展したら別である。なお、時事とは別に、素材では、サービスエリアと霊媒の句が多かった。

全体のレベルは8月よりも低調だった気がする。「サービス」という言葉や「媒」を入れた言葉を俳句という短い詩の中で消化するのは難しいと感じた。もしかしたら、つまらない笑いを狙った句(サラリーマン川柳の方がマシ)、単に奇を衒っただけの句、前月までに「佳作」や「今月の力学」に入った句の一回性の小技を焼き直した句が増えてしまったのは、お題が難しすぎたからかもしれない。

私が特に面白いと思う句は、今までにこれはなかったなぁと思う句、フレッシュな感覚の句、全く凝っていないけど頭をゴツンと撲られるような句、凝り方が見事すぎて褒めるしかない句、手垢のついていない表現を持ってきた句、臨場感のある句、リアリティーのある句、考えさせられる句、喜怒哀楽いずれかの感情をくすぐられる句、どうしても気になってしまう句、など様々だが、逆に、どこかで見たような句、どこかで見た表現がそのまま入っている句、悪くないけど特別な気もしない句、端正だけど何十年前の総合誌にありそうな句、などに食指は動きにくい。但し、有季定型の伝統俳句でも、新興・前衛系の句でも、無季自由律句でも、そういった要素は選に影響しない。

一人の選者による投稿企画だと、私の嗜好に合わせようとする投句者が多いが、その必要はない。自分が良いと思う句で勝負してほしい。好きでなかったのに好きになってしまうような句と出会いたい。

サービスに梅干一個くれたれど残すほかなしそれだけ残す

霊媒の家業継ぎたり先代に懐いてゐたる霊も継ぎたり

猫の手も借らまくほしと分身の術なむつかふその分身も

【天】

かねごとや虫媒美しき大花野  ぐ

「花野」や「西日」を「大花野」や「大西日」という風に「大」を付けることを良しとする人とそうでない人がいるが、私はケースバイケースだと思っていて、この句の場合は「かねごと」「虫媒」という堅い言葉が入っているので「大花野」でよいと思う。「美しき」は「はしき」と訓む。
「かねごと」は「兼言」のことであり、約束事、将来を予測して言う言葉、予言を指す。取合せの句だが、虫媒が至るところで行われている花野に、自然の摂理さえも超えた、何らかの〈大いなる者〉が計画ないしプログラムした秩序の美、予定調和の美があるようだ。個々の虫の個々の動作は当然ランダム(無作為。法則性がなく予測不可能な状態)であるが、特定の種類の特定の虫が花野という特定の場所で虫媒という特定の行為に従事することは予め定められているのかもしれない。無論、DNAをプログラムだと看做せば、虫の生態も動作の種類も定められている。広く観れば、この句は人間にも当てはまる。我々は自由意志があるようだが、ちっぽけな星の上で予定調和的に振る舞っているだけなのかもしれない。それどころか、実は自由意思で動いている気になるようにプログラムされているだけかもしれない。

【地】

Während des Wehrdienstes lässt sie die Wildgänse fliegen.  髙橋小径

訳に迷うが、一つの訳は「兵役の間、彼女は野生の鵞鳥を飛ばせておける」となる。これに深い意味を求めるか求めないかは自由だが、兵役の前後における彼女と鵞鳥の関係(食べるのか、恋するのか、それとも……)や兵役が示していることを想うと、さまざまな想像が過る。押韻も効いている。

