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第45回、西鶴研究会のご案内
「タイとインドの男色文化、その多様性をめぐって」座談会速報(畑中千晶)
『男色大鑑』の座談会が開かれました(染谷)
25日の研究会寸感(染谷)
第43回西鶴研究会のご案内(染谷)
南氏のご発表について(有働裕)
木越治氏の研究会参加記
三月二十四日の研究会寸感(染谷智幸)
次回の西鶴研究会のプログラムが決まりました(染谷智幸)
京都近世小説研究会西鶴特集レポート(南 陽子)

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2017年7月20日

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●第45回、西鶴研究会のご案内

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第45回の西鶴研究会、以下のごとく開催いたします。

日時:2017年8月24日(木)午後2時~6時
場所:青山学院大学総合研究ビルディング会議室
   (詳しい場所は当日、1Fの入り口に掲示しておきますのでご確認ください)
内容:研究発表、質疑応答、シンポジウム、総会(2016、17年度)


シンポジウム、並びに全体の趣旨について

      西鶴研究会事務局長 染谷智幸

BL(ボーイズ・ラブ)と言えば、十数年ほど前までは、漫画好きの女性が密かに楽しむ世界だった。しかし、今では少し大きな書店に行けば、必ずと言って良いほど特設コーナーのある、一大エンターテインメント分野へと成長を遂げた。
そうした中、KADOKAWA/エンターブレインが、西鶴の『男色大鑑』をBL作品としてコミカライズし出版した。武士編、歌舞伎若衆編、無惨編の三冊である(末尾の写真参照)。『男色大鑑』全40話の内の半分、20話を気鋭のBL漫画家がコミカライズしたもので、出版直後から、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を中心に話題に上り、世上を大いに賑わした。
そこでこのシンポジウムでは、そのコミカライズを担当された漫画家のお二人をお招きして、西鶴や古典のコミカライズについて様々な視点から考えてみることにしたい。
なお、それに先だって、日頃大学の授業で、コミカライズの問題を学生と研鑽・検証しておられる佛教大の浜田泰彦氏に、授業での成果や問題点について、学生のみなさんと共に発表していただくことにした。
題材は西鶴ではないが、古典のエンタメ化という観点から、『男色大鑑』や西鶴のコミカライズと共通する問題が導き出されるはずで、視点を広げる意味でも重要と考え、ご発表をお願いした。

研究発表、並びに質疑応答
◆キャラクター・小野篁のコミカライズとその受容
―「教養」の逆回路としての現代エンタメ ―

佛教大学 浜田泰彦(+自主ゼミ)
 
冥府を描く江口夏美のマンガ『鬼灯の冷徹』(二〇一一年~、講談社)には、様々な古典文学作品中のキャラクターが登場する。本作で登場する小野篁は難字を読み解いた伝説で知られ、「頭脳明晰」の性格が長い間付与されてきたが、それとの関連性の強い冥官説話が本作の起点となっている。ただし、多くの説話類が採用する閻魔王の補助役ではなく、本話は極めて合理的理由から秦広王の第一冥官に設定変更されている。
 一方で閻魔王冥官としての篁も現代小説では健在であり、加門七海『平安朝妖異譚くぐつ小町』(一九九九年・河出書房新社)および鈴木麻純『六道の使者―閻魔王宮第三冥官・小野篁』(二〇一一年・アルファポリス)の二作品を中心にとりあげ、「古典キャラクター」である小野篁の現在とそこに至るまでの経緯の一端を明らかにする。加えて、エンタメの世界における啓蒙的な古典の「教養」が古典作品にアプローチするための逆回路たり得ていることを指摘したい。
(※本発表は、浜田泰彦と佛教大学日本文学科学部生による共同発表である。)

◆シンポジウム
『男色大鑑』のコミカライズをめぐって  
                
《パネリスト》  大竹直子(漫画家)・松山花子/九州男児(漫画家)    
 畑中千晶(敬愛大学)・染谷智幸(茨城キリスト教大学、司会)

趣旨については先に述べたが、具体的な論点としては、

1)西鶴作品のコミカライズで留意されたところ、苦労されたところとは何か。
2)『男色大鑑』から自分が担当した短編を選んだ基準は何だったのか。
3)西鶴や古典をコミカライズする意義をどう感じているのか。
4)今後の古典とコミックの関係、未来について。

などを考えている。フロアーからも積極的なご意見を頂戴したい。
【シンポジウム発表者紹介】

大竹直子(おおたけ・なおこ)
歴史/時代/BL漫画家。1993年角川書店よりデビュー。主な作品に『写楽』『源平紅雪綺譚』『秘すれば花』『しのぶれど』『百々之助☆変化』(小池書院)、『白の無言』(竹書房)、『阿修羅の契』(小池書院)など。『男色大鑑―歌舞伎若衆編』『男色大鑑―無惨編』(KADOKAWA/エンターブレイン)に執筆している。ツイッターアカウントは★naokoohtake6969(★にアットマークを入れて下さい)

 松山花子/九州男児(まつやま・はなこ/きゅうしゅうだんじ)
四コマ/BL漫画家。1993年学研よりデビュー。主な作品に『やさしくしないで!』『わたしが会社へ行く理由』『課長の恋』などがある。『男色大鑑-武士編』『男色大鑑―歌舞伎若衆編』『男色大鑑―無惨編』(KADOKAWA/エンターブレイン)に執筆している。
ツイッタ-アカウントは★kyusyu_danzi(★にアットマークを入れて下さい)

*なお、今回は古典のコミカライズをテーマにする関係から、外部の方のご参加を40名を上限として、受け入れることにしました。お知り合いで、参加希望の方がいらっしゃいましたら、以下のホームから申し込みをするようにお知らせください。(ただし40名を越えるとフォームが打ち切りになりますのでご注意ください)

西鶴研究会参加申し込み用フォーム https://form.os7.biz/f/5eb846d5/

問い合わせ先  染谷智幸 メール:goku7788★gmail.com ★にアットマークを入れてください

2016年12月28日

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●「タイとインドの男色文化、その多様性をめぐって」座談会速報(畑中千晶)

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染谷さんと畑中の共同編集による男色研究書(仮題『男色のコミカライズとアジアの〈性〉』)に掲載予定の座談会が、昨日2016年12月27日、勉誠出版で行われた。

参加者はナムティップ・メータセート氏(タイ国チュラーロンコーン大学准教授)、ラージ・ラキ・セン氏(白百合女子大学非常勤講師)、坂東実子氏(東京外国語大学非常勤講師)と編者二人である。

シンポジウムなどを組む際には老・壮・青を意識するとバランスが取れてよいと言う。今回の座談会では、巧まずして老・壮・青が揃ったと自負する。もっとも、「版画について学ぶ講義」で「受けと攻めとか腐女子とか言い出して泡吹いて死ぬ」(2016.09.29学生ツイートより)と受講生に言わしめた染谷さんを「老」に位置付けては怒られそうであるが・・・。以下、速報ということで座談会の一端を披露したい。

タイは、仏教国であるがゆえに多様性を受け入れる下地があるということ。多様な性のありようについて、それをごく自然なことと捉え、前世からのカルマとして受け入れてきたということなど、ナムティップさんのお話を聞いていると、近代以前の日本社会の考え方とつながる部分があると感ずる。近世どころか、「何の因果か」という庶民の嘆きは、昭和(一ケタ?)世代くらいまでは共有していたのではないだろうか。「業」や「因果」のせいにすることを拒むようになった今日、その分、親の責任・教師の責任論が強まり、結果として息苦しさは増すばかり・・・等々、昼食時、中華料理店の円卓に場を移してからも、さらに話に花を咲かせることとなった。

インドについては、イギリスによる統治前とその後とで、状況が一変したため、まずはこれを分けて捉えるべきということ。さらに、使用言語や宗教によっても事情が異なるということで、極めて複雑な文化状況であるといい、一口では説明が難しいようである。ラージさんのお話で特に興味をおぼえたのは、インド映画や小説における男色表象という切り口である。1924年に刊行された小説『Chocolate』を機に、Chocolateがインドで少年愛を象徴する語になったということ。また、娯楽映画では男色が直接描かれることはなく、芸術映画においてのみ、監督の思想を投影する形でLGBTQが描かれていることなど、映像も交えつつ詳細な紹介があった。

昨日の座談会を通じて最も印象に残ったことは、性について語ることが避けがたく政治性を帯びると言うこと、そして、発言者は常に強い覚悟を胸に発言の場に立っているということである。編者としてはもちろん、出席者の身にいかなる不利も及ばぬよう細心の注意を払わなくてはならない。だが、こうした緊張感によって、男色とは、やはりタブーの瀬戸際ともいえる領域であったと再認識した次第である。

2016年9月30日

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●『男色大鑑』の座談会が開かれました(染谷)

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勉誠出版の企画で、男色をテーマにした学術書を作ることになり、過日その中に載せる座談会を行いました。


テーマは「男色のコミカライズ」。昨今三冊のコミック版『男色大鑑』が(株)KADOKAWAから出たことをうけて、その関係者との座談となりました。このコミック本、たいへん売れているとのことで慶賀の至りです。

出席者はコミックライター&イラストレイターの大竹直子さん(今回、三冊中二冊に作品を発表されています)、KADOKAWA・コミックビーズロク編集部(今回の企画編集)の斉藤由香里副編集長さん、勉誠出版編集部の武内可夏子さん、敬愛大の畑中千晶さん(今回の三冊に解説をお書きになっています)と私(なんと男は私のみ)で、約5時間に渡って話は盛り上がりました。

その時の様子というか、内容を若干、拙ブログに書きましたので、お暇な方はご覧ください。

http://someyatomo.seesaa.net/

ブログの文章、座談の盛り上がりもあって、いささか辰弥に入れ込んでの話になってますが、やはり辰弥と西鶴の関係は徒ならぬものがあったと考えるべきで、その視点からどこまで読み込めるか一度チャレンジしても良いかと思っています。幸い、早川由美さんの「上村辰弥評の再検討」『西鶴考究』(おうふう、2008年)などの先学の優れた業績もありますので、それに導かれる形で書いてみたいと思っています。

上記の座談を収めた本の出版は来年の初夏を目指しております。

なお、西鶴に関する情報、どのようなものでも構いませんので、ありましたら染谷までお寄せください。このブログで紹介したいと存じます。

2016年8月28日

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●25日の研究会寸感(染谷)

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研究会(8月25日)寸感

みなさま、25日の研究会はご苦労様でした。

今回の参加は三十数名ということで、いささか少なめでしたが、例年になく落ち着いた?研究会になったかと存じます。いつものことですが、若干のご報告を記します。

今回は発表1本と著書の合評2本でした。発表は上阪彩香さんの「数量分析を用いた西鶴浮世草子24作品の文章比較」ということで、日本語の数量的・計量的研究の立場から、西鶴作品に挑もうという従来にない新しい角度からのものでした。日頃、印象批評が先行する文学研究にあって、数字という厳として動かしにくいものからのアプローチはなかなか新鮮でした。ちなみに、上阪さんは、今から十五年前に編纂された『新編西鶴全集』のデータベース化を主導された村上征勝氏(同志社大学)のお弟子さんです。

上阪さんの分析によれば、西鶴の24作品の中でも『万の文反古』と『嵐は無常物語』が他の西鶴浮世草子とは異なった特徴を持つとのことでした。その異なった数値を示したのは品詞の出現率で、『万の文反古』は動詞と助詞、『嵐は無常物語』は名詞、副詞、形容動詞で他の作品が持つ特徴から逸脱する「外れ値」を示したとのことでした。

