3月の実験

【三月のお題について】

12か月の実験シリーズ、いよいよ三月が最終回です。季何学研究所は不滅ですが、大勢の方々にご参加(巻き添え?)いただいた実験シリーズの終了を受けて、所長代理としては達成感と同じくらいに淋しさを覚えております。

さて、今月のお題は「―(イ)ズム」(詠み込み。主義などのismという意味で。リズム、プリズムなどはダメ)、「実験」(詠み込み)、「バリア(障害・壁)」(しばり)の3つです。当研究所の12回にわたる「実験」が、俳句においてどんな「主義主張」を持っている人間も参加でき、言語や国境を含めてどんな「バリア」でも超えて(orなくして)ゆける、そんな試みだったこともあり、最終回なのでそれ自体をお題にしてみました。

「―(イ)ズム」は、主義・主張・学説・傾向・流儀のismという意味で詠みこんでください。リアリズム、ダダイズム、ポピュリズム、ファシズム……何百という単語があります。ブランド名のコムサイズムも語源を鑑みて一応セーフです。早稲田イズム、三菱イズムといった単語もセーフですし、イズムだけでもセーフです(どう使うかは別として)。ネット検索したら、俳句イズムと言う造語も出てきました。但し、詠みこみですので、イスト・istはダメです。このお題の難しさは、俳句にカタカナ語、それも観念・抽象に属する言葉そのものを使うことです。相当うまく使わなければ、言葉が浮いてしまいますし、一句が漠然となってしまいます。今までで一番難しいお題の一つです。
「実験」も、そのまま詠みこんでください。実験で「実験」を詠むのは不思議な味わいがあると思いますが、季何学研究所の実験に限りません。理科の実験や思考実験といった比較的無害なものから動物実験、社会実験といった賛否両論のもの、そして、核実験や人体実験といった怖ろしいものまであります。実験台、実験生物、実験小説といった使い方もできます。実験主義という言葉なら、お題を同時に二つ満たすことができます。これも難しいお題で、実験の具体的な内容やモノでなく、実験という言葉そのものを詠みこむと浮いてしまいやすいのです。しかも、一句の音数が限られた中で、実験という言葉を入れてしまうと、残りの言葉と表現でよほどうまく処理しないと句が成り立ちません。
「バリア(障碍・壁)」はしばり(テーマ詠)ですので、一句からそれを感じることさえできれば、そのままの言葉を使う必要はありません。車椅子、パラリンピック、翻訳の難しさ、レインボープライド、国境の壁、多目的・多機能トイレ、階段など、様々なアプローチが可能です。もちろん、バリアや障碍(障害)といった言葉を詠みこんでも構いません。バリアフリーマップでも、SFやアニメで出てくるバリアでも、障害者手帳でも。これまた難しいお題ですが、この難しさは、類想が多いことから来ています。いかにもありそうなシーンやいかにも誰でも言いそうな道徳に陥りやすいです。逆に、類想を避けようとすると、取って付けたような出し方になってしまいやすいです。つまり、バランスの問題ですが、このお題はバランスのとれる範囲が非常に狭いのです(にやっ)。

さて、当研究所では、来年度から季何イズムのキャンペーンをやることになりました。俳句を作るとき、敢えて実験的な句を作ってみる、敢えて既存のバリアを超えたりなくしたりする句を作ってみる主義です。冷凍カプセルで安眠している所長がキャンペーンを率いてくれるようです。唯一の懸念は、予算の都合上、季節がないけど季語のある島にある当研究所の分所と季節があるけど季語のない島にあるもう一つの分所、計二か所でしか推進できないことで、どこまでキャンペーンの効果が出るか見えないところです。というわけで、お察しのよい実験参加者の皆さま、ぜひともキャンペーンにも参加してみてください。きっと、きっと、日本の俳句の日本も世界の俳句の世界も少しずつ変わってゆくでしょう。そして、皆さまも、きっと、きっと少しずつ変わってゆくかもしれません。地球俳句化計画は今日も進行中です。俳句よ、永遠なれ!

