2月の実験

【二月のお題について】
今月のお題は「スイッチ」(詠み込み)「毒」(詠み込み)「恐怖」(しばり)の3つです。意図したわけではないのですが、3つ並ぶと、何と言いますか、とても禍々しいですねぇ。

さて、スイッチは大まかに言えば、電気回路やネットワークのスイッチ、鉄道車輛を他の線路に移すためのスイッチ、思考や方法を切替える事をさすスイッチがあります。俳句ではあまり詠まれておらず、電気と鉄道のスイッチがたまに詠まれるくらいです。住宅の電気スイッチでは「スイッチは背中の辺り原爆忌」(松本勇二)、機械の電気スイッチでは「仕事始のスイッチ祷るが如く入る」(啄光影)、鉄道のスイッチでは「辛夷咲くスイッチバックを離れけり」(倉又紫水)などがあります。思考や方法で詠むのは、わざわざ「スイッチ」という外来語で詠む必要性が求められるので、少し難しいかもしれません(=期待しています)。平仮名になってしまいますが、「すいっちょ」(ウマオイムシの別名)も何となく詠み込みの条件を満たします。「すいつちよの髭ふりて夜のふかむらし」(加藤楸邨)。

「毒」は、ご存知のように、命、健康、心を傷つけたり、禍になったりするものです。熟語も多いので、詠みこむ言葉のバラエティーという面では、季何学研究所のこれまでの実験のなかで一番豊富かもしれません。絶滅寸前の季語として「毒消売」(食中りの薬を売り歩く行商人)や「毒流」(夏、川に毒を流して魚を獲ること。日本では法律で禁止)というものもあります。「毒消し飲むやわが詩多産の夏来る」(中村草田男)といった句がありますね。ただ、お気付きかもしれませんが、毒消や毒流の句は少ないです。そもそも「毒」の句は、ありふれた言葉にしては実に少ないのです。あとは、季語である「蛇」や「河豚」の毒を詠んだ句、それと季語ではない「毒薬」の句くらいでしょうか。私は一度だけ「蠱毒」の句を見たことがあります。俳句で「毒」を扱う難しさは、何といっても安直な類想に陥りやすいことです。しかも、言葉のインパクトが強いので、有季の句だと、季語が負けてしまう場合が多いのです。実験では、ぜひとも新鮮な発想で「毒」を詠んでみてくださいね。

3つ目は「恐怖」(しばり)ですね。俳句というのは面白さを追求するばかりのものではなく、喜怒哀楽といった様々な感情を読者に起こさせるものでもあります。恐怖も例外ではありません(倉阪鬼一郎に『怖い俳句』というアンソロジーも)。今回はしばりですので、恐怖を感じる内容、恐怖を感じさせる内容だったら何でも良いです。ホラー映画、幽霊、抜打ちチェック、試験、落第、怒れる親や伴侶、雷、地震、空襲……。気を付けたいのは、こういった怖い言葉や内容を詠む場合、追い打ちのように「恐」「怖」という字を付け加えない事です(当たり前なので)。反対に、それだけでは全く怖くないモノやコトに「怖ろしき」という言葉を付け加えて意外な感覚を出す技法もあります(「美しき」等も同じ)。「現つなの少女ただ居て怖ろしき」(中村苑子)、「怖ろしき凩に子の遊ぶなり」(松澤昭)、「新松子には怖ろしき古松子」(後藤比奈夫)。せっかくの機会、せっかくの実験ですので、ここは新しい恐怖に挑戦していただきたいです。

さて、今から毒のない(はずの)毒蛇のための餌やり機のスイッチを入れてきますね。何で研究所にこんなものがあるのか、訊かないでくださいね。所長が冷凍カプセルから起きてきたら大目玉を食うこと間違いなしですので、それまでにその蛇を所員一同で食べてしまおうかと考えています。毒はない(はず)ですので。

