2015年3月31日

研究会の感想(石塚修)その2

研究会の感想(石塚修)の続編です

武家物祭の2段目は、佛教大学の浜田先生のご発表です。先生は「ちゃはつ」ですが研究は誠にぬばたまの黒髪のごとき丁寧な語句からの読みでした。(ちなみに、チャパツはキンパツとは異なり音韻としては不可ですね)

それはさておき、『武家義理物語』巻2-1と2のお話は、西鶴のなかでも年号も事件も特定できるという点で際物的な章です。その描写について、「慮外」「推参」という語句のレベルから、喧嘩の原因を探り、読み深めていこうという趣旨でした。仇討ちの話としてではなく喧嘩口論の話として読めないか、もし喧嘩口論ならば序文と齟齬が生じ、そのことが「義理」というテーマの理解にもつながるという指摘でした。発表後、まさに槍衾状態の質疑が飛んでいましたが、浜田先生は、しっかりと傘を広げて受けて立っておられました。

ところで、この事件の発端となる「傘のふりあて」ですが、一時期流行って、文部科学省もだまされた、あの「江戸しぐさ」の一つですね。「江戸しぐさ」のできなかった徳島の田舎のお武家さまが、傘があたったことで斬り合いになって、あげくはその敵討ちにまでおよんだとなると、かっこうの「江戸しぐさ」の教材なんですがねぇ。あの活動はその後はどうなったんでしょうか。

2015年3月30日

新旧の酒、取り交ぜて新しい革袋に(染谷智幸)

先週木曜日、西鶴研究会が盛会のうちに無事終了いたしました。
今回はご発表が3本、どれも力の入った充実した発表だったと思います。

ご発表についてのレポートについては、何人かの方にお願いいたしましたので、近々このブログに上がって来るかと思いますが、もちろん、それを待つ必要はありませんので、どなたでもご感想なりご批判なりをお寄せください(染谷までメールでお送りください)。

(と書いている最中に、石塚さんからご投稿がありました。感謝。)

今回は「武家物祭り」の体になりまして、私としては、つくづく時代を感じました。西鶴研究を続けていると分かりますが、武家物というのはなかなかに取っつきにくいものなのです。その理由は様々ですが、やはり好色物・町人物で浮かび上がってくる西鶴像を、武家物に結び付けにくいというのがあると思います。好色物や町人物では、比較的したたかで表現本位の作者精神というものが浮かび上がりますが、それをそのまま武家物にスライドさせられないところがあります。

逆に言えば、西鶴とは何かは、武家物を理解してこそ分かるものである、とも言えます。そうした意味で言えば、今回の武家物祭りは、その西鶴研究の問題と、昨今の武士・いくさと文学研究の深まりが啐啄するという、当に時宜にかなったものだったと思います。

特に、今回3本目にご発表された井上泰至さんは、昨今近世軍書や武家説話の研究を集中的に展開して居られ、そうした外濠を埋めて(浜田啓介氏『上方文藝研究』第11号)の大坂夏の陣であったわけで、様々に興味深いものでした。

図らずも岩波『文学』(3・4月号)にて「いくさと文学」の特集があり、井上さんと佐伯真一さんの対談、鈴木彰さん等若手の活きの良い論文、昨今金時徳氏の発見された『新刊東国通鑑』報告などの好企画が目白押しです。

私は、二年前に佐伯さん井上さんとご一緒に韓国へ行った際、お二人の会話を横で聞いていて、新しい時代の到来を感じたことがありました。その時のことはリポート笠間55号に書いた「十五~十七世紀、室町―上方文学論は可能か」でも触れましたし、またこうした題で文章を書こうと思った切っ掛けにもなったことですが、地殻変動は確実に始まっていて、今回、風雲急を告げる西鶴城を、直下から揺るがす事態になったというわけです。

いずれにせよ、もう中世も近世もありませんし、西鶴を近世や文学(旧態の謂)の枠内で捉えて行くことも無理でしょう。作品・作者をその時代の中で捉えるなら、それはその時代のあらゆる文物との関係の中に作品・作者を解体し、さらには「その時代」という枠組みも解体しつつ、国や国語の枠をも解体しなければ出来ないはずです。中途半端はそれこそ近代やその文学観の残滓です。