【人】

マグダラのマリアの顔で墓洗ふ  藤井祐喜

作中主体は「マグダラのマリアの顔」をして墓を洗う、という句意はわかる。問題は、「マグダラのマリア」及びその「顔」をどう捉えるかだ。マグダラのマリアには娼婦説や罪深い女説があって、その解釈だと、故人に助けられた恩義があるとか、故人と不品行な(葬儀に出られない)関係があったとか、そういう解釈が出る。もちろん、マグダラのマリアはイエス・キリストの遺体に塗るために香油を持って墓を訪れたと聖書に記述があることから、故人と親友か家族並みの深い結びつきがあるのがわかる。なお、聖書では、マグダラのマリアはイエス・キリストが十字架に付けられるのを見守り、埋葬される時も彼をずっと見つめ、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で一番重要な人物として語られているので、イエス・キリストの妻もしくは実質上の妻であった説もあり、そうとすれば、故人は作中主体のパートナーであった可能性もある。さらに面白いのは、二つ目の問題である「顔」であって、マグダラのマリアの顔をするとはどういうことであろう。マグダラのマリアのような気持ちが顔に出ているのか、マグダラのマリアの実際の顔(誰も知らないが)に自身が似ていると思っているのか、それともマグダラのマリアの気持ちにはなれないけど墓参りの時だけは彼女の素振りをしているのか。私が何となく思うに、作中主体は、マグダラのマリアの心境になっているが、どこかそれを認めたくはなく、わざわざそういう顔をしてあげていると嘯いているのだ。

【佳作】

たくさんの手のひとつとなる  国東杏蜜
「助ける」の題詠だろうが、「助ける」といったような言葉を入れていないのが良い。しかも、短い自由律で、無駄がないからいい。想像が働く余地が残されている。お題を知らなければ、別の解釈も可能だが(「助ける」の反対の「陥れる」シチュエーションでも成立するかもしれない)、句の面白さは変わらない。あくまでも作中主体が「たくさんの手」の「ひとつ」となるだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。自分みたいな人が色々と加わるからこそ「たくさん」になっているわけだし、他の部位はなくて「手」しかないし、自分は個性を捨ててまで「たくさん」の中の「ひとつ」となっているわけだが、この辺はたくさんの想像のひとつの領域に過ぎない。

地から湧くもの手を挙げる手を挙げる  鈴木牛後
極めて印象的な無季句。体制に殺されていった者たちがいま挙手をして体制に立ち向かおうとしている情景かもしれないし、殺されていなくても、いまの香港のように、次々と主張と要求と疑問と武器を持って地から湧いてくるように無名の大勢が体制に立ち向かっている情景かもしれない。地にいる持たざる者たちが天にいる持てる人たちを相手に立ちあがる、湧きあがるという、プロレタリア革命のイメージで読むこともできる。無論、安直にゾンビ句としても読めるが、それだと「手を挙げる」が活きない気がする。

コスモスの花あそびをる豚コレラ  伊藤正美
時事詠だが、豚コレラは時折起きてしまうので句には普遍性がある。句自体には、自然の無情さというか、自然への畏怖を感じる。コスモスの花が風の中で游(あそ)んでいるのも自然、豚コレラも自然、しかも同時に成立しているが、その同時性さえも自然。前者に美や癒しを感じたり、後者に悲しみや憤りを感じたりするのはあくまで人間であって、自然にとっては関係ないこと。

捨て猫を拾っただけのクリスマス  寺津豪佐
「だけ」が効いていて、クリスマスに善行というありがちなテーマに、それこそ「だけ」だけで陰翳が生まれた。

ケアサービスの男蒐むる金歯百  仁和田永
ナチスが殺した人の金歯や指輪を抜いていたことは有名だし、残念なことに、東日本大震災の被害者たちの金歯や指輪も同様だったという噂も聞く(真実でないことを願っている)。死者だけでなく、古今東西、収容所や刑務所で、拷問及び蓄財のために生きている人の金歯を抜く話がある(真実であろう)。私も以前「拷問室煖房きくや金歯積まれ」という句を作ったことがある。さらに、歯科医が患者の要らなくなった金歯を蒐めている話もある(最近、金歯は減って、安い素材になってしまったが)。
さて、こちらの句はどうだろう。ケアサービスなのだ。普通、金歯は手に入らない。手に入るとすれば、入所者が死んだどさくさの時か認知症も身体的衰弱もひどい寝たきりの高齢者と二人きりになった時か。いずれにせよ、非合法、犯罪の匂いがぷんぷんする。先月の実験には「エルサレム行のバスには目玉百」(海音寺ジョー)という怖い句があったが、こちらの「金歯百」も怖い。正確に百個数えてベスト金歯を蒐集していたとしたらなおさら怖い。

