2015年2月26日

「ルビンの壺」は顔でも壺でもない――篠原進さんの批判に接して(井上泰至)

 書くこととは、〈賭け〉ることです。篠原さんの論文を読んで、最初にこのことが浮かびました。書いた当人が予想もしなかった受け取り方も当然生まれます。しかし、そのことも含めて、書いた人間は責任を負わなければならないでしょう。さて、私の〈賭け〉は、勝ちか、負けか、はたまた引き分けなのか、投了なのか。それは当事者以外の判断にゆだねるべきでしょう。

 この文章は、篠原論文への正面からの応答ではありません。それは本来、私の論文に向けられた疑問の、根拠となる部分について、きちんとした答えを用意して、正式な論文の形で行われるべきものです。

 今ここでは、HPにアップするというスピーディな対応を取られた篠原さんにお応えすべく、あえて拙速を尊び、批判論文を読んで感じた私なりの問題意識を書きつけておくことで、期せずして武家物特集の様相を呈した、来る西鶴研究会の建設的な議論につなげたいと思います。「篠原さん」と呼ばせて頂いているのもそういう理由からです。

 そもそも私の論文の標的は、三つありました。これは西鶴研究会の折にもはっきり申し上げたし、論文の副題にも挙げていますが、まずは中村幸彦氏の「武道」解釈です。私の近著『近世刊行軍書論』自体が、氏の小学館古典文学全集(「英草紙」などの入った巻)の月報にあった軍書についての見方から出発しているくらいで、氏の研究は仰ぎ見る指針なのですが、西鶴の「武道」を、時代がずれる貝原益軒の『武訓』などを引いて、人倫全体に一般化して解釈してゆくのには異論がありました。

 そして、この中村氏の解釈は、篠原さんも今回の論文で認めているように、その後きちんと受け止められず、私には「なんとなく」批判もされず、通用しているように見えたのです。「武道」という言葉の来歴を洗えば、そのような見方にならないことは、既に書きました。

 もちろん、篠原さんが今回問題にしているように、私の論文では、西鶴の「武道」の用例を全部挙げず、『武道伝来記』の用例のみ、それも自明と思えるものは措いて検討しただけです。篠原さんが私の論に納得いかないのは、一つはそこにあったことはよく理解できます。「武道」を「武士」と解釈する立場も含め、今回篠原さんが疑問の根拠とされた諸用例について私なりの考えはありますが、そこは機会を改めて意見を述べたいと思います。今は、冗長を嫌うあまり、用例の検討を徹底して挙げなかったことを反省するばかりです。

 二つ目の標的は、西鶴本の読者と軍書の読者は違う、とする「常識」です。これについては、単行本にこの論文を入れる際、補記の形で、甲州下井尻村の郷士が双方を熱心に読んで抜き書きしている例(横田冬彦「「牢人百姓」依田長安の読書」「一橋論叢」一三四参照)や、『葉隠』に『男色大鑑』からの引用があることなどを指摘しておきました。拙論初出時、中野三敏先生からも、「大名蔵書に好色物・町人物はない、まず武家物だ」と賛意を表して頂いたのですが、これは私も軍書調査で得た実感です。

 今回の篠原さんの論文には、双方の読者が違うと思うとは書いてあるが、その具体的根拠も、私の挙げた根拠への批判もありません。西鶴本と、堅い長大な軍書とでは読者が違うと考えたくなる気持ちもわからないではないです。しかし、だからこそ「武道」は焦点化してこなかったのではないでしょうか?『近世刊行軍書論』の全体を読んでいただければ、寛文・延宝期以降の軍書は娯楽性も濃くなり、当然読者層が拡がったことはご理解いただけるはずですし、その前の時代に出た堅い『甲陽軍鑑』すらが、元禄には小本として、軍談中心の編集がなされ、娯楽読み物化していること、さらには『武道伝来記』の翌月に出された『諸国敵討(武道一覧)』の多くが『甲陽軍鑑』を引用している事実は、当の批判されている私の論文に書いたことですが、これには批判も言及もありません。これ以上の議論は平行線となりますが、少なくとも、私の提示したこれら数々の根拠への問題点を示すか、あえて私とは違うご意見を下される根拠を示して頂くことを切に願うものです。