ちなみに、この岩波『文学』に載る座談会「「聖なることば」が結ぶ世界」(ジャン=ノエル・ロベール、ハルオ・シラネ、小峯和明)は必読です。日本はもちろん、東アジアやさらにはアジアへ目を向けた時、仏教の存在が大きいことに私は何度も驚かされましたが、その仏教の中でも『法華経』は極めて大きい存在です。

平岡聡著『法華経成立の新解釈-仏伝として法華経を読み解く』(大蔵出版、2012年)から、改めて『法華経』の勉強をしなおしましたが、この経典の悉皆成仏(一仏乗)と日本神道のシンクロには日本とは何かを考える上で極めて重要なものが潜んでいるように感じているところです。

西鶴と『法華経』。これも西鶴-日演-遊女吉野というラインで、西鶴に深く絡みます。いずれ論じてみたいと思っています。

研究会の感想(石塚修)

今回の研究会の懇親会で、染谷先生のお向かいに座りましたために、「なんか報告を書きなさい」とのご下命、「慮外ながら」感想めいたものをしたためますが、「推参」と思われたらご海容下さい。そもそも、この書き出しがおわかりにならない方は、研究会に参加されればよかったと歯ぎしりあそばすことでしょう。

さて、今回は、西鶴の武家物の発表が3本。豪華絢爛の西鶴武家物祭でした。後半はやや血祭りとの声も参会者から飛び出すほどの質疑のやりとりでございました。さぁ、そのあたりは知る人は知るぞかし。

一本目は、大阪大学の大学院生仲さんのご発表。質疑のとき、N先生は「沖さん」と間違って何度も名指しされ、直されたときに、「花粉症だ」とごまかされていましたが、あれは、先生の「そろそろ沖に釣りに行きたい」という深層心理の表出であることを小生は見抜いていましたぞ。それはさておき、仲さんのご発表は『新可笑記』一の四「生肝は妙薬のよし」をとりあげ、浄瑠璃作品と『本朝二十不孝』との比較から、この章のテーマの読みを深めていくという趣旨でした。

論証経緯は飛ばして、最終的には、だました武士が出家して救済される仏教説話として読むべきだという主張であったかと存じます。仏教説話として読むということには、たくさんのご意見が出てきていて、この手の話をすべからく仏教説話としてしまうと、西鶴はなんのために『新可笑記』を書いたのかということにも関わることにもなりかねませんので、各章の「読み」をかえることは大切ですが、作品全体のテーマ性との関連をも含めて問題にしないとならないとの感を強くいたしました。

ご発表を伺っていて、いかに主命であっても偽坊主になって殺人を犯して生き肝をとった武士が良心の呵責に耐えられずに、母親に告白して出家し、母親も改めてその話を聞いて仏道への心を深めたという話は、じつは、救済というならば母親が救済されたのではないかと考えました。

以前に三浦綾子のエッセイで、わが子を殺した殺人犯が出所したあと、被害者の母親を謝罪のために訪ねたところ、泊まっていくように言われ、なんと枕を並べて寝て、母親がその犯人を母親として抱きしめてあげるという話がありました。懺悔と許容、そこにこそ宗教の普遍があるのではないでしょうか。

この話ももし仏教説話として読むならば、そのように読める可能性も感じました。

研究会の感想(石塚修)その2、につづく

2015年3月 2日

西鶴研究会のブログ、さまざまにご活用を(染谷)

西鶴研究会のブログが始まりまして、すでに篠原さん、井上さんの研究会前哨戦が始まり、まことに慶賀の至りです。会員のみなさんはもちろんこと、西鶴にご関心のある方はぜひ、この議論に乱入、いや一石を投じていただければと思います。気取って傍観などしてちゃダメですよ。それこそ、不好容儀(いやなかたぎ)と言われかねません。私もそのうち折を見て闖入したいと考えて居ります。

とはいえ、こうしたある種のテーマを持った議論も大事ですが、それとは別個にというか、勝手にいうか、ご自身の近況報告なども、どしどしお寄せいただければと存じます。また、西鶴に絡んだ簡単なエッセイなどでも結構です。よろしくお願いいたします。

