10月の実験

【十月のお題について】

すでに季何学研究所の実験も半分が終了しました。
残り半分は、もっと激しくしていく予定ですので、よろしくお付き合いください。
今月は、「ガイド」(詠みこみ)、「反応」(詠みこみ)、「若さ/老い」(しばり)の3つです。

「ガイド」は、案内、案内人、便覧、手引などとほぼ同義ですが、音数以外だけでなく、ニュアンスも少し異なります。ミシュランガイドは、片仮名が良さそうです。バスガイドやイヤホンガイド、音声ガイドなどは漢語にできますが、「ガイド」の方が現代では自然です。ガイドラインは、指針という言葉がありますので、片仮名は活きなさそうですが、いかがでしょうか。詠みこみですので「ガイド(guide)」という表記をそのまま使ってください。この言葉の難しい点は、使える語彙やシチュエ-ションが限られていることで、類想を誘発しやすいことです。
なお、当研究所では、最近、季語音声ガイドを開発しました。片手に持てる機械で、そこに繋げているイヤホンを付けると、私が見たものから季語であるものを自動認識して音声で教えてくるのです。たとえば、コスモスの花の前を通ると「コスモス」、稲を刈っている田圃を前にすると「稲刈」、と知らせてくれるのです。知らない植物、魚、祭の名前を知るのに便利です。ただし、八百屋や魚屋の前を通り過ぎるときが大変で、何十という季語を延々と繰り返すのです。あと、当所研究員のノートパソコンの蓋を見ると「林檎」と言ってくるのですが、仕方ありません。

「反応」は一番難しいかもしれません。これが「しばり」だったら楽なのですが、「詠みこみ」ですので「反応」というかたい言葉を一句に入れなくてはなりません。普通、俳句ではどういった反応かを表現したいわけで、反応という漠然とした言葉は使いづらいと思います。拒絶反応や過剰反応の場合、その言葉をそのまま使うとまず失敗するでしょう。そこで、皆様に実験していただくことにしました(笑)。「炎症反応」「核反応」「拘禁反応」「生体反応」といった、やや理系寄りの言葉にした方が俳句的に扱いやすいかもしれません(内容は非常に扱いにくいですが)。あと、冬が迫ってくるとワクチンの「副反応」という言葉をよく見かけるようになりますね。
当研究所の季感ワクチンを打つと、約一か月間、季節がずれたものを見ても耐えられるようになり、夏場にシューベルトの「冬の旅」や演歌の「夜桜お七」を聴いても何とも思わなくなります。しかし、たまに副反応が出る人がいて、約一か月間は季語を頭でも心でも感じることができなくなり、無季の句しか作れなくなるようです。

最後は、「若さ/老い」ですが、作るだけならとても楽でしょう。「しばり」ですので、「若さ」「老い」という言葉を入れなくても、赤子や高齢者を詠めば成立するからです。哺乳瓶やホスピス、浦島太郎、人魚の肉でも成立するでしょう。難しいのは、類想を脱することです。人間思うことは似ていて、人間の根幹にある若さや老いをテーマにすると、出てくる句は似てきやすいのです。若い時は良かった、老いた母の背中が小さい、皺や白髪が増えてしまった、老眼になった、スポーツ選手も引退する齢だ、純粋さを失ってしまった、子どもは可愛い、不老は得られない、急に腹が出てきた、といった類です。これこそ実験、ぜひとも新しい視点で「若さ/老い」を詠んでみてください。ちなみに、当研究所の所長は不老ですが、一年の殆どをコールドカプセルの中で眠っています(何のためだろう?)。そのせいで、所長代理の私が実験を行うことに……。

