2013年3月22日

第36回・西鶴研究会(2013年3月22日(木) 午後2時~6時、青山学院大学 総合研究ビルディング 10階 第18会議室)

日程     第36回
2012年3月22日(木)
午後2時〜6時
場所     
青山学院大学 総合研究ビルディング 10階 第18会議室 

◆共同討議「発熱する胡桃」                       

青山学院大学 篠原進
山口県立大学 木越俊介

すでにご承知の通り、木越俊介氏のご論文「西鶴に束になってかかるには」(『日本文学』2012年10月号)に対して、篠原進氏が「発熱する胡桃―木越俊介氏の挑発に応える」と題されたご論文を笠間書院のブログ上に発表され、話題となりました。その後、

・篠原進氏のスピード反論(忘却散人ブログ)
・西鶴の政治性(閑山子余録)
・西鶴の政治性 続 (閑山子余録)
・応答の途(THIS WHEEL'S ON FIRE)
・西鶴研究会掲示板http://ihasai.bbs.fc2.com/
(有働裕、飯倉洋一、井上泰至の各氏、並びに染谷智幸の書き込みあり)

 と議論の深まりを見せました。(詳しくは笠間書院のブログをご覧ください)

 今回の木越氏と篠原氏のやり取りは、西鶴研究を考える上で重要で良質な問題を多々含んでいると思われます。そこで、事務局内で話し合った結果、今回の問題を俎上に載せた共同討議を行うことにいたしました。内容としましては、

(1)篠原氏によるご発表
       木越論文を取り上げた意図と、そこから広がる問題点について(30     分〜40分程度)
(2)木越氏からの批評とコメント
      ご自身の問題提起の意図についても再提起をいただく(時間は30分     程度)
(3)お二人のやり取りを踏まえての全体討議(時間は40分〜50分程)
   司会(有働裕氏)

を予定しております。

 会員の皆さまにおかれましては、お二方のご論文、如上の反応などを踏まえて、当日、積極的なご意見を賜りますよう、お願い申し上げます。       (文責染谷)

◆髑髏はだれのものか―「因果のぬけ穴」小考

          都立産業技術高専(非) 糸川武志

 『西鶴諸国はなし』巻三の七「因果のぬけ穴」は、敵を討ちに行って親の首を打つことになり、それでもなお果たそうとして返り討ちにあう悲惨な話である。『堪忍記』巻三、あるいは『源平盛衰記』巻二十の六「楚効刑保の事」が典拠であり、但馬国七味郡村岡での近藤源太兵衛の敵討に想を得たとされる。因果を示す髑髏についても、『荘子』至楽篇の髑髏問答との関連が指摘されている。
 典拠・題材は明らかになってきたが、それぞれのつながりと本話の主題については、議論の余地があるように思われる。本発表では、『諸国はなし』と少なからず影響関係にある『新御伽婢子』巻一の四「髑髏言」の介在を考えてみたい。また、やむを得ず打ち落とした父「判右衛門」の首を埋めようとして出てきた髑髏については、これまで、敵討の原因となった伯父「判兵衛」の誤りとされてきた。文章、文脈上の問題だけでなく、ついさっきまで目の前に置いて語りかけた父の首があるにもかかわらず、髑髏もまた父のものであるという構成の不整合さ故である。けれども、本文どおりの解釈の可能性はないのだろうか。あくまで可能性にとどまるが、この失敗した敵討譚が因果で収められている意味を問うことになると考えている。無視される定めと逃れ難い因果のゆれの中に本話の主題性を求めてみたい。

*本来なら研究発表を前にすべきですが、発表者のご予定もあり、共同討議を前にもってまいりました。ご了承ください。(染谷記)

     

◆共同討議「発熱する胡桃」                      

青山学院大学 篠原進
山口県立大学 木越俊介

すでにご承知の通り、木越俊介氏のご論文「西鶴に束になってかかるには」(『日本文学』2012年10月号)に対して、篠原進氏が「発熱する胡桃―木越俊介氏の挑発に応える」と題されたご論文を笠間書院のブログ上に発表され、話題となりました。その後、

・篠原進氏のスピード反論(忘却散人ブログ)
・西鶴の政治性(閑山子余録)
・西鶴の政治性 続 (閑山子余録)
・応答の途(THIS WHEEL'S ON FIRE)
・西鶴研究会掲示板http://ihasai.bbs.fc2.com/
(有働裕、飯倉洋一、井上泰至の各氏、並びに染谷智幸の書き込みあり)

 と議論の深まりを見せました。(詳しくは笠間書院のブログをご覧ください)

 今回の木越氏と篠原氏のやり取りは、西鶴研究を考える上で重要で良質な問題を多々含んでいると思われます。そこで、事務局内で話し合った結果、今回の問題を俎上に載せた共同討議を行うことにいたしました。内容としましては、

(1)篠原氏によるご発表
       木越論文を取り上げた意図と、そこから広がる問題点について(30     分〜40分程度)
(2)木越氏からの批評とコメント
      ご自身の問題提起の意図についても再提起をいただく(時間は30分     程度)
(3)お二人のやり取りを踏まえての全体討議(時間は40分〜50分程)
   司会(有働裕氏)