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【全体評】
この実験はうまく行ったと思う。良いと思える句が多くて、どの句を佳作にするか長時間をかけて悩むはめになった(私にしては珍しい)。今月の力学になってしまったが、佳作にしようか逡巡した句は20句くらいある。スイッチは、「スイッチが入る・切れる」と「スイッチバック」が異様に多かった。また、全体的に無理筋な句と類想の多い句の両極端が目立った。「毒」は扱いやすかったようで、面白い発想の句が多かった。ただ、「毒林檎」の句が予想以上にあったのには驚いた。「恐怖」は……怖くなかった。先月の方が怖い句は多かったのでは?
実験もあと一回!! 来月も衝撃の実験結果は出るのか!?
スイッチを押さばみづから助からむ押さざりきひと爆ぜころされむ
押されたるボタンの一つスイッチとして絞首台下の床あく
毒瓶に甲虫の雄放りこむ角に結ばれし糸諸ともに
毒林檎つくる骨(こつ)あり果梗(かかう)だけ持つやうにせよ手套はづさず
病床に臥す中空に蝶二頭衝突するを想起し続け
しんしんと雪降りつもる道のべの吾がむくろさへおほへるほどに
鋸挽きの廃されし明治元年はつ雪美(は)しく異(け)しく降りにき
だれかひと殺めむこころうすらげりつとめての日にまぶたうたれて

【天】
buscando el interruptor,
quedé atrapado
en la pared
斎藤秀雄
直訳すれば「スイッチを探して壁に閉込めらる」。そのまま読めば悪夢のような幻想詠だが、寓意が含まれている句として解釈することも可能である。私としては、ここは深く読みたい。色々と想像できる。今回、さまざまなスイッチ句が研究所に届いたが、シンプルにして想像を広げる句は少なかったように思える。

【地】
恋猫となりて夜中に消えし母 姫野理凡
人である母が実際に猫になって別の猫に恋したのであれば、変身譚に異類婚姻譚が加わったような物語の場面として読むことができる。また、母も作中主体の自分も元々猫で、春の夜、母が母猫から恋猫になったしまった、と読むこともできる。さらに、母も自分も実は人間であって、母が自分を昔捨てて誰かと駆け落ちしてしまい、今思えば、その母は恋猫だったんだと何となく自分に納得させている、と読むこともできる。私は最後の読みが好きだ。過去の直接経験を回想的に表す「し」が活きてきて、「消えし母」が切なく響く。

【人】
タイムカプセルにみつしりと竈馬 緋乃捨楽
タイムカプセルとは、カプセル状の容器で、それにその時代のものを容れ、地中に埋めるなどして保管し、一定の歳月を経た後に開けるものである。たまに俳句で詠まれるが、大抵は中身か、どこから掘り出したかが詠まれる(たとえば「春泥のタイムカプセルから襁褓」)。この句がタイムカプセル句のなかで新しいのは、タイムカプセルの具体的かつグロい姿が「みつしりと竈馬」で見えてくることである。竈馬が覆いつくしていることから、地中に埋められたとしたら、樹木の根の間に埋まっていたのではないかと想像する(地中でなく、洞窟や縁の下である可能性もあるが)。

【佳作】
花の雨きのふと違ふ毒見役 とかき星
昨日と今日で毒見役が違う、昨日の毒見役が暇をとっているわけではない、でも、昨日の毒見役が毒で死んだわけでもない、死ぬほどの毒なら騒ぎになっている、騒ぎになっていないから、そう、毒見役が平気で食べたから、自分は昨日出されたものを食べた、そうそう、ということは、昨日の食事にも今日の食事にも少量の毒が入っているのだ、毒見役は交替さえすれば死ぬことはなく、死ぬことになるのは毎日食べることになる自分、そして死なせようとしているのは毒見役を交替させられる立場にある人間、まさか、あやつが……といった具合に、なかなか情報量の多い句である。何時代かわからないが、花の雨のさなかに毒を盛られて気づくという設定は、怪しくて好い。

アルモニカのミとラが低い春の雨 登りびと
「アルモニカ」は言葉としてはハーモニカのことであるが、「アルモニカ」と言われた場合、ベンジャミン・フランクリンが1761年に発明したとされるグラス・ハーモニカを指すことが多い(その美音はネットでぜひとも確認してほしい)。その楽器のミとラの音程だけがなぜか狂っている、春の雨の湿度のせいではなく楽器が古いだけなのかもしれない、しかしその妙なる音はあたたかくなった春の雨に合うなぁ、といった句意だろうが、この句の魅力は意味よりも意味に合っている音。A音、I音、L(R)音、M音の四つがうまく多用されていて、アルモニカを聴いているようである。

微笑仏笑い続けて千年後 海音寺ジョー
その微笑を見る人間は千年後にいないかもしれない。でも、笑い続けるのだ。

雷鳴の近づくたびに鳴る電話 菊華堂
音を伴ったシンクロニティを詠んだ名句には「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(子規)があるが、こちらの句は「雷」と「電」という関係ありそうで無関係な二つの音源が発する音のシンクロであるところが面白い。しかも、電話をとるたびに雷鳴が会話を邪魔するというおまけつき。