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【全体評】
前月の「サービス」「媒」と比べて、「ガイド」「反応」は同じくらい難しかったはずだが、今月の方が良かった気がする。類想句も少なかった。
全体としては日本語の有季定型句が多いが、無季句や自由律句も一定の割合あり、外国語の句もあってバランスも良い。外国語の句は、実際に外国語をやっていた人間が作ったと思われるもの(文法的にきちんとしたものと文法的にあやしいものの二つがある)と翻訳ツールで作ったと思われるものがあるが、私はどちらでも気にしない。AIが「作った」句も出てくるだろう(大半はAIが準備して人間が選んで投句したもの)、いや、出ているのかもしれない。
ちなみに、謎なのは、外国語句の中でのドイツ語句の多さで(もちろん大歓迎です)、英語句やフランス語句よりも中国語句よりも多い。イタリア語はたまにある。スペイン語はなぜかない。しかも、今月は応募規定に外れるテルグ語が届いた。実に謎だ。
厚ぼつたきガイドブックに手ぬぐひを捲けば枕ぞ城の片かげ
ルミノール反応青さ変はらずも被害者の血と被告人の血
歳を取るごと若返る余地増えて未青年なる中年われは
健やかに命が燃焼してゐるとこんなにも詩は灰になつてく
巨いなるあゝ巨いなる存在に敗るるためぞ今朝も起くるは

(天)
音声ガイドゆっくり母語を話し咳  古田秀
外国の美術館などで音声ガイドを借りられることがある。英語のものでもなんとかなるが、母語である日本語のものがあるとホッとする。もちろん、日本に来ていて日本語がわからない外国人にしてみても同じだろう。異国で母語を聴くと落ち着くものだ。そして、その母語の訛などから話者の出身地を当ててみたりする。母語なので早口でも理解はできるが、音声ガイドであるため、一応ゆっくり話しているのだろう。編集でカットされなかった咳はご愛嬌か。風邪でないことを同じ母語の話者として祈る。

(地)
母老いて塵も光も口に入る  小林瑞枝
何でも口に入れたがるのは、乳幼児と認知症患者に多い。老いた母は後者なのかもしれない。それとも、老いの過程で何かの境界を超越してしまったのかもしれない。ここには、無差別に塵も光も口に入れてしまう、入ってしまう母がいる。「螢の夜老い放題に老いんとす」(飯島晴子)のレベルではなく、ここまで来ると神々しく、聖性さえ感じられる。

(人)
Nonviolenza
induce la reazione nucleare
di limone           南方日午
直訳すれば「非暴力は核反応を引き起こすレモンの」となるが、「レモンの」は「核反応」にかかるので、多少語順を変えて「非暴力はレモンの核反応を引き起こす」と意訳しても良いが、そうしてしまうと最後の三行目に「レモンの」が出てくる衝撃が伝わらなくなってしまって、結局和訳するとしっくりこない。前置詞の「di」と助詞の「の」では語順が真反対なので、この句の場合、日本語では上手くいかない。イタリア語のままが良いのだ。たぶんフランス語でも英語でも大丈夫だろう。さて、句の内容だが、ここでは、暴力が引き起こす原子爆弾の核反応に対して、非暴力が引き起こすレモンの核反応というものが提示されている。長崎に落されたファットマンとレモンの形状的な類似も梶井基次郎の(主人公がレモンを爆弾に見立てる)小説『檸檬』も(本歌取として「檸檬おく監視カメラの正面に」という拙句もある)、ガンジーの非暴力抵抗運動も念頭にあるのだろう。非暴力によるレモンの核反応は人を殺さないが、暴力による原子爆弾の核反応よりも強い。

(佳作)
老人が玉投げてゐる運動会  西村麒麟
今井杏太郎は「老人」という言葉を愛用し、「老人と老人のゐる寒さかな」「老人に会うて涼しくなりにけり」「老人の坐つてゐたる海の家」といった句をのこしたが、この句も「老人」という言葉が効果を上げていて、どこか通じるものを感じた。ここでの老人は弱々しい存在ではなく、人格化された老いであり、高齢者の集合体でもある。子どものための学校だけでなく高齢者の施設でも運動会が開かれ、「老人が玉投げてゐる」競技も実際にあるのかもしれないが、この句にはどことなく抽象的というか象徴的な空気が漂う。日本の政治や経済を見ていると「老人が玉投げてゐる運動会」のような気がしてきて……。深読みしすぎなのだが、そうしたくなる。