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【全体評】
素晴らしい実験結果でした。有難うございます。今回は、特別に佳作に十六句いただきました。「今月の力学」の句も「アドバイス」対象の句も過去最多だと思います。私が最後に甘くなったのではなく、一年を通じて、それだけ全体の水準が上がったのだと思います。
「―(イ)ズム」は、キュビズムとリアリズムの句が多かったですが、他にもさまざまな(イ)ズムと出会えました。ただ、リアリズムという言葉は難しかったようで、一句も採れませんでした。あと、イズム用語をそのまま説明していた句も多かったのが残念です。
「実験」は予想通り難しく、言葉が浮いてしまった句が多かったです。その反面、果敢に挑戦して成功した句があって嬉しかったです。人間を実験する神をテーマに詠んだ句が非常に多かったですが、良し悪しがあって、いただいた句といただかなかった句に分かれました。
「バリア(障碍・壁)」は、車椅子や障碍者を扱った句は案外少なく、その分、もっと広く扱った、独特の句に恵まれました。
季何学研究所所長代理として、本当に楽しい、本当に充実した一年でした。十二回、計三十六種類の実験を通じて、私たちは、俳句の境界に達し、境界を拡げ、境界を越えました。言語や形式の境界も越えました。
毎月の実験はなくなりますが、今後も季何学研究所は残ります。コールドスリープ中の所長の(非定期的に目覚めたときの)気分によって、何らかの実験を行うかもしれません。どうぞ(期待せずに)お待ちください(笑)。実験の際は、研究所HP上やツイッターでお知らせいたします。
そして、もう一つニュースがあります。所長が眠っている間、所長代理の私・堀田季何は、研究所でのこれまでの実験結果を踏まえて、俳句を通じて人や世界が結びつくアソシエーションを主宰することにしました。従来のコミュニティとしての結社とは違って、もっと自由でフラットな、ネットワーク型のアソシエーションです。電子とリアル、両方にまたがった活動を考えています。私自身は、このアソシエーションを「楽園」と呼んでいます。誰でもいろいろな形で住人になったり観光客になったりできる場所にしたいと思っています。季何学研究所も「楽園」のバーチャル区画にあります。今年、来年、五年後、十年後、百年後、どんな楽園に、どんな研究所になるのでしょうか。その時も俳句はあるのでしょうか。
季何学は皆さまとともに。

〈返歌〉
あらかたの希臘(ギリシャ)彫刻を漂泊し洗浄したる象牙の塔(アカデミズム)
交差的トランスフェミニズムの意味わからぬ相手に語るわが人生を
われに似る実験台の名乗りそむ未来より来しわれ本人と
K(ケルビン)で温度を測る君がゐて実験結果に愛の妙薬
委員長と大統領は比べあふおのが髪型支持する声を
わが裡(ぬち)に九十歳の老婆をり四歳の幼女をり譲りあふ
医学とは「性同一性障碍」を「性別違和」に更へたることや
履歴書の性別欄に中性と書き、消し、かきけす そのまま送る
金魚玉すこしはなれて餌皿の置かれあり性持たざる猫の
鳥たちはいと丹念に啄まむ性の匂はぬわが亡骸を
車椅子が視覚障碍者に当る点字ブロックに横転すれば

【天】
<h1>絵踏ニ拠ル<!- -実験反対- ->結果</h1> 南方日午
この一年間、どこまでが俳句か、これでも俳句かという実験が繰り広げられてきたが、この作品も俳句という領域のボーダーライン上にある句であろう。ウェブページを表現するためのHTMLという言語で書かれていて、この句の通りに記述されると、「絵踏ニ拠ル結果」と大きい見出しの字がページに表示される。味噌は「<!- -」「- ->」に囲まれている「実験反対」という部分であり、それはページに表示されない。言ってみればパーレンを使ったような効果があって、句意としては「絵踏ニ拠ル(実験反対)結果」に近いだろう。絵踏(初春の季語どおりの意味で理解しても、それから派生する広義の意味で理解しても構わない)自体は一種の実験であり、被験者は、信者でなくて踏む者(大勢)、信者であって踏む者(心に思っている信仰を表明しない)、信者であって踏まない者(信仰を表明して捕まる)、信者でなくて踏まない者(たぶん存在しない)の四通りに判別されるが、「実験反対」と思っても実験時に表明しないのは二番目のグループである。思えば、俳句という形式も表に見えない要素が不可欠である。

【地】
如月を来てキルロイの長き鼻 黒川梓
キルロイとは、「Kilroy was here(キルロイ参上)」という句とともに落書きとして描かれる、壁の向こうから長い鼻を垂らして覗く姿を持った存在である。その落書きはアメリカ軍がいた場所(に限らないがそこ)で見つかる場合が多く、第二次世界大戦中から現在に至るまで、世界中で見つかっている。キルロイにまつわるエピソードや噂はウィキペディアに詳しいが、ありとあらゆる壁を越えてありとあらゆる場所にあらわれる存在の象徴であり、また、その可愛い見た目とは裏腹に、アメリカ軍の大衆文化的象徴でもある。評者は、どことなく村上春樹の小説に頻出する小人たちのように、不吉な匂いを漂わせながら至るところに出没する存在だと思っている。戦争、飢饉をはじめ、目下蔓延中の新型コロナウイルスの象徴にもなり得る。説明が長くなってしまったが、「如月」に「来て」しまったのだ、壁の向こうからその「長き鼻」を垂らして、いま「キルロイ」が。「を」が効いている上、全体のK音A音I音などの連なりが心地良い。