白魚のぞろぞろ迫り来る黒目 斎乃雪
白魚の本質を思うと「白魚のさかなたること略しけり」(中原道夫)が浮かんでくるが、視覚的に何が略されていないか、考えてみれば黒目しかない。白魚は一匹でなくまとめて鮨の軍艦などに盛られることが多いが、それらの大量の黒い目しかこちらの目に入ってこない。白魚とは黒目だと言ってしまってもいい。それが「ぞろぞろ迫り来る」のだ。

僕が、スイッチだった 仁和田永
オワッた\(゜ロ\)(/ロ゜)/

毒きのこにあたった※ふりだしに戻る ぐでたまご
秋の季語である「毒きのこ」が出てくるが、実際は新年の季題である「絵双六」の句だろう。毒きのこに中るマス目に止まってしまって、ふりだしに戻ることになったのだ。でも、「あたった」と「ふり」の間を続けず、一字空けにもせず、「※」を入れていることを考えると、「ふり」が掛詞になっていて、音読すると「あたったふり」と聞こえるようにしている、という少しあやしい(?)読みも成立する気がする。

太陽のスイッチを切る聖夜劇 眠井遠雷
なるほど、と思った。会場全体の照明か、太陽に見立てた特別な照明か判らないが、そのスイッチを切った。それだけで、太陽が支配する昼の場面は一瞬で終わり、いきなりベツレヘムの星が輝く夜空の場面になったのだ。スイッチという道具っぽさと聖夜劇という季語との相性の良さを確認できた。

スイッチは付け根の黒子花朧 遠音
私はエロチックな句として読んだ。肉体で付け根と言われる部分は少なく、そのうち何らかの「スイッチ」になりそうなのは脚の付け根(鼠経部)と男性器の付け根くらいか。個人的には前者である気がするが、作者と作中主体は同じと限らないので、どちらでもよいだろう。いずれにせよ、その部位を示さず、黒子というディテールを持ち出したのが好い。相手はその部位にある自分の黒子に触れられる人間であり、自分もそれを許していて、スイッチが入ってしまうことを心の奥底で願っているのだ。「花朧」という艶やかな季語が合っている。

毒舌の妻の毒舌初電話 小桃
「毒舌」を敢えて二回使っているのが巧い。「毒舌の妻」というのは作中主体の自分が知っている妻のイメージだ。その妻が新年早々の初電話で、予定調和というか、案の定「毒舌」を吐いている。毎日の毒舌には飽きているが、新年のせいか、それがめでたく感じられる。この一年も元気な毒舌を聞けるに違いない。

【今月の力学】
毒掃丸御負けは小さき紙風船
上段に姫二人ゐる雛祭
涅槃像立ち上がらうとしてゐたり
目が覚めて涅槃図を出るアーナンダ
霧の夜は鳴かずに閉じる鳩時計
白昼の穴のぞきこむ蛇の妻
プーさんの鼻がスイッチ春の虹
均等に注ぐ毒液花月夜
毒消しをゆっくりと飲む冬の夜
毒蝶の標本光るきみの部屋
花杏きみは解毒の手をもてる
観月の招待ネクロフィリアより
スイッチを押した人から夜になる
隣室の泣き声止みて冷蔵庫
右左 どちらも毒と知っている
人生の節目節目に毒林檎
ほらそこにコロナウイルス付いてるよ
スイッチの入る仕事場啄木忌
ジェットコースターがたがた昇る日永かな
お多福の面落ちている焼野かな
密室でノイズ混じりの毒を呑む
スイッチを入れて3分後の黄砂
スイッチ入りどこに行く碧き星
ガス抜きを時々します毒きのこ
解毒術講座満席春の昼
うつくしき人の手にあり毒林檎
Poison d’amour,/Larmes de bonne amie/Tourmentent moi souvent
ラジオよりホワイトノイズ寒の月
ばあさんは蚯蚓が鳴いてゐるといふ
堂々と日本語みたいな演説す
髪のびておんなことばの三歳児
異次元へ抜け落ちそうな夏の青
桃の花診察台に股開き
スイッチを尻尾で押して末黒野へ
コギトエルゴスムここから先はレテ
毒づきてのち透きとほる吾の舌
スイッチを切つて狐火撤収す
誰か背に張り付くやうな春の風邪
八月のうらがはに紫のかほ
台に置くしづかな花冷えの頭部
芽を穿る麒麟の舌の黒かりき
冬天を衝き御神木死す
歯茎と目だけの顔 迫る る
スイッチがあると思っていた世界
殺しても神から血が出ない
スイッチを入れれば蝶の高く高く
恐怖新聞閉じれば眼裏は炎暑
人は毒呷る獣や冴返る
春浅し死装束は決めておく
Überladene Tulpe/schaltet die Blüte des Anti-Kosmos ein.
L’abisso della tastiera,/trasuda/il veleno di primavera
春の雲明るし夫の全記録
もしかしてこれって蟹じゃないんじゃね?
薬喰兜太の毒気もろともに
ヒトになる空気人形風光る
偽のスイッチと動くふりの機械たち
毒消しを飲み継いでゆく夜店かな
スイッチを切つたみたいな春眠ね
六日目 金魚はまだ死なない
スイッチを押せば春は来るんだけど
さつきまで母だつた腕ガザを虹
switch(num){/case 1:/printf(“雪女を殺しました¥n”);/break;
初鶏の首をスイッチ切るがごと
夕焼けの赤い口へと黒い列
埃積もる母を尻目に春外套
振りむけばマスクをつけた雪女
スイッチを忘れてずっと春の夜
Das vergiftete Glas muss mit dem Kristall am reinsten sein.
毒のある指を選んで小鳥来る
末端からくらげになってゆく身体
スイッチの一つはフェイク日脚伸ぶ
“Switched-On Bach” flowing afar / a perpetual snowball earth
色鳥や毒は一滴がきれい
バビロンは足の下だつた
スペードの腹脹れたる復活祭
スイッチの壊れて風の光りたる
春愁毒素いっぱいの教室
花の雨花の雨スイッチが見当たらぬ
そこにいるもうひとりの我サノバビッチ
la enfermera está empujando/a su hijo en un columpio./a la cama estoy atado.
稲光楳図かずおのフォントめく