と事務局長的にはここで終っても良いのですが、「先ず隗より」ということで、私の近況をすこし・・・。

最近、元外交官の佐藤優氏の本をよく見かけますね。印象的な御顔立ちの方で、あの鈴木宗男氏(こちらもかなり印象的な方ですが)に、外務省のラスプーチン(帝政ロシア末期の怪僧)のと言われた方です。それでというわけではないのですが、幾つか買って読んだところ面白くてハマってしまいました。特に面白いのが、外交官時代、ロシア(ソ連)に滞在していた時の話。丁度、ソ連が崩壊した時で、その市場の混乱ぶりの話がすこぶる面白い。

たとえば通貨ルーブルの価値が暴落、だれも御銭(おあし)を相手にしない。じゃどうやって経済が成り立ったのか、商品が流通したのかというと、御銭の代わりに煙草(マルボロ)とかお酒(ウォッカ)が大活躍したらしい。佐藤氏も日本から議員が来て食事などに招待した場合、ルーブルの代わりに煙草ワンカートンとか持っていくと、店員は極めて丁寧に応対してくれたとか。

かのマルクスは、貨幣が通用する前に貨幣に代わるものが通用する時代があると確か言っていましたが、まさにそれですね。日本では米や布だったわけですが、煙草・酒というのが如何にもロシアらしい。

佐藤氏は、こうしたソ連崩壊の中に資本主義のスタートが見えたと言っていました。

実はこれが、西鶴研究に則しても面白いんですね。というのは、こうした大混乱の中で起きたことが西鶴の町人物『日本永代蔵』『世間胸算用』のドタバタ悲喜劇とけっこう通じることです。たとえば『永代蔵』巻五の一「回り遠きは時計細工」の中に長崎に集まった手代たちが、主人がどうして分限(金持ち)になれたのか話をする場面があります。ここで語られるのは、その主人たちのほとんどが偶然やイカサマまがいの行動で金をせしめ、それから商売に成功したということです。佐藤氏の話の中にも、これに似た話がいくつも出て来ます。ソ連が崩壊した時、相当荒っぽい方法で金や物資を集めた人たちが、その後のロシアで企業展開していったらしい。西鶴が言う「その種(まとまった金)なくて長者になれるは独りもなかりき」(前掲章)です。

実は江戸時代初期が典型的だったらしいのですが、資本が初転してうまく展開するためには、相当な資金が必要で、その金は、植木等じゃないけれど、コツコツやる奴ではだめ、偶然か大ばくち、もしくは犯罪紛いの行動で手に入れたということなんです。かつて歴史学者の中井信彦氏が言ってましたが(『町人』小学館、一九七五年)、江戸初期の商家の手代たちで後にのし上がった人たちは「引負」「取り逃げ」(共に違法な使い込みのこと)で財をなしたんだと。西鶴も『永代蔵』巻一の三「浪風静に神通丸」で、当時の手代たちの多くが「自分商を仕掛、利徳はだまりて、損は親方 にかづけ」(「自分商」とは使い込みのこと)たと言ってます。それを禁じる御触、町触も多く出ています(京都町触集成、江戸正宝事録など)。

つまり、西鶴が同じく『永代蔵』で言っていた、「惣じて親のゆづりをうけず、其身才覚にしてかせぎ出し」(『永代蔵』巻一の一「初午は乗てくる仕合」)とか、「人は十三才迄はわきまへなく、それより廿四五までは親のさしづをうけ、其後は我と世をかせぎ、四十五迄に一生の家をかため、遊楽する事に極まれり。(『永代蔵』巻四の一「祈るしるしの神の折敷」)とか言うのは、ウソではないけれど、かなり稀というか希望的な話で、実際はやはり西鶴が言っていたように「銀が銀をもうけ」(『西鶴織留』巻三の三「色は当座の無分別」)るのが経済といか金融世界の常道・基本だったということです。

こうした強奪まがいの自由主義的貿易からスタートした日本の資本制だったわけですが、それでは社会が安定しません。昨今人気のトマ・ピケティ(『21世紀の資本』)が言うように格差は開くばかりで、経済構造自体が崩壊する可能性がある。そこで、既に儲けた人たちは何とか社会の安定(と同時に自分と富の保身)を考える。江戸時代にはそれが商家の暖簾分けを基本にしたイエ制度として現れたわけです。これで江戸時代は安定した。

