8月の実験

【八月のお題について】
8月のお題は「エスカレーター」(詠み込み)、「圧」(詠み込み)、「明かり・灯り」(しばり)の3つです。
「エレベーター」(エレベータ)及び一般的な「階段」の句に比べ、「エスカレーター」(エスカレータ)の句は非常に少ないです。「エレベーター」は「昇降機」としても句に詠まれることが多いですが、「エスカレーター」を「自動(式)階段」という別名で詠んだ俳句は皆無に近いですね。当研究所にもエスカレーターが設置されていて、一階から地階の特別実験室に降りられるようになっています。
その特別実験室では「圧」に関する様々な実験を行っております。血圧や気圧だけでなく、秘密俳句結社入会における圧迫面接の生理学、選句時及び披講時における圧(あつ)の測定、圧を感じないようにして流してしまう心理技術の開発、口語俳句データの圧縮、圧力鍋による野菜季語の調理、など思いついたらすぐ助手に実験してもらいます。
そう、うちの研究所はどこも灯りがついているのですが、部屋ごとに違います。LEDやハロゲン、白熱灯、ガス灯、和蠟燭(わろうそく)、行燈(あんどん)、提灯(ちょうちん)、紙燭(しそく)……。紙燭などは短時間で消えてしまうので、あまり使わない部屋の照明にしています。もちろん、季節ごとに、秋灯、春灯、と変わります。そして、窓からさしこむ明かりも季節ごと変わります。最近は晩夏光でしょうか(すぐ外には片蔭)。西日、夕焼、夏の月、夏の星等も見えますが、もうすぐ秋の日、月、星月夜を楽しめる季節になりそうです。

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【全体評】
「エスカレーター」の佳句が多かった。エレベーターや階段に比べてエスカレーターの句は元来少なかったのだが、案外扱いやすいことが判明した。「圧」は少々難しかったようだ。語感の強さを生かし切れていない句が目立った。香港のデモを詠もうとした句も多かったが、もっと踏み込んでほしかった。「明かり・灯り」は入選句を含めて全般的に良かったが、「月」としてエスカレーターと合体した句も多かった。概ね、月に照らされているエスカレーターと月までのエスカレーターである。もちろん、その類想の中で光る句もあった。他に、エスカレーターの片側に立つという発想の句も多かったが、こちらも類想の中で光る句もあった。全体のレベルは、春の企画開始時に比べたら大幅に上がっていて、「今月の力学」にも「佳作」の句と大差ないレベルの句は多い。来月も心から楽しみにしている。
以下、返歌を。

エスカレータに踊り場のなくどこまでも転(まろ)び落ちゆく基地の踊り子

十二回圧迫面接耐へぬきて鉄板になる十三回目

雲間より光射すとき何らかのきこゆ吾にはわからぬ言語

【天】
エルサレム行のバスには目玉百  海音寺ジョー

大型バスに50人くらい乗っている。暗い車内なのか乗客の目玉が際立っている(「明かり・灯り」の題詠だろう)。(抽象的な意味で)明かりを失っていない目なのか、いや、すでに失っているのか。人間を目玉というモノに還元している。そして、それだけではまだ普通だが、この句は「エルサレム」が効いている。旧約の時代から現代に至るまで、複雑な政情に翻弄されてきた場所である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地でもある。このバスに乗っているのはパレスチナ人かユダヤ人か観光客か判らないし、乗客たちは自らの希望でエルサレムに向かっているのかも不明だが、この句は色々な連想を誘う。ホロコーストによるユダヤ人の強制移送も重なるし、東ローマ帝国のバシレイオス二世がブルガリア人捕虜に行った仕打ちも思い起こさせる。捕虜一万四千を一〇〇人ずつの組にし、九九人の両目を潰し、一人だけ片目を潰して残りの九九人を先導させる方式で、ブルガリア皇帝サムイルの元へ送り返した(サムイルは二日後に死去)。バスの乗客五〇人は生きていると解釈したが、すでに死んでいて、人類の愚かな政治を糾弾する目玉だけが霊としてバスに乗っているイメージも成立すると思う。

