7月の実験


【七月のお題について】
今月のお題は「加熱」(詠みこみ)、「クリーム」(詠みこみ)、「学」(しばり)の3つです。実は、3つとも研究所に関連しています。
「加熱」といえば、季何学研究所で開発した「季語加熱生成機」。どんな言葉でもこの機械に放り込んで加熱すると、あら不思議、夏の季語に生まれ変わってしまうのです。加熱しかできないので、夏以外にならないのが問題ですが、いずれ冷却機能を持たせて、冬の季語も生成できるようにしようと思っています。お題としては、殺菌や調理でも、応援や競争でも使えると思います。
「クリーム」は、それこそ様々なクリームが浮かびますね。日焼止めクリーム、保湿クリーム、ハンドクリーム、脱毛クリーム、生クリーム、ホイップクリームといった一般的なものから、当研究所の新作「定型クリーム」といった特殊なものもあります(塗ると自由律句が定型句に変わってしまう優れもののクリームなのです)。もちろん、詠みこみですので、アイスクリーム、クリームソーダ、クリームシチュー等でも構いません。
「学」は、天文学、数学、政治学、経済学、季何学のような学問の分野でも、もっと学ぶ行為に寄ったもの、例えば、稽古、結社、師事、練習、アクティブ・ラーニング、義務教育、論語の「学而」、フリースクール、リベラルアーツといったものでも良いです。幅広く詠んでみてください。但し、「詠みこみ」でなく「しばり」ですので、棋士として活躍されている先崎学九段といったような詠みこみ的な使い方は残念ながらできません。
今月も実験結果が楽しみです。

投稿要綱はこちら

【全体評】
日本語の他、ドイツ語、英語、中国語、イタリア語、フランス語の句が届いた。嬉しい。文法や言い回しが少しおかしい句が散見されたのは残念だったが、言語の壁を越えて、同じ題で作られた、日本語を含む多言語の句を同じ土俵で戦わせる、という世界でも稀有な「実験」ができて、季何学研究所のレゾンデートルを再確認できたと思っている。世界の俳句史に残るかはあやしいが、所長代理冥利に尽きるとはこのことである(?)。俳句は日本語だけの詩型ではなく、どんな言語でも作ることができる。俳句は日本語で発生したのは事実だが、日本語はもはや俳句を作るための言語の中の一つに過ぎない。
さて、お題だが「クリーム」(詠みこみ)と「学」(しばり)は佳品が多かった。特に「クリーム」は多くの方々の俳句心をくすぐったようだ。「加熱」(詠みこみ)は、詠みこみだったので言葉をアレンジすることができず、少々難しかったようだ。
返歌はいつもながら即吟。今回は、枕詞、掛詞、縁語、押韻、喩などで。

しろたへの除毛クリーム敷かれゆき肌となりたるわが荒地かな

あさつゆの難民報道加熱して難民の顔湯気のごとしも

おきつとり鴨南蛮を啜りつつ『諸宗教対話の手引』読む

草まくら『おくのほそ道』読みて知る笠持てど傘持たざりしこと

たらちねの母の電話をまたも切る埒のあかざる雲ゆきおぼえ

※「ねんごろに牛が尾を振る水澄」(不死男)
あぢさはふ夜昼知らで尾を振りし特牛(ことひうし)あり秋元不死男

【天】
Mit dem Arm schlägt Faust und hört nie auf.  髙橋小径

無季の句だが、「Faust」が季語的なキーワードとして効果を上げている。「Faust」をゲーテの戯曲に出てくる「ファウスト」博士と解釈するか、「拳」と解釈するかで意味が変わってくる(冠詞がないので前者の可能性がやや高い)。日本語の俳句っぽく訳せば、前者で解釈すると「腕以て撲つファウストや止まらざる」、後者で解釈すると「腕以て拳は叩く止まらざる」のようになり、一応どちらでも意味は通じる。両者が掛けてあるのかもしれない。叩いている対象は不明であるが、ここでの肉体は機械のようであり、永続的に繰り返される打撃が怖い。前者の解釈だと、不老不死のファウストという学者の「脳」が永続的な指令を発しているのであり、「腕」は考えることなし、学ぶことなしに叩き続ける。相手が人間の生徒なら体罰であって、学びの役に立つとは思えないが、相手が人工知能なら、その相手は永続的に入力されることで機械学習をするのが可能かもしれない(文字通り「教師あり学習」というジャンルがあるのだ)。後者の解釈だと、「拳」は自己存在の誇示、自己目的の達成のために「腕」を永続的に使役しているのだ。こちらでも、「腕」自身は考えていないし、学んでもいない。叩かれている方も、鉄拳制裁では何も学んでいないだろう。