【人】
日焼け止め塗るや翼はもう生えぬ 佐藤幸
「日焼け止め塗る」は現実の行動だろうが、それに「翼はもう生えぬ」と続くと、一句はたちまちに神話化する。日に焼けたこと、翼が生えていたことの二つが合わさったとき、先ず浮かぶのはイカロスの神話である。ウィキペディアには、イカロスは「蠟で固めた翼によって自由自在に飛翔する能力を得るが、太陽に接近し過ぎたことで蠟が溶けて翼がなくなり、墜落して死を迎えた」とある。作中主体も何らかの太陽に接近しすぎて、翼を失い、墜落してしまったのだ。そして、挫折の中、翼がもう生えないであろう背中、太陽に焼かれた背中に日焼け止めを塗っている。イカロスには、〈イカロスのごとく地に落つ晩夏光 角川春樹〉というコカイン密輸事件の折に詠まれた句もあるが、掲句の方が具体的であるし、心象がより深く迫ってくる。

【佳作】
Die Dornenkrone ohne Schmerzen
gibt es hier sicher,
wie die Welt ohne Rassismus eben! 髙橋小径
直訳すれば「痛みがない茨の冠はきっとここにある人種差別がない世界のように」。現実には、痛くない茨の冠が存在しないように人種差別がない世界はたぶん存在しない。しかし、きっとここにあるという希望ないし確信がある限り、痛くない茨の冠も人種差別がない世界もきっとあるのだ。さらに言えば、近未来に「箱」(パンドラの箱でもシュレディンガーの猫を入れた箱でもいい)を開けてここの現実を直視してしまえば、失望するかもしれないし、逆に、希望がかなうかもしれない。今はわからない。でも、どうせなら、きっとあると思うのが良い。ないと思った瞬間、きっとなくなるからだ。

実験のショウジョウバエの良い畸形 土井探花
畸形とは本来望まれたり、喜ばれたりするものではない。悪名高い優生思想にかかっては、畸形のものは隔離、処理、治療、差別等の対象にされてしまう。しかし、畸形が望まれたり、喜ばれたりすることがある。実験を行うために最適な畸形がある場合や遺伝子操作や交配等の実験結果として予定通りの畸形が生じた場合である。蠅自体にとっては畸形に良いも悪いもないが、実験している者にとっては、まさに良い畸形である。後者の場合、その畸形を自然界に投入することで生態系を変えることも可能になる。無論、生態系を狂わせた場合、人類にとって畸形が本当に良かったかは疑問である。

実験す胡瓜が夜気と化すまでを 小泉岩魚
何とも言えぬエロースの漂う句である。胡瓜は仲春の季語であるから、春の夜であろう。科学実験で胡瓜を夜気にした(つまり、個体と液体が合わさった胡瓜を蒸発させ、気化させてしまったのか?)という、ナンセンスな句としてもとれるが、深読みしたくなる。春の夜で深読みとなると、実験も胡瓜も夜気もフロイト的解釈をしてみたくなるのはやむを得ない。

われ人を脱ぎちらかして泳ぐかな  斎藤秀雄
「服」を「人」にしたところが全て。化けの皮ならぬ「人」を「脱」いで「泳ぐ」「われ」とはいったい何者なのか。本能か。獣か。神か。おもしろいのは、ただ「脱」いだだけでなく、「脱ぎちらか」したところ。「われ」が「脱」いだ「人」は、ボディースーツやレオタードのようなものではなくて、いくつものパーツから成り立っているのだ。多重人格というより、分人のようなものかもしれない。いずれにせよ、自由に泳げている今の姿から想像するに、「人」は「われ」にとって捨てるべき障壁、障碍のようなものだったのかもしれない。

先生が実験中にかぎろひぬ  ましろなぎさ
「先生が実験中に……」という生徒が学校で言いそうな台詞のあとに「かぎろひぬ」という意外な言葉が、それも、口語調の台詞あとに如何にも文語調の言葉が続くという面白さがある。生徒が、古文の時間に教わった言葉を化学の時間が終わった時に俄仕込みで使ってみたような感じである。しかも、不思議なのは、「かぎろひぬ」というのは俳人ばかりが使う活用で、それは間違ってはいないが、学校で普通教わるのは「かげろひぬ」。「かぎろひ」という名詞と「かげろふ」という自動詞しか多くの辞書に載っていないからだ(「かぎろひ」を動詞化した「かぎろふ」はまず載っていない)。となると、俄仕込みで使ってしまった生徒は「かげろひぬ」と言うところを「かぎろひぬ」と言ってしまったのか、それとも俳句好きな生徒だったのか。想像は膨らむ。いずれにせよ、春の午後、先生はどうなってしまったんだろう?

