2015年4月10日

研究会の感想(石塚修)その3

武家物祭の第三段目は真打ち登場といったところでした。

井上泰至先生は、いまや近世文学のみならず近代俳句の分野でも精力的に活動をされています。Facebook仲間のみなさまはわたくしもふくめてご承知でしょうが、その最近のお仕事ぶりはまさに超人的な感じです。江戸時代でしたら、あらゆることをテキパキと裁いていく老中筆頭のごときお働きぶりとなりますでしょうか。小普請組大好き人間のわたくしとしてはただただ敬服いたすばかりであります。

こちらのフログでも前哨戦がありましたが、井上先生はお得意の軍書なかから西鶴の分野でももっと軍書の利用が話題にされてもよいのではないかという問題提起をもってのご発表でした。

ただし、そこには、事前にも話題になっているとおり、「西鶴は軍書を読んだか」、または「西鶴の読者は軍書をそれなりに読んでいたのか」という根本的な課題が課せられてしまいます。井上先生の定義では、軍書は司馬遼太郎的な「読み物」でもあったということですが、そこの普遍化は、研究会の雰囲気ではまだ常識化されていないという印象を参加のみなさんの質疑からは受けました。

さきの二つの問いかけは、図らずも、わたくしが茶の湯と西鶴を論じるに際してもあったことですので、そうした問題提起を普遍化していくことの困難さは他人ごとではなく身にしみて受け取りました。

今回は、『武家義理物語』巻一の一「我が物ゆへに裸川」における青砥藤綱説話について軍書の生成と関連付けてのご発表でした。青砥の伝承は巷間では「太平記」を通してよくしられています(わたしはなぜ修身を履修した世代の母親から子供のころに聞かされました)が、じつは、「太平記」には藤綱の名前はないことから、「北条九代記」や「新鎌倉志」なども視野にいれた探求の必要性を提案され、ひいてはそこに、西鶴の政道への批判や
風刺もこめられている可能性があるとの結論でした。

西鶴の武家物祭のレポートもこれにて、キリでございます。

2015年4月 6日

研究会の感想ー充実の三発表、ただし不満も!(有働裕)

やっぱり研究発表が中心になるのはいいですね。仲さんも浜田さんも、色々な反論を受けて怯んだかもしれませんが、結論の是非はともかく、発表過程にさまざまな大切な示唆が含まれており、大変興味深く思いました。

ボロクソに言われるのを承知で挑むのが、創立当初のこの研究会の発表形式でした。その覚悟で私も引き受けてきましたが、ふと気が付くと、若い人たちが発言せず、発足以来のメンバーばかりが意見を述べているようになっている気がしてきました。もっと色んな方に質問意見を述べてもらいたい。我々ロートルが若い皆さんを委縮させてしまっているとするなら忌々しき問題。なんとかしなくては。

井上さんの発表は、篠原先生との前哨戦でどうになることかと思っていましたが、予想に反して方向性に近いものを感じたのですがどうでしょうか。井上さんが紹介してくれた小川和也氏『儒学殺人事件』(講談社)、遅ればせながら読みました。感動的なほど面白い。『文学』の井上さんの論文とよみ合わせるしと一層面白いと思います。まだお読みでなければぜひ!

2015年4月 2日

研究会の感想(森田雅也)

今回の武家物祭?の企画、秀逸でした。仲氏の『新可笑記』からの武士の救済論、浜田氏の『武家義理物語』を「推参」、「慮外」をキーワードにを読み解こうとする果敢な論、井上泰至氏の近世軍書から青砥説話を分析しようする重厚な論。いずれも染谷氏、石塚氏のコメントに尽くされていると存じます。

しかし、「武家物」とは何なのでしょうか。今回、司会役を任されたからでなく、私自身の西鶴論のデビューが武家物だけにずっと悩んできました。全国大学国語国文学会だったでしょうか、篠原進先生に司会をしていただき、発表後「どうして評価の低調な武家物から研究を思い立ったのですか」というような質問をしていただいた記憶があります。当時の私には答えられませんでした。今も武家物の世界について明確に出来ず煩悶している私ですが、ただ、その頃からずっと「武士」に対する一つの捉え方がありました。

「武士」とは「武家」「武道」という精神美を讃える前に当時の人々にとって、為政者の集団なのです。長剣を差すだけで示される公務員なのです。したがって、この「武士」の行動を見つめる眼は、江戸以外では、町人より農民の方がずっと熱いのです。都市より地方の方が注目しているのです。

もちろん、武家物は江戸の武士たちを読者として想定した読み物ではないかという意見はその通りだと思います。

しかし、西鶴を町人という枠から外し、為政者に苛まれる一人が武家物を創作したとして見れば、自ずから題材と距離が生じ、何か突き放した武士の愚かさへの冷たい視線を感じるのです。もちろん、それをして当世批判とは言いませんが、ある意味では、江戸時代に最も多い大衆、「百姓」の目に近いのではないでしょうか。

そうすると、武家物は特別な枠組みではなく、単なる武家や敵討ちを題材にしただけの諸国話にすぎないのか?
ここに第三のビールを示さねばならないのですが、今、考案中です。