【地】
クリームソーダぼくのいのちはつくりもの  篠田大佳

「クリームソーダ」を飲みながら、作中主体は自分の出自について「ぼくのいのちはつくりもの」と告白する。化学進化説だと「有機的スープ」のような原始海洋から高分子集合体、そして生命体が誕生したとするが、作中主体は「クリームソーダ」のような液体から人工的に誕生したのか。宇宙人が科学的に地球人を作り出した説(「知性ある何か」によって生命や宇宙が設計されたとする、インテリジェント・デザイン(ID)説の多数あるバージョンのうちの一つ)を思うと、作中主体はアダムやイヴのようなものかもしれない。無論、そこまで壮大な話でなく、作中主体が、錬金術師の化学的操作によって造りだされたホムンクルスである可能性もあるし、下手すれば、暑さにまいっている作中主体の妄想かもしれない。真相はわからないが、夏のひとときに相応しい句だと思う。

【人】
ein Insektenverkäufer
lernt aus Büchern
wie man ein Elefant zieht  斎藤秀雄

直訳すれば「昆虫売は/書物より学ぶ/象の描き方を」。日本の「虫売」は、主に鳴声をあげる昆虫を販売する業者であり、秋の季語。ドイツ語の「Insektenverkäufer」はそれとは違って、食用や観賞用の昆虫を売る業者であろう。その場合、無季の句になる。日本語だと「虫売」より「昆虫売」と言った方が良いかもしれない。生き物を扱っているとはいえ、昆虫売にとって象に関しては無知に近い。象を描くにしても、謙虚に書物から学ぶのだ。バレエダンサーがストリートダンスの踊り方を、小説家が俳句の作り方を学ぶようなものかもしれない。(※wie man ziehtは「牽き方」「飼い方」とも訳せるが「描き方」と解釈してみた)

【佳作】
爆心地アイスクリーム溶け始む  安田中彦

爆心地だからアイスクリームが溶けるわけではない。原爆が落されたとき、爆心地のものは溶かされ、焼かれ、蒸発させられたが、もう昔のことである。昔の原爆と今のアイスクリームに因果関係はない。しかし、作中主体は、アイスクリームが溶け始めたことで、昔その地で原爆が落とされ、あらゆるものが溶かされたことを想っているのだ。そういえば、原爆が落された八月六日と八月九日はアイスクリームが欲しくなるような暑い晴天の日だった(公開情報によれば、晴天だからこそ米軍に落されたのだ)。原爆の悲劇を生んだ戦争とアイスクリームを食べている平和の対比も効いている。

疑わずクリームパンを齧る子よ  速水俊行

無季句。作中主体は、自分が与えたクリームパンを子が齧るさまを見ていてこう思ったのであろう。怖い句である。子どもが(与えられた)クリームパンを食べるとき、与えてくれた人にも与えられたパンにも何ら疑いを抱かないのが普通であるが、敢えて「疑わず」といったことで、その事実に気づかせられる。与えた人と与えられた子どもとの関係性が特殊であるということ、子どもがまだ諸々に疑念を抱くほど知識や経験を得ていないということ、その二つの条件で成り立っているのだ。与えられたのが大人だとすればこうは行かない。相手が胡散臭い人間であれば、その時点で全てを疑うだろうし、相手がキモいファンであれば、パンの内容物を疑ってしまうだろうし、相手が家族や友人であっても、いきなりクリームパンを与えてくれたら、何か裏があるのではと相手の善意を疑ってしまう。句末の「よ」が余韻を生む。

