2015年12月29日

京都近世小説研究会西鶴特集レポート(南 陽子)

武家物は論じにくい。好色物も論じにくい。
その原因は複雑だ。
2015年12月20日に開催された京都近世小説研究会は、井上泰至氏の西鶴研究者はなぜ武家物を論じない、という挑発から始まった。


井上先生は「『武家義理物語』を面白く読む/読めなくする視点-巻二の四・巻六の一を中心に」と題し、各話を理解するうえで軍書の参照が有効であるとして、巻二の四「我が子を打ち替へ手」の主要な展開に『折たく柴の記』との類似性を指摘する。

井上先生の『江戸文学を選び直す』は抜群に面白かった。「文学」と題しながら、選ばれている作品のほとんどが「文学」ではない(よくある意味での)、というところに肝を抜かれた。軍書の中の文学性と、その読者を多角的に観察する井上先生は、西鶴研究者に揺さぶりをかける。カノンという名の象牙の塔に、西鶴を閉じ込めるなと。

井上先生が指摘される『折たく柴の記』の当該箇所は、盗人の嫌疑をかけられた三人の侍を白石の父親が預かったとき、父は敢えて三人に刀を返し、自分は丸腰で番に当ったという話である。三人は刀を持たない相手を殺すわけにはいかなかったという。

対して『武家義理』巻二の四「我が子を打ち替へ手」の概略は次のようになる。丹後の切戸の文殊に詣でた大代伝三郎の一子、伝之介と七尾久八郎の息子の八十郎が鞘咎めを起こし、八十郎が伝之介をしとめたが、父の久八郎は帰宅した八十郎を大代家へ即刻送ってしまう。大代家では七尾家の見事な振る舞いに感じ入り、八十郎を養子に迎えて大代家は栄えたという。

井上先生は『折たく柴の記』の無刀で番に当る行為と、『武家義理』の先に息子を大代家へ送る行為の両方に武士の駆け引きを見出し、さらに巻二の四の題名「我が子を打ち替へ手」の「打ち替へ手」が囲碁の「打って返し」という戦法であることを踏まえて、巻二の四で七尾家が我が子を差し出す判断は、わざと自分から負けに出ることで相手の先手を打つという戦略的判断だったのだと理解されている。


発表会場では西鶴の読者層の問題、武家物の評価、武家物と軍書のジャンルの問題など、大きなテーマを含めた活発な議論が交わされた。それらの詳細は飯倉洋一先生のブログで続きが展開されているので、ここでは作品の読みの問題を以下で検討したい。

井上先生の発表を受けて、西田耕三先生や井口洋先生などから、それぞれ読みの提示があった。わずか1000字足らずの短編に、即、複数の読み筋が提示されるというのは普通のことではない。巻二の四に着目した井上先生の選定力が、それだけ確かだということである。

私もまた、巻二の四は新編全集に指摘された謡曲「丹後物狂」を踏まえ、我が子を思う親の情を押し込んで息子を送る気概と、それを察して八十郎を生かした大代伝三郎の義理を理解する心とが称賛されている話だと思っていた。義理を「信頼の呼応」と呼んだ源了圓と同じ方向性の読みであり、一昨年の春に議論された『武家義理』巻一の五「死なば同じ浪枕とや」の神崎式部親子に似た話だと理解していたのである。
井上先生の切れ味鋭い論理は、今までの自分の読みがありきたりでウェットすぎたのではないかと再考を促されるのに充分な説得力を持っていた。

もちろん従来の西鶴研究が謡曲の指摘に留まっているのは理由のないことではない。偶然近刊の「研究と評論」89号で田中善信先生が触れているが、俳諧師にとって謡曲は基礎的教養の一つであり、現に謡曲の詞章取りは、西鶴の散文韻文を問わず頻繁に使われている。発表でも少し話題になったが、『武家義理』の諸国噺の性格に根拠があること、つまりランダムに各地方を配しているのではなく、それぞれ話柄に合わせた土地を選んでいることが、謡曲「丹後物狂」の指摘によって少なくとも明らかになるのである。「丹後の切戸の文殊」が謡枕(?)になっていると言えばよいだろうか。