私は質問で『文反古』のような書簡体小説の場合「候」(動詞)が多く使われる為、動詞が増えるのは止むを得ず、また簡潔な文体を志向するために助詞も省かれる場合が多いのではないかと指摘しました。ただ『嵐は無常物語』の場合は三つの品詞で「外れ値」を示すというのはやはり異常です。上阪さんも、こうした品詞出現率などは他の作家が真似ようとして真似できないと述べておられたと思いますが、『嵐は無常物語』についてはじっくり検討する必要があるのではないかと思いました。ちなみに『嵐は無常物語』は西鶴作品として認定されていますが、まだ確証はありません。版下が西鶴筆であることはほぼ間違いないところですが、版下が西鶴=西鶴作品とならないことは、『近代艶隠者』が示したことです。今後、この『近代艶隠者』や北条団水の作品、西村本の作品等と比較してみる必要があり、それによっては大きな問題になる可能性を秘めています。

いずれにせよ、作者を判定する場合、他人が真似することのできない法則や癖を明らかにし、それを基に一線を引くことができれば、かなり有力な判定材料になると思います。特に署名等のない西鶴本については貴重でしょう。ぜひ上阪さんには更にご研究を進めていただければと思いました。

次は合評です。

これについては実に様々なご意見が出ましたので、ここで総括をすることは出来ません。以下、私の感想を中心に少し述べるに留めます。まず宮澤照恵さんの『『西鶴諸国はなし』の研究』(2015年3月 和泉書院)です。宮澤さんは『西鶴諸国はなし』について長年研究を重ねられ一書にまとめられました。一書全てが『諸国はなし』研究というのは恐らく初めでではないでしょうか。今後、『西鶴諸国はなし』を研究する場合、必ず参照されることになる本であると思います。宮澤さんは実に様々な角度から『諸国はなし』に迫っていますが、重要なのは、その一つ一つが悉皆調査に徹している点です。都合のよい論点のみつまみ食いしてしまう論文が多い中(私のが典型ですが)、根気良く丁寧に調べ尽くしている点です。

そこで、その点を十分に認めつつ、研究会の折に時間がなくてお話しできなかった問題を一つだけ申し上げます。それは今も触れた諸本調査についてです。宮澤さんはほとんど全ての『諸国はなし』をご覧になってその版木や刷りの状況から、33頁にある諸本系統図を作られました。それによれば、初印本→早印本(1)→早印本(2)→次印本とされておられます。この展開・流れそのものについては私もほぼ首肯できると思います。しかし、これら全て同版であり、刊記等に大きな異同(他の出版書肆名の埋木等)がないとすれば、刷りの前後が若干あるとしても、あまり時期を措いてのものではないのではないかと思います。宮澤さんは細かい欠損や刷りのかすれなどを問題にしておられますが、ここから刷りの前後を決めるのはやはり無理があるでしょう。かすれているから、欠損があるから後とは言い切れませんし、本の保存状況によってもかなり違ってきますから。

それから、現存している諸本以外に初印本があるとの推測ですが、現存する全てが同版で大きく違っていないことから鑑みて、これとは別の初印があったと推測するのは難しいのではないでしょうか。もし初印があり、通常の刷りとして二三百が刷られたとすると、それらが一冊も現存せずに、残った全てが後印であるということの方が考えにくいと思います。そも「初版」と言わずに「初印」と言っているのは、版木が何時彫られたのか(版・刊)は分からないが、最初にまとまって刷られた時期を指示する意味で「印」としたのでしょうから、宮澤さんの指摘した「早印」は「初印」で良いと思った次第です。もちろん私は、諸本全てを見ていませんので何とも言い難い状況ですが、該書を拝読してそのような印象を持ちました。

次に、平林香織さんの『誘惑する西鶴-浮世草子をどう読むか』(2016年2月 笠間書院)です。該書は宮澤さんと違って、西鶴を全方位的に捉えようとしたものです。内容は多岐に渡り、ここで纏めることは出来ませんが、確かに大いに「誘惑」される内容でした。私が特に「誘惑」されたのは、世之介の難破問題(対照的な挿絵の存在、33頁)、武家物の「本望」の問題(125頁)、『永代蔵』巻一の三「浪風静に神通丸」における佐野とその繁栄の分析、『懐硯』伴山を中心にした「積層構造」の分析など、興味は尽きないものでした。その様々に「誘惑」された中で、私として特に注目したのは、該書第Ⅲ部です。このⅢ部は研究会の折にはほとんど問題になりませんでしたが、極めて野心的な内容です。たとえば最初に取り上げられた「顔」の問題。日本の文学や芸術が、人間の「顔」をどう表現してきたか。これは古代の物語・壁画から現代の小説・漫画に至るまでの大きな問題です。その歴史の中にあって、西鶴の「顔」表現は平林さんご指摘のように、かなり異質だと思います。中々顔の表現が深化しない中、西鶴の表現は群を抜いていると私も従来から感じて来ました。それを正面から題材にして論じられたのは平林さんの手柄だと思います。

ただ、これこそ西鶴を飛び出して全方位的に論陣を張らないといけないわけで、極めて難しく一書が必要になるテーマです。例えば、今回、物語絵の「引目鉤鼻」を問題にされていましたが、それであるなら同時代の浮世絵の表現はどうなのか触れる必要があります。私は今、本務校の縁で「新版画」運動(大正・昭和の浮世絵復活運動)の中心人物、川瀬巴水・伊東深水等の画業にも若干関わっていることがあって、浮世絵の歴史をおさらいしているところですが、浮世絵において「顔」が個性的になってくるのは明治以降で、小林清親や巴水・深水の師匠であった鏑木清方あたりではないかと思います(何を持って個性と言うかは問題ですが)。面白いのはその清親や清方が活躍したのは明治中後期、ちょうど西鶴が再評価される頃です。恐らくその頃に日本人の「顔」への意識が抜本的に変化し、その認識が西鶴を再評価する動きへ促したのではないかと思います。

いずれにしても、この「顔」問題(平林さんは「顔論」と言っておられましたが)は極めて誘惑的です。ご存知のように、近世文学は資料の発掘・紹介・批判がいまだに主流で、それは石油が沢山ある国と同じで慶賀の至りですが、西鶴のように、ほぼ基礎的資料が出揃ったものに関しては、どんどん近世を飛び出して他の時代、他の学問分野、他の国家・民族との比較・交流を行わないといけません。

なお、研究会当日に、平林さんの研究史整理に対する批判(いささか恣意的でないかという)が出て、平林さんご自身も反省の弁を述べて居られました。これは私なども留意すべきこととして再認識した次第ですが、先人や同胞の研究を歴史的にどう評価し位置づけるかは重要な作業で、このこと自体に怯んではならないと思います。平林さんにはいずれ大きな視点からの研究史整理を試みていただければと思った次第です。

なお、次回の研究会は、2017年3月27日(月)と決まりました。発表者はまだ決まっておりません。奮ってご応募ください。    (以上)

2016年8月 4日

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●第43回西鶴研究会のご案内(染谷)

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今月末の西鶴研究会のご案内です
参加希望の方は染谷までご一報ください。
(メールアドレスは最後に記してあります)

日時:2016年8月25日(木)午後2時~6時
場所:青山学院大学総合研究ビルディング18会議室(10階)
内容:研究発表、会員著書合評、質疑応答

研究発表、並びに質疑応答
◆数量分析を用いた西鶴浮世草子24作品の文章比較               
                 同志社大学(院) 上阪彩香

日本語の文献に関する数量的研究は、(1)日本語処理技術が遅れたこと、(2)日本語が分かち書きされておらず単語の認識が困難なことなどが原因となり、欧米に比べ遅れをとってきた。しかしながら、情報処理技術の発展の貢献を受け、近年、研究を行う環境が整いつつある。
西鶴の浮世草子を研究対象として、文章の特徴を数量的な側面から捉え、西鶴著とされる浮世草子24作品における特徴把握を試みる。分析には、『新編西鶴全集』の文章を電子化及び形態素解析したデータを用いた。品詞の構成比、単語の出現率、名詞の出現率、助詞の出現率、動詞の出現率、助動詞の出現率、形容詞の出現率、副詞の出現率、連体詞の出現率、品詞のbigramの出現率、助詞のbigramの出現率、助動詞のbigramの出現率の計12項目について、各々、主成分分析を用いて24作品の文章の特徴を比較検討した。その結果、24作品のなかでも『万の文反古』と『嵐は無常物語』が他の西鶴浮世草子とは異なった特徴を持つことが明らかになった。発表では、文章の数量分析に関する国内外の研究の現状、西鶴作品の文章の数量分析の展望についても言及する。


著書合評
◆宮澤照恵著『『西鶴諸国はなし』の研究』2015年3月 和泉書院
◆平林香織著『誘惑する西鶴-浮世草子をどう読むか』2016年2月 笠間書院

西鶴研究会では、合評と称して、会員が上梓した論文集を取り上げて批評会を行っております。主旨は、紙数等の制約が多い学会誌・新聞の書評欄では言及しにくい様々な問題を取り上げて、著者の提示した問題点を多角的に検討してみることにあります。
今回は宮澤氏と平林氏が昨年と今年に上梓された論文集を取り上げます。はじめに両氏から10分~15分ほど補足説明をお願いし、その後自由討論に入ります。会員諸氏には、事前に該書の問題点抽出および整理などをお願いいたします。
なお、今回は論文集2冊ですので、事務局の方で数冊、会場に該書を用意しておきます。よって当日、会場に該書をお持ちにならなくても大丈夫です。(染谷記)

タイムテーブル
2:05~2:35 上阪氏発表
2:35~3:10 質疑応答
3:10~3:30 休憩
3:30~3:45 宮澤氏補足説明
3:45~4:35 質疑応答
4:35~4:50 平林氏補足説明
4:50~5:40 質疑応答
5:40~6:00 総会、連絡事項等

問い合わせ先  染谷智幸 goku7788★gmail.com ★に@マークを。
以上

2016年3月30日

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●南氏のご発表について(有働裕)

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 先日の南・石塚論争について私も何か書かないと、とは思ったのですが、困りました、染谷さんがうまく書きすぎましたね。役者のことといい、長崎屋の内証といい、お二人とは別の角度からの、説得力ある切り込みです。
 もう私は細かい考証は苦手。思い切ってこの作品の構造を図式的に考えてみました。お粗末ながら、以下の通りです。
* * * *
 『万の文反古』は通常の書簡体小説とは異なった構造を持つ。

 物語・小説にはそれぞれに固有の語りが存在している。ほとんど語り手の存在を意識させないようなものがある一方で、恣意的な認識や不必要なコメントを発することであえて語り手の存在を現前化させる語りもある。その性格の違いが、聞き手(読者)の立ち位置を左右する。つまり、語り手がどのような形で現前化されてくるかによって、読者の立ち位置、すなわち、「作品に内包された読者」の席が定められていくことになる。
 読者側のコンテクストの問題を捨象して単純化するなら、上記のようなことが一般化できるだろう。

 『万の文反古』の手紙の書き手を上記のような語り手の一変種としてとらえればどうなるか。序文や評文の記述、あるいはその手紙の叙述そのものの性格によって、読者は書き手の思いを正面から受け止める席から追い立てられているといえる。手紙の書き手(差出人)も受け取り手(宛名に記されている人物)も、読者にとっては未知の他人である。巻二の二「京にも思ふやうなることなし」を例にするなら、筋違いでまとまりの悪い懺悔が熱心に書き綴られているからこそ九平治の顔が現前化され、読者はその表情を冷ややかに眺めることとなる。と同時に、仙台に残された女房の表情をもあれこれと推測する誘惑にかられることになる。