秋郊のサービスショットを遺影とす  戸矢一斗
「サービスショット」という言葉を使った句を読むのはこれがはじめてである。映画やテレビドラマ等において、その作品の本筋とはあまり関係なく、もっぱら視聴者を喜ばせるために挿入される一枚絵的なシーンやカットを呼ぶ業界用語らしい。「秋郊のサービスショット」なので、爽やかで明るい感じのシーン、それもファンのためのアップショット(首から上、顔全体が写るサイズ)が入っていたのだろう。それがそのまま遺影になってしまった。本人が闘病中に表明した遺志という可能性もあるが、本人が事故死して、ファンたちに長く憶えていてもらえるよう、私的な写真でも証明写真でもなく、サービスショットを(事務所や家族が)遺影にしたような気がする。故人の最も魅力的なショットだったかもしれない。

竹皮を脱ぎ弁慶は矢面に  中山月波
二物衝撃の句。夏場、筍は若竹となる際に皮を根元から落とす。弁慶が義経を守るために矢面に立つ。それら二つの事象は本来無関係である。あくまでも、二つの事象が合わさった時の妙味を楽しむ句である。なお、二物衝撃を成功させるには、二つの事象を繋ぐ細い糸が必要である(なくても駄目だし、太くても駄目だ。そのため、連想法を使って配合する事象を探す俳人は多い)。この場合、その細い糸は自己をさらけ出すことであろう。

霊媒の声の野太し雪囲  山内彩月
霊媒の句は多かったが、声を「野太し」としたところがよい。「雪囲」で、その声が響いてきた建物や周囲の雪も見えてくるし、声がどのように外まで響いているか、空気感も伝わってくる。

その香に漂うはこたえ  佐藤
無季自由律。ドビュッシーの曲に「音と香りは夕暮れの大気に漂う」があるが、漂っているその香り自体の中に漂っている成分があって、何とそれは「こたえ」。成分がわかった人にしか「こたえ」は与えられないし、謎が香っている一瞬しか「こたえ」にたどり着けなのだ。

夜なべの灯媒染剤の香は庭に  砂山恵子
窓に灯りがあり、それは屋内で夜なべで染色の作業をしているからであり、媒染剤の香りはそこから漏れて庭に漂っている、という句意を、直接の作業を詠まずにうまくまとめていると思う。庭に媒染剤の香というシチュエーションも妙にリアリティーがあるし、身体的に感じられる。