子どもの日Siriは何にでも反応  寺津豪佐
季語「子どもの日」が効いている。何にでも反応するのは子どもたちでなく、「Siri」なのだ。そのSiriに様々な反応をさせるのが最近の子どもたち。Siriという固有名詞の賞味期限は長くないと思うが、賞味期限が短い固有名詞を使うからこそ今の時代を詠める場合がある。

魔女狩のガイドラインを手に花野  鈴木牛後
一読、驚愕。魔女狩にはガイドラインと言われる手引書がいくつかあって、最も有名なものはハインリヒ・クラーメル、ヤーコプ・シュプレンガー著『魔女に与える鉄槌』(Malleus Maleficarum)。一説によれば、16版計3万部以上刷られ、最終的に6万人以上の人間を死に追いやったとされている(※欧米での魔女狩の犠牲者は、一時期言われていた数十万人、数百万人という数でなく、近年の研究では4~6万人程度とされているので、同書が死に追いやった人数もいまいち判らない)。もちろん、15世紀から17世紀の魔女狩以外にも、吊し上げや総括を含む広義の「魔女狩」と称される私刑の類は古今東西行われており、20世紀だとマッカーシズムの嵐や中国の文化大革命も挙げられよう。21世紀になっても世界から消え去る気配はない。作中主体は「魔女狩のガイドラインを手に花野」を歩いている。善なる行為のガイドラインだと思っているのか、それとも、必要悪のガイドラインだと思っているのか。先に待っているのは誰の死か。花野の淋しげで美しい情景が、ベルリオーズの「幻想交響曲」(第3楽章「野の風景」から第4楽章「断頭台への行進」へと続く)を何となく思い起こさせて、来たるべき悲劇を予感させる。

出し抜けにガイドブックに無き花野  藤井祐喜
本を手にして花野に出るにしても、こちらの句ははるかに明るい。旅行なのだろう、作中主体はガイドブックを読みこんできている。だが「出し抜けに」感動したのは「ガイドブックに無き花野」。旅の醍醐味。

Spätholz und Frühholz
schaufeln abwechselnd
ein Grab         斎藤秀雄
直訳すれば「晩材と早材が交互に墓を掘る」となる。晩材(秋材)は目幅が狭く色の濃い部分、早材(春材)は目幅の大きな部分で、交互に年輪を形成する。年輪を形成するということは、成長した証をのこすことであり、生きていた証をのこすことである。木が切り倒された後、その木が味わった季節の記録、その木の人生は年輪を見れば判る。樹木だけでなく、人間の人生も似たようなものであろう。われわれ自身の人生における折々の節目も晩材や早材に相当する痕跡となり、人生の記録というか、「墓」になるのだろう。

犬の目で学ぶ世界や雪晴るる  安田中彦
動物の目で見た世界を詠もうとした句はたまに見かけるが、「学ぶ」としたところが手柄だと思う。まだ仔犬なのか、犬も世界を目で見ながら学んでいるのだ。仔犬にとって「雪晴るる」世界は未来のように明るく、未知の楽しい空間なのかもしれない。

兵隊と薔薇が描かれた哺乳瓶  涅槃girl
哺乳瓶の大半は柄なし透明だが、絵が描かれた哺乳瓶も存在する。ディズニーのキャラクター物、牛柄、花柄、芽といったものが一般的だが、色々なものがある。近年、後期青銅器時代の哺乳瓶とみられる遺物も発掘されており、哺乳瓶の歴史と形状の多様さは多くの人たちの想像を越えている。この句の場合、本当にこういう哺乳瓶があるのか知らないが、兵隊と薔薇が描かれている。物語性の強い絵柄である。しかし、思えば、兵隊は自分の命を危険に曝しながら他人の命を奪う職業であり、乳児にそぐわない。兵隊と一緒に描かれている薔薇は、聖母の純潔を表す白薔薇とかでなく、情熱や愛を表す赤薔薇である可能性が高い。これも乳児から遠い。でも、この乳児が大人になったら、兵隊も薔薇も身近に感じられるようになり、戦争か恋人か両方に命を捧げることになるかもしれない。