【地】
地球光書物を開く金の指  笛地静恵

「地球光」が摩訶不思議。日光でも月光でもなく、作中主体は地球光を浴びながら書物を開いている。地球光という現実の光と書物の叡智という虚の光で指は金に輝いている。地球光を浴びているところを見ると、作中主体は月か地球の衛星軌道上にいる。もしかして句の設定は近未来、人類を育んできた地球がもはや住めない場所になっていて、人類の子孫は地球光を浴びながら紙の書物という地球にいた人類の記録に目を通そうとしているところかもしれない……と思ったが、人類の子孫ではなく、地球の人類絶滅後にやってきた宇宙人かもしれず、その場合の書物は人類が遺した紙のものか自分たちの特殊な素材のものか。

【人】
transparent skyscrapers conceiving transparent escalators  はやみかつとし

意訳すれば「透きとほる摩天楼を透きとほるエスカレータ」(conceivingを「宿してゐる」「身ごもってゐる」「抱いてゐる」などと訳しても良いが、日本語だと「を」くらいで良い気がする)。透明な昇降機(シースルー・エレベータ)を扱った俳句や短歌は何気に少なくないが、存在しない透明なエスカレータの句は他に知らない。しかも、エスカレータだけでなく、それを孕んでいる摩天楼さえも透明なのだ。ソビエト連邦ゴルバチョフ書記長時代のグラスノスチ(情報公開)政策のように、体制も内部のメカニズムも透明にならざるを得ない状況を象徴した句かもしれない。無論、逆に、全体も部分も透けすけで、悪事も何もかも露呈してしまっている政体を象徴した句とも読める。いずれにせよ、全体も一部も透けている摩天楼など、ガラスか水晶かプラスチックかわからないが、脆いだろう。ソ連も透明化した後すぐに崩壊した。

【佳作】
皇臣乗せて月へゆくエスカレーター  鈴木牛後

月へゆくエスカレータを詠んだ句は他にもあったが、この句が異色だったのは「皇臣乗せて」。実に怪しい。「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」(高濱虚子)及び「初空や大悪人虚子の頭上に」(同)の本歌取のような味わいもあるが、『竹取物語』を下敷にしたSF句として読んでも面白い。大昔月の都に行ってしまったかぐや姫を追うため、未来の帝の命を受けた皇臣がエスカレーターで月へ赴くのだ。エレベーターと違って、エスカレーターではきちんとした列をなして移動する事ができるし、階段と違って疲れない。雅な行列がそのまま斜め上の方向へ向けて昇ってゆく。

エスカレータ右側に立ち須磨は秋  姫野理凡

「須磨は秋」がうまい。神戸市須磨区の人たちはエスカレータの右側の方に立つという事実だけでなく、瀬戸内海を臨む須磨の浦で名高い白砂青松の景勝地という事実(歌枕でもあるが、まるでエスカレータの右に秋の海辺があるかのようである)、そして何より、『源氏物語』の「須磨」の巻を思い起こさせる。「秋」という季節が光源氏が須磨の侘び住まいで送った淋しい日々と重なるし、源氏の左遷はエスカレータに礼儀正しく乗っているサラリーマンたちの哀愁とも通じる。

キューランプ群衆Aの立ち上がる  GONZA

表の意味は、舞台の本番開始などで使われるキューランプが点灯したら、個々の名前がついていなくて「群衆A」としてまとめられてしまっている役者たちが(身体的に)立ち上がった、ということだろう。しかし、それだけでは、原因と結果を詠んだ句に過ぎない。やはり、ここは深読みしたい。舞台でなければ、名もない市民たち、群衆が立ち上がるというのは、決起することに他ならない。近年では、フランスの黄色いベスト運動(2018年~)、香港の雨傘運動(2014年)及び逃亡犯条例改正案反対運動(2019年~)がある。その場合のキューランプとは決起する烽火というか、何か決定的な火種のようなものかもしれない。逃亡犯条例改正案とかである。