ただ、この安定は固定でもあったわけですね。つまり昨今の格差是正という話も耳には心地よいけれど、その裏で変な法律が施行されたら大変です。要するに勝ち組が勝ち組として永続化するということでもあるのです。そんな話に乗っていいのかどうか。。。

さて、いささか脱線しましたので話をロシアに戻せば、大切なのは、ソ連崩壊とロシア経済の黎明に、江戸時代初期に日本で起きたことと同じようなことが起きていたということです。これはすこぶる面白い。つまり、西鶴の町人物の世界とは、別に過去の世界ではなく、現在でも社会主義・共産主義から資本主義へ移行するところ、または発展途上国の中などに見ることが出来るということです。

ちなみに、この2月中旬の2週間、ミャンマー(ビルマ)へ行ってきましたが、そこでも同じような体験をしました。

たとえばミャンマーに行く前に、国内でUSドルは使えるがピン札でないとダメだ、しかも折ったりしてもいけないという話を聞きました(ピン札というのは、日本でも結婚式の時とか必要なので分かりましたが、折ってはいけないというのには驚きました)。そこで銀行で両替したピン札を後生大事に持って行きまして、現地に着いてからチャット(ミャンマー通貨)に換えて使いました。同行した学生たちには、両替を鵜呑みにしてはいけないよ、ちゃんと自分で数えて確認しなさい、などと言ったのですが、そんな教訓をたれた私たち教員側にこんなことが起きました。

それは、ミャンマ-のパガン(パゴダ[仏塔]が多くある古代都市、世界の三大仏教遺跡の一つと言われる)に行った時のこと。ある店で食事をしたのですが、最後の支払いで出したチャット札を店の主人が受け取れないというのです。良く見ると、お札の端がほんの少し破れていて欠けています。他のチャット札もそんなに綺麗なものではないので(むしろ汚いので)、こっちはこれくらい問題ないだろうと言い返しましたが、向こうはエライ剣幕でダメの一点張り、結局受け取ってもらえませんでした。

旅の気分が台無しにされた話ではあるのですが、後で考えて見ると、折っちゃいけないUSドル札も、このキズもんチャットの話も、まだミャンマーでは貨幣が全き貨幣になっておらず、物の部分を残しているということなんでしょう。

ご承知のように『永代蔵』には悪銀を掴むなという話がいくつも出て来ます。江戸時代の大阪は銀遣いで天秤をつかった計量取引でしたから(ちなみにミャンマーにこの天秤がありました)、銅などを交ぜた粗悪な銀も出回っていて、それを掴まないことが商人の見識の一つとされていました。

ミャンマーの店主から見れば、悪銀をつかんだお前たちが悪いということなんでしょうね。

それから、ミャンマー最大の都市ヤンゴンへ行きました。ちょうどホテルの近くが様々な商店(問屋)街でした。パガンのような事件?があったからでしょうか、興味津津で散策すると、これが実に面白い。人を撥ねるばかりの車やバイク、強烈な悪臭、そうした中の取引する声や若い店員を怒鳴りつける声。まさに生き馬の目を抜くようなエネルギッシュな喧騒世界は、綺麗で清潔になった日本が失ったものです。そして、それこそ『永代蔵』の世界そのものでした。

前々から西鶴の町人物の世界を理解するためには、文献を漁るだけじゃなくて、今まさに資本制が立ち上がろうとする、世界の都市をみるのも役立つんじゃないかと漠然と思っていましたが、今回の旅でそれは確信になったような気がします。

ちなみに、3月中旬には台湾に行ってきます。こちらの商売は様々な神様と合体しています。『永代蔵』にも多くの神様が登場しますが、商売と神は切っても切れない関係にあります。噂によれば、今をときめく六本木ヒルズあたりのIT長者も神棚を飾っているとか。投機には運不運が付きまといますから、神様に頼る心情は良く分かるところです。その商売と神の根元的関係が、台湾にたくさん残っていそうです。

何か面白い話があれば、またご報告したいと思います。(以上)