虹が消えたとたん目的地だった  抹茶金魚
現実の夏を詠んだ句としてもとれるが、箴言としてもとれる句。虹は希望の象徴だが、目的地に着いたらもう虹は存在しないのだ。目的地に着いたとたん虹が消えた、だと少し理屈めくが、それを逆に「虹が消えたとたん目的地だった」としたことで詩が生まれたと思う。

マゾヒズムとは春風を浴びること  芹沢雄太郎
思えば、そうだ。被虐といっても、性的な快楽や昂奮を得るためであり、それらを得られなくなるほど、下手すれば死ぬほどの耐え難い苦痛は望んでいないのだ。春風のようにどこか淫靡で、どれほど強く吹いていても死ぬことのない強さの風だからこそマゾヒズムは成り立つ。秋風や寒風では、ただ苦しいだけで、厳しすぎるのだ。

関税障壁撤廃交渉席の梅  ひでやん
植物を俳句に出す方法の一つとして場所の提示があるが、「梅」が咲く場所として「関税障壁撤廃交渉席」が提示されて驚く。意外性がある反面、実は、リアリティーもある。こういう交渉席は一定の規模の場合は、庭園を持つ高級ホテルの会議場や(国内だと)三田共用会議所のような迎賓施設的な会議所が使われ、席から見える窓の外に梅があっても不思議ではないのだ(屋内に梅が飾ってある状況も想定し得るが)。

人間の声が人間の外にある  黄頷蛇
「人間」だから好い。肉体の声が(発せられて)肉体の外になるのでは当たり前だが、「人間の声」「人間の外」だとイメージが重層的になる。コクトーの戯曲『人間の声』(La Voix humaine)やそれを原作としてプーランクが作曲した同名のオペラ(傑作!)もイメージに加えて良いだろう。

十五年の実験記録花エリカ  とりこ
「エリカ」という花を持ってきたことで成立した一句。他の花の名前では成立しない。ある花を「実験」用に「十五年」間育てて「記録」を取ってきたというだけでは句にならないからだ。「エリカ」という人間の女性の名前にもなり得る花の名前を持ってきたことで、はじめて、「十五年」と合わさって、「実験」されてきた少女のイメージが浮かんでくる。「花エリカ」と書いてあるけど、赤子か幼児のときに拉致されて犯人に「花」として育てられた人間の少女ではないかという想像、研究所で「花」のように育てられたクローン人間や人造人間の少女ではないかという想像、そういった想像も浮かんでくる余地が充分ある。

女人結界門ためらはず蝸牛  玉木たまね
人間が設定した境界なんて動物には無関係という内容の句はたまに見かけるが、この句の手柄は、「女人結界門」に雌雄同体の「蝸牛」を出して、ジェンダーの句に仕上げたところ。

前髪が切れない金魚死ぬまでは  さとけん
「前髪が切れない」と「金魚死ぬまでは」の、直接の因果関係がない二物衝撃が面白い。無理矢理因果をつければ、家の金魚が死にそうで、その金魚をあまりにも愛していて、最期を看取らないことには外出して美容院に行くことができない、という話になるが、どこか無理筋の話に感じられるので、やはり二物衝撃として、そのまま味わいたい。思えば、長い前髪と黒い金魚の尾鰭、何となくイメージの類似があって、それが細い糸となって「前髪が切れない」と「金魚死ぬまでは」を結んでいる気がする(結ぶ細い糸がないと、今度は因果関係とは反対に距離が遠すぎてしまって二物衝撃が不発になってしまう)。

伏せ置きの実験小説遠雪崩 百田登起枝
この句も二物衝撃に属するだろう。特別な因果関係になく、同じ情景でもないのに、「伏せ置きの実験小説」と「遠雪崩」が響き合う。小と大、近と遠、人工と自然というコントラストが二物衝撃の成功確率を上げているが、伏せ置きと雪崩の覆いかぶさるような様の類似が細い糸となって二者をつなげているのが最大の成功要因であろう。

お父さんは青い実験動物でした  朧
「青い」血(純血主義などで守られている高貴な血。ウィキペディア曰く、貴族や名門出身者が下々の者達のように日焼けしておらず、白い肌に血管が青く透けて見えたことから)を思い起こさせる。実験動物の中では非常に高貴だったのだろう。その子だとすれば、作中主体も名門の生まれを誇っているのかもしれない。しかし、この句で一番問題なのは「実験動物」という言葉。父子が人間以外の実験動物だったという設定でもいいし、神の実験台としての人間の父子という設定でもいいが、社会システムや組織の実験動物だったという設定の方が、この句を鑑賞する上では面白い気がする。

