北條勝貴「超域史・隣接学概説の射程―上智大学文学部史学科のささやかな試み」【特集1】●リポート笠間63号より公開

リポート笠間63号より、北條勝貴「超域史・隣接学概説の射程―上智大学文学部史学科のささやかな試み」、を公開いたします。
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特集【趣旨】は、以下。
日本