西鶴を読むうえで謡曲の素養が必要なのは当然のことである。しかしそれは、謡曲がわかれば西鶴がわかるという意味ではない。謡曲は作品のスパイスではあるが、それに完全に依拠したような安直な作品を、西鶴はなかなか書いてはくれない(と、私は思っている)。
だから西鶴研究者は、何度も何度も作品本文を読み返すという苦行を強いられる。あらゆる可能性を含めて巻二の四を読むとどうなるのか。井上先生の「打ち替へ手」の解を、囲碁のイの字も知らない身で即理解するのは少々キツかった。しかし題名とは、作者による作品の最も端的な要約だから、これを無視するわけにはいかない。もう一度、「打ち替へ手」をシュミレーションしてみよう。

息子の伝之介を討たれた大代伝三郎は、先に息子の敵の首が差し出されたので、八十郎を討つわけにいかなくなった。八十郎を送ったことが七尾久八郎の先手であり、負けを表明したように見せかけて、大代家の敵討ちを封じたのである。かくて八十郎は命を長らえ、七尾家は愛息を失わずに済んだ。この勝負、七尾家の勝ち。目出度し/\。

...違う。そうではない。
この話の最終的な勝者は七尾家ではない。テキストはそうは言っていない。

この話の本当の勝者は大代伝三郎だ。

大代家は送られてきた七尾八十郎を「殊に我が子は十五歳、これは十三にて、武道も格別に勝れば、申し受けてこの家継ぎにすべし」と受け入れ、八十郎も義父母に尽くし「大代の家を継ぎて名を残しぬ」と巻二の四は結ばれる。

武家にとって家督相続の問題は最重要案件であり、家の繁栄は近世の価値観では絶対的な正義である。もちろん世継は優秀であればあるほど良い。

大代家の一人息子伝之介は元服の年齢だったが、七尾家の八十郎はそれに十三歳で討ち勝った。八十郎は武芸の筋が良いだけでなく、斬り合いのあと逃げることなく迅速に父に報告し、その命令に従って大代家を訪問する。すぐに出奔すれば逃げ切れる条件は揃っていた、しかしそうはせず父の命令通り大代家を訪問するという行為、この潔ぎよさ、父への孝。八十郎は精神面でもすでに立派な武士の風格を備えている。この点で巻二の四は「死なば同じ浪枕とや」の勝太郎に似ている。

なぜ父は、この出来の良い八十郎を大代家に送るという危険な判断を下したのか。八十郎と伝之介が鞘咎めから斬り合ったこと自体に非はない。しかし七尾家は大代家と同じ家中の「新座者」であり、その勝負は結果的に、格下の家の子供が先輩格の大代家の跡取りを討ってしまったことになった。それも元服前の子供に討たれたとあっては、大代家に不名誉な言われが立っても仕方がないだろう。

『武家義理』を論じるとき度々指摘されるのが、序文と本編との整合性の問題である。序文は武士にとって最も大事なことは「自然のために知行をあたへ置れし主命」であり、私事で命を落とすのは「まことある武の道」ではないという。武の道とは「義理」に身を果たすことが最上なのであると。

七尾久八郎は家中の序列を乱す息子の行為に厳しく対応した。戦時に一丸となって敵に向かうためには、共同体の内部は一枚岩でなければならない。内部に紛争の種があると、軍隊は非常時に空中分解を起こす。武士にとっての「義理」とは、人情云々の以前に武家共同体を安定させるための掟である(と、私は考えている)。息子を守りたいという人として当たり前の感情は「自分の事」でしかない。対して御家の安泰のために息子の首を差し出すのは「まことある」武士としてあるべき行為、すなわち「義理に身を果たせる」ことそのものなのである(と、私は理解している)。

この親にしてこの子あり、といった風情の七尾家の立派な振る舞いを、大代伝三郎は一時の感情に流されることなく、やはり武士として正しく理解し受け止める。それが長刀を取る母親を制し、八十郎を養子にするという決断である。これだけの逸材を我が子の敵という「自分の事」の感情で空しくするのは「知行をあたへ置れし主命」を忘れる行為である。八十郎を失うのは御家にとっての損失でもあるからだ。