 書簡体小説といっても、リチャードソンの『パミラ』や近松秋江の『別れたる妻に送る手紙』などとは全く異なっている。書簡の書き手からも受け取り手からも距離を置いた席が読者に用意されていることこそが、『万の文反古』の特色だと私は考える。

 巻一の四「来る十九日の栄耀献立」の場合は、今少し複雑だろう。この手紙に先立って呉服屋次左衛門から長崎屋の手代八衛門に出された手紙―便宜上これを書簡Aと呼ぶ―が存在したことになっている。そこに記されていた接待の詳細は、賑々しく「役者子ども」をそろえ、野暮なまでに贅沢な料理を並べた、「けつかう過」るものであったことは間違いない。確かにそれは「栄耀」なものであった。それに対する八右衛門からの返信が、本章の本文―これを書簡Bとする―であった。読者は書簡Bのなかに記された断片的な情報から書簡Aの内容を想像し、また、書簡Bの行間から八右衛門の本心を読み取ろうとする。さらに、呉服屋次左衛門の苦悶の表情も想像する。もっとも染谷氏の指摘通り、八右衛門と長崎屋主人の思いとが一致しているのかを疑うこともできるが、そこはひとまず考えないこととする。

 書簡Aと書簡Bの文面が、次左衛門と八右衛門のそれぞれの表情を現前化させる。それを当事者たちとは無縁の立場から眺めることができるからこそ、読者は面白く読むことができる。基本的にはそのような構造を有した一章だと私は考えている。

 『近世文芸』97号に掲載された南論文は、野暮なほどに過剰な接待を列挙した書簡Aに対して、「茶懐石」に象徴される洗練された高踏的文化からの批判を下したのが書簡Bであり、呉服屋には融資できないという八右衛門の本音を暗示したものととらえた。次左衛門の申し出を「無用に候」と拒絶する八右衛門の返答内容は、タイトルの「栄耀」とは矛盾するものの、呉服屋との文化的高低差を見せつけるものであり、ある種の「教育」的な側面さえ有していると理解した。

 それに対して、『近世文芸』100号に掲載された石塚論文は、書簡Bで八兵衛が要求しているのは質素な「茶懐石」ではなく、文字通り手間のかかる「栄耀献立」であったとする。その論拠は多岐にわたって示されているが、その大前提はこれが「舟あそび」の献立であって、茶会を目的とするものではない、というところにある。これだけの料理を船上というという調理環境において求めること自体が、無理無体な要求であったはずだと反論した。

 さて、そこで去る三月二十四日の西鶴研究会である。

 南氏は、石塚氏が論拠として示したものを一つひとつ検証していく形での反論を試みた。石塚氏を前にして、はぐらかしや視点ずらしなどない、真正面真っ向勝負であった。

 南氏は「大汁」「膳のさき」「椙焼」などの語意を再考証して、それらは「茶懐石」における一般的なものであったとする。「茶懐石」の料理は素材の質の高さや客への心づかいを重視するもので、質素ではあっても粗末なものではないとし、また、「舟あそび」は文人墨客にとって憧憬の対象であることから、茶会との関わりの深さを強調した。

 質疑応答に入ると、石塚氏からの多数の論拠を示しての反論が続き、何ともスリリングな展開となった。正直なところ「茶懐石」とも「本膳料理」とも無縁な貧弱な食文化体験しか持たない私には、その是非を判定する資格がない。ひたすらお二人の博識さに感心するばかりであった。ただ、書簡Aに記されていた接待の内容が、俗っぽくも贅沢な内容であり、呉服屋が長崎屋に融資等の便宜を求める手だてであったことは間違いない。その意味では間違いなく「栄耀」な献立が前提になっている。

 問題を単純化するならば、その返信となる書簡Bの内容を、量より質の茶道文化でやり込めたと南氏のように理解するか、無理難題を押し付けて困らせたと石塚氏のようにとらえるか、ということになろうか。この二人の読者の前に現前化した八右衛門の表情は確かに異なっていた。

 しかし当日出席した多くの方々が感じたことではあろうが、本章全体の三分の一に過ぎない献立部分のみで、そこまで読み切ってしまってよいものかどうか。『近世文芸』紙上での論争を、他の記述との関連でもっと発展させてほしかった。

 書簡B、すなわち八右衛門の筆致は、返事の遅れたことを詫びながらも、たまたま十九日が開いていたことを「貴様御仕合に御座候」と誠に押し付けがましい。次左衛門が良かれと思って呼ぶ「碁打ちの道庵」や「役者子ども」を拒否しておきながら、こちらからは按摩、針立、笛吹、ひょっとしたら「牢人の左太兵衛」も連れていくかも、図々しい。御座船に湯殿まで命じておきながら、「夜の仕立て」は拒否。前日の十八日には八右衛門自ら呉服屋を訪れ、「御内談」するというが、そこで話されるのは接待のことばかりではあるまい。次左衛門が本当に聞きたい返答は、舟遊びの前日まで不明のまま。そんな不安な心理状態の次左衛門に、以前もらった羽織の不備を訴えて手直しを要求して文面を結ぶ八右衛門のいやらしさ。

 こういった記述が献立についての指示とどのように響き合うのか。語釈や料理の考証に加えて、ぜひとも踏み込んでもらいたかった。その点は、今後に期待したい。

 圧倒的に優位な位置にある長崎屋の八右衛門が、呉服屋の次左衛門を一方的に痛めつける、という構図は、次左衛門に感情移入して読むとしたら不愉快この上もないものであろう。だが読者の席は別に用意されている。「塵塚のごとくなる中」(序文)から偶然に拾い出した自己とは無縁の手紙を、差出人と宛名の人物の表情をあれこれと推測するというように。
* * * *
 とまあ考えてはみましたが、少々理屈っぽくなりすぎましたかね...。

2016年3月28日

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●木越治氏の研究会参加記

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木越治氏の研究会(24日)参加記が、木越氏のブログに載りましたので、ご紹介させていただきます。

西鶴を「読む」ということ― 再考『万の文反古』巻一の四「来る十九日の栄耀献立」―(南 陽子)は、
http://blog.livedoor.jp/ki54036/archives/8542727.html

原素材の加工方法 ―『花実御伽硯』と『諸州奇事談』の差異 ―(畑中千晶)は、
http://blog.livedoor.jp/ki54036/archives/8542772.html

です。木越さん、ありがとうございました。(染谷記)

2016年3月26日

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●三月二十四日の研究会寸感(染谷智幸)

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みなさま、24日の研究会はご苦労様でした。
服部早苗さんの俳句に「口といふ口の鳴りだす春嵐」というのがありますが、そんな感じだったでしょうか(笑。もちろん服部さんの「口」は人間ではありませんが)。とにかく色々な意味で盛り上がりました。恐らく、西鶴研究会史上、記憶に残る一回になったと思います。

まず南陽子氏のご発表、有働裕氏も司会の席から述べて居られた通り、刺激的で面白かったと思います。南氏と石塚修氏の応酬はもちろんのこと、新大系本にして8行あまりの「栄耀献立」の解釈に、30人を越える研究者が、何と2時間以上を費やして議論をしたのですから。全国の日本文学を勉強する大学生に見せてあげたかった。文学研究というのはここまでやるんだぞと(笑)。

この2時間の内容についてはここで纏めきれませんので、何人かの方に感想・批評をお願いいたしました。そのうちにこのブログに載ると思いますので参照いただきたいと思います。ただ、南氏がご発表されるについての経緯を簡単にお話しておきますと、2013年1月の『近世文藝』(97号)に南氏の「『万の文反古』巻一の四における書簡と話」と題する論文が載りまして、巻一の四に対する新解釈が提示されました。そこでは従来から栄耀と考えられていた献立が栄耀でないばかりか、粗食とも言うべき一汁三菜の茶懐石であり、その逆説的な意味とは何かが主に考察されました。それに対して2014年同誌100号において、石塚修氏が「『万の文反古』巻一の四「来る十九日の栄耀献立」再考」と題された論文を発表され、特に南氏の、本短編の献立が茶懐石であるという指摘に反論し、茶懐石なら茶道具が用意されて茶会が行われたはすだが、その様子がないのは何故かと指摘されました。今回の南氏のご発表は、新たな資料を駆使して、石塚氏の反論に反論、石塚氏も質問で今回の南氏発表にさらに反論されたわけです。

私の雑駁な感想としては、南氏の献立=茶懐石説は、石塚氏の茶会が行われた形跡がないという指摘を乗り越えねばならず、やはり少し無理があるだろうと思いました。しかし、この献立=茶懐石説が成り立たないとしても、南氏の指摘された栄耀の逆説性という問題は生きているというか、むしろ茶懐石でなく本膳料理の方が、さらにこの逆説性は増すことになるのではないでしょうか。豪華な本膳料理だったはずが、茶懐石並みに削られて、挙句は料理とは関係のない湯殿まで用意させられたという、散々な栄耀献立になったわけですから。南氏のご論文を再読すると、中心論点が茶懐石云々よりも、むしろそこにあったことが分かります。たとえば7ページ下段の「二、「無用に候」の意味するもの」では献立以外にも様々なものが「無用」とされて、接待に気遣いすればするほど、旦那と呉服屋の距離は遠くなる。この逆説の意味を問題にされていたわけです。こうした作品構造から、改めて論を再構築されたら良いのではないかと思った次第です。

ちなみに、この湯殿はさっぱりと汗を流して涼むという意味の他に、芝居の太夫元へ行くための身繕いという意味もあったように思います。というのは、この湯殿の幕に踊り桐の定紋が描かれています。この定紋は恐らく澤村小伝次のものでしょう。『男色大鑑』巻八の四「小山の関守」の挿絵に小伝次が描かれ全く同じ定紋が描かれています。この栄耀献立の短編に登場する「旦那」は手代の手紙からすれば、呉服屋の接待などそっちのけで夜の芝居通いに熱中していることは明白です。しかも気に入った役者が居る。この短い手紙に、勝手に役者を用意するな、「夜の仕立」(芝居小屋などへの予約)は無用と二度のダメ出しが出ていますから、よほど小伝次かその周辺の役者を気に入って居たのでしょう。また、目録の副題にも「「舟あそびに野郎見せばや難波風」と出て来ます。なお澤村小伝次は、その『男色大鑑』の記述によれば、西鶴と一緒に河内藤井寺に参詣したのですが、その席には西鶴が贔屓する上村辰哉も居りました。また、『古今役者大全』巻五、十五丁(寛延三年[1750]、八文字屋八左衛門)によればこの折西鶴は、小伝次が駕籠で気分が悪くなったのを血の道と表現したことを、女形の心構えとして立派であると評価したと伝わります。すなわち、小伝次は西鶴と極めて近しい関係の役者だったわけです。もしこの推測が正しいとすれば、栄耀献立に登場する長崎屋の旦那のことを西鶴がよく知っていた可能性も出て来ます。

推測に推測を重ねることはあまりよろしくありませんが、広嶋進氏(「文反古の暗示」『西鶴探究』2004年、ぺりかん社)も言われるように『万の文反古』は暗示的な描写が多いのが特徴です。それでもう一つだけ推測を逞しくしてみたいことがあります。それは今回の発表の折にフロアーの何人かの方からもご指摘がありましたが、この栄耀献立に出て来る手代(八右衛門)と旦那とのズレについてです。この手紙の書き主は長崎屋の手代八右衛門で、彼は主人(旦那)の代弁をしているわけですが、旦那が接待に関心を持たないのを良いことにして、自分への賄賂を要求しています。その一つが「日外(いつぞや)の生加賀のひとへ羽織」であるわけですが、賄賂の要求がこれからエスカレートしてゆくのは間違いないでしょう。例えば、これだけ細かい献立その他の指示を出したにも関わらず、十八日には「内談」を予定しているからです。また手紙の最後には「心事、貴面に申あぐべく候」と擱筆の常套句ながら、内談について念を押す始末です。このエスカレートの先には何が待っているのでしょうか。