 さて、三番目の標的は、『武道伝来記』を「敵討」の方面から論じてきた傾向です(もちろんこれが全てだとは言いません。「主に」と書きましたが、この傾向が論の「主流」であるか否かについては、改めてきちんと整理し直しましょう)。角書にある「敵討」は趣向に過ぎず、「武道」こそが、一度正面から論じられるべきなのは、この作品がまともな敵討ちが必ずしも描かれていないことで従来から議論になってきたことや、その書名から見ても当然のことに思えましたが、そういう論文が皆無だったことが私には驚きでした。そういう傾向の背後には、西鶴と「武道」のような勇ましい言葉は、結びつくはずがない、というバイアスすらあるのではないかという疑問から私の研究は始まったわけです。

 私の論文に対して、西鶴研究会の発表以来受けた感触では、一番点数の辛い篠原さん(発表時、「今回だけは許す!」とおっしゃったのには面喰いました)すら、「武道」という言葉を正面に据えて考えることは一旦認めた上で、「勇武の意味の「武道」」の裏に蓄光されたそれ」に焦点を当てて論じられた今回の篠原さんの「姿勢」には、「我が意を得たり、蛮勇を振るって西鶴を論じてよかった」と心から喜んでいます。篠原さんも、当代の武家への皮肉な視線を読み取る、私の立場には賛成して頂いています。もちろん私と篠原さんの立場の違いはあって、それは西鶴が勇武の「武道」に本気で与していたかという点であることも、先の「武道」の用例の検討から明らかです。

 篠原さんがよく言及される、ルビンの壺は、顔なのか壺なのか、それも大事ですが、表裏一体の形そのもの(=武道)が前景化したことが、今回の応酬での一番の成果ではなかったかと勝手に自画自賛しています。私は、西鶴は顔も壺もありの人だと狙いをつけていますし、今度の西鶴研ではそういう発表をする積りです。また、胸をお借りできれば幸いです。

2015年2月25日

西鶴研究会のブログ、スタートします

西鶴研究会は、今までHPを主たるメディアとしてきましたが、
40回目の研究会を機に、ブログとして改めてスタートすることになりました。
よろしくお願いします。

そこで早速お届けするのが、篠原進氏の『武道伝来記』論です。

篠原進「『武道伝来記』の〈不好容儀(いやなかたぎ)〉」(「青山語文」45、掲載予定)
http://kasamashoin.jp/saikaku/2015/02/45.html

このご論考はこの3月26日(木)の研究会で行われる武家物の3発表、とりわけ井上泰至氏のご発表にむけての前哨戦というスタイルを取っています。
ゴングが鳴る寸前に、場外からいきなり仕掛けるという実にスリリングな展開です。(譬えがあまり良くないかも知れませんが・・・)

研究会当日が実に楽しみになってきました。

ちなみに、今回の発表3本は全て武家物であることが象徴するように、今、西鶴研究では武家物の見直しが盛んです。

従来、他の町人物、好色物等に比べて、一等評価の低かった武家物に、新たな光が当てられつつあります。

とはいえ、好色物についても、昨年末の12月6日(土)に国文学資料館で春画・春本を問題にしたシンポジウム「男たちの性愛」が開かれたことが象徴するように、従来にはない斬新な視覚から光が当てられつつあります。

また、巷では、従来の資本制の考え方を覆したトマ・ピケティの『21世紀の資本』が13万部以上も売れて大騒ぎになっていますが、この資本制の歴史的な見直しは、西鶴の町人物評価にも波及することは必定です。

いずれにしても、西鶴研究が新たな時代に入りつつあることは確かです。

このブログを、そうした新しい西鶴研究に向けて役立てていただけたら嬉しいかぎりです。

ご意見、ご感想をお寄せください。
(少し長めのご意見などは、別途、西鶴リポジトリに載せる場合があります)

なお、採否はご一任ください。

染谷智幸(西鶴研究会事務局長)

篠原進「『武道伝来記』の〈不好容儀(いやなかたぎ)〉」(「青山語文」45、掲載予定)

西鶴研究会のみなさまへ

篠原進
 
 今年3月26日(木)の第40回研究会(午後13時30分から。青山学院大学総研ビル9F16会議室)では、仲、浜田、井上3氏のご発表が予定されています。そのどれもが所謂武家物。武家物が人気ですね。

 思えば第35回の西鶴研究会において井上泰至氏が挑発的なご発表をなさったのは、今から2年半前(「『武道伝来記』の「武道」」2012・8・23)。その後も井上氏は『近世刊行軍書論』(笠間書院・2014)、田中康二氏と共編『江戸文学を選び直す』(同)などで西鶴武家物、とりわけ『武道伝来記』についてのご研究を次々と提示なさっておられます。