父と子の稽古談義や冷奴  岩井茂

夏、冷奴を食べながら、父と子が稽古談義をしている。稽古の内容について、父は詳しいのだろう。昔やっていたのかもしれない、いや、今もやっているのか。食事の時まで稽古の話が尽きない熱血っぷりに、他の家族は会話に割って入れず、呆れつつ、テレビでも見ているのかもしれない。その熱血っぷりには「冷」奴こそふさわしい。「奴(やっこ)」には男伊達という意味もあるので、「子」は男の子かもしれない。コ音が効いている。

シュークリームに臍と羊水小鳥来る  土井探花

作中主体はシュークリームというモノと向き合っている。それは、上部が蓋になっていて取り外せる形のものではなく、全体が一体化した形のものである。シュー皮の底に穴を開け、口金と絞り袋を使って穴からクリームを充填したからこそ、「臍」のような穴の跡が見て取れるのである。そして、シュークリームをちょっと押してみると「羊水」のような優しい液体(クリーム)が臍の穴から出てくるのである。仲秋の「小鳥来る」との取合せが、メルヘンチックながらも小ぎれいな感じを生んでいる(春だと、べたつく感じが出すぎてしまう)。

クリームを背につめこんで行く戦争  亀山鯖男

こういう戦争なら誰も死なないのにと思う。毒入りのクリームではなく、人畜無害のクリームである。できれば、飲みこんでも命に別状のないクリームにしたい。戦闘では、相手の顔にクリームをぶちまけるのだ。時折、クリームを浴びすぎて気道が詰まったり、目を傷めたり、地面のクリームに滑ったりする人はいるかもしれないが、まず死者は出ない。やっているうちに、殺意は消えるに違い。いや、ばかばかしすぎて、クリームを背負わされた時点で殺意なんて消えているかもしれない。
戦争には色々な原因があるが、戦争を怖ろしいものにしてしまっているのは兵器の存在である。両者に兵器を売る死の商人がいるからこそ、両者にそれら兵器を買うための資金を提供する連中がいるからこそ、悲惨な戦争は実体化するのである。残念ながら、こういった事実はさほど報道されないし、国連やG20に死の商人や資金提供者を罰し、根絶させようとする動きはない。せめて、クリーム以外の兵器を世界的に禁止してくれれば。

クリームを剥がす髭剃り梅雨晴間  戸矢一斗

髭剃りを「(シェービング)クリームを剥がす」行為と見て取ったところが良い。季語の「梅雨晴間」も絶妙。鬱々とした状態が一気にすっきりするような感覚。

靴クリームの聖痕白きブーツかな  比々き

磨く前のブーツの甲の部分に、革用の白い靴クリームを付けたところか。それをキリストが磔刑の時に釘を打たれた箇所(この場合は、足の甲)の「聖痕」と見立てたのは、やや不謹慎だが、面白い発想。どこかブーツに対する作中主体の愛情も感じられる。高価なブーツなのだろう。なお、最近の研究では、キリストが釘を打たれたのは足の甲でなく踵と足首の間とされる。

軍則をまるおぼえして大晦日  黄頷蛇

武器の使い方などまだおぼえておらず、軍則をおぼえるだけで一年が終わってしまったのだ。しかも、「まるおぼえ」なので、実際の役には立たないだろう。全くの時間の無駄遣い、徒労、無意味。軍則をおぼえる羽目になった経緯でさえまだ教わっていないのかもしれない。戦争や軍備に対する批判として読めるが、現代の日本に蔓延っているルール、マナー、ガイドブック、規則、常識といったものへの批判としても読める。

椅子二脚あれば学び舎なつのくれ  弓緒

机はない、椅子も二脚だけ。でも、その二脚さえあれば、教師と生徒は向き合って座ることができ、そこは学び舎になる。教育には、施設の建物や設備の立派さよりも大切なものがある。それは優れた教師であり、豊かな教育内容であり、学びに対する生徒の姿勢であり、何よりも教師と生徒の絆であろう。