【助手の一句】
ギヤマンの鴆毒仰ぐ春の夢

【アドバイス】
本棚の裏のスイッチ煤払
煤払していたら本棚の裏にスイッチが見つかったのだろう。スイッチ自体にハッとなる要素があるのでなく、スイッチの発見にその要素があるはず。「の」を「に」にして軽い驚きを出したい。〈本棚の裏にスイッチ煤払〉

ポロックや春のスイッチ隠しおり
ここでいう「ポロック」は抽象表現主義(ニューヨーク派)の画家自身でなく、その画家の作品のことであろう。その抽象画が「春のスイッチ」を「隠し」ているというのだ。見つければ、春が訪れるのだ。ユニークな内容だと思う。問題は内容に句の型が合っていないこと。〈ポロックは春のスイッチ隠しをり〉、さらにスムーズに口語調で〈ポロックのどこかに春のスイッチが〉として見るのも手。

ふらここや妻の背にあるスイッチが
「ふらここ」(ぶらんこ)を漕いでいる「妻の背」に「スイッチが」あったという衝撃の句。ただ、「や」と「が」が合っていない。このまま口語で〈ぶらんこの妻の背中にスイッチが〉とすると自然(あっ、前の句の添削と似てしまった……私が反省)。

身毒の水の匂いをおもう春
「身毒」はインドのこと。「おもう春」がゆるい。「おもう夏」ならまだわかる。どうせなら、漠然と思っているのでなく、具体的な何かに「身毒の水の匂い」を覚えたという風にした方が良い。

山小屋の男の霊と対座する
「山小屋の男」の霊なのか、山小屋の「男の霊」なのか。それとも「山小屋の男の霊」という特殊なものか。読者は事前知識がないので、いきなりそういう存在を出されて、対座していると言われても困る。山小屋で「男の霊」と対座しているならまだわかる。山小屋に来てみたら、男の霊がなぜかいて、なぜか対座する羽目になったのだ。そうだとすれば(本人はともかく、句としては)面白い。「の」を「で」にするのでも良いが、この際、「を」を試してみてはいかが。少し奥行きが出る。〈山小屋を男の霊と対座する〉

春塵や蒙哥汗の髭を切れ
「蒙哥汗」(モンケカアン)という固有名詞が効いていて、思わず肖像画を検索してしまった。「髭を切れ」も面白い。命令形の下五と上五の切字「や」の相性が悪い。「黄沙塗れ蒙哥汗の髭を切れ」

毒饅頭喰はぬ役人左遷さる
喩としての「毒饅頭」であろう。下五の「左遷さる」が容易に想像できてしまうところが惜しい。左遷は読者に勝手に想像させて、具体的なモノを下五に入れた方が良い。その方が、役人の姿が見えてくる。〈毒饅頭喰はぬ役人氷菓舐む〉〈毒饅頭喰はぬ役人マスクして〉などとやってしまうのも案(狙いすぎかもしれないが)。

