2016年3月30日

南氏のご発表について(有働裕)

 先日の南・石塚論争について私も何か書かないと、とは思ったのですが、困りました、染谷さんがうまく書きすぎましたね。役者のことといい、長崎屋の内証といい、お二人とは別の角度からの、説得力ある切り込みです。
 もう私は細かい考証は苦手。思い切ってこの作品の構造を図式的に考えてみました。お粗末ながら、以下の通りです。
* * * *
 『万の文反古』は通常の書簡体小説とは異なった構造を持つ。

 物語・小説にはそれぞれに固有の語りが存在している。ほとんど語り手の存在を意識させないようなものがある一方で、恣意的な認識や不必要なコメントを発することであえて語り手の存在を現前化させる語りもある。その性格の違いが、聞き手(読者)の立ち位置を左右する。つまり、語り手がどのような形で現前化されてくるかによって、読者の立ち位置、すなわち、「作品に内包された読者」の席が定められていくことになる。
 読者側のコンテクストの問題を捨象して単純化するなら、上記のようなことが一般化できるだろう。

 『万の文反古』の手紙の書き手を上記のような語り手の一変種としてとらえればどうなるか。序文や評文の記述、あるいはその手紙の叙述そのものの性格によって、読者は書き手の思いを正面から受け止める席から追い立てられているといえる。手紙の書き手(差出人)も受け取り手(宛名に記されている人物)も、読者にとっては未知の他人である。巻二の二「京にも思ふやうなることなし」を例にするなら、筋違いでまとまりの悪い懺悔が熱心に書き綴られているからこそ九平治の顔が現前化され、読者はその表情を冷ややかに眺めることとなる。と同時に、仙台に残された女房の表情をもあれこれと推測する誘惑にかられることになる。

 書簡体小説といっても、リチャードソンの『パミラ』や近松秋江の『別れたる妻に送る手紙』などとは全く異なっている。書簡の書き手からも受け取り手からも距離を置いた席が読者に用意されていることこそが、『万の文反古』の特色だと私は考える。

 巻一の四「来る十九日の栄耀献立」の場合は、今少し複雑だろう。この手紙に先立って呉服屋次左衛門から長崎屋の手代八衛門に出された手紙―便宜上これを書簡Aと呼ぶ―が存在したことになっている。そこに記されていた接待の詳細は、賑々しく「役者子ども」をそろえ、野暮なまでに贅沢な料理を並べた、「けつかう過」るものであったことは間違いない。確かにそれは「栄耀」なものであった。それに対する八右衛門からの返信が、本章の本文―これを書簡Bとする―であった。読者は書簡Bのなかに記された断片的な情報から書簡Aの内容を想像し、また、書簡Bの行間から八右衛門の本心を読み取ろうとする。さらに、呉服屋次左衛門の苦悶の表情も想像する。もっとも染谷氏の指摘通り、八右衛門と長崎屋主人の思いとが一致しているのかを疑うこともできるが、そこはひとまず考えないこととする。

 書簡Aと書簡Bの文面が、次左衛門と八右衛門のそれぞれの表情を現前化させる。それを当事者たちとは無縁の立場から眺めることができるからこそ、読者は面白く読むことができる。基本的にはそのような構造を有した一章だと私は考えている。

 『近世文芸』97号に掲載された南論文は、野暮なほどに過剰な接待を列挙した書簡Aに対して、「茶懐石」に象徴される洗練された高踏的文化からの批判を下したのが書簡Bであり、呉服屋には融資できないという八右衛門の本音を暗示したものととらえた。次左衛門の申し出を「無用に候」と拒絶する八右衛門の返答内容は、タイトルの「栄耀」とは矛盾するものの、呉服屋との文化的高低差を見せつけるものであり、ある種の「教育」的な側面さえ有していると理解した。

 それに対して、『近世文芸』100号に掲載された石塚論文は、書簡Bで八兵衛が要求しているのは質素な「茶懐石」ではなく、文字通り手間のかかる「栄耀献立」であったとする。その論拠は多岐にわたって示されているが、その大前提はこれが「舟あそび」の献立であって、茶会を目的とするものではない、というところにある。これだけの料理を船上というという調理環境において求めること自体が、無理無体な要求であったはずだと反論した。

