2005年3月24日

第20回・西鶴研究会(2005年3月24日(木)午後2時~6時、青山学院大学 総合研究ビルディング 10階 第18会議室)

◇『本朝二十不孝』と『本朝孝子伝』 ~巻四の四「本に其人の面影」を中心に
愛知教育大学  
有働 裕


 かつて佐竹昭広氏は、『本朝二十不孝』は藤井懶斎の『本朝孝子伝』(貞享二年、西村孫左 衛門板行)の今世部の孝子二十人をことごとく親不孝者にすり替えたものであるとした。佐竹氏にとって『本朝二十不孝』を読むという行為は、「西鶴が本書の 中に秘匿した『本朝孝子伝』を、「二十四孝」説話と絡ませながら追跡する」こと、すなわち「謎解き」を楽しむことであったといえよう(『古典を読む26 絵入り本朝二十不孝』岩波書店・1990)。この佐竹氏の説は一時期それなりに支持されていたように思われる。
  一方谷脇理史氏は、『本朝二十不孝』と『本朝孝子伝』の読者とは全く乖離しており、前者が読まれる時に後者が意識されることなどはありえなかったと述べて、佐竹氏の「謎解き」の姿勢を全面的に否定した(『雅俗』1998)。確かに佐竹氏の発想にはかなり牽強付会というべきものが含まれてい るように思うが、両書の読者にまったく接点がなかったとまで断定してしまうのは妥当だろうか。一方は教訓書であり、一方は「慰み草」ではある。本としての 性質が異なっているのだが、ある時は教訓書を真剣に読み、またある時は気楽に浮世草子を読むというのは当然ありえた読者の姿ではなかったか

 
とすれば、『本朝孝子 伝』との関わりを「謎解き」的なものとは別の発想から考えてみる必要があろう。そもそも『本朝孝子伝』今世部とはどのような性質を持った説話群なのか。そ れと併置してみることで、『本朝二十不孝』の何が見えてくるのか。たとえば『本朝孝子伝』今世部二十話中の十三話は孝行者が国主等から表彰され褒美を賜る 話である。一方、『本朝二十不孝』には、不孝者の処罰や孝行者の表彰を国主等の公権力が行う例はほとんどない。巻四の四「本に其人の面影」だけが唯一の例 外といってよいだろう。このことは、いったい何を意味するのか。

 
明確な結論にたどりつけるかどうかいささか不安ではあるが、典拠探しや俳諧的手法とは異なった観点から、『本朝孝子伝』と『本朝二十不孝』を読み比べて考察してみたい。


西鶴文学の情報源 ~松前・北陸道の考察 
関西学院大学 

森田雅也 


 西鶴作品における個々の背景について考えると、全国に広く及んでいることは言うまでもない。
 もちろん、それらが西鶴の博学な読書圏から得られたと言えば、そのとおりかも知れないが、すべてがそうとは言い切れないはずである。このことは、西鶴文学に限らず、すべての文学における典拠研究の限界として、知るところである。
 書物以外の情報源。『西鶴名残の友』を読めば、西鶴には多くの人との交遊があり、その関係がもたらした情 報源をもとに作品化したのではないかと推察できるものも多々ある。 それらの検証に入る前に、西鶴作品を俯瞰し、その地域性について考えると、畿内、三都 に集中することは当然ながら、存外、遠隔の地、松前・北陸道を舞台とした作品が多いことに気がつく。
 例えば、『本朝二十不孝』巻四の四、『武道伝来記』巻二の四などの松前。『日本永代蔵』巻四の四、巻六の一の敦賀などである。発表においては、当時の海上交通路からの解明とともに、それらの作品の読みの問題について言及できればと考えている。ご批正いただきたい。


司会は前回発表者の予定です