を予定しております。

 会員の皆さまにおかれましては、お二方のご論文、如上の反応などを踏まえて、当日、積極的なご意見を賜りますよう、お願い申し上げます。       (文責染谷)

◆髑髏はだれのものか―「因果のぬけ穴」小考

          都立産業技術高専(非) 糸川武志

 『西鶴諸国はなし』巻三の七「因果のぬけ穴」は、敵を討ちに行って親の首を打つことになり、それでもなお果たそうとして返り討ちにあう悲惨な話である。『堪忍記』巻三、あるいは『源平盛衰記』巻二十の六「楚効刑保の事」が典拠であり、但馬国七味郡村岡での近藤源太兵衛の敵討に想を得たとされる。因果を示す髑髏についても、『荘子』至楽篇の髑髏問答との関連が指摘されている。
 典拠・題材は明らかになってきたが、それぞれのつながりと本話の主題については、議論の余地があるように思われる。本発表では、『諸国はなし』と少なからず影響関係にある『新御伽婢子』巻一の四「髑髏言」の介在を考えてみたい。また、やむを得ず打ち落とした父「判右衛門」の首を埋めようとして出てきた髑髏については、これまで、敵討の原因となった伯父「判兵衛」の誤りとされてきた。文章、文脈上の問題だけでなく、ついさっきまで目の前に置いて語りかけた父の首があるにもかかわらず、髑髏もまた父のものであるという構成の不整合さ故である。けれども、本文どおりの解釈の可能性はないのだろうか。あくまで可能性にとどまるが、この失敗した敵討譚が因果で収められている意味を問うことになると考えている。無視される定めと逃れ難い因果のゆれの中に本話の主題性を求めてみたい。

*本来なら研究発表を前にすべきですが、発表者のご予定もあり、共同討議を前にもってまいりました。ご了承ください。(染谷記)
その他     司会は前回発表者の予定です

    

◆共同討議「発熱する胡桃」                      

青山学院大学 篠原進
山口県立大学 木越俊介

すでにご承知の通り、木越俊介氏のご論文「西鶴に束になってかかるには」(『日本文学』2012年10月号)に対して、篠原進氏が「発熱する胡桃―木越俊介氏の挑発に応える」と題されたご論文を笠間書院のブログ上に発表され、話題となりました。その後、

・篠原進氏のスピード反論(忘却散人ブログ)
・西鶴の政治性(閑山子余録)
・西鶴の政治性 続 (閑山子余録)
・応答の途(THIS WHEEL'S ON FIRE)
・西鶴研究会掲示板http://ihasai.bbs.fc2.com/
(有働裕、飯倉洋一、井上泰至の各氏、並びに染谷智幸の書き込みあり)

 と議論の深まりを見せました。(詳しくは笠間書院のブログをご覧ください)

 今回の木越氏と篠原氏のやり取りは、西鶴研究を考える上で重要で良質な問題を多々含んでいると思われます。そこで、事務局内で話し合った結果、今回の問題を俎上に載せた共同討議を行うことにいたしました。内容としましては、

(1)篠原氏によるご発表
       木越論文を取り上げた意図と、そこから広がる問題点について(30     分〜40分程度)
(2)木越氏からの批評とコメント
      ご自身の問題提起の意図についても再提起をいただく(時間は30分     程度)
(3)お二人のやり取りを踏まえての全体討議(時間は40分〜50分程)
   司会(有働裕氏)

を予定しております。

 会員の皆さまにおかれましては、お二方のご論文、如上の反応などを踏まえて、当日、積極的なご意見を賜りますよう、お願い申し上げます。       (文責染谷)

◆髑髏はだれのものか―「因果のぬけ穴」小考

          都立産業技術高専(非) 糸川武志

 『西鶴諸国はなし』巻三の七「因果のぬけ穴」は、敵を討ちに行って親の首を打つことになり、それでもなお果たそうとして返り討ちにあう悲惨な話である。『堪忍記』巻三、あるいは『源平盛衰記』巻二十の六「楚効刑保の事」が典拠であり、但馬国七味郡村岡での近藤源太兵衛の敵討に想を得たとされる。因果を示す髑髏についても、『荘子』至楽篇の髑髏問答との関連が指摘されている。
 典拠・題材は明らかになってきたが、それぞれのつながりと本話の主題については、議論の余地があるように思われる。本発表では、『諸国はなし』と少なからず影響関係にある『新御伽婢子』巻一の四「髑髏言」の介在を考えてみたい。また、やむを得ず打ち落とした父「判右衛門」の首を埋めようとして出てきた髑髏については、これまで、敵討の原因となった伯父「判兵衛」の誤りとされてきた。文章、文脈上の問題だけでなく、ついさっきまで目の前に置いて語りかけた父の首があるにもかかわらず、髑髏もまた父のものであるという構成の不整合さ故である。けれども、本文どおりの解釈の可能性はないのだろうか。あくまで可能性にとどまるが、この失敗した敵討譚が因果で収められている意味を問うことになると考えている。無視される定めと逃れ難い因果のゆれの中に本話の主題性を求めてみたい。

*本来なら研究発表を前にすべきですが、発表者のご予定もあり、共同討議を前にもってまいりました。ご了承ください。(染谷記)

その他     司会は前回発表者の予定です