ちようどここが鼠径部となるナショナリズム  仁和田永
鼠蹊部のすぐ先は陰部。それもナショナリズム(国家主義)のだ。おそろしい。

虚子イズム鳥が鳥呼ぶ花の中  西村麒麟
「鳥が鳥呼ぶ花の中」とは、「虚子」が説いた「花」「鳥」諷詠を守ろうとする人たちが今なお限られた「極楽の文学」(虚子)のような「花」の空間の「中」で「鳥」のように「呼」び合って集うさまか。ちょっとした皮肉があるが、筑紫磐井さんの似た内容の句ほどの毒はなく、どこか温かみ、親しみがある。作者は案外その「虚子イズム」が嫌いではないのだろう。

【今月の力学】
制御できず実験放置地球の瓶
逃水やガンバリズムで生まれた子
街路樹の土になずなやアナキズム
排尿すismをすべて捨て去つて
青鷺や真面に顔を見ない癖
亀虫とグローバリズムにほひけり
ジオニズム沸き出でにたる星河かな
言の葉の実験あまた青き踏む
箍うまく外す実験飛花落花
聖域の内外問はず黴の花
似非フェミニストに禁じられたあたし
捨てたしも内なる膜が抵抗す
腐草(アンチ)やをら蛍と(ナタリズム)
ヒヤシンス思考実験めく手足
Cosmopolitanism. Come rain or come shine.
壁越えるには白息が白すぎる
花影に立ち安全なヒロイズム
アンタのナルシズムが嫌だつた春
寝待月実験台に貼りついて
菜の花にアンチイズムの雲が来た
実験がない二時限目さえかえる
実験3,凍滝の爆音
トリニティ実験蚤を血の溢るべし
傷跡を火と日の垂るる分離壁
very thirsty/don’t know what I’d drink/to fill my brain
シューティングゲームのように受験する
キュビズムのやうな泣きがほ春の闇
聖夜の実験:父の後妻をママと呼ぶ
実験用ヒトとして飼はるる朧
実験台抜けし深夜の花見かな
恋猫が実験室を覗き込む
パントマイムの透明な壁さくら散る
キュビズムのビーナスの影痩せてをり
吾が霊魂すいか畑を出られない
卵割る実験はイズムを越えて
入口の段差5センチの炎暑
壁という言葉を穿て春の川
ポピュリズムのドミノの先のトマトかな
実験は朝の林檎がうたうまで
アキシアル位への実験的牡丹
ペシミズムに感動して蜜柑が酸っぱい
月日貝地球は神の実験場
人間は実験体のくせに花
生海鼠這ふ核実験の海を這ふ
大気圏の超極薄や春障子
ポストフォーディズム――手書きの履歴書で
ぱくすあめりかめなけるかなはな・はな
アニミズムやだな木霊の、ばか(ばか(ばか
初日影シンボリズムの城を出ず
巨鯨シンボリズムの波間より
Hana wo kite! Omae Seija no shirosa dana.
吾輩ズムもほどほどにくしやみ猫
実験棟外階段の紋黄蝶
春の星テトラポットのすきまより
インペリアリズムにブドウ糖顆粒
吾子は繰り返す箱庭の終末実験
キュビズムを解体すれば春の雷
実験の夜や磔の蝶の熱
放課後を皮膚に帯電する春は
春の音さくさく(コーンフレークやないかい)
一番といわず春風立ち上がる
早春の地球俳句はバリアフリー
一分之一社会実験春の闇
実験となりつつ浅蜊入りパスタ
実験台の上に子猫や五かける五
花の雨職場の門がくぐれない
噴水実験研究者さへ澄んでゐる
キュービズムシュルレアリスムティラミ、ス!
蓑虫の実験蓑を剥ぐナイフ
La musica della primavera/bacia la frontier/e abbraccia la terra
Les laboratoires du résultatisme/désintégrés par les resonances/des jonquilles
ソーダ水君を嫌ひと言う実験
咳をしてロマンティズムが止まらない
薄膜を隔てやはらかきくちびる
春光や家族写真という実験
ブランコは三分バリアは二回まで
マスクにメガネにフードも被りたい
通り抜けられぬため口アイスティー
引き返す内視鏡朧にぶつかる
春怒濤ジャポニスムの香を撒き散らし
蒲公英を剣に三つ子のヒロイズム
完璧な実験結果万愚節
フェティシズムはこしあんを選ぶだろう
アドリブで実験ジャズ私見感
豆もやし噛んでキュビズム的月夜
短夜に昭和の顏のぶら下がる
実験の蛙の目借時の蛙
竜天に登るばらつく実験値
リゴリズム自動運転車椅子
Malinche se ríe de Machisumo/se ríe de Humanismo/se ríe de Peaceism
人質と首実験をしてる春
ひらがなとカタカナの我ダリア植う
一生涯この障碍と種を蒔く
新品の実験台に春の蝿
実験を終えて尼僧の指赤し
La solitudine della parete abbraccia la gravità universale
Das Ödem des Friedens zerquetscht und zerstört Mauern
ウイルスてふ見えなき壁や初燕
虚子イズム立子イズムやものの芽に
春愁を神の実験だと思ふ
見える壁見えざる壁や鳥帰る
ほぐれゆく言葉の壁や光悦忌
つらつら椿次々と壁崩れ
キュビズムや広き眉間を涅槃西風
死神が実験室より逃げ出した
シェルターの中の過呼吸冴返る
閉ざされた世界の涯の秋高し
実験を繰り返すたび鶴になる
裏庭に青薔薇が咲く収容所
蝋梅の香りがのこる車椅子
ねじれの位置:辺EF、コスモス、君
【実験結果】水は火よりもあたたかい
鷹鳩と化す歩道の段差がこわい
木下闇禁足地より腐敗臭
皮膚はバリア粘膜は春の闇
鯨の歌人の言葉はときに棘
リゴリズムのエピゴーネンとして残暑
春の月浴びて実験値が揺れる
声冴ゆる松王丸の首実験
小鳥来るアンネの恋は密やかに
恋文の才覚もなく蝶高く
三椏やどこもかしこもバリアフル
Versuch zu vertauschen/Geld mit Gewissen/War in der Welt entdecket
春昼のコンパスで描く魔法円
終戦忌ショービニスムの本の山
読みそこなつたことばしか書いたことがない
人断ちの実験をして青目刺
イズムてふ吾の中に我ミモザ濃し
卒業すリビジョニズムに毒されて
実験臭漂うセピアの理科室で
炎天のキュビズム今日は資源ゴミ
サングラスしてサングラス見る実験台
実験結果:「23%不適合です」
ボヴァリズムミントグリーンが最高で最低
底を抜き実験室の試験官

