2006年8月24日

第23回・西鶴研究会(2006年8月24日(木)午後1時~6時、青山学院大学 総合研究ビルディング 10階 第18会議室)

*なお、前日に国文学資料館にて、ダニエル・ストリューブ研究会が行われます。
こちらにも是非ご参加ください。詳しくは、下の「その他」の欄をごらんください。

◇『好色一代女』と『徒然草』

パリ第七大学 ダニエル・ストリューブ

『好色一代女』の読み方や解釈については以前から多くの論争が行われ、喜劇なのか悲劇なのか、主題は風俗描写なのか一人の女の惨めな人 生なのかという問題が論じられ、研究が進んできた。今では、風俗描写でもあり、女の一生の物語でもあるという中間的な読み方が一般的だが、その二つがどの ように関わるかなどという問題が残されており、まだ定説に達していないようである。 今回の発表では、今までそれほど問題にされてこなかった『好色一代 女』と『徒然草』との関係に注意を向け、それを手がかりに『好色一代女』の構想や意味について考えてみたいと思う。『好色一代女』の典拠とされている作品 の多くが『徒然草』とも関係があることを出発点として、いわゆる「奉公人期」(巻2の3~巻4の4)の章の中から『徒然草』の影響が特に大きいと思われる 巻3の1と巻3の3を取り上げて、そこに演出される「作者像」を考察する。そしてほぼ同じ作者像が出ている巻1の1「老女の隠れ家」をも視野に入れて、作 者の代理とも見られる主人公「一代女」と、この女が語る懺悔という趣向の意味についても考えてみたいと思う。

◇西鶴作品における「我」の効果について

青山学院大学(非)

藤川雅恵

西鶴作品を読んでいると、突然「我」という人称が登場し、しばしば驚かされることがあ る。当初は第三者の視点で語られていたものが、「我」の出現により、突如一人称の視点に没入する現象のことである。これは、すでに野間光辰氏の論考によっ て、「一 はなしの方法・語り口の型(ロ)屈折式」と位置付けられており、さらに①作者(語り手)とほぼ同義の「我」と、②作中に登場する人物と同義 「我」の二種類に分類されているが(「西鶴五つの方法」・『西鶴新新攷』1981年、岩波書店)、これらが作品全体に及ぼす影響については言及されていない。ただし、前者については、『男色大鑑』に見られる「我(西鶴)」に注目し、「虚構化された「我」」の提示により、「書く自由を担保するもの」と解釈することが、すでに試みられた(篠原 進氏「『男色大鑑』の〈我〉と方法」・『青山語文』第27号、19973月)
 そこで本発表では、西鶴作品に登場する「我」を改めて拾い出して分類し、後者、つまり野 間氏の分類した②についての考察を試み、それを作品全体の〈読み〉に還元することを目的とする。とりわけ注目したいのは、『好色五人女』巻四「恋草からげ し八百屋物語」に出現する「我(お七)」で、ここに見られる一人称の役割と効果の考察を通して、「八百屋お七」の新たな人物像に迫ることを試みる予定であ る。

◇「西鶴独吟百韻自註絵巻」の諸問題

広島大学(院)

佐伯友紀子

 「西鶴独吟百韻自註絵巻」(以下、「独吟百韻」と略す)は、元禄五年頃の成立と推定さ れるため、西鶴晩年の俳諧観を表すものとして注目されてきた。しかしその注目は、自註部分に含まれる「当流」・「正風」・「心行」といった一部の語句に限 られていた。「独吟百韻」は、西鶴の俳諧観を説明するために利用されており、詳細な解釈を加えた上での作品自体の評価がなされているわけではないのであ る。
 加藤定彦氏は、「日本道に」の巻(新編日本古典文学全集『連歌集・俳諧集』所収)の作 品解説で、「独吟百韻」の自註部分について「彼の浮世草子と共通する素材・趣向・用語・用字が随所に散見し、西鶴の俳諧と浮世草子の関係を考える上で極め て興味深い」としながらも、自註については、共通する語句をもつ他作品の用例と語釈を掲げるのみで、解釈を行なっていない。「独吟百韻」を評価するために は、自註部分の解釈が必要不可欠である。
 本発表では、「独吟百韻」という作品自体を評価する一段階として、『西鶴織留』などの浮世草子や『俳諧のならひ事』・『俳諧石車』などの俳論を援用しながら、断片的にではあるが、自註部分について考察し、そこに現れた西鶴の表現意識を探っていく。
 また、自註部分の解釈の前段階として、百韻の句意を正確に読み取ることも必要不可欠であるが、これまでの解釈では疑問の残る用語もあ る。例えば、発句「日本道に山路つもれば千代の菊」の「日本道に」を、加藤定彦氏(前掲書)は、「にほんだうに」と読んでいるが、「やまとぢに」と読むこ とが出来るのではないかという私見を述べさせていただきたい。