月光やプラットホームの下に洞(ほら)  砂山恵子

普通に解釈すれば、月光に照らされているプラットホームの上と暗い空洞になっているプラットホームの下の対比を示した句であろうが、やはり「月空洞説」を強く連想させる句となっている。照らされているプラットホームだけでなく、照らしている月自体も空洞なのだ。思えば、月自体も輝いているわけでなく、太陽に照らされているにすぎないので、月もプラットホームも自分で輝くことのない中が空洞の物体である。「月空洞説」はオカルトやSFで長く好まれた題材であり、月の中に基地があるとか、月自体が宇宙船だとか、そういった話はたくさん語られてきたが、近年、NASAやJAXAの研究などによって、月が実際に空洞であることが語られはじめ、もはや定説になりつつある。そういう意味でも、洞(ほら)には、法螺(ほら)でない真実が眠っている。

人攫ふ月光のエスカレーター  椋本望生

月光に照らされているエスカレーターの句は他にもあったが、初五の「人攫ふ」が尋常でない。静かな夜、エスカレーターに乗っている人たちはカーテンに射してくる月の光に吸われるように消えてしまい、見知らぬ世界に攫われていってしまうのである。妖しい幻想であるが、古来より月が持っている魔力ゆえ、エスカレーターの人たちがいま月光に攫われつつあることを信じてしまいそうになる。

かなかなの中エスカレーター長い  未補

この句も不思議である。まるでいま乗っているエスカレーターがいつもより長いのは蜩(かなかな)が鳴く中を通っているからだと言わんばかりである。実際、エスカレーターがいつもより長いはずはなく、作中主体にそう感じられただけであろう。それは、かなかなの声の魔力というか、どこか哀れさがあり人の心に染みるような声に集中していると、毎秒毎秒が充実するからであろう。しかも、未明や薄暮の微妙な光に反応し鳴きはじめるので、明かりが弱い中で乗るエスカレーターが長く感じられるのは心理的にも理に適っている。

街の灯へ笑み釦押す爆撃手  仁和田 永

どこの戦争かわからないが、「笑み」にリアリティーを感じた。数千年前から現代に至る様々な文献や記録で知る限り、戦争は人間性というものを容易に麻痺させてしまい、良識ある人間でさえをも時には悪魔に変えてしまえるようである。「街の灯へ」とあるので、夜間だろう。そこは戦場でなく、一般市民たちが日々の生活を営んでいる銃後の街。食事をしている家族、残業をしている人たち、勉強をしている子供たち。爆弾投下後、そこは一瞬で凄惨な地獄と化すのだ。国際法違反だが、勝てば糾弾されない。ましてや一介の爆撃手が責任を問われることはない。笑みてボタンを押した爆撃手は自分が作りだした地獄の一部始終を目にすることはなく(何といっても夜なのだ)、速やかに帰投するのだ。もちろん、爆撃手自身の家族も敵の爆弾で焼き殺されてしまい、復讐の喜びに打ち震えているだけかもしれない。

影の濃き背やナイターのマスコット  寺沢かの

新しい素材、現代の素材に挑戦してゆくのは俳人の使命だと思うが、ナイターのマスコットなんてものをよくぞ詠んでくださったと思う。人間の入っている着ぐるみに過ぎないが、ライトに照らされるその正面のかわいらしく微笑んでいる姿の裏の「影の濃き背」に着目したのが好い。哀愁がある。入っている人間の悲哀もマスコットという存在の微妙さも運営の闇も、その「影の濃き背」に象徴されているかのようだ。マスコットというものが球団の象徴であるのだから。