【助手の一句】
EXPÉRIENCE
Prologue:Né-Assez animé-Modéré-Presque lent-Moins vif-Épilogue:Mourir.

【アドバイス】
実験用マウスのごとくここにゐる
「ここにゐる」がもったいない。読者にとって、作中主体が「ゐる」のはわかるし、逆に、「ここ」はどこかわからない。下五は動詞の季語でも良い気がする。「悴める」「春を待つ」など。
エレズムや星は聖地で宙は家
『ガンダムシリーズ』に出てくる架空の思想に、ジオニズム、コントリズム、エレズムなどがあるらしく、そのうち、エレズムは地球を聖地として保護し、全人類は宇宙に住むべきだという思想らしい。「―(イ)ズム」詠みこみにエレズムを持ってきたのは面白い。惜しいのは、「星は聖地で宙は家」がそのままエレズムの説明になってしまっていることで、エレズムという言葉が活きない。もしエレズムで一句捻るとすれば、もう少し距離がある事象を中七下五に盛ってきた方が良いと思う。ただ、(お題は満たさなくなるけど)「ズム」にこだわらないのであれば、「星は聖地で宙は家」という魅力的なフレーズはそのままにして、別の上五を持って来たらすてきな句になると思う。
人は生き星は回りて宙は拡がるや実験
自由律に近いくらいの破調なので、人・星・宙と来る三段階の勢いを活かしたい。「や」が不要。「回りて」も「回つて」で良いと思う。
八月の水黒で描くリアリズム
「八月の水黒で描く」で一種のリアルに迫っているので、「リアリズム」という下五が浮いてしまっている。お題は満たさなくなるが、この句は別の下五の方が良い。黒で描かれているのはどういう水や情景か。
オブラート越しの世を見む春の風邪
「オブラート越し」は魅力的。しかし、「春の風邪」がつきすぎ。風邪でぼ~となって視界がぼやけているイメージやオブラートに包む薬のイメージの二つが「オブラート越し」というフレーズと重なって邪魔してしまっている。つまり、理屈の句になってしまっている。是非ともまったく違う下五を。
人体実験を君としたい春
「春」だと、「君」との「人体実験」は明るい性行為のようにしか読めなくなってしまう。破礼句自体は決して悪くないが、この句の場合、それだけではちょっと惜しい気がする。具体的な実験内容を入れるか、影を帯びた「秋」に変えるかしたほうが魅力が増す。
悉(ことごと)くイズム曝(さら)せりコロナの前に
コロナ来て凡てのイズム平伏(ひれふ)せり
二句とも意味はよくわかるが、合体させた方が良い。「悉くイズム平伏す冠(コロナ)の前」
目に映る春は薄皮(うすかわ)奈落潜(ひそ)める
「奈落潜(ひそ)める」は要らない。「目に映る春は薄皮」でその奥に奈落が潜んでいることは暗示されている。何か具体的な下五を持ってきた方が良いと思う。
花の奥実験台になりに征く
「征く」という表記が強すぎて、一句の狙いが見えすぎてしまう。花と実験台が来れば、何も言わなくても危険な匂いがする(タナトスでもエロースでも)。あと、花の奥にいて別の場所へ実験台になりにゆくのではなく、花の奥へ実験台になりにゆくのだろうから、いまここが花の奥だとすれば、「なりに」もおかしい。すでに実験台が花の奥にいる方が良い。そう思うと、「実験台」が自分であっても他人であっても良いので、下五で実験台をもう少しだけ描写したい。たとえば「花の奥実験台は寝息して」「花の奥実験台でありしもの」「花の奥実験台の沓脱がす」「花の奥実験台として踏まる」。
暮れかぬる実験したる人を待ち
魅力的な内容であるが、『ゴドーを待ちながら』ではないが、長く待っていたら日暮時というのがおもしろくない。あと、「実験したる人」は、どこかの理科室などで実験をしてきた知人のことか、自分が実験をした実験台の人のことなのか、判りづらい。一案だが「春を待つ実験台の目覚むるを」
春の闇見えざる壁に手をついて