 そうした学恩に少しでも報いるために当方も何か書かなくてはと思いながらも、忙しさにかまけ、忸怩たる思いを抱いたまま時間ばかりが経ってしまいました。ただ、昨年は井上氏の二書の他、佐々木昭夫氏『近世小説を読む―西鶴と秋成―』(翰林書房)も上梓されたこともあり、さすがに潮時と考え、昨夏は『武道伝来記』を読みなおしてみました。

「勝手読みの愚」(佐々木昭夫氏)そのもので、拙く貧しい仕事ですが、塩村耕氏や陳羿秀氏のお仕事に触発され、山雲子作とされる『人倫糸屑』の「不好容儀」に焦点をあて、『武道伝来記』の別な側面を考えてみたつもりです。今回のご発表の「前座」にもなりませんが、ご笑覧下さい。

 昨秋には脱稿していたのですが、紙媒体での発表にあまり先行してはと考え、この時期になってしまいました(まだ、校正中です)。どうぞ、お赦し下さい。

篠原進「『武道伝来記』の〈不好容儀(いやなかたぎ)〉」(「青山語文」45、掲載予定)
http://kasamashoin.jp/saikaku/saikakupic/shinohara20150225.pdf

 余談ですが、西鶴研究会編『西鶴が語る 江戸のラブストーリー』(ぺりかん社)が4刷に入ったとの御由(有働さんありがとうございました)。多くの方が、西鶴に触れて下さるのは歓迎すべきことです。これも会員のみなさまのご尽力の賜です。心より感謝申し上げます。

2015年2月24日

第40回・西鶴研究会(2015年3月26日(木)、青山学院大学 総合研究ビル9階、第16会議室)

日時    3月26日(木) 午後1時30分より6時まで
※通常より30分早く開始です。
場所    青山学院大学 総合研究ビル9階、第16会議室
内容    研究発表、並びに質疑応答、討議

1:30~2:15 仲沙織氏
2:15~2:50 (質疑応答)
2:50~3:00 休憩
3:00~3:45 浜田泰彦氏
3:45~4:20 (質疑応答)
4:20~4:30 休憩
4:30~5:15 井上泰至氏
5:15~5:50 (質疑応答)
5:50~6:00 連絡事項等

◆『新可笑記』巻一の四「生肝は妙薬のよし」考

大阪大学(院) 仲沙織

『新可笑記』(元禄元年十一月刊)巻一の四は、典拠として孝女の生肝がとられるも仏が身代わりとなって命が助かるという枠組みの先行作品、古浄瑠璃 『阿弥陀胸割』(冨士昭雄氏)・『清水寺利生物語』(広嶋進氏)が既に指摘されている。しかし、巻一の四では典拠のような仏の奇瑞は起こらない。冒頭に 「忠ある武士孝ある娘の事を語りつたへり」とあるが、巻一の四は生肝をめぐって、主君のために「忠ある武士」が「孝ある娘」を殺害する内容となっている。
先行研究においては後半部の武士による発言の内容も含め、〈忠〉と〈孝〉との関係性―その矛盾や対立などが中心に論じられてきた。本発表ではこの問題と結 末における侍の往生の意味について考察を行う。また、従来殆ど顧みられてこなかった母親や周囲の人物の設定における工夫、そして『本朝二十不孝』巻二の二 「旅行の暮の僧にて候」との関係を指摘し、巻一の四の新たな読みを試みる。


◆『武家義理物語』をどう読むか?
― 巻二の一、巻二の二の敵討事件と序文をめぐって ―

佛教大学 浜田泰彦

 『武家義理物語』(以下、『武家義理』。)「身代破る風の傘」(巻二の一)と「御堂の太鼓打つたり敵」(巻二の二)は、二編一連の物語である。また同時に、貞享4年6月に発生した御堂前敵討事件を取り込んだ際物でもある。
 『武家義理』刊行直前の事件より材を得た上記二話は、本部実右衛門と島川太兵衛(後に「本立」と改名し、出家)が、阿波新橋での衝突事件により敵討ちへ と展開したため、本作序文の「時の喧嘩・口論自分の事に一命を捨ることはまことの武の道にはあらず」なる一文に矛盾するのではと指摘されてきた。たとえ ば、吉江久弥氏はこの一件を「武士の本意に外れた行為であ」ると指摘した上で、『武家義理』は「肯定的主題」に「否定的主題を副え」た「複合の主題から構 成せられ」た作品であると総括する(「『武家義理物語』論―『武道初心集』との関係から」『西鶴 人ごころの文学』1988年・和泉書院)。
 だが、はたして西鶴が刊行直前に発生した事件を、わざわざ「否定的主題」として取り入れるであろうか? 
 実際、敵討の契機となった事件の場面を読み直すと実右衛門は、太兵衛と傘が接触したのを咎めたのではなく、太兵衛が「これは慮外」と「推参なる言葉」を かけられたために、武士として引くことができなくなったと描写されている。その意味で、「時の喧嘩・口論」には該当しないのではあるまいか。
 本発表では、西鶴が御堂前の敵討ちを「武士の本意」として描いたという立場から、解釈を行っていく。