 さて、そこで去る三月二十四日の西鶴研究会である。

 南氏は、石塚氏が論拠として示したものを一つひとつ検証していく形での反論を試みた。石塚氏を前にして、はぐらかしや視点ずらしなどない、真正面真っ向勝負であった。

 南氏は「大汁」「膳のさき」「椙焼」などの語意を再考証して、それらは「茶懐石」における一般的なものであったとする。「茶懐石」の料理は素材の質の高さや客への心づかいを重視するもので、質素ではあっても粗末なものではないとし、また、「舟あそび」は文人墨客にとって憧憬の対象であることから、茶会との関わりの深さを強調した。

 質疑応答に入ると、石塚氏からの多数の論拠を示しての反論が続き、何ともスリリングな展開となった。正直なところ「茶懐石」とも「本膳料理」とも無縁な貧弱な食文化体験しか持たない私には、その是非を判定する資格がない。ひたすらお二人の博識さに感心するばかりであった。ただ、書簡Aに記されていた接待の内容が、俗っぽくも贅沢な内容であり、呉服屋が長崎屋に融資等の便宜を求める手だてであったことは間違いない。その意味では間違いなく「栄耀」な献立が前提になっている。

 問題を単純化するならば、その返信となる書簡Bの内容を、量より質の茶道文化でやり込めたと南氏のように理解するか、無理難題を押し付けて困らせたと石塚氏のようにとらえるか、ということになろうか。この二人の読者の前に現前化した八右衛門の表情は確かに異なっていた。

 しかし当日出席した多くの方々が感じたことではあろうが、本章全体の三分の一に過ぎない献立部分のみで、そこまで読み切ってしまってよいものかどうか。『近世文芸』紙上での論争を、他の記述との関連でもっと発展させてほしかった。

 書簡B、すなわち八右衛門の筆致は、返事の遅れたことを詫びながらも、たまたま十九日が開いていたことを「貴様御仕合に御座候」と誠に押し付けがましい。次左衛門が良かれと思って呼ぶ「碁打ちの道庵」や「役者子ども」を拒否しておきながら、こちらからは按摩、針立、笛吹、ひょっとしたら「牢人の左太兵衛」も連れていくかも、図々しい。御座船に湯殿まで命じておきながら、「夜の仕立て」は拒否。前日の十八日には八右衛門自ら呉服屋を訪れ、「御内談」するというが、そこで話されるのは接待のことばかりではあるまい。次左衛門が本当に聞きたい返答は、舟遊びの前日まで不明のまま。そんな不安な心理状態の次左衛門に、以前もらった羽織の不備を訴えて手直しを要求して文面を結ぶ八右衛門のいやらしさ。

 こういった記述が献立についての指示とどのように響き合うのか。語釈や料理の考証に加えて、ぜひとも踏み込んでもらいたかった。その点は、今後に期待したい。

 圧倒的に優位な位置にある長崎屋の八右衛門が、呉服屋の次左衛門を一方的に痛めつける、という構図は、次左衛門に感情移入して読むとしたら不愉快この上もないものであろう。だが読者の席は別に用意されている。「塵塚のごとくなる中」(序文)から偶然に拾い出した自己とは無縁の手紙を、差出人と宛名の人物の表情をあれこれと推測するというように。
* * * *
 とまあ考えてはみましたが、少々理屈っぽくなりすぎましたかね...。

2016年3月28日

木越治氏の研究会参加記

木越治氏の研究会(24日)参加記が、木越氏のブログに載りましたので、ご紹介させていただきます。

西鶴を「読む」ということ― 再考『万の文反古』巻一の四「来る十九日の栄耀献立」―(南 陽子)は、
http://blog.livedoor.jp/ki54036/archives/8542727.html

原素材の加工方法 ―『花実御伽硯』と『諸州奇事談』の差異 ―(畑中千晶)は、
http://blog.livedoor.jp/ki54036/archives/8542772.html

です。木越さん、ありがとうございました。(染谷記)

2016年3月26日

三月二十四日の研究会寸感(染谷智幸)

みなさま、24日の研究会はご苦労様でした。
服部早苗さんの俳句に「口といふ口の鳴りだす春嵐」というのがありますが、そんな感じだったでしょうか(笑。もちろん服部さんの「口」は人間ではありませんが)。とにかく色々な意味で盛り上がりました。恐らく、西鶴研究会史上、記憶に残る一回になったと思います。

まず南陽子氏のご発表、有働裕氏も司会の席から述べて居られた通り、刺激的で面白かったと思います。南氏と石塚修氏の応酬はもちろんのこと、新大系本にして8行あまりの「栄耀献立」の解釈に、30人を越える研究者が、何と2時間以上を費やして議論をしたのですから。全国の日本文学を勉強する大学生に見せてあげたかった。文学研究というのはここまでやるんだぞと(笑)。