闇で壁が見えないのだとすれば、「春の闇」か「見えざる」のいずれかが要らない。私なら季語の方を変える。なぜ見えざる壁に手をついているかわからないが、そこは面白いと思う。季語を変える他、「両手つき」とか、どのように手をついているかくらいの描写は入れてみてもよいのでは。
バベルの塔以前飛び交ふ伝書鳩
世界言語があった時代にその言語で書かれた文章を運ぶ伝書鳩が飛び交っていた様を想像していて素敵。惜しいのは「以前」という長いスパンの時間に「飛び交ふ」という何千何万という鳩の飛翔を一括りにする言葉が合わさることで、状況説明的になってしまっていること。たとえば、一回の飛翔、それも、バベルの塔を具体的な建物として出してみては。「バベルの塔より放たれて伝書鳩」
人知れず実験室に咲く水仙
「実験室に咲く水仙」って、大抵が「人知れず」。上五を変えてみては。
国境を越える裸足や風光る
「国境を越える裸足や」は素晴らしい。強い生命力が感じられる。しかし、「風光る」が腰砕け。ぜひ中七までを活かす下五を。
暖かやリベラリズムに染まる頃
「リベラリズム」に「染まる」のは「暖か」い「頃」という句意だと思われるので、「暖か」と「頃」の相対的位置が気になる。「暖か」で、そういう「頃」だというのはわかるので、「頃」は省略できる。そのかわり、染まっている対象を何か入れたい。対象が人なのは当たり前なので、意外性のあるものを入れて、人が染まっていることを連想させたい。一例だと「あたたかくリベラリズムに染まる豹」
朧夜に踊るチャウシェスクの子
「チャウシェスクの子」が好い。様々な連想をかき立てる。それに対し「朧夜に踊る」がやけに日本的でピンとこない。亡霊のようなイメージだったのかもしれないが、「朧夜」が狙いすぎている気がする。あと、「チャウシェスク」は七音でなく五音なので、自由律句になるが、作者は定型句のつもりだったような気もする。
春の夢漱石の脳食ふ実験
漱石の脳は実際に東大に保管されていて、それを詠んでいて面白い。お題だったので仕方ないが、「実験」がやや唐突。「漱石の脳試食する春の夢」くらいで良い気が。漱石の「夢十夜」を連想する。
いくら待つてもぶらんこがこない
ユニークな発想の自由律句。「ぶらんこ」なので、「こない」のではなく「もどってこない」のでは。「いくら待つても」は言わずもがな。「ぶらんこがもどつてこない」
実験を終へビーカーのラボコーヒー
「ラボ」が要らない。「実験」と「ビーカー」でわかる。
紳士めく実験器具の名春眠し
「紳士めく実験器具」の具体的な「名」前が知りたい。あと、「春眠し」でいいのか。
クリスタル・グラスの天井澄みわたり
句材が魅力的。実際のガラスの天井と抽象的なガラスの天井(ウィキペディア曰く、資質又は成果にかかわらずマイノリティ及び女性の組織内での昇進を妨げる見えないが打ち破れない障壁のこと)もあわせて詠んだと思われる。「澄みわたり」は季語でないので、この句の場合は季語を入れて句の連想力を広げたい。「クリスタル・グラスの天井秋気澄む」
この国はいまだに鎖国蛇出づる
「国」が二回出ているのが惜しい。それに、このままでは中七までの感慨が少しありふれている。「日本(につぽん)は」だとありふれた感が払拭できないので、「じぱんぐは」としてみては。「じぱんぐはいまだに鎖国蛇出づる」。もしくは、蛇を鎖にしてしまうのも手。「この国を鎖したる蛇や目覚めざる」
妻と僕マスク共用実験中
現在の切実なマスク不足を皮肉っている。お題なので仕方ないが「実験中」は要らないかも。共用している事実だけで痛烈。
懺悔室にて告白の実験
懺悔室にて、告解(懺悔)ではなく、愛の告白をする実験をしているのだろうか。不謹慎だが、少し面白い。しかし、定型には一字足りなくて、リズムがどうも不安定。
ピペットの一滴実験室に呼ぶ春嵐
ブラジルの一頭の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす、というバタフライ効果を思い出す。思い出すものの、この句よりバタフライ効果の方が面白いのが残念。ピペットか実験室は省略できる(実験がお題なので、今回省略するとすればピペットか)ので、その分、もっと面白くできるはず。