【今月の力学】

ひと山の枝豆を食ふ加勢せよ

光射す樹海のラストセーブポイント

あかぎれの足に軟膏霊媒師

Die Nacht kommt/mit Hilfe/einer Schwarzamsel

サービスの進歩に人は案山子かな

媒介はしたくなかった蚊の懺悔

A cette soiree/Nous avons reclame le service secret/En chambre separe

サービスは二歳児のキス赤い羽根

夜学の子夜勤の母ににぎり飯

緑髪の君が媒介する銀河

稚児の傷舐めるライオン月涼し

霊媒のスプーンひらりメロンかな

サービスで吐く蛍も月も星も

昏い昏いわたしの夜を助ける夢

Syrinx in service/a breath of crevice:/perhaps a novice

子の腕が子を抱き痩する受難民

月明の無媒の道の山頭火

サービス券溜めては捨てて日短か

いつ死ぬか選ぶサービス小鳥来る

自助論の朽ちて芒の吹かれやう

溶媒/落ちる/落ちる//析出する西日

助けると誓う月を鳴らして喉を鳴らして

卵落として月光のセルフサービス

ファンサービスの握手や雪女郎

大西日ライフセーバー欠伸せり

救うでも蔑むでもなく月光る

燕渡る媒島の中休み

無用なるサービス多し冬瓜煮る

サービスのつもり 磨いた黒電話

サービス評価するサービスの評価

媒孽の宴ぬけだし端居かな

Translated service turns free

譲られし席をゆずりて昼の月

富士山の漠を助くる月見草

縛り無きサービスどこぞ風天忌

キオスクの横は踏切赤い羽根

サービス付き高齢者向け住宅の無月

間違うて媒鳥を食らう晩餉かな

媒体の無き世界にも秋祭

波音のくるサービスエリアの良夜

着ぶくれて薬なんぞは呑まぬといふ

サービスで子どもをひとりつけましょう

ふところにサービス料として木の実

媒介は蚊ではなかった愛だった

両替は有料である相談所

秋の海傷に手を置く人に似て

蝙蝠と猫が媒介するらしい

触媒となる書の匂ひ寅彦忌

霊媒師声絞り出し木の実落つ

虚空よりつつつつつつと蜘蛛の糸

秋深き何でも屋とう隣人よ

マニュアル通りのサービス聖夜のマッサージ

助け順母>父>祖父母>金魚>妹

少年に渡す銀貨や月の雨

歯科助手の指先やはし秋の暮

Hinterher,die Insektenblüte/tut mir wehr

輝けり月は詩を触媒として

助太刀は豆柴のみとなりにけり

媒介としての死を、だんじてレモン

大き梨サービス品の台の上

助けたはいいが悶える守宮の尾

密告を受けて笑顔の虫媒花

sprawling steam/has a slant/for savage service

秋の蚊の媒介したる夢遊病

サービスのヘアゴム増ゆる秋の旅

ワンドリンクサービス梅酒一択で

平日のサービスエリア蛇の穴

秋興を拾へば記憶媒体へ

月の裏つぶさに語る霊媒師

長き夜や入浴介助待つだけの

担ぎ手が遠くから来る秋祭

秋分や道なりにナビの言ひなりに

あてもない転送サービス冬近し

夕月夜オブリガートの銀糸めく

ヒトゲノム神は余白へサービスを

たじろがぬ盲導犬や木の実降る

探偵を寝かせてワトソンの夜長

犠打知らぬ母独り観る秋の夕

凡百のサービスエース受けし床

製油所の煤煙低し鳥渡る

幼馴染に男気見せる秋祭

嫌ひな苺もサービスされて星さやか

補聴器を付けてたちまち虫すだく

白檀の香やサービスのコンドーム

風媒のごとき独り身筋子食ぶ

ジャングルジムの如く手摺や秋彼岸

ヒーローの夢まぼろしに終はる夏

【助手の一句】

もう会えぬ君のサービス券で食う

世界救った傷隠す絆創膏

【添削】

ハザードマップ赤く示す地ふたり住む
ハザードマップが示している地に二人しか住んでいない(という事実がデータ等で判った)という句意なのか、それとも、知っている二人(もしかして一人は自分)がその地に住んでいるという句意なのか。たぶん後者の方が句として良い。しかし、その場合、「ふたり」が誰なのか知りたい。親子か夫婦か恋人か友人か赤の他人か。恋人か夫婦だと、ハザードマップが二人の関係の脆さを暗示しているようで、句の味わいは深まる。〈ハザードマップ赤く示す地同棲す

霊媒を描いて未完のままマンガ
語順を変えたい。まず、どういう内容の漫画かを中七までで詠み、そして、漫画が(悪霊に憑依されたせいか)未完に終わってしまった衝撃の事実を下五に入れたい。〈霊媒を描いて漫画や未完のまま

秋刀魚焼く犯人は命取り止めたらし
犯人が秋刀魚を焼いているように読めてしまうが、たぶん句意は違って、自分の人生と全く関係のない犯人が命を取りとめたらしいとテレビ等で知って、そろそろ晩ご飯に秋刀魚を焼こうかなと思っているのだろう。京都アニメーション放火事件のことかもしれないが、作中主体にとっては他人事なのだ。焼かれるのも建物でなく秋刀魚だ。作者にしてみれば、残酷な事件も印象深い他人事にしかならない恐ろしさを句にしたかったのかもしれない。この句も単純に〈犯人は命取り止めたらし秋刀魚焼く〉と語順を変えたい。

サービスです髑髏が爪を切りながら
頭が髑髏になっている死神ならわかるが、髑髏だけだと手がないので誰の爪も切れないだろう。また、死神が自分の爪を切っているのか、死者の爪を切っているのかもわかりづらいが、「サービスです」と言っているので、死なせたばかりの死者の爪を切ってあげているのだろう。〈死神が死者の爪切る「サービスです」