夏の蝶セシウムを手に塗る遊び  小泉岩魚

セシウムと言えば、まずは東海テレビが起こしたセシウムさん騒動を思い出す。ウィキペディアを引用するが「セシウムとは原子番号55の元素の一種であり、その放射性同位体である放射性セシウムは2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故により外部に放出され、東北や関東を中心とした東日本の土壌や農作物・畜産物・魚介類から規制値を超える量が検出されたことでクローズアップされていた」矢先に、不謹慎なテロップが誤って流れてしまったのである。この句の一つの解釈としては、セシウムさん騒動のような事件を引き起こしたような、セシウムの危険性を軽く捉えてしまったテロップ制作担当者の「遊び」を思う。別の解釈として、原発の危険性を無視して各地で再開させようとしている、利権を得ている人間への揶揄とも受け止められる。子どもたちが夏休みに大型の(夏の)蝶を捕獲しようとするように、無邪気で無知な人間たちが原発利権を捉えようとしているのかもしれない。物理的にも、セシウムを極少量手に塗ってもただちに死ぬことはないが、少し量が過ぎれば、待っている結果はおそろしい。そもそもそんなもので遊んではいけないのだ。

a ray of light
circumvents
the desert called language  斎藤秀雄

訳すと「言語という沙漠を迂回する一条の光」や「一条の光が迂回して沙漠の名は言語」といった感じになるが、文法の制約上、語順の効果を含めて正確に訳すことは難しい。そして、その翻訳の難しさこそが「沙漠」の一つなのだ。ソシュール、ウィトゲンシュタイン、チョムスキー等を読むと、「言語という沙漠」の途方もない広大さに絶望するし、認知にも意思疎通にも懐疑的にならざるを得ないが、それを「迂回」する「一条の光」は沙漠の民である人類にとっての大きなる希望である。

【今月の力学】
梨の明るさ世界を手術した後の
目をひらくリュミエール忌の花園で
常春の気圧や響くアムハラ語
Um tief zu schlafen, der Geigenspieler fuhr mit der Rolltreppe hinunter.
ゲルニカのものら順順エスカレーター
ゲルニカの灯へと直列乾電池
光死ぬとき死ぬ光放ちけり
おそ夏や灯篭になり愛される
炯々と太白灯る帰省かな
薄薄と明かりが夜のプール底
圧圧圧圧圧圧や〒
圧に圧ホルムズ海峡波高し
長梅雨の乗ってゐるエスカレーター
容疑者のアリバイ崩す月明かり
日本よりずっと大きな高気圧
Ach dein Gesicht
Macht mir Freude, ewiges Licht.
Doch du liebst mir nicht.
エスカレーター追い越さずとも秋は来る
星飛んで軽くなりたる前頭葉
エスカレーター右に立ちたる雪女郎
空は非可逆圧縮の黝さ
止血点圧迫しつつ仰ぐ月
これからも低血圧で生きる画家
指圧師の太き指先秋の蠅
エスカレーターの終わりいつのまにか無月
エスカレーター漸化式のごとく進む
減圧蒸留してこれが檸檬の本意である
燈籠や隣人の子は健常児
プロメテウスの肉片のごと七竈
風神雷神互いの圧を確かむる
エスカレーター 最短距離しか運んでくれない
夜濯や電圧変り易き国
音圧は下腹に受け大花火
美事なる欄間の影や盆灯籠
うなばらやとほくひかりの柱あり
エスカレーター斜度は北斎赤富士ぞ
エスカレーター死骸が熱を帯びてゐる
エスカレーター催涙ガスの満ちる秋
エスカレータ乗り継ぎ巡る地下ダンジョン
エスカレータに運ばれ部品めく私
指圧師の夫は反り指流灯会
おり口の霧なるエスカレーターにほん
山の端を照らして遠鳴り浴衣着る
エスカレーターを沈みゆきつつ父となる
善き人の善きことの圧てんぐ茸
兎急ぐエスカレーターの片側を
E.T.の指さき触るる胸の傷
平等に気圧のかかる野球人
台風来古墳群めく等圧線
括られし頸のふくらみ鵜飼の火
葉面に裏の張り付く桐一葉
院内エスカレーター微速昼の月
圧力鍋に封じ込めてしまった小さな海
真夜中の冷蔵庫の中のカーニバル
遺骨抱えて階段かエスカレーターか
かなかなや過去行きのエスカレーター
青磁釉蠟燭の火を和らげる
秋空と主張する空の圧力
エスカレーター輪廻をはみ出した子猫
紅葉且つ散るやエスカレーター逆行
筆圧に裂ける履歴書彼岸花
星月夜金平糖のやうな稚魚
電圧の低きところをとぶ鯰
エスカレーターのステップ薔薇一輪へ譲る夜
空港のエスカレータを春埃
日本語のふるきほとりを飛ぶ蛍
夏至の日ペンローズのエスカレーター
カレーター空切る無限軌道エス
露の世の露ことごとく灯を呑んで
エスカレーターの裏側まで暑い
秋風を振り切れぬままエスカレーター
さくさくと圧縮ソフトに詰める繭
eine Feuerhand Laterne,/die Dunkelheit kommt/aus meinem Mund
In einem wilden Land/gibt es eine Rolltreppe,/die endlos hinaufführt