落ち葉落ちるなとファシズム忍び寄る
〈木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ 加藤楸邨〉の本歌取かもしれないが、ファシズムを持ってきたのが手柄。惜しいのは「忍び寄る」で、この表現は手垢が付きすぎ(闇でも悪でも何でも「忍び寄る」にしてしまいがち)。
我做梦/走在长城的幻影中/然后醒来到万里波涛
訳すと「夢を見る/長城の幻影の中を歩く/その後醒めて万里の波濤に着く」で、ちょっと長すぎる。
ニンゲンは神の実験山笑ふ
人間が神の実験であるという発想の句は多かったが、それはそれで悪くない。この句で問題なのは「ニンゲン」という表記と「山笑ふ」という春の季語。前者は効いていない。後者は、神という超常的かつ(この場合)人間に近い存在の行動(実験)と山という大いなる自然物を疑人化した存在の行動(笑ふ)を併存させて損している。
カニバリズム極めヴィーガンとなる朝
「朝」が良くない。「次の朝から今までの自分と反対になる」という典型になっている。カニバリズムとヴィーガンを両方出しているのも損。それよりも、どういう状況でカニバリズムを極めてしまったのか、具体的な場面が知りたい。
実験ノートの余白春の星瞬く
内容は良いがリズムが良くない。「実験ノート余白春星またたける」の方がすっきりするのでは。
三月の質問に質問で返す
「三月の質問」が面白い。しかし、本当に「三月」でいいのか。たとえば「八月」や「六月」だったらだめなのか。
名月や三段腹の夫婦風呂
三段腹になっても夫婦円満、一緒に風呂で名月を見上げているとは、めでたい。めでたすぎる。ここは、季語のめでたさを少し落としたい。
境界を初蝶だけが無国籍
境界線を越えられる蝶に国籍はない、というアイデアはすてきです。ただ、大変申し訳ないことに、私が初学の頃、〈over wire entanglements/of the country border/a butterfly〉(訳:国境の鉄条網を越えて蝶)という英語俳句を発表しておりまして、掲句も類想になってしまいます。拙句はあまり知られていないので、掲句が類想句になってしまったのは、(掲句の)作者のせいではありません。すみません。
実験の猫死んでまた生き返る
「シュレディンガーの猫」のパロディーのような句。「また」とあるので、死んでも死んでも生き返る、という句意だろう。おもしろいが、「死んで」が不要。「生き返る」とあるので、死んでいるはず。
実験の蝶の心臓つくる夜
「実験の蝶の心臓」がわかりづらい。実験で蝶の心臓を作っているならわかる。それとも実験用に蝶の心臓を作っているのか。
解けてゆく心のバリア秋遍路
「秋遍路」が付きすぎ。仏の教えに触れ、人情にも触れる巡礼の旅路で「心のバリア」が「解れてゆく」のは当たり前。
欠如とか名前はどうでもいいよ春
あえて「よ」を入れて得られる言い回しの面白さはあるが、すでに中七から下五への句跨りでリズムががたついているので、ここは「よ」を消して定型に収めた方が良い。
花時の雨蒼天のチラリズム
花の雨の合間に蒼天が少し見えるようで見えないのをチラリズムと言ってみたのだろう。しかし、雨と蒼天の両方を出すのはもったいない。雨を省略できるはず。
閉門の家老屋敷や花の昼
中七までは、おっと思わせるのに、下五がおもしろくない。せっかくの花の昼なのに、家老たちは閉門で花見に行けないねという話にしかならない。屋敷の部分を描写するなり、写実的にアプローチした方が成功する句だと思う。
繰り返すアルゴリズムや雪解水
句としては「今月の力学」にいただこうと思った。問題は、「アルゴリズム」(algorithm)は「―(イ)ズム」(主義などのismという意味で)というお題を満たさないこと。残念!