◆近世刊行軍書と『武家義理物語』― 青砥説話の生成と展開
               
防衛大学校 井上泰至

元禄を十七世紀の文化・文学の頂点に位置づけ、寛永・寛文期をそれへの助走と考える見方を一旦措いて、むしろ寛永・寛文の文化にはそれぞれ代替え不 可能な価値があり、十七世紀の文学史を、隣接他分野からの視点も導入して、新たな視点から捉え直す。――この課題に取り組むに当たって、西鶴とその時代に 繋がる武士道観を探索していくやり方をすると、後世の展開を知っている我々の予見から、寛永・寛文の文化・文学を矮小化して捉えてしまう危険性がある。
通説の武士道観は、戦国の気風を残した、暴力を推奨する「武道」「武士道」から、太平の世に適応した官僚的な「士道」への変化を見てとる考え方で、西鶴の 武家物理解にもこの公式を当てはめられてきた。しかし、「武士道」から「士道」へという公式は、近代の倫理学の成果に過ぎず、その変化が画期的になされた ものでもない以上、こうした公式の当てはめは、「慶応三年(一八六七)に、「吾輩は猫である」「こころ」の作者、夏目漱石が生まれた」という「歴史叙述」 のような、現代と当代を無造作に混在させるやり方と同断である。西鶴は「武士道」「士道」の双方を意識しており、かつ現実の武士の間では元禄に近いあたり まで、勇武の武道は実践されており、そこに近代の倫理思想史からイメージしがちな公式的な転化は求むべくもない。
今回は、『武家義理物語』巻一の一「我物ゆへに裸川」を取り上げる。この話は、作品の顔となる冒頭話であると同時に、寛永・寛文期にそれぞれ重要な軍書で 取り上げられた青砥藤綱の説話を取りこんで、そこに新たな視角を導入した西鶴版青砥説話となっており、西鶴の小説的達成という公式に乗ることなく、「士 道」的なるものがどのように説話として形成・流布され、そのイメージをどう使いながら西鶴は己の小説を書いたのかを問うのに格好の題材が揃うからである。

2015年2月23日

会則・役員(2016-2017)

西鶴研究会 会則
第 1 条(名称)本会は、西鶴研究会と称する。
第 2 条(目的)本会は、井原西鶴とその文学作品を研究し、その成果を社会に広く還元することを目的とする。
第 3 条(事業)本会は前条の目的を達成するために以下の事業を行う。
(1) 研究会の開催
(2) その他の講演会・座談会・催し物の開催
(3) 学術雑誌及び図書の編集・刊行
(4) 会員の研究補助及び新人の育成
(5) その他本会の目的を達成するに必要な事項
第 4 条(会員・会費)本会は井原西鶴の研究・教育・啓蒙に関心を持ち、本会の趣旨に賛同するものを会員と する。会員は会費(年 1,000 円)を負担する。
第 5 条(運営・役員)本会に以下の役員を置く。
(1) 事務局長 1名(任期 2 年、再任を妨げない)
(2) 事務局 若干名(任期 2 年、再任を妨げない)
(3) 会計 若干名(任期 2 年、再任を妨げない)
(4) 会計監査 若干名(任期 2 年、再任を妨げない)
役員の選出は別に定めた内規による。
第 6 条(事務局長)事務局長は本会を代表する。
第7条(総会)年 1 回、総会を開く。総会は予算・決算並びに重要な事項について審議決定するものとする。
第 8 条(会計)本会の経費は会費及びその他の収入による。
第 9 条(会計報告)本会の会計報告は会計監査の監査を受け、総会に提出して承認を受けるものとする。
第 10 条(会計年度)会計年度は毎年 4 月 1 日より翌年 3 月 31 日までとする。
付則 本会則の変更は総会の承認を受けるものとする。
2012/03/22 総会決定


2016・17年度役員
事務局長 染谷智幸
事務局 篠原進・杉本好伸・広嶋進・有働裕
会計 畑中千晶
会計監査 井上和人