【助手の一句】
圧されて伸びゆく空に白い綿

【添削】
棋士の一手や盤上に圧を生む
無季句。「一手」と「盤上」とあれば、「棋士」は言わなくてもわかる。「盤上に圧生む一手」に整えられるので、下五に季語を入れるのも手だろう。例えば頭韻も付けて「盤上に圧生む一手晩夏光」とすると、盤という具体的なモノが光と熱気の中で見えてくると思う。

アラートのように明滅する火星
火星の本意は戦争。明滅する火星は、地球への警告(アラート)か。火星の異名は夏日星であるが、まだ季語と広く認知されてはいない。また、夏の季語である旱星が火星を指すこともあるので、火星の句は無季だとしても夏の感触がある。さて、「のように」が余計、アラートだと言い切ってしまいたい。いや、さらに言えば、明滅自体でアラートのようだとわかるので、「アラート」さえも余計に感じられる。無季のままだが、「明滅の火星英雄走らせつ」とか、色々な可能性がありそう。

肩寄せて灯火管制下のふたり
「肩寄せて」いれば大抵は「ふたり」(三人以上の場合もあるが)なので、「ふたり」のインパクトが薄い。二人がどういう関係か知りたい。恋人か兄弟か夫婦か隣人か。あと、「肩寄せて」とそれらの人物をつなげて、「灯火管制下」は最後か最初に置きたい。例えば、母親と子供、そこに聖母子のイメージを重ねてみると「肩寄せて聖母子灯火管制下」。いい句だと思う。

明かりを消してあたしはもうわかくない
若くない身体を相手に見せたくないお気持ちはわかるが、当然すぎる。発想を逆転させてみたらいかがだろう。「灯りを消してあなたはもう若くない」。さらに、「わかくない」が抽象的なので、そこに手を加えたい。若くない身体を描写する手もあるが、季語がない句なので、季語と同じくらいインパクトある言葉を持ってくるのもあり。奇天烈な例だと「灯りを消してあなたはもう懸衣翁」「灯りを消してあなたはもう布袋さん」「灯りを消しなきみはもう奪衣婆だ」「灯り消すべし汝もはや卒都婆小町」(汝=なれ)。ブラックな笑いに寄っているが致し方ない。もう少し優しいのは、自分も相手も若くないことにして、「灯りを消してわたしたち若くない」。前と同様に「若くない」を変えて、「灯りを消してわたしたち共白髪」。いずれにせよ、○○だから灯りを消して、と少々理屈っぽいので、理屈を崩壊させてしまう手もある。「灯りを消して目張に戻るところなの」。これなら美味しさのアピールも?