この2時間の内容についてはここで纏めきれませんので、何人かの方に感想・批評をお願いいたしました。そのうちにこのブログに載ると思いますので参照いただきたいと思います。ただ、南氏がご発表されるについての経緯を簡単にお話しておきますと、2013年1月の『近世文藝』(97号)に南氏の「『万の文反古』巻一の四における書簡と話」と題する論文が載りまして、巻一の四に対する新解釈が提示されました。そこでは従来から栄耀と考えられていた献立が栄耀でないばかりか、粗食とも言うべき一汁三菜の茶懐石であり、その逆説的な意味とは何かが主に考察されました。それに対して2014年同誌100号において、石塚修氏が「『万の文反古』巻一の四「来る十九日の栄耀献立」再考」と題された論文を発表され、特に南氏の、本短編の献立が茶懐石であるという指摘に反論し、茶懐石なら茶道具が用意されて茶会が行われたはすだが、その様子がないのは何故かと指摘されました。今回の南氏のご発表は、新たな資料を駆使して、石塚氏の反論に反論、石塚氏も質問で今回の南氏発表にさらに反論されたわけです。

私の雑駁な感想としては、南氏の献立=茶懐石説は、石塚氏の茶会が行われた形跡がないという指摘を乗り越えねばならず、やはり少し無理があるだろうと思いました。しかし、この献立=茶懐石説が成り立たないとしても、南氏の指摘された栄耀の逆説性という問題は生きているというか、むしろ茶懐石でなく本膳料理の方が、さらにこの逆説性は増すことになるのではないでしょうか。豪華な本膳料理だったはずが、茶懐石並みに削られて、挙句は料理とは関係のない湯殿まで用意させられたという、散々な栄耀献立になったわけですから。南氏のご論文を再読すると、中心論点が茶懐石云々よりも、むしろそこにあったことが分かります。たとえば7ページ下段の「二、「無用に候」の意味するもの」では献立以外にも様々なものが「無用」とされて、接待に気遣いすればするほど、旦那と呉服屋の距離は遠くなる。この逆説の意味を問題にされていたわけです。こうした作品構造から、改めて論を再構築されたら良いのではないかと思った次第です。

ちなみに、この湯殿はさっぱりと汗を流して涼むという意味の他に、芝居の太夫元へ行くための身繕いという意味もあったように思います。というのは、この湯殿の幕に踊り桐の定紋が描かれています。この定紋は恐らく澤村小伝次のものでしょう。『男色大鑑』巻八の四「小山の関守」の挿絵に小伝次が描かれ全く同じ定紋が描かれています。この栄耀献立の短編に登場する「旦那」は手代の手紙からすれば、呉服屋の接待などそっちのけで夜の芝居通いに熱中していることは明白です。しかも気に入った役者が居る。この短い手紙に、勝手に役者を用意するな、「夜の仕立」(芝居小屋などへの予約)は無用と二度のダメ出しが出ていますから、よほど小伝次かその周辺の役者を気に入って居たのでしょう。また、目録の副題にも「「舟あそびに野郎見せばや難波風」と出て来ます。なお澤村小伝次は、その『男色大鑑』の記述によれば、西鶴と一緒に河内藤井寺に参詣したのですが、その席には西鶴が贔屓する上村辰哉も居りました。また、『古今役者大全』巻五、十五丁(寛延三年[1750]、八文字屋八左衛門)によればこの折西鶴は、小伝次が駕籠で気分が悪くなったのを血の道と表現したことを、女形の心構えとして立派であると評価したと伝わります。すなわち、小伝次は西鶴と極めて近しい関係の役者だったわけです。もしこの推測が正しいとすれば、栄耀献立に登場する長崎屋の旦那のことを西鶴がよく知っていた可能性も出て来ます。

推測に推測を重ねることはあまりよろしくありませんが、広嶋進氏(「文反古の暗示」『西鶴探究』2004年、ぺりかん社)も言われるように『万の文反古』は暗示的な描写が多いのが特徴です。それでもう一つだけ推測を逞しくしてみたいことがあります。それは今回の発表の折にフロアーの何人かの方からもご指摘がありましたが、この栄耀献立に出て来る手代(八右衛門)と旦那とのズレについてです。この手紙の書き主は長崎屋の手代八右衛門で、彼は主人(旦那)の代弁をしているわけですが、旦那が接待に関心を持たないのを良いことにして、自分への賄賂を要求しています。その一つが「日外(いつぞや)の生加賀のひとへ羽織」であるわけですが、賄賂の要求がこれからエスカレートしてゆくのは間違いないでしょう。例えば、これだけ細かい献立その他の指示を出したにも関わらず、十八日には「内談」を予定しているからです。また手紙の最後には「心事、貴面に申あぐべく候」と擱筆の常套句ながら、内談について念を押す始末です。このエスカレートの先には何が待っているのでしょうか。