よろこびの林檎甘噛みして老いる  ぐ
西王母の仙桃を齧れば不老不死になれるが、この「よろこびの林檎」はどうなのだろう。「よろこびの林檎」と言うだけあって、不和の女神エリスが宴に投入れた黄金の林檎よりも有難いものだろう。不老不死でないにせよ、ただならぬ喜びが約束された林檎だと思われる。しかし、作中主体はそれを齧ることなく、「甘噛み」しているだけに終わっている。甘噛みしたまま「老い」てしまっている。甘噛みしているうちに、どうやら齧るタイミングを失してしまったらしい。人生でそこそこの喜びを味わうことができたけど、ただならぬ喜びはまだやって来ていない。死ぬまでにやって来るだろうか、よろこびの林檎を齧るタイミングが来るだろうか。

敷石に躓いて知る秋は白  ひでやん
謎めいた句。アルキメデスは、風呂の浴槽に入ったとき、水位が上昇するのを見て、形状の複雑な物体の体積を正確に量る術を知った(「Eureka! Eureka!」と2回叫んだらしい)。ケクレは、夢の中でウロボロス(己の尾を噛んで環となった蛇)を見て、ベンゼンの六員環構造を知った。この句の作中主体は、「敷石に躓いて」「秋は白」であることを「知る」。同じ偶然でもアルキメデスやケクレの場合は、偶然の出来事と得た知識が繋がっているが、敷石に躓いたことと秋が白いこと(※五行で秋の色は白とされている)の繋がりは謎だ。躓いて目に入った敷石の色が白くて、起きたときに見た秋の景色に白さを感じ取ったのか……でも、やはり謎だ。謎だからこそ、この句は理に落ちずに済んでいる。謎が句の魅力になっているのだ。