Mon amour
Tu me mets au supplice
A la crème douce      河合誠義

意訳すれば「愛しき人よ、/あなたは私を責め苛む/甘いクリ-ムで」と言ったところだろう。実に甘美で残酷な句である。こういう台詞を相手に言われたら難しい。サディスティックに相手を苦しめようとすれば、甘いクリーム(がたくさん入ったお菓子)を使って責めつづけなくてはならない。でも、それでは甘党の相手は喜んでしまうので、悔しい。逆に、相手に甘いクリーム(がたくさん入ったお菓子)を与えないようにすれば、相手に負けてしまったことになってしまう。それでも悔しい。

【今月の力学】
Réchauffez le ressentiment/et la Terre colle les continents
学べば学ぶほどががんぼがついてくる
うたがつて処暑の思想がまたかゆい
クリームやプランクトンのクラプトン
赤黄緑茶黒紫PQRST
クリームパンや吾が口を春にする
クリームでしばし手入れの夜長かな
晩学も百まで続く秋ともし
食前に加熱さレたイワ食中ドク(ター)
髪を加熱する虹
若枝の加熱の遅さカルワリオ
Au bout de la nuit/Réchauffer des douleurs/Jusqu’à ce qu’elles s’allument
加熱したい半熟たまごキミの中
比良八荒クリームブリュレ突き崩す
釣瓶落し黄身の固まりゆくあひだ
なるようになるまでクリームで埋める
加熱して恋もトマトも甘くなり
まだ夢を追う晩学の厚い辞書
満月が隠れた隙に加熱する
こぽこぽと溶媒加熱され夜長
卵立つ恐竜学部に決めた夏
Red in popping green/I wonder why no cherry in cream soda/ever float
何人モ加熱ノ自由ヲ保障スル
Viscosity index of the cream/to bind up a boy and a girl
加熱する姑の愛蝉時雨
髭剃りのクリーム疎む走り梅雨
頭皮からクリームになる暑さかな
ひまわりや小学生の夫に逢ふ
百合の香は濃厚過ぎる眠られぬ
クリームの鏡の顔を炎暑とし
加熱済み牛乳冷やし猫の恋
智能手机说我早就知道了
非暴力不服従とはソーダ水
加熱→化合→分解を経て猫の恋
加熱する期限の切れた恋なので
着ぶくれてクリームパンの妻があり
学究を職とは言わず小鳥くる
牛乳を微かに加熱涼新た
学びては阿弥陀につれて行かるるよ
加熱され変壊のトマトわたくしも
シェービングクリーム伸びて夏の霧
加熱して喰らう連中ふえた星
砂糖有りクリーム有りを差入れる
ソフトクリームうまし炎鵬つよし
梅雨寒やレッスンバーに足掛けて
クリームを絞れば天使めく五月
非加熱のマンモスちぎり合う日永
日焼止めクリームを塗り読経す
産む性で産まないめろんくりーむや
爆心地をゆめみるクリームのばらか
綴れない 熱で消えてしまうので
梔子やはずしかた教えてもらう
梅雨の海アイスクリームは木綿の色
ニンマリと鼻下クレマ付けながら
クリームを塗つて涼しき血の巡り
朝なさな豆加熱して聖家族
アイスクリーム掬ひ漱石の舌となる
雷あらめシュークリームの裡にこそ
きりん立つクリーム色の朝冷えに
男子学生ハンドクリームの薔薇香る
よき夢だけみられるやうにする手術
非加熱のぎうにゆうの如はだかかな
クリームソーダそこにあるのは幸せですか
油蝉じんじんセ氏のセって誰
流星を混ぜてクリーム子の鼻へ
カンテラを持つ隠者導く胸のグラウンド・ゼロ
百合に噎せクリーム少し傷みたる
火葬炉の加熱は自動蝉時雨
霜柱ザクリ百葉箱ザリリ
コールドクリームこってりとした祖母の頬
真夜中のLINEの加熱竹の皮
加熱してやはらかくなり胸の内
桑の実翳す加熱する加害者叩き
晩夏光ヘアクリームの垂るる床
ソフトクリーム煉獄螺旋の果てを食む
in einem wissenschaftlicher Garten/schlafen Kakteen/so groß wie Kinderköpfe
Prominenz aus Wissenschaft/antreten eine Reise/ins Teleskop
hornbeams dream/a cream colored dream/under the moonbeam