手代や番頭と言うとNHKの朝ドラの加野屋の番頭たちのように、店や主人思いの実直な人達を連想しますが、元禄期以前の手代たちと主人との関係はかなり殺伐としたものだったと言われます。歴史学者の中井信彦氏はその関係を「利害の二字につき」るとまで言っています(『町人』小学館)。西鶴も『日本永代蔵』の巻一の三「浪風静に神通丸」で寛文~貞享期の手代たちが主人の金を勝手に使い込み(取り逃げ、引負い)をし、破綻する人間が「かぎりなし」と言っています。つまり元禄期までの手代たちは主人の信用を得て別家する暖簾分けの方法ではなく、自分で資金を集め(主人に分からないように自分で商売を展開し、その儲けを懐に入れ)独立をめざしたと言うことです。ただし、これは相当上手くやらないといけません。焦げ付きを出せば、主人のみならず、親や請人(身元引受人)に面倒が及びます。こうなれば元も子もありません。ここを失敗する人間が当時多かったと西鶴は先の『永代蔵』巻一の三で言っているわけです。

ただ、八右衛門が独立まで考えていたかどうか、定かなことは分かりません。それらしき素振りは一切見えませんから。しかし旦那が長崎商いで金儲けをし、その金を目当てに近寄ってきたのが呉服屋というのがどうも意味深です。呉服商と言えば三井家が象徴的ですが、西鶴が「小ざかしき人の仕出し」(『永代蔵』巻一の四)と言った意匠改良等によって元禄前後から呉服商売は景気が良くなります。それに対して長崎商いは、元禄の前までの投機ブームによって世を席捲しますが、『町人考見録』に示されるように元禄期以後多くが没落していきます。この新旧交代劇がこの手紙に投影されているわけです。

それに、長崎屋の旦那は遊び呆けていますから、資金があっても追っ付け帳尻が合わなくなるはずです。病後でさえ毎日の遊楽ですから、元気になったら大変です(笑)。八右衛門は、主人の勘所を全て押さえているばかりか、恐らく、帳合(帳簿)も彼が抑え込んでいることでしょう。とすれば後はタイミングということになります。

何か最後は、安っぽいミステリー風経済小説を読むようになってしまいましたが、いつも言われるように、西鶴は想像力を羽ばたかせる材料が不思議と散りばめられていて、読む者を引きこみます。この栄耀献立の短編もまさにそうした名篇の一つだと言えます。

なお、後半の畑中千晶氏「原素材の加工方法-『花実御伽硯』と『諸州奇事談』の差異-」はご発表の前半、懇親会等の連絡、会計の計算などでゆっくり拝聴出来ませんでした。とくに懇親会の場所と何故か連絡が取れず、『文反古』の呉服屋のようにやきもきしておりました。ちなみに西鶴研の懇親会はいつも飲み放題の最低コースで、削らずとも最初からの栄耀献立です(笑)。それはともかく、質疑応答の様子からすれば、畑中さんのご発表も、大変面白かったようですが、このご報告については、後ほど他の方がまとめて下さると思いますので、それに譲りたいと思います。

24日の西鶴研について、参加された方もそうでない方も、ご意見ご感想をぜひお寄せくださればと思います。                     (以上)

2016年3月 4日

次回の西鶴研究会のプログラムが決まりました(染谷智幸)

次回の西鶴研究会のプログラムです。
今回は南さんと畑中さんのご発表です。
南さんのご発表は近世文藝(近世文学会)の誌上で石塚修氏とやりとりがあったもの。今回はその石塚さんのご論文を踏まえての新たな展開のご様子。楽しみです。
畑中さんのご発表は新発見の資料から浮世草子の読みについての新見のご提示。これも楽しみです。
なお、大阪から飯倉洋一氏も参席されるご様子、一石を投じてくださるでしょう。
http://bokyakusanjin.seesaa.net/
奮ってご参加ください。