◇合評、森耕一著『西鶴論-性愛と金のダイナミズム』(おうふう)

 前々回から合評会というスタイルで会員の著書を取り上げてきた。その目的は、紙数等の 制約が多い学会誌・新聞の書評欄では言及しにくい様々な問題を取り上げて、著者の提示した問題点を多角的に検討してみたかったからである。今回は第三弾と して上記のように森氏の該書を取り上げる。まず著者の森氏から20分ほど補足説明をしていだだき、後に自由討論に入る。会員諸氏の皆様には、該書の問題点の抽出および整理などを事前にお願いしておきたい。(染谷記)



○司会は前回発表者の予定です


ダニエル・ストリューブ研究会について

日時 8月23日(水)13時30分~17時00分
場所 国文学研究資料館 大会議室
主催 国文学研究資料館(招聘外国人研究員共同研究)
共催 西鶴研究会
プログラム
   13:30-14:30 杉本好伸氏研究発表
   14:45-15:45 広嶋進氏研究発表
               発表題目「西鶴作品と『徒然草』注釈書」
   16:00-17:00 中嶋隆氏研究発表
   17:30-20:00 ストリューブ先生を囲む西鶴研究者交流会
備考
 ・研究発表は1人40分、質疑20分
 ・西鶴研究会の方の参加を歓迎します。
 ・最後の交流会は食事をしながらとなります。


2006年8月 1日

西鶴研究会編『西鶴が語る江戸のラブストーリー―恋愛奇談集』(ぺりかん社、2006.8)

1139-0.jpg

西鶴が語る江戸のラブストーリー

著者 西鶴研究会編
西鶴が語る江戸のラブストーリー
 
1900円 + 税 (8% 税込:2052円)

ISBN4-8315-1139-0
ISBN978-4-8315-1139-3

2006 年発行

●版元公式サイト
http://www.perikansha.co.jp/Search.cgi?mode=SHOW&code=1000001270&word=%93%FA%96%7B%95%B6%8Aw

歌舞伎・浄瑠璃・小説・コミックなどでも知られる「八百屋お七」の悲劇を中心に、遊里の恋、武家の恋、男同士の純愛、とさまざまな愛の形を、井原西鶴作品の中から厳選。原文と口語訳、語注と解説を付した、刺激的な西鶴入門。目次●西鶴のラブストーリーへの招待/凡例/<町人の恋> 触れた手のぬくもり-『好色五代女』巻四「恋草からげし八百屋物語」/神鳴は恋の隔てか仲立ちか-その(ニ)/あまりて忍ぶ恋-その(三)/お七所計-その(四)/そして彼は生き残った・・・・・・-その(五) <遊里の恋> 胴斬り覚悟―『好色一代男』巻七の一「その面影は雪むかし」/遊郭のオセロー―『諸艶大鑑』巻五の三「死なば諸共の木刀」/遊女はまことの恋なりや-『諸艶大鑑』巻六のニ「小指は恋の焼きつけ」 <武家の恋> 黒子は妻の証―『武家義理物語』巻一のニ「黒子はむかしの面影」/気散じの遊興-『武家義理物語』巻五の五「身がな二つ二人の男に」 <男同士の恋> 男色の真髄―『懐硯』巻一の五「人の花散る疱瘡の山」/純愛の惨劇―『男色大鑑』巻二の二「傘持つても濡るる身」 <夫婦のかたち> 甲斐性無しの男と尽くす女―『世間胸算用』巻三の三「小判は寝姿の夢」/客と遊女の恋の行く末―『西鶴置土産』巻二の二「人には棒振虫同然に思はれ」/別れても好きな人-『万の文反古』巻二の三「京にも思ふやう成ることなし」 <恋愛奇談> 美女は身の敵―『西鶴諸国ばなし』巻五の四「闇がりの手形」/年の差カップルの真相-『本朝桜陰比事』巻一の八「形見の作り小袖」  もう一歩前へ-江戸の街に飛び出そう(八百屋お七関連地図)/遊郭について-遊女・遊里の光と陰/男色とは何か/本書の原典となった作品について/西鶴略年譜/文献案内―西鶴とその時代をより深く知るために/あとがき