大代家に迎えられた八十郎は孝行を尽くし、武の道に励んで義父母の恩に応えた。最初は八十郎を恨んだ義母も、夫に従い、優秀な義理の息子をかわいがるようになる。「武家の女」として極めて正しい。かくて大代家は後世に名を残し、ひいては御家の繁栄に貢献することとなった。目出度し/\。

これが「義理の物語」として巻二の四を読んだときの読み筋である。この話は「武士の論理」と「武士の正しさ」で満ち溢れている。

では、井上先生が指摘された題名の「我が子を打ち替へ手」とは、何を意味しているのか。
打って返しは、最初に石を取られた側が、負けたと見せかけ逆に相手の石をより多く取るという手であるらしい。巻二の四の勝負では最初に伝之介が八十郎に敗れたものの、八十郎が大代家におもむき、最終的に「大代伝之介」の名で家督を継ぐ。かくて大代家は「我が子」より優秀な世継を手に入れ、格下の七尾家は息子に再び会うことなく退いた。この勝負、大代家の勝ち。

わざと露悪的にまとめると、巻二の四は「実子を捨て石にして、より優秀な世継を手に入れた大代家の繁栄譚」である。「我が子を打ち替へ手」の「我が子」とは、父に送られた八十郎ではなく、死んだ伝之介を指している。これは話の構造と要約のある一面を、レトリックによって簡潔に表現したタイトルだ。


――そんなん伝之介がかわいそやないかいっと思うのは、きっと私が現代人であるせいだ。封建的家制度を問い質し、その苦悩と不満を言語化した近代とポスト近代を知っているから、忘れられた伝之介の存在に割り切れなさを感じるのだ。

巻二の四は今まで思っていたよりも、遥かによく出来た話だった。一句として無駄な言葉を使わず、これだけの情報を短編に仕立てる技術を持つ作家を私は他に知らない。それは井上先生の「打ち替へ手」の指摘があったから気付いたことである。
巻二の四は面白い。武家物はやはり面白い。
しかし同時に、ずっと気付かなければよかったと思うほど、巻二の四は、本当に、胸糞の悪い話である。


発表の後半は、木越治先生による『好色五人女』の文体分析のご発表だった。
好色物の難しさは、武家物の難しさとは質が違う。武士の価値観と如何に距離を取るか、という戸惑いの付いて回る武家物とは違い、好色物は純粋にテキストそのものが難しく、そしてとびきり魅力的だ。

西鶴の文体論は「俳諧的文章」という結論に向かうことが多く、文章の修辞的技法の分析は概ねやり尽くされている。まとまったものはやはり乾裕幸氏や杉本つとむ氏の仕事になるのだろうが、西鶴研究者はこれらをスルーしているような雰囲気がないこともない。作品精読すんのもしんどいし、などと正直思っているということは天地がひっくり返ってもあり得ないのであるが、正直、好色物を分析するのはしんどい作業だ。
木越先生の『五人女』論は、『五人女』巻三の二を初読者に読ませるとき、話の叙述部分のみを追うことで筋立てが明確に理解できることを示すものだった。教育的目標が掲げられることで論の目的が明らかになり、テキストのブツ切りになりやすい文体論の欠点が回避されている。

西鶴の文章の妙を味わうのは、大まかなストーリーを把握できたあとでいい。初見で『一代男』を超面白い、超わかると絶賛する奴は、天才か、ただの見栄っ張りかのどちらかだ。「わからない」のが当たり前、わからないから考えるのか、わからないから本を閉じるのか。研究者とそうでない人の分岐点は、その程度の違いでしかない。木越先生と浜田啓介先生のやりとりを聞いていて、そんなことを考えた。

今回は日頃他のご専門で活躍される先生方が西鶴をどのように考えているのか、貴重なご意見を聞くことができた。触発されるところが多く、実りある研究会であった。
新しい年に、また新鮮な気持ちで西鶴研究に望めそうだ。(了)