恐竜の背鰭スイッチ春隣
恐竜の背鰭が何かのスイッチなのか。内容が内容で唐突なので、8音になっても良いので解りやすさのために「が」を挟みたい。〈恐竜の背鰭がスイッチ春隣〉

雛罌粟や湖を子宮と思ふなり
この句の場合、「や」と「なり」の両立は難しい。どちらかを解消したい。

毒のなき会話をすこしして別る
「毒のなき会話をすこし」で充分面白い。「して別る」のは想像できてしまうので、下五は何か季語を入れてみて、句に広がりを持たせたらいかが。

愛くるしい/ブラックマンバの/毒物語
「愛くるしいブラックマンバ」は微笑ましいが、「毒物語」が不要。なぜ「愛くるしい」のか読者に伝わってこないので、下五に自分がそう思う理由がわかるような、蛇か自分の物理的な描写や動作を加えたい。

誰やねんピタゴラスイッチ入れたんは
ほんまに誰やねん? わかれへん(笑)。

怖ろしや賽の河原に月がない
「怖ろしや」を言わなくても、怖ろしい。賽の河原だし、月がないし。何で賽の河原にいるのか。幼い時に死んだのか。それともあの世を旅しているのか。そもそもいつも月がないのか(あの世なので)。それとも前回来たときは月があったのか。

何にでも毒の一字を付けてみる
とっても面白いけど、川柳の領域。

母さんも迷子の夢を見るらしい
シチュエーションが解りにくい。どうやって「らしい」という推量に至ったのか。「母さん」に聞いたのか(聞いた場合、「らしい」とはあまり言わないが)、何らかの方法で夢をのぞき見したのか。会話調だが、誰に語っているのか(自分自身にか兄弟姉妹にか)。「も」とあるが、同様の夢を見ているのは自分か話している相手か。

スイッチで消えるライトも原子炉も
「ライトも」が当然なので要らない。

毒親は一生石榴という話
川柳だとこのままで良い。俳句だと「という話」をやめて、「毒親は一生石榴」と言い切った後に、何か別の下五を取り合わせたい。

毒を持ち棘があってもいい男
毒か棘かどちらかひとつに絞りたい。空いたスペースでその「男」について何か情報を追加したい。

ダモクレスの剣を登る蟹の鋏
「鋏」まで言う必要はない。「ダモクレスの剣」に「蟹」が来れば、切断を連想する。どのような蟹なのか、どのように登っているのか、そのあたりを知りたい。

禁断症状虹を吐き出す日本海
初学の頃の拙句に「虹を吐き虹を飲みこむユフラテス」があるが、これは別の句だと思うので問題ない。問題なのは、「虹を吐き出す」原因・理由となっている「禁断症状」が何の禁断症状なのかわからない。もし、禁断症状的な震えのイメージを伴うという意味で使ったとすれば、虹よりも稲妻が相応しいのだが、それだと「日本海に稲妻の尾が入れられる」(夏石番矢)という先行句があって厳しい。決して悪くない句だが、悩ましいところ。

蒸鰈寄越す管財人は義母
「管財人は義母」の謎めいたインパクトに「蒸鰈」が負けてしまっている。「管財人は義母」は面白い設定だが、この句では「管財人」か「義母」のどちらかで良い気がする。

毒薬を呷る心地の踏絵かな
二つの点で惜しい。一つは、この場合、踏まれる物の「踏絵」でなく行為・行事の「絵踏」であること。もう一つは、当たり前の心地だということ。意外性のある他の季語の方が良い。

猫の親のまづ毒見する落ち魚
「まづ」が不要。「毒見」だとすれば、最初にするものだと決まっている。その後、「猫の親」は何をするのだろうか。それを知りたい。あと、「落ち魚」よりもっと良い言葉がある気がする。

親と言う毒は一生神の留守
「神の留守」という一か月間限定の季語と、一生に近い時間続く「親と言う毒」の話は合わない。神の留守という時期だから「毒」を思うのもやや常套的。きっともっと良い季語があるはず。

百薬の長を毒にす秋夜長
酒を飲み過ぎたのだろう。問題は「秋夜長」が活きていないこと。それと、「秋夜長」の「長」が「百薬の長」という言葉の魅力を殺いでしまっている。これも絶対にもっと良い季語があると思う。

夏草にスイッチバック軋む音
下五はスイッチバックならよくある。対象にもっと迫ってほしい。