手代や番頭と言うとNHKの朝ドラの加野屋の番頭たちのように、店や主人思いの実直な人達を連想しますが、元禄期以前の手代たちと主人との関係はかなり殺伐としたものだったと言われます。歴史学者の中井信彦氏はその関係を「利害の二字につき」るとまで言っています(『町人』小学館)。西鶴も『日本永代蔵』の巻一の三「浪風静に神通丸」で寛文~貞享期の手代たちが主人の金を勝手に使い込み(取り逃げ、引負い)をし、破綻する人間が「かぎりなし」と言っています。つまり元禄期までの手代たちは主人の信用を得て別家する暖簾分けの方法ではなく、自分で資金を集め(主人に分からないように自分で商売を展開し、その儲けを懐に入れ)独立をめざしたと言うことです。ただし、これは相当上手くやらないといけません。焦げ付きを出せば、主人のみならず、親や請人(身元引受人)に面倒が及びます。こうなれば元も子もありません。ここを失敗する人間が当時多かったと西鶴は先の『永代蔵』巻一の三で言っているわけです。

ただ、八右衛門が独立まで考えていたかどうか、定かなことは分かりません。それらしき素振りは一切見えませんから。しかし旦那が長崎商いで金儲けをし、その金を目当てに近寄ってきたのが呉服屋というのがどうも意味深です。呉服商と言えば三井家が象徴的ですが、西鶴が「小ざかしき人の仕出し」(『永代蔵』巻一の四)と言った意匠改良等によって元禄前後から呉服商売は景気が良くなります。それに対して長崎商いは、元禄の前までの投機ブームによって世を席捲しますが、『町人考見録』に示されるように元禄期以後多くが没落していきます。この新旧交代劇がこの手紙に投影されているわけです。

それに、長崎屋の旦那は遊び呆けていますから、資金があっても追っ付け帳尻が合わなくなるはずです。病後でさえ毎日の遊楽ですから、元気になったら大変です(笑)。八右衛門は、主人の勘所を全て押さえているばかりか、恐らく、帳合(帳簿)も彼が抑え込んでいることでしょう。とすれば後はタイミングということになります。

何か最後は、安っぽいミステリー風経済小説を読むようになってしまいましたが、いつも言われるように、西鶴は想像力を羽ばたかせる材料が不思議と散りばめられていて、読む者を引きこみます。この栄耀献立の短編もまさにそうした名篇の一つだと言えます。

なお、後半の畑中千晶氏「原素材の加工方法-『花実御伽硯』と『諸州奇事談』の差異-」はご発表の前半、懇親会等の連絡、会計の計算などでゆっくり拝聴出来ませんでした。とくに懇親会の場所と何故か連絡が取れず、『文反古』の呉服屋のようにやきもきしておりました。ちなみに西鶴研の懇親会はいつも飲み放題の最低コースで、削らずとも最初からの栄耀献立です(笑)。それはともかく、質疑応答の様子からすれば、畑中さんのご発表も、大変面白かったようですが、このご報告については、後ほど他の方がまとめて下さると思いますので、それに譲りたいと思います。

24日の西鶴研について、参加された方もそうでない方も、ご意見ご感想をぜひお寄せくださればと思います。                     (以上)

2016年3月 4日

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●次回の西鶴研究会のプログラムが決まりました(染谷智幸)

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次回の西鶴研究会のプログラムです。
今回は南さんと畑中さんのご発表です。
南さんのご発表は近世文藝(近世文学会)の誌上で石塚修氏とやりとりがあったもの。今回はその石塚さんのご論文を踏まえての新たな展開のご様子。楽しみです。
畑中さんのご発表は新発見の資料から浮世草子の読みについての新見のご提示。これも楽しみです。
なお、大阪から飯倉洋一氏も参席されるご様子、一石を投じてくださるでしょう。
http://bokyakusanjin.seesaa.net/
奮ってご参加ください。

日時    3月24日(木) 午後2時より6時まで
場所    青山学院大学 総合研究ビル9階、第16会議室
内容    研究発表、並びに質疑応答、討議

発表題目および要旨
◆ 西鶴を「読む」ということ 
― 再考『万の文反古』巻一の四「来る十九日の栄耀献立」―
 南 陽子
 『万の文反古』巻一の四「来る十九日の栄耀献立」は、主に料理文化史研究の観点から論じられてきた。その代表的なものは、テキスト上に書かれた品目を十九日に出される饗応の一部と考え、本膳料理に倣って膳数と品目を補いながら読むという、鈴木晋一氏の提示した方法である(鈴木晋一『たべもの史話』平凡社、一九八九、初出一九八七)。
 この鈴木説に対し、西鶴研究者はおおむね賛意を示した。広嶋進氏は鈴木説の献立に修正を加えて、これを西鶴の「暗示の方法」の一つに数え(『西鶴探求』第六章「『文反古』の暗示」ぺりかん社、二〇〇四、初出一九九〇)、また『新編日本古典文学全集』(小学館、一九九六)の注釈では、旧版『完訳 日本の古典』(小学館、一九八四)注釈を改め、鈴木説を採用している。
 先般、発表者は「『文反古』巻一の四における書簡と話―「無用に候」の意味するもの―」(『近世文藝』97、二〇一三年一月)において、巻一の四の献立はテキストが記述するとおりの「一汁三菜」のまま理解することが可能であり、テキストに省略された品目はないという旨を、茶懐石の理念を援用しながら提示した。さらに書簡中で旦那側が「無用に候」と、献立を含む呉服屋の提案を次々に却下していく理由を、当時の商売の常識を考慮して検証し、従来とは異なる解釈を加えた。
 この拙論に対し、石塚修氏は「『文反古』巻一の四再考―献立のどこが「栄耀」なのか―」(『近世文藝』100、二〇一四年七月)において、拙論の考証が茶事の細則に合致しないとして「一汁三菜」説を否定し、自身は鈴木説に準じたうえで、当時の読者は真夏の船上では様々な点で実現困難である「栄耀」な献立を、驚嘆と笑いをもって読んだのだと結論した。
 拙論の注においても明記したが、茶事のルールがようやく定型化するのは、茶の湯の大衆化が極まった幕末の頃とされている。その一因には、茶事が規範化されると作法を表面的になぞるだけの形式主義に陥り、本来の目的である「もてなしの心」が失われるという、利休初期の理念が尊重されていたことが挙げられる。不定形のルールをめぐって反証に反証、さらにまた反証を重ねるのは、研究として有意義な行為ではない。
 本発表では、巻一の四を読むとき「何が」最も大きな問題であったのかを確認し、石塚説と拙論を対比して石塚説の妥当性を検討したのち、献立の考証とは異なる観点から巻一の四をさらに詳細に考察していくことを目標とする。西鶴作品を「読む」とはどのような行為なのか、考証のための考証ではなく、作品を「読む」ための考証を目指して、建設的な議論の場にしたいと考えている。
 
◆ 原素材の加工方法
― 『花実御伽硯』と『諸州奇事談』の差異 ―
敬愛大学 畑中千晶
 かつて「「西鶴らしさ」を問う」という拙文(拙著序文)で次のような考えを提出しことがある。素材として「多様な言説」(=つまり他者の記した文章)が取り込まれていたとしても、最終的に仕上がった作品に「西鶴らしさ」が感じられるとするなら、そうした加工技術にこそ「西鶴らしさ」を求めるべきではないかというものである。今、「西鶴らしさ」の議論は、しばし措く。本発表では、西鶴を論ずるための「補助線」を目指し、原素材の加工方法について、他の浮世草子の例を参照したい。
 中心的に扱う題材は、浮世草子『花実御伽硯』(明和五年刊)である。このたび、本作の粉本を新たに発見したことに伴い、作品化の過程を詳細に把握することが可能になった。その粉本とは、写本の怪談集『続向燈吐話』(国文学研究資料館三井文庫旧蔵資料)である。この『続向燈吐話』は、『向燈賭話』とともに、静観房好阿『諸州奇事談』(寛延三年刊)の粉本となっている。
 『花実御伽硯』は単純素朴な奇談集とも言うべきもので、行文は変化に乏しく、時に冗長である。対する『諸州奇事談』は、改題出版の繰り返された人気作となっている。全くの同一素材を加工した話を含みながら、一方が退屈極まりない作となり、他方が読者を魅了してやまないとするなら、その差異は極めて重要である。
 無駄のない筆運びが生み出すリズム、巧みな演出、素材の入れ替えなど、静観房が駆使したテクニックの数々は、『花実御伽硯』と対比させることで一層際立つ。本発表では、原素材の加工方法の差が、作品の仕上がりにいかなる差異をもたらすのか、その過程を追いかけていく。

2015年12月29日

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●京都近世小説研究会西鶴特集レポート(南 陽子)

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武家物は論じにくい。好色物も論じにくい。
その原因は複雑だ。
2015年12月20日に開催された京都近世小説研究会は、井上泰至氏の西鶴研究者はなぜ武家物を論じない、という挑発から始まった。


井上先生は「『武家義理物語』を面白く読む/読めなくする視点-巻二の四・巻六の一を中心に」と題し、各話を理解するうえで軍書の参照が有効であるとして、巻二の四「我が子を打ち替へ手」の主要な展開に『折たく柴の記』との類似性を指摘する。

井上先生の『江戸文学を選び直す』は抜群に面白かった。「文学」と題しながら、選ばれている作品のほとんどが「文学」ではない(よくある意味での)、というところに肝を抜かれた。軍書の中の文学性と、その読者を多角的に観察する井上先生は、西鶴研究者に揺さぶりをかける。カノンという名の象牙の塔に、西鶴を閉じ込めるなと。

井上先生が指摘される『折たく柴の記』の当該箇所は、盗人の嫌疑をかけられた三人の侍を白石の父親が預かったとき、父は敢えて三人に刀を返し、自分は丸腰で番に当ったという話である。三人は刀を持たない相手を殺すわけにはいかなかったという。

対して『武家義理』巻二の四「我が子を打ち替へ手」の概略は次のようになる。丹後の切戸の文殊に詣でた大代伝三郎の一子、伝之介と七尾久八郎の息子の八十郎が鞘咎めを起こし、八十郎が伝之介をしとめたが、父の久八郎は帰宅した八十郎を大代家へ即刻送ってしまう。大代家では七尾家の見事な振る舞いに感じ入り、八十郎を養子に迎えて大代家は栄えたという。

井上先生は『折たく柴の記』の無刀で番に当る行為と、『武家義理』の先に息子を大代家へ送る行為の両方に武士の駆け引きを見出し、さらに巻二の四の題名「我が子を打ち替へ手」の「打ち替へ手」が囲碁の「打って返し」という戦法であることを踏まえて、巻二の四で七尾家が我が子を差し出す判断は、わざと自分から負けに出ることで相手の先手を打つという戦略的判断だったのだと理解されている。


発表会場では西鶴の読者層の問題、武家物の評価、武家物と軍書のジャンルの問題など、大きなテーマを含めた活発な議論が交わされた。それらの詳細は飯倉洋一先生のブログで続きが展開されているので、ここでは作品の読みの問題を以下で検討したい。