背負投げしたき寒さや百年松  中山月波
「寒さ」を「背負い投げ」しようとする気概が頼もしい。「百年松」の精神であろう。

(今月の力学)
理科室で反応を待つ文化祭
紅葉に背を向け休むバスガイド
おしゃぶりや人々皆口にする
かゆいとしか反応せぬ子花野道
腕木門にガイド終えたり公孫樹散る
読み聞かせ反応する子に教えられ
余罪載るガイドブックの袋綴じ
五十六億七千万歳絹の肌
En passant vitesse de lumiere/On parvient au temps passé/A regretter sa jounesse
Am Paris-Nord reagiert man auf den Geruch der Mandeln.
In dem Wissen, dass der alte Trällerer spielen will, scheint der Wind.
腐食する人魚の足や冬の虹
墓/鋏/初冬/反応/歯茎/母
プラセボの反応記す月に海
その席で半世紀を超え長考す
brouillard d’argent voilà / l’air des doigts là-bas; / Bouddha Amida
反応は菊人形の薄笑い
この女同い年なのおでん酒
山滴る反応のなき眼球へ
みな老いて冬の小さき箱のなか
皹の手の母の生命線延びよ
Rayons de fin d’ētē,/la corde de guidage/restēe sur la crevasse
月// 無反応/ 生命/ 無限装置
樹海の旅蝶にガイドを頼みけり
星流る千年前の夜の如く
落とし穴までガイドする猫
老兵の歯型がついた金時計
14時46分反応しないバーコード
来来と旗振るガイド秋の苑
秋うららトリリンガルのバスガイド
秋声に無反応なるピンマイク
エゴサして過剰反応して秋思
ペットにも老若男女そぞろ寒
お喋りなガイドの死体大花野
秋苑を忙しく加賀弁のガイド
反応の鋭きトドへ鰯投ぐ
ルミノール反応めぐる花野道
転んでも飛蝗放さぬ米寿かな
紀寿の母日々砂を食む真珠貝
反応は途絶え濡れゆく布団かな
透明な汗透明な肌より出づる
ルミノール反応をして煮凝に
秋澄みて違法ガイドと行く日光
ガイドライン守り蜜柑の筋をとる
檸檬切る二十歳のままでいたくない
夜のプールそれつきり年取らぬ父
手招きのガイドの爪の赤黒く
同じ名の人を闇へとガイドする
指の間に若き吾の眼の睨みをり
背の母の唄ふや姥捨山の道
週一のこどもしょくどう竹の春
反応の正しきゆゑに笑茸
馬の仔のはや密度ある風である
満月や哀しきおむつ提げ行く
思春期は鋭角のみの偽反応
レーダーに反応薔薇が咲きました
入れ替はるガイドの卓に走り蕎麦
李花・化学反応・宇宙酔ひ・聖
スターガイドに揺籃の闇みづすまし
瓦斯灯を眺めてホムンクルス老ゆ
輪廻ならむなぞなつかしき冬すみれ
毛見去りし道をシュレディンガーの猫
若さとは架空の林檎投げるごと
秋桜やガイドを叱る運転手
冬波を打ち返す少年の足
老猫の肉球の色冬めける
public welfare in the welkin / flame reactions of feminine and masculine endings
耳たぼに鬼灯吊つてゐるガイド
寒靄に不死者の王の眠りかな
しぐるるや雨も卒塔婆も一行詩
年越やガイドメロディ消して歌ふ
キャップ以下ガイドまで皆眉凍る
雪つむや身に残りたる富と冪
色鳥来ガイドメロディを外れつつ
正体は迷子ガイドもわたくしも
団栗をたどりてゆけば児の寝顔
初秋や観光ガイドの小学生
九割が老人の島栗ご飯
母の手を曳いて花野のガイドかな
瞳孔のように反応する
光る方へ向かうガイドいつも影
仏壇の古酒下ぐる寡夫の皺
反応の健全なる蛙の腿
伯母用の来客布団月の匂い
通草捥ぐ義肢の山岳ガイドかな
ein Reiseführer hat Gebetshände/in ein geschnitten Auge/gebracht
de l’audioguide/dans mon Oreille/affluent des oiseaux
న్యూరోసిస్ రాత్రి స్పందిస్తుంది

(助手の一句)
無反応画面の割れているわたし

(添削)
老婆めく子を描き画家は秋深む
「画家は秋深む」はおもしろいけど無理のある表現。普通に中七で切って「老婆めく子を描き画家や秋深む」とする手が一般的だが、「秋深む」よりも「老婆めく」の方が衝撃的だと思うので、さらに語順を変えても良いかもしれない。「深秋に老婆めく子や描き写す

洗礼者ヨハネも食べしイナゴかな
美味しそうな句。このエピソードは新約聖書に出てくる。「イナゴ」は「蝗」の表記にしたい。片仮名だと「ヨハネ」と競争してしまう。翻訳すれば表記など意味がなくなるが、日本語が書かれた以上、まずは日本語で味わいたいし、日本語は世界でも珍しく表記を楽しめる言語。「洗礼者ヨハネも食べし蝗かな

八十路にも発酵中の自負がある
前句と違って、こちらの句は「も」でなく「は」の方が良い。(句の上では)他の年齢はどうでも良い。今この八十路を詠んでほしい。「八十路には発酵中の自負がある

une vieille femme est toujours
assise dans les escaliers
avec un serpent dans un sac
語順を変えるだけでもっと印象的になる。動詞「est」も省略したい。「toujours assise dans les escaliers / une vieille femme / avec un serpent dans un sac