【助手の一句】
加熱した記憶すべてが黄金色

【添削】
愛読書受験雑誌を今もなお
弛緩しているので、ここは切ってみましょう。「愛読書受験雑誌や今もなお」。愛読書としての受験雑誌が先ず大きく提示され、それから、それを今もなお愛読している事実(+受験生だったのは昔だったという事実)という肝の部分が読者に伝わります。

水馬加熱してゐる土踏まず
水馬と土踏まずの取合せでしょうか。水面に真中がつかない水馬と地面に真中がつかない土踏まずは形状が少し似ています。惜しいのは、「加熱してゐる」が水馬なのか、土踏まずなのか判りにくいことです。また、水馬と土踏まずとの関わり方も判りにくいです。つまり、「水馬(を)加熱してゐる土踏まず」「水馬(+)加熱してゐる土踏まず」「水馬(/)加熱してゐる土踏まず」「水馬(とは)加熱してゐる土踏まず」「水馬(が)加熱してゐる土踏まず」「水馬(が)加熱してゐる/土踏まず」など、様々に読めてしまい、この句の場合、ここまで解釈の幅が広いと損です。例えば、幻想詠ですが、水馬が土踏まずに変化してまう句にすることもできます。「水馬加熱したれば土踏まず」。

Time flows like a stream
Memories melted into cream
Life is a dream
脚韻がすてきです。ただし、日本語俳句で言う三段切れにちかい状態で、行ごとに完結してしまっていて、焦点が結ばれません。脚韻の箇所がずれますが、一、二行目をつなげてみるのも手かもしれません。あと、三行目が慣用的な表現なので、少し変えてみましょう。完全ではありませんが、「Stream of time/melts like a cream -/memories now a dream」とすると、俳句的になります。

秋の夜や忘れて久し学ぶこと
「夜学」(定時制の学校のことも意味するが、夜独り学問にいそしむことも意味する)という秋の季語を思います。この句は「や」で切れて、終止形「久し」で切れて、三段切れになっています。「学ぶこと忘れて久し秋の夜」と上五下五を入替えれば済みます。

分離せし靴クリームや休暇明
休暇の間、その暑さと時間的長さのせいで靴クリームの成分が分離してしまっていて、久々に通学する朝になって、靴を磨いて履こうとする時にその事実に気づいた、という句意でしょう。良い着眼点ですが、「分離せし」がやや説明的で、クリームの状態が読者に見えてきません。例えば「油浮き靴クリームや休暇明」にしてみると、臨場感が出ます。

かぼちゃプリン茶道部秘伝の加熱法
とても美味しそうな句です。茶道部の秘伝が、茶菓子(?)のかぼちゃプリンを加熱する方法であるという事実が面白いです。現状は685ですが、「の」を落して「かぼちゃプリン茶道部秘伝加熱法」にすると675ですっきりしますし、上五「かぼちゃプリン」の後の切れが活きます。

生え際に保湿クリーム晩夏かな
下五が「体言+かな」という型の場合、「かな」を活かすためには、できればその体言に全体の重みをかけたいです。しかし、現状では中七の「クリーム」で切れが生じていて、晩夏のイメージを広げる「かな」の切れが活きません。句意からすれば、晩夏よりも生え際にクリームを塗る事の方に重点がある気がしますので、この際「かな」を捨ててみませんか。「生え際に保湿クリーム晩夏なる」でも良いですが、「生え際に保湿クリーム晩夏光」とすると、季語とクリームが混ざり合い、クリームの艶が強調されると思います。

山小屋にクリームソーダ出る不思議
不思議ですよね。洋食屋でも喫茶店でもない山小屋なのに、つめたいクリームソーダが出るんですよ。ただし、「出る不思議」は言わずもがな。山小屋にクリームソーダがある事実だけで不思議さが伝わります。その空けた下五で何か情報を付加してみてはいかがでしょう。例えば「山小屋にクリームソーダ色は青」とか。

サックスは実は鳥語の翻訳機
面白い発想です。惜しいのは「は」が二つ連続で出てきてリズムがもたつくこと。一つ目を「の」にしてみれば「サックスの実は鳥語の翻訳機」。