井上先生の発表を受けて、西田耕三先生や井口洋先生などから、それぞれ読みの提示があった。わずか1000字足らずの短編に、即、複数の読み筋が提示されるというのは普通のことではない。巻二の四に着目した井上先生の選定力が、それだけ確かだということである。

私もまた、巻二の四は新編全集に指摘された謡曲「丹後物狂」を踏まえ、我が子を思う親の情を押し込んで息子を送る気概と、それを察して八十郎を生かした大代伝三郎の義理を理解する心とが称賛されている話だと思っていた。義理を「信頼の呼応」と呼んだ源了圓と同じ方向性の読みであり、一昨年の春に議論された『武家義理』巻一の五「死なば同じ浪枕とや」の神崎式部親子に似た話だと理解していたのである。
井上先生の切れ味鋭い論理は、今までの自分の読みがありきたりでウェットすぎたのではないかと再考を促されるのに充分な説得力を持っていた。

もちろん従来の西鶴研究が謡曲の指摘に留まっているのは理由のないことではない。偶然近刊の「研究と評論」89号で田中善信先生が触れているが、俳諧師にとって謡曲は基礎的教養の一つであり、現に謡曲の詞章取りは、西鶴の散文韻文を問わず頻繁に使われている。発表でも少し話題になったが、『武家義理』の諸国噺の性格に根拠があること、つまりランダムに各地方を配しているのではなく、それぞれ話柄に合わせた土地を選んでいることが、謡曲「丹後物狂」の指摘によって少なくとも明らかになるのである。「丹後の切戸の文殊」が謡枕(?)になっていると言えばよいだろうか。

西鶴を読むうえで謡曲の素養が必要なのは当然のことである。しかしそれは、謡曲がわかれば西鶴がわかるという意味ではない。謡曲は作品のスパイスではあるが、それに完全に依拠したような安直な作品を、西鶴はなかなか書いてはくれない(と、私は思っている)。
だから西鶴研究者は、何度も何度も作品本文を読み返すという苦行を強いられる。あらゆる可能性を含めて巻二の四を読むとどうなるのか。井上先生の「打ち替へ手」の解を、囲碁のイの字も知らない身で即理解するのは少々キツかった。しかし題名とは、作者による作品の最も端的な要約だから、これを無視するわけにはいかない。もう一度、「打ち替へ手」をシュミレーションしてみよう。

息子の伝之介を討たれた大代伝三郎は、先に息子の敵の首が差し出されたので、八十郎を討つわけにいかなくなった。八十郎を送ったことが七尾久八郎の先手であり、負けを表明したように見せかけて、大代家の敵討ちを封じたのである。かくて八十郎は命を長らえ、七尾家は愛息を失わずに済んだ。この勝負、七尾家の勝ち。目出度し/\。

...違う。そうではない。
この話の最終的な勝者は七尾家ではない。テキストはそうは言っていない。

この話の本当の勝者は大代伝三郎だ。

大代家は送られてきた七尾八十郎を「殊に我が子は十五歳、これは十三にて、武道も格別に勝れば、申し受けてこの家継ぎにすべし」と受け入れ、八十郎も義父母に尽くし「大代の家を継ぎて名を残しぬ」と巻二の四は結ばれる。

武家にとって家督相続の問題は最重要案件であり、家の繁栄は近世の価値観では絶対的な正義である。もちろん世継は優秀であればあるほど良い。

大代家の一人息子伝之介は元服の年齢だったが、七尾家の八十郎はそれに十三歳で討ち勝った。八十郎は武芸の筋が良いだけでなく、斬り合いのあと逃げることなく迅速に父に報告し、その命令に従って大代家を訪問する。すぐに出奔すれば逃げ切れる条件は揃っていた、しかしそうはせず父の命令通り大代家を訪問するという行為、この潔ぎよさ、父への孝。八十郎は精神面でもすでに立派な武士の風格を備えている。この点で巻二の四は「死なば同じ浪枕とや」の勝太郎に似ている。

なぜ父は、この出来の良い八十郎を大代家に送るという危険な判断を下したのか。八十郎と伝之介が鞘咎めから斬り合ったこと自体に非はない。しかし七尾家は大代家と同じ家中の「新座者」であり、その勝負は結果的に、格下の家の子供が先輩格の大代家の跡取りを討ってしまったことになった。それも元服前の子供に討たれたとあっては、大代家に不名誉な言われが立っても仕方がないだろう。

『武家義理』を論じるとき度々指摘されるのが、序文と本編との整合性の問題である。序文は武士にとって最も大事なことは「自然のために知行をあたへ置れし主命」であり、私事で命を落とすのは「まことある武の道」ではないという。武の道とは「義理」に身を果たすことが最上なのであると。

七尾久八郎は家中の序列を乱す息子の行為に厳しく対応した。戦時に一丸となって敵に向かうためには、共同体の内部は一枚岩でなければならない。内部に紛争の種があると、軍隊は非常時に空中分解を起こす。武士にとっての「義理」とは、人情云々の以前に武家共同体を安定させるための掟である(と、私は考えている)。息子を守りたいという人として当たり前の感情は「自分の事」でしかない。対して御家の安泰のために息子の首を差し出すのは「まことある」武士としてあるべき行為、すなわち「義理に身を果たせる」ことそのものなのである(と、私は理解している)。

この親にしてこの子あり、といった風情の七尾家の立派な振る舞いを、大代伝三郎は一時の感情に流されることなく、やはり武士として正しく理解し受け止める。それが長刀を取る母親を制し、八十郎を養子にするという決断である。これだけの逸材を我が子の敵という「自分の事」の感情で空しくするのは「知行をあたへ置れし主命」を忘れる行為である。八十郎を失うのは御家にとっての損失でもあるからだ。

大代家に迎えられた八十郎は孝行を尽くし、武の道に励んで義父母の恩に応えた。最初は八十郎を恨んだ義母も、夫に従い、優秀な義理の息子をかわいがるようになる。「武家の女」として極めて正しい。かくて大代家は後世に名を残し、ひいては御家の繁栄に貢献することとなった。目出度し/\。

これが「義理の物語」として巻二の四を読んだときの読み筋である。この話は「武士の論理」と「武士の正しさ」で満ち溢れている。

では、井上先生が指摘された題名の「我が子を打ち替へ手」とは、何を意味しているのか。
打って返しは、最初に石を取られた側が、負けたと見せかけ逆に相手の石をより多く取るという手であるらしい。巻二の四の勝負では最初に伝之介が八十郎に敗れたものの、八十郎が大代家におもむき、最終的に「大代伝之介」の名で家督を継ぐ。かくて大代家は「我が子」より優秀な世継を手に入れ、格下の七尾家は息子に再び会うことなく退いた。この勝負、大代家の勝ち。

わざと露悪的にまとめると、巻二の四は「実子を捨て石にして、より優秀な世継を手に入れた大代家の繁栄譚」である。「我が子を打ち替へ手」の「我が子」とは、父に送られた八十郎ではなく、死んだ伝之介を指している。これは話の構造と要約のある一面を、レトリックによって簡潔に表現したタイトルだ。


――そんなん伝之介がかわいそやないかいっと思うのは、きっと私が現代人であるせいだ。封建的家制度を問い質し、その苦悩と不満を言語化した近代とポスト近代を知っているから、忘れられた伝之介の存在に割り切れなさを感じるのだ。

巻二の四は今まで思っていたよりも、遥かによく出来た話だった。一句として無駄な言葉を使わず、これだけの情報を短編に仕立てる技術を持つ作家を私は他に知らない。それは井上先生の「打ち替へ手」の指摘があったから気付いたことである。
巻二の四は面白い。武家物はやはり面白い。
しかし同時に、ずっと気付かなければよかったと思うほど、巻二の四は、本当に、胸糞の悪い話である。


発表の後半は、木越治先生による『好色五人女』の文体分析のご発表だった。
好色物の難しさは、武家物の難しさとは質が違う。武士の価値観と如何に距離を取るか、という戸惑いの付いて回る武家物とは違い、好色物は純粋にテキストそのものが難しく、そしてとびきり魅力的だ。

西鶴の文体論は「俳諧的文章」という結論に向かうことが多く、文章の修辞的技法の分析は概ねやり尽くされている。まとまったものはやはり乾裕幸氏や杉本つとむ氏の仕事になるのだろうが、西鶴研究者はこれらをスルーしているような雰囲気がないこともない。作品精読すんのもしんどいし、などと正直思っているということは天地がひっくり返ってもあり得ないのであるが、正直、好色物を分析するのはしんどい作業だ。
木越先生の『五人女』論は、『五人女』巻三の二を初読者に読ませるとき、話の叙述部分のみを追うことで筋立てが明確に理解できることを示すものだった。教育的目標が掲げられることで論の目的が明らかになり、テキストのブツ切りになりやすい文体論の欠点が回避されている。

西鶴の文章の妙を味わうのは、大まかなストーリーを把握できたあとでいい。初見で『一代男』を超面白い、超わかると絶賛する奴は、天才か、ただの見栄っ張りかのどちらかだ。「わからない」のが当たり前、わからないから考えるのか、わからないから本を閉じるのか。研究者とそうでない人の分岐点は、その程度の違いでしかない。木越先生と浜田啓介先生のやりとりを聞いていて、そんなことを考えた。

今回は日頃他のご専門で活躍される先生方が西鶴をどのように考えているのか、貴重なご意見を聞くことができた。触発されるところが多く、実りある研究会であった。
新しい年に、また新鮮な気持ちで西鶴研究に望めそうだ。(了)

2015年8月31日

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●西鶴研究会、ご報告と所感(染谷智幸)

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西鶴研究会、ご報告と所感

 昨日、8月27日(木)午後2時より6時まで、西鶴研究会が青山学院大学で行われました。いつものことですが、青山学院の篠原進氏に場所の手配その他万端お世話になりました。心より感謝申し上げたいと思います。

 さて、今回は発表一つ、講演一つの構成でした。
 発表は有働裕氏の「「恋草からげし八百屋物語」考-『天和笑委集』と『御当代記』」。研究史を丹念に調べた上で自説を展開することに定評のある有働氏ですが、今回は「モデル小説からの脱却」というのが全体のキートーンで、『天和笑委集』などの周辺資料を駆使しながら、お七が実在したという前提に立つことの無理・限界を指摘、その前提を放擲して自由にこの物語を読むことを提唱されました。
 矢野公和氏のお七論とも重なってなかなか興味深い発表になったと思います。
 会場の反応も大方は賛成の方向であったと思います。私も基本的にはもう「モデル小説」なり実在云々は外すべきだろうと思っているのですが、これは会場でも質問したように、もし有働氏のように読むとした場合、このお七物語の基本的構造(恋人に逢いたいがための付け火)自体も西鶴の創作によるのか、という別の問題が起きてくると思われます。
 「恋草からげし八百屋物語」始め『好色五人女』の各編は、既に指摘もされているように歌舞伎・浄瑠璃の構造を真似て、主筋に、別筋やら伏線またチャリ場等が複雑に絡んで膨れ上がっています。その膨らましに西鶴の見せどころがあったというのが大方の指摘でしょう。とすれば、モデルというのでなくとも、江戸に恋人に逢いたいがために付け火をした少女が居たぐらいの話は出回っていたと考えるべきではないでしょうか。そうでないと、この「恋草からげし八百屋物語」を書いている西鶴の姿勢がよく分からなくなってしまうのです。
 当日、時間が無かったので、この辺りについては更に有働氏と議論をしてみたいと思っています。
 次の石上阿希氏のご講演「春画・艶本研究の過去・現在」はこれまた興味深い内容でした。
 石上氏はいま春画研究のホープとして最も注目されている若手春画研究者です。世界を飛び回り、今一番多くの春画を実見しているのが彼女でしょう。それだけに一言一言に説得力があります。国際浮世絵学会で新人賞を受賞されたのも宜なるかなです。講演の内容は、題目の通り、春画・艶本研究の過去を振り返り、その厳しい苦節の時代から、黎明を迎えつつある現在までの歴史を述べて、最後に、林美一氏の『艶本江戸文学史』(1991年)の一節をもって結ばれました。