日時    3月24日(木) 午後2時より6時まで
場所    青山学院大学 総合研究ビル9階、第16会議室
内容    研究発表、並びに質疑応答、討議

発表題目および要旨
◆ 西鶴を「読む」ということ 
― 再考『万の文反古』巻一の四「来る十九日の栄耀献立」―
 南 陽子
 『万の文反古』巻一の四「来る十九日の栄耀献立」は、主に料理文化史研究の観点から論じられてきた。その代表的なものは、テキスト上に書かれた品目を十九日に出される饗応の一部と考え、本膳料理に倣って膳数と品目を補いながら読むという、鈴木晋一氏の提示した方法である(鈴木晋一『たべもの史話』平凡社、一九八九、初出一九八七)。
 この鈴木説に対し、西鶴研究者はおおむね賛意を示した。広嶋進氏は鈴木説の献立に修正を加えて、これを西鶴の「暗示の方法」の一つに数え(『西鶴探求』第六章「『文反古』の暗示」ぺりかん社、二〇〇四、初出一九九〇)、また『新編日本古典文学全集』(小学館、一九九六)の注釈では、旧版『完訳 日本の古典』(小学館、一九八四)注釈を改め、鈴木説を採用している。
 先般、発表者は「『文反古』巻一の四における書簡と話―「無用に候」の意味するもの―」(『近世文藝』97、二〇一三年一月)において、巻一の四の献立はテキストが記述するとおりの「一汁三菜」のまま理解することが可能であり、テキストに省略された品目はないという旨を、茶懐石の理念を援用しながら提示した。さらに書簡中で旦那側が「無用に候」と、献立を含む呉服屋の提案を次々に却下していく理由を、当時の商売の常識を考慮して検証し、従来とは異なる解釈を加えた。
 この拙論に対し、石塚修氏は「『文反古』巻一の四再考―献立のどこが「栄耀」なのか―」(『近世文藝』100、二〇一四年七月)において、拙論の考証が茶事の細則に合致しないとして「一汁三菜」説を否定し、自身は鈴木説に準じたうえで、当時の読者は真夏の船上では様々な点で実現困難である「栄耀」な献立を、驚嘆と笑いをもって読んだのだと結論した。
 拙論の注においても明記したが、茶事のルールがようやく定型化するのは、茶の湯の大衆化が極まった幕末の頃とされている。その一因には、茶事が規範化されると作法を表面的になぞるだけの形式主義に陥り、本来の目的である「もてなしの心」が失われるという、利休初期の理念が尊重されていたことが挙げられる。不定形のルールをめぐって反証に反証、さらにまた反証を重ねるのは、研究として有意義な行為ではない。
 本発表では、巻一の四を読むとき「何が」最も大きな問題であったのかを確認し、石塚説と拙論を対比して石塚説の妥当性を検討したのち、献立の考証とは異なる観点から巻一の四をさらに詳細に考察していくことを目標とする。西鶴作品を「読む」とはどのような行為なのか、考証のための考証ではなく、作品を「読む」ための考証を目指して、建設的な議論の場にしたいと考えている。
 
◆ 原素材の加工方法
― 『花実御伽硯』と『諸州奇事談』の差異 ―
敬愛大学 畑中千晶
 かつて「「西鶴らしさ」を問う」という拙文(拙著序文)で次のような考えを提出しことがある。素材として「多様な言説」(=つまり他者の記した文章)が取り込まれていたとしても、最終的に仕上がった作品に「西鶴らしさ」が感じられるとするなら、そうした加工技術にこそ「西鶴らしさ」を求めるべきではないかというものである。今、「西鶴らしさ」の議論は、しばし措く。本発表では、西鶴を論ずるための「補助線」を目指し、原素材の加工方法について、他の浮世草子の例を参照したい。
 中心的に扱う題材は、浮世草子『花実御伽硯』(明和五年刊)である。このたび、本作の粉本を新たに発見したことに伴い、作品化の過程を詳細に把握することが可能になった。その粉本とは、写本の怪談集『続向燈吐話』(国文学研究資料館三井文庫旧蔵資料)である。この『続向燈吐話』は、『向燈賭話』とともに、静観房好阿『諸州奇事談』(寛延三年刊)の粉本となっている。
 『花実御伽硯』は単純素朴な奇談集とも言うべきもので、行文は変化に乏しく、時に冗長である。対する『諸州奇事談』は、改題出版の繰り返された人気作となっている。全くの同一素材を加工した話を含みながら、一方が退屈極まりない作となり、他方が読者を魅了してやまないとするなら、その差異は極めて重要である。
 無駄のない筆運びが生み出すリズム、巧みな演出、素材の入れ替えなど、静観房が駆使したテクニックの数々は、『花実御伽硯』と対比させることで一層際立つ。本発表では、原素材の加工方法の差が、作品の仕上がりにいかなる差異をもたらすのか、その過程を追いかけていく。