明治以後現在まで断続的につづけられてきた艶本研究は、余りにも不完全でありすぎた。私は江戸艶本を極めるについて、遂に江戸の出版文化を研究する上には、どうしても江戸艶本を解明しておくことが急務だという信念を持つに至ったのである。それが終わった上で、本来の江戸文学研究に戻ったところで遅くはない。

 この、艶本研究をきちんとしていない江戸文学研究は不完全である、は実に重い言葉です。確かに、江戸文学研究者は艶本研究から逃げてしまっていると言われても仕方がないかも知れません。私も『男色大鑑』研究から西鶴研究に入っていったので、この点はよく分かります。男色が分からなければ、武士を扱った文学や、芝居は理解できないのではないかと思っているからです。
 それはともかくも、西鶴研究においても艶本へのブレーキが研究自体を歪めていないか気になるところです。過日も、ダニエル・ストリューブ氏(パリ・ディドロ大学)が国文学資料館主宰のシンポジウム「男たちの性愛-春画と春本と」(2014年12月)において「西鶴晩年の好色物における「男」の姿と機能」という題で発表され、従来から西鶴作品として評価の低い好色本の再評価を試みて居られました。西鶴研究者も改めてこの問題を洗い直す必要があると思います。
 また、そのことと絡みますが、当日質問に立たれた中嶋隆氏が、江戸文学研究には表と裏があり、両面必要なのだが、林美一氏は裏を強調されすぎたきらいがあると指摘されていました。こちらも長年、日本の津々浦々まで春本を実見して来られた中嶋氏ゆえに重い言葉です。何を表とし裏とするかは議論のあるところでしょうが、そうした両面からこの問題を見ることは極めて重要だと思います。
 なお、石上氏が講演の最期に触れた、立命館大学アート・リサーチセンタ-の「オンライン展示、春画を見る、艶本を読む」には驚かされました。大英博物館の春画展示を、日本でも試みようとして引き受け手がなかったという話はのは有名ですが、それならばバーチャルでやってしまえという企画でありましょうか(そこまで過激ではないのかも知れませんが)。
 版画はやはり実見しないとその良さが分からないと思いますが、こうした試み自体が「今」を意識していて実に良いと思います。西鶴研究も見習わねばなりません。まずはこのブログ、もうすこし投稿者が増えると嬉しいのですが。。。(了)

2015年7月21日

 この記事のカテゴリーは : 研究会です。

●第四十一回 西鶴研究会【有働 裕氏、石上阿希氏】(2015年8月27日(木)、青山学院大学総合研究ビルディング18会議室(10階))

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日時:8月27日(木)午後2時~6時
場所:青山学院大学総合研究ビルディング18会議室(10階)

《内容及び、タイムスケジュール》
2:00 研究発表(有働裕氏)
3:00 質疑応答
3:40 西鶴に関する新企画について
4:00 休憩
4:10 石上阿希氏ご講演
5:10 質疑応答
5;45 総会
6:00 終了

発表・講演、題目および要旨

◆「恋草からげし八百屋物語」考 ― 『天和笑委集』と『御当代記』を中心に―
愛知教育大学 有働 裕

『好色五人女』巻四「恋草からげし八百屋物語」には、さまざまな謎が存在する。本発表は、それらの謎を解くための手始めとして、『天和笑委集』『御当代記』の記述を検討しつつ、お七の設定について論じるものである。
『好色五人女』については、実説に基づくモデル小説という理解が、長きにわたってなされてきた。しかし、谷脇理史氏によって「モデル使用説というレッテルをはがして、作品を見直してみる必要」(「『好色五人女』―悲劇的恋愛事件を題材に―」『国文学 解釋と鑑賞』至文堂・一九九八年八月号。)があるという主張がなされて既に久しい。また、「恋草からげし八百屋物語」についていえば、モデルの存在を根底から否定する矢野公和氏の論(「「八百屋お七」は実在したのか」『西鶴と浮世草子研究 Vol.4』笠間書院・二〇一〇年十一月)も提示されている。お七の存在を完全に否定できるかどうかは別として、『天和笑委集』(著者未詳・写本・貞享年間の成立か)の記述に信憑性が乏しいことは確かであり、『天和笑委集』を西鶴が情報源として利用したとは思えない。しかし、そうだとすれば、さらなる疑問も生じてくる。たとえば、『天和笑委集』には、お七と同様に火刑に処された罪人として「お春」「喜三郎」という人物が登場し、こちらは『御仕置裁許帳』天和三年三月にも処刑された記録がある。お春に関する記述には「恋草からげし八百屋物語」と類似した部分が見られるが、このことをどのように考えればよいのか。また、本郷で放火事件を起こした犯人であれば小塚原で処刑されるはずであるのに、『天和笑委集』でも「恋草からげし八百屋物語」でも、お七は鈴ヶ森で処刑されている。なぜこのような当時の常識に反した設定がなされているのか。これらの問題について、お七のモデル(実説)を探し求めるのではなく、同時代資料として『天和笑委集』『御当代記』を読み返しつつ考察してみたいと考えている。

◆[講演] 春画・艶本研究の過去・現在
国際日本文化研究センター 石上阿希

                        
*司会は前回の発表者にお願いする予定です。(染谷記)

*研究会では、参加者による告知・広報(出版・企画・研究会等)の時間を取ってあります。ご希望の方は、研究会が始まる前に染谷までご一報ください。

出欠のご連絡をメールにて8月14日(金)までに染谷までお送りください。
*その際、午後六時からの食事会(会費:専任職にお就きの方・5000円程度、それ以外の方、院生・3000円程度)の出欠もお知らせください。
(メール先:goku7788(アットマーク)gmail.com 染谷智幸宛)

2015年7月11日

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●次回の西鶴研究会のプログラムが決まりました(染谷智幸)

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次回の西鶴研究会のプログラムが決まりました。

日時:8月27日(木)午後2時~6時
場所:青山学院大学総合研究ビルディング18会議室(10階)

《タイムスケジュール》
2:00 研究発表(有働裕氏)
3:00 質疑応答
3:40 西鶴に関する新企画について
4:00 休憩
4:10 石上阿希氏ご講演
5:10 質疑応答
5;45 総会
6:00 終了

今回は、通常の研究発表(有働氏)と前々回に問題となった、中高校生等の若い人たちに向けた西鶴入門書の企画提案、そして石上阿希氏の春画に関するご講演の三本立てになりました。

石上さんには、今回、春画研究の今日的問題についてご講演をお願いいたしました。ご存知の方も多いかと思いますが、彼女は、春画研究を牽引する若手研究者として今一番注目されている方です。日本はもちろんのこと、世界を飛び回って多くの春画を調査されると同時に、大英博物館などの春画展の企画にも携わり、成功裏に導いて来られました。このほど、その功績が認められて国際浮世絵学会の新人賞を受賞されました(本年六月七日)。

その受賞記念のスピーチを私も拝聴させていただき、たいへん啓発されました。
ご存知のように、大英博物館を始めとするヨーロッパの春画展は大変好評で、春画展に来館されたほとんどの方たちが、春画を好意的に評価されたようです。ところが、本家本元の日本の美術館・博物館が大英博物館の巡回展を敬遠するなど、いささか冷たい反応を繰り返しました(永青文庫が意を決して今年九月から春画展を開催するとのこと。ただしスポンサーはつかないようです)。石上さんは、そうした春画の今日的問題の背景を探るべく、日本近代における春画への眼差しを丁寧に追いながら、日本の文化が多様性を失っていった過程をスピーチで解き明かされました。

私は今まで、春画に特別な関心持たなかったのですが、韓国の古典文学、特に小説を研究する過程で、似たような問題に直面したことから、改めて関心を持つようになりました。良く知られているように、朝鮮の文物は儒教(朱子学)の影響もあって、あまり性的に生々しいものは残っていないのですが、『卞強釗伝』(ピョンガンスエジョン)や『紀伊齋常談』(キイチェサンダン)のような、極めてエロチックなものが突如噴出することがあります。それでその背景を探っているのですが、どうも朝鮮時代前期までに相当数あったエロチックな世界が、後期に多く失われてしまったようです。

たとえば、朝鮮半島にはかつて「性石」(男根・女陰をシンボライズした石や岩など)たくさんありました(朝鮮半島には岩石が多くあることが原因でしょう)。しかし、そうした性石の多くが、朝鮮時代に破壊されました。背景には、その朝鮮時代後期に儒学(朱子学)が台頭し全盛を誇ったからのようです(『韓国の性石』김대성著、1997年)。本来の儒教に、性に対する強い忌避があったと思われませんが、朱子学(宋学)以後の儒学は何よりも秩序を重んじました。そのために風俗紊乱に極めて敏感に反応したと考えられます。

これもよく知られているように、日本の美術館・博物館の多くは明治期の成立ですが、この時期には徹底した西欧化と同時に儒教化が図られました(柄谷行人『日本精神分析』文藝春秋2002、與那覇潤『中国化する日本』文藝春秋2011、小倉紀蔵『朱子学化する日本近代』藤原書店2012など)。明治期の日本に、男女の性に関して不寛容な二大宗教がダブルパンチで襲来したのですから、本来、性に寛容であるはずの美術・芸術と言えども硬直化してしまうのはやむを得ぬ仕儀だったかもしれません。西欧の美術館・博物館より日本の美術館・博物館が性に対して不寛容なのは、そんなところに原因の一端があるかとも思います。

いずれにしても、この明治以降に西鶴も風俗紊乱の原因として検閲を受け、本文に伏字などが施されたりしました。文と画との違いはあっても、同じような経路を辿ったわけですから、その経緯を比較してみることは有意味だと思います。特に西鶴は、その明治以降の西欧化の中から、また再発見もされたわけですが、同様に浮世絵もフランス印象派のジャポニズム、春画も昨今の欧米からの再評価と、同じような視座から批判と評価を受けています。この現象をどう考えるか。

今回の石上さんのご講演を拝聴しながら、そんなことを考えてみたいと、今から楽しみにしているところです。なお、近日中に有働さんの発表要旨、石上さんのご講演の題目などを会員の皆様には送らせていただく予定です(このブログにも掲出いたします)

2015年5月20日

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●「どう読むか」の問題提起として ― 武家物祭観戦記2 ―(大久保順子)

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 浜田泰彦氏の「『武家義理物語』をどう読むか」要旨は、巻二の一・二の二の「御堂筋の敵討」を(否定的主題ではない)「武士の本意」の話として読む、という方向を示唆していました。そもそも『武家義理物語』のこの敵討話は『武道伝来記』の敵討話とどう違うのか、武家物の各作品の方法的な違いを立証できる要点が示されるのか、等の興味と期待とともに司会担当に臨んだ次第です。論拠の一つ、過度に「悪役」に脚色されていない嶋川太兵衛像は、後続の作品との比較の点で確認されました。

 ただし質疑応答の時にも指摘され、自分も気になった点は、論拠としての「推参」「慮外」等の用例の用い方です。実右衛門の喧嘩の場の瞬間的認知と判断「慮外といはれては断りも申されず」の下りが、当時一般の"武士としてあるまじき"態度を示す言葉への対応ととれるのか。諸本で表記に揺れのある『甲陽軍鑑』等の先行作品例も含め、その「書かれた」文脈での用例の使い方――発話者や対象者が誰か、また地文であれば書き手(主体)の位置や意図等の、吟味が問われます。引用の一覧に(相手への罵倒以外に)主体が自身を卑下する場合の用例が併存していたことは、やや説得力を弱めていたかもしれません。

 近年『新編西鶴全集』索引編の利用など、以前より作品の用例を抽出しやすくなった感はありますが、ある用例が当時総じてそのニュアンスであったという根拠、仮にその場合、西鶴作品での個々の用例のニュアンスはそれらと「同じ」なのか、また「違う」部分はどう見分けるのか。機械的な数量処理の結果だけからは見えにくいもの、文脈の中の語句の配置や、デジタルな点の部分に限らない文章の線の流れや面の感触も、「読み」に求められているものと感じます。

 浜田氏の指摘の「敵と討ち手の、双方の傷ついた名誉を回復する」といった意味を読むには、「慮外」の他の要素も総合して本文を見る必要を感じました。ニュアンスについて「大坂で届けたことで正式の敵討となったので、私闘ではないことを前提とすべきでは」(広嶋進氏)や、「口論はやはり口論であり、藩士と余所者との感情的こじれもあるのでは」(森田雅也氏)等、多くの指摘も寄せられました。「老練の大家」だけが可能な読みということでは決してなく、様々に考察されるべき敵討話の「読み」の問題を提起した発表だったと思います。

※注○武家物祭=第40回・西鶴研究会、です。

2015年5月 1日

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●無言のままの娘について ―武家物祭観戦記、仲沙織『新可笑記』巻一の四「生肝は妙薬のよし」考―(愛知大学・空井伸一)

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 みなさま、仲さんの発表(要旨はこちら。第40回・西鶴研究会)の司会を務めるに際して、研究会事務局からまとめを書いて欲しいとのご依頼があり、このように認めました。書評的な書き方ですので敬称など略しておりますがご海容ください。

  これまでひどく貶されてきた『新可笑記』を丹念に読み直し、光を当てるという仕事を意欲的に行ってきた仲沙織は、今回かなりの難物に挑んだのかも知れない。というのも、そのような『新可笑記』の中にあって、この一篇については富士昭雄、杉本好伸、広嶋進らによる再評価の仕事が既に備わっており、従ってそれら先学の、百尺竿頭をさらに一歩を進めようとすることは、いきおい裏読み深読みの迷路にはまりかねないからだ。それ自体がかなりリスキーな企てと言ってもよい。

 仲自身もそのことは自覚しており、発表の中でも「深読みかも知れないが」という言い方を幾度となくしていた。発表の前に聞いたところ、今回は自説をまとめきれなかったが、敢えて俎板に載るつもりであるという。しかしそれにしても、質疑応答では彼女の読みを肯定的に掬い取る意見はほぼ無く、なかなかに手厳しい言葉が続いた。司会を務めていて、仲の目線と同じ方向からそれを受けとめていた自分には、それらがいずれも、この若く意欲的な研究者を育てようという、文字通り親心からのものであることはひしひしと感じられたのだが、それにしても取り柄をつかんでの意見を聞くことはなかったのは確かである。

 では、仲の試みは全くの失敗に終わったのか。私は、そうは思わない。発表を閉じる際、自分としてはおもしろく聞いたし、ところどころヒントになるポイントがあった、是非まとめあげて欲しいとも言った。これは決して仲人口ならぬ司会口からのリップサービスではない。誰もが得心するようなまとまりは示せなかったが、しかしだからこそ仲は、もしかしたらこれまで誰も気づいてこなかったこのテキストの秘密を掴みかけているかも知れない、そのように思えたのだ。以下、そのことについて粗粗と綴ってみる。

仲に対する異見に共通していたのは、この一話を仏教説話として読むこと、娘によって為される仏教的な救済の物語として見ようとすることへの違和感だった。例えば広嶋や杉本の所説は、武士が「忠」を貫くことで「孝」に尽くす娘が無惨に破壊されるという構図によって、忠孝を奨励した政道へのしたたかな批判が込められると見るものである。武士が出家する結末などは、無常を観じての厭世というよりは「義理」に詰まった挙げ句という皮肉とみなされるし、古浄瑠璃霊験譚の典拠利用などは政道批判のカムフラージュと目される。つまり仲の読みとはいずれも真っ向ぶつかり合うわけで、この大きな先学たちを頷かせるにしては、仲の所論はいささか粗過ぎた。本作に対する仲の論点を三つに絞って上げつつ、自分なりの注文をつけてみる。

 一つ目は、母親の描き方について。典拠作ではいずれも母親は亡くなっており、遺された子供たちの物語になっているが、本作では母の人物像が詳しく語られ、彼女の語りによって話の大きな部分が展開していくことを仲は指摘する。また、夫の死後貞節を守る姿などは女訓物の典型のようでありながら、娘の美貌にこだわり、それ故彼女の将来に期待を寄せるところなどは当時としては特殊な母親であると仲は言う。また、そのような期待を抱くが故に旅僧に偽装した武士に心を許し、欺かれてしまうことになる、そのような「多面的」な描き方に含みがあるという。

 私は、「子安地蔵の腹帯」を受け取って油断してしまう母親に、娘に執着するが故の落ち度を見るよりも、その娘の幸せな婚姻と出産という将来を無惨に破壊することで得られる「生肝」を奪取するために、その幸福を祈念する品を贈って取り入る武士のやり口のおぞましさの方に深い闇を見てしまう。また、娘の器量自慢な母親や、その嫁ぎ先に大きな望みをかける母親が特に際立ったものかどうかも疑問はある。西鶴もそのような母親を描いてはいまいか。だから、この母親像が特異だというのは言い過ぎに感じる。

 しかし、夫の没後いったんは世を捨てる思いであった彼女が、娘故に現世に未練を抱き、しかしその娘を失うことで再び無常を観ずるに至るという指摘には考えさせられるところがあった。これは娘によって救済される物語を読み取ろうとする仲の目論見からすれば肝心なとこだろう。ここを詰めることが仲の論を立てるためには欠かせないように思う。

 二つ目は、里人の中に「内通者」の存在があったという指摘。この美貌の娘を、当初は色欲の目で見る者もあったが、その孝心に感じ入って以降は母子の寄る辺なさに同情せぬ者はなく、村中総出ともいえる支援ぶりが描かれる。娘を陥れる存在をそこに見込めるような直接的な表現はない。しかし仲は、「物なれたる老女」が殊更に娘の「五月五日」という生月生日を言い立てたことの不審を指摘し、娘が「生肝」の提供者として好適だということが老女によって密告されたのだと見立てる。だが、出生の日付を知っていただけでそこまで言えるかは疑問で、質疑においても否定的な意見が相次いだ。仲自身も認めていたように、このままでは深読みに過ぎると言わざるをえない。「腹帯」や逃亡用の駕籠をあらかじめ用意していた武士の周到さを思い合わせれば、事前調査が行き届いていたことは確かだが、それが内通者の情報に拠るという根拠は、私には作中どこにも見いだせない。斬新な観点と言えば言えるが、今発表においては、そのように見れば見える程度のことに留まった。

 しかし仲は内通者の存在を読むことにはかなりこだわりがあるようだった。皆に愛される存在なのに、そのような悪意が存在しえたことに意味を認めたいらしい。薄幸の母娘を優しく取り囲む善意の人々、しかしその中に潜む一点の悪意、なるほど魅力的な見立てだ。ならばそれを説得力のあるかたちで呈示しなければならないし、なによりもそれが娘による救済の物語という仲の読みにどう繋がるかを示さなければなるまい。今回の発表では、その理路はたどられなかったと記憶している。

 先に述べたように、わたしは今のところこの見立てそのものには否定的である。しかしひとつ思うのは、このように深読みさせてしまう存在は、典拠や先行作には認められないということだ。それは、本作以外のどの作も、娘の「生肝」が取られることは霊験によって回避されるかたちを取るからである。身代わりになってくれる神仏もなく、むごたらしく胸を割かれた後だからこそ、老女が登場するわけであり、ならばこれは本作の決定的な作為のひとつとして考察すべきことではあるだろう。もし、仲の読みに沿わせるとするならば、身代わりになる神仏がなかったということは、他ならぬ娘自身がそうした超越的な存在を体現しているのだという見取りもありうるのではないか。

 さて、最後の三つ目は『本朝二十不孝』巻二の一「旅行の暮の僧にて候」との参照比較である。話の展開や語句表現の類似を丹念に示し、両作が同一の設定・発想を根底に持ちながら、結果としては相反するものを提示していると仲は指摘する。西鶴の少なからぬ作に認められる方法でもあり、このことについては参加者の同意を得られていたと思う。しかし、ならばそれは本作においてどのような意味を持つのかについての考察には、今回至ってなかった。むろんそこが肝心なので詰めてもらいたいところだが、この指摘自体は本作を読む上でかなり大切なことだと私は感じる。

 『二十不孝』の小吟は強烈な個性で、生来の悪、社会病質者とでも言おうか、行き暮れた旅僧に慈善の手を差し伸べながら、その強殺を親にそそのかすという両極性を示す、西鶴作においても希有なキャラクターである。それ故、彼女の名は小吟として作中明確に刻まれ、初手の悪行においては自らその手口を詳しく親に語り聞かせ、成長してからは男を選り好みし、嫉妬の逆恨み故に主家の奥方を殺害するなど、常に能動に出る存在である。対して、本作の娘には固有の名は一切示されず、作中ほとんど語ることもない。そのような彼女が、唯一自らの言葉を持って直接意志を示すのは、小吟と同じく、行き暮れた旅僧を自家に招き入れんとする、「やさし」い言葉なのだ。そして小吟とは正反対に、彼女自身が、招き入れた偽僧侶に殺害されるという悲運を遂げる。惨事に全く気付かなかった母が嘆くように、「声は立てず」にである。

 この、無言のまま身体を破壊され、その身のうちにあるものを他者の命を救うために摘出されるということにおいて、彼女は典拠における身代わりの阿弥陀や観音と確かに重なっている。仲が指摘していた本作の特異点のひとつ、生肝を本当に取られてしまうこと、彼女自身は救われないことには、確かに意味がある。彼女の身代わりはなく、彼女自身が犠牲となることで母や武士を仏道に導き入れたということであれば、そこに典拠とは違うかたちの霊験譚を見い出すこともあながち的を外したこととは言えない。仲は質疑への応答の中で、「聖なる装置」という言い方をした。多くを語ることのない、具体的な存在感には欠ける娘、そのように、ある種空っぽな中心だからこそ聖性を帯びるというのも、記号的な解釈としてはあり得るかも知れない。

 ただし、こうしたことをもって本作を仏教説話と解するのは今のところ相当むつかしいだろう。例えば、武士が最後に出家しているから仏教説話だというのならば『一代女』も出家するが、それを仏教説話と呼ぶ人はいないだろう、という厳しい指摘もあった。また、仏教説話、霊験譚の枠組で読むというのなら、武士が母親を欺くために用いる「子安地蔵の腹帯」とはどのような由来のものか、推定ぐらいしておかないでどうするという駄目出しもあった。しかしこうしたことも含めて、仲がなかなか言語化出来ずにもやもやしているところを煮詰めていくと、誰もが思いもしなかった、西鶴描くところの「胸割」の様相が見えてくるのではないか、そんな期待をしている。

 さて、最後にまったくの思いつきを書くことを許して欲しい。「生肝」を取る話、例えば「猿の生き肝クラゲの骨抜き」といった昔話は世界各所に認められるようだが、日本におけるその類の話の由来はインド説話に認められるだろう。本話の典拠というにはいささか間遠いが、『今昔物語集』巻四第四十の法華経霊験譚などは舞台そのものが「天竺」である(第四十一の「猿の生き肝」譚の前に配されている)。この話は、国王の太子が歳十三に及ぶまで一切物を言わず、その治療の妙薬として髪の美しい娘の生肝が取られようとする話だが、この、十三年にわたって言葉を発しない無言の王子は、『源氏物語』「夕霧」において心を痛める紫上が漏らす言葉の中にも認められる、その名も「無言太子」、すなわち、『仏説太子慕魄経』などの漢訳仏典に描かれる、波羅奈国の太子慕魄のことを踏まえている。慕魄の場合、その無言ぶりは国を滅ぼす不祥事とされ、彼自身の命が奪われようとするのだが、興味深いのは、慕魄は過去から未来にわたる己が宿命を見通す、いわば宿命通の神通を得ているが故に無常を観じ、その出世間の思いから言葉を発しなかったということである。彼の「無言」には、いわば阿羅漢果に到達した者の、完璧な諦念が秘められていたのだ。無言のまま殺害され、切り裂かれた娘の胸の内にも、そのような聖性が潜んでいたかも知れない、というのはいささか付会が過ぎることだろうか。

2015年4月10日

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●研究会の感想(石塚修)その3

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武家物祭の第三段目は真打ち登場といったところでした。

井上泰至先生は、いまや近世文学のみならず近代俳句の分野でも精力的に活動をされています。Facebook仲間のみなさまはわたくしもふくめてご承知でしょうが、その最近のお仕事ぶりはまさに超人的な感じです。江戸時代でしたら、あらゆることをテキパキと裁いていく老中筆頭のごときお働きぶりとなりますでしょうか。小普請組大好き人間のわたくしとしてはただただ敬服いたすばかりであります。

こちらのフログでも前哨戦がありましたが、井上先生はお得意の軍書なかから西鶴の分野でももっと軍書の利用が話題にされてもよいのではないかという問題提起をもってのご発表でした。

ただし、そこには、事前にも話題になっているとおり、「西鶴は軍書を読んだか」、または「西鶴の読者は軍書をそれなりに読んでいたのか」という根本的な課題が課せられてしまいます。井上先生の定義では、軍書は司馬遼太郎的な「読み物」でもあったということですが、そこの普遍化は、研究会の雰囲気ではまだ常識化されていないという印象を参加のみなさんの質疑からは受けました。

さきの二つの問いかけは、図らずも、わたくしが茶の湯と西鶴を論じるに際してもあったことですので、そうした問題提起を普遍化していくことの困難さは他人ごとではなく身にしみて受け取りました。

今回は、『武家義理物語』巻一の一「我が物ゆへに裸川」における青砥藤綱説話について軍書の生成と関連付けてのご発表でした。青砥の伝承は巷間では「太平記」を通してよくしられています(わたしはなぜ修身を履修した世代の母親から子供のころに聞かされました)が、じつは、「太平記」には藤綱の名前はないことから、「北条九代記」や「新鎌倉志」なども視野にいれた探求の必要性を提案され、ひいてはそこに、西鶴の政道への批判や
風刺もこめられている可能性があるとの結論でした。

西鶴の武家物祭のレポートもこれにて、キリでございます。

2015年4月 6日

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●研究会の感想ー充実の三発表、ただし不満も!(有働裕)

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やっぱり研究発表が中心になるのはいいですね。仲さんも浜田さんも、色々な反論を受けて怯んだかもしれませんが、結論の是非はともかく、発表過程にさまざまな大切な示唆が含まれており、大変興味深く思いました。

ボロクソに言われるのを承知で挑むのが、創立当初のこの研究会の発表形式でした。その覚悟で私も引き受けてきましたが、ふと気が付くと、若い人たちが発言せず、発足以来のメンバーばかりが意見を述べているようになっている気がしてきました。もっと色んな方に質問意見を述べてもらいたい。我々ロートルが若い皆さんを委縮させてしまっているとするなら忌々しき問題。なんとかしなくては。

井上さんの発表は、篠原先生との前哨戦でどうになることかと思っていましたが、予想に反して方向性に近いものを感じたのですがどうでしょうか。井上さんが紹介してくれた小川和也氏『儒学殺人事件』(講談社)、遅ればせながら読みました。感動的なほど面白い。『文学』の井上さんの論文とよみ合わせるしと一層面白いと思います。まだお読みでなければぜひ!

2015年4月 2日

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●研究会の感想(森田雅也)

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今回の武家物祭?の企画、秀逸でした。仲氏の『新可笑記』からの武士の救済論、浜田氏の『武家義理物語』を「推参」、「慮外」をキーワードにを読み解こうとする果敢な論、井上泰至氏の近世軍書から青砥説話を分析しようする重厚な論。いずれも染谷氏、石塚氏のコメントに尽くされていると存じます。

しかし、「武家物」とは何なのでしょうか。今回、司会役を任されたからでなく、私自身の西鶴論のデビューが武家物だけにずっと悩んできました。全国大学国語国文学会だったでしょうか、篠原進先生に司会をしていただき、発表後「どうして評価の低調な武家物から研究を思い立ったのですか」というような質問をしていただいた記憶があります。当時の私には答えられませんでした。今も武家物の世界について明確に出来ず煩悶している私ですが、ただ、その頃からずっと「武士」に対する一つの捉え方がありました。

「武士」とは「武家」「武道」という精神美を讃える前に当時の人々にとって、為政者の集団なのです。長剣を差すだけで示される公務員なのです。したがって、この「武士」の行動を見つめる眼は、江戸以外では、町人より農民の方がずっと熱いのです。都市より地方の方が注目しているのです。

もちろん、武家物は江戸の武士たちを読者として想定した読み物ではないかという意見はその通りだと思います。

しかし、西鶴を町人という枠から外し、為政者に苛まれる一人が武家物を創作したとして見れば、自ずから題材と距離が生じ、何か突き放した武士の愚かさへの冷たい視線を感じるのです。もちろん、それをして当世批判とは言いませんが、ある意味では、江戸時代に最も多い大衆、「百姓」の目に近いのではないでしょうか。

そうすると、武家物は特別な枠組みではなく、単なる武家や敵討ちを題材にしただけの諸国話にすぎないのか?
ここに第三のビールを示さねばならないのですが、今、考案中です。

2015年3月31日

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●研究会の感想(石塚修)その2

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研究会の感想(石塚修)の続編です

武家物祭の2段目は、佛教大学の浜田先生のご発表です。先生は「ちゃはつ」ですが研究は誠にぬばたまの黒髪のごとき丁寧な語句からの読みでした。(ちなみに、チャパツはキンパツとは異なり音韻としては不可ですね)

それはさておき、『武家義理物語』巻2-1と2のお話は、西鶴のなかでも年号も事件も特定できるという点で際物的な章です。その描写について、「慮外」「推参」という語句のレベルから、喧嘩の原因を探り、読み深めていこうという趣旨でした。仇討ちの話としてではなく喧嘩口論の話として読めないか、もし喧嘩口論ならば序文と齟齬が生じ、そのことが「義理」というテーマの理解にもつながるという指摘でした。発表後、まさに槍衾状態の質疑が飛んでいましたが、浜田先生は、しっかりと傘を広げて受けて立っておられました。

ところで、この事件の発端となる「傘のふりあて」ですが、一時期流行って、文部科学省もだまされた、あの「江戸しぐさ」の一つですね。「江戸しぐさ」のできなかった徳島の田舎のお武家さまが、傘があたったことで斬り合いになって、あげくはその敵討ちにまでおよんだとなると、かっこうの「江戸しぐさ」の教材なんですがねぇ。あの活動はその後はどうなったんでしょうか。

2015年3月30日

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●新旧の酒、取り交ぜて新しい革袋に(染谷智幸)

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先週木曜日、西鶴研究会が盛会のうちに無事終了いたしました。
今回はご発表が3本、どれも力の入った充実した発表だったと思います。

ご発表についてのレポートについては、何人かの方にお願いいたしましたので、近々このブログに上がって来るかと思いますが、もちろん、それを待つ必要はありませんので、どなたでもご感想なりご批判なりをお寄せください(染谷までメールでお送りください)。

(と書いている最中に、石塚さんからご投稿がありました。感謝。)

今回は「武家物祭り」の体になりまして、私としては、つくづく時代を感じました。西鶴研究を続けていると分かりますが、武家物というのはなかなかに取っつきにくいものなのです。その理由は様々ですが、やはり好色物・町人物で浮かび上がってくる西鶴像を、武家物に結び付けにくいというのがあると思います。好色物や町人物では、比較的したたかで表現本位の作者精神というものが浮かび上がりますが、それをそのまま武家物にスライドさせられないところがあります。

逆に言えば、西鶴とは何かは、武家物を理解してこそ分かるものである、とも言えます。そうした意味で言えば、今回の武家物祭りは、その西鶴研究の問題と、昨今の武士・いくさと文学研究の深まりが啐啄するという、当に時宜にかなったものだったと思います。

特に、今回3本目にご発表された井上泰至さんは、昨今近世軍書や武家説話の研究を集中的に展開して居られ、そうした外濠を埋めて(浜田啓介氏『上方文藝研究』第11号)の大坂夏の陣であったわけで、様々に興味深いものでした。

図らずも岩波『文学』(3・4月号)にて「いくさと文学」の特集があり、井上さんと佐伯真一さんの対談、鈴木彰さん等若手の活きの良い論文、昨今金時徳氏の発見された『新刊東国通鑑』報告などの好企画が目白押しです。

私は、二年前に佐伯さん井上さんとご一緒に韓国へ行った際、お二人の会話を横で聞いていて、新しい時代の到来を感じたことがありました。その時のことはリポート笠間55号に書いた「十五~十七世紀、室町―上方文学論は可能か」でも触れましたし、またこうした題で文章を書こうと思った切っ掛けにもなったことですが、地殻変動は確実に始まっていて、今回、風雲急を告げる西鶴城を、直下から揺るがす事態になったというわけです。

いずれにせよ、もう中世も近世もありませんし、西鶴を近世や文学(旧態の謂)の枠内で捉えて行くことも無理でしょう。作品・作者をその時代の中で捉えるなら、それはその時代のあらゆる文物との関係の中に作品・作者を解体し、さらには「その時代」という枠組みも解体しつつ、国や国語の枠をも解体しなければ出来ないはずです。中途半端はそれこそ近代やその文学観の残滓です。

ちなみに、この岩波『文学』に載る座談会「「聖なることば」が結ぶ世界」(ジャン=ノエル・ロベール、ハルオ・シラネ、小峯和明)は必読です。日本はもちろん、東アジアやさらにはアジアへ目を向けた時、仏教の存在が大きいことに私は何度も驚かされましたが、その仏教の中でも『法華経』は極めて大きい存在です。

平岡聡著『法華経成立の新解釈-仏伝として法華経を読み解く』(大蔵出版、2012年)から、改めて『法華経』の勉強をしなおしましたが、この経典の悉皆成仏(一仏乗)と日本神道のシンクロには日本とは何かを考える上で極めて重要なものが潜んでいるように感じているところです。

西鶴と『法華経』。これも西鶴-日演-遊女吉野というラインで、西鶴に深く絡みます。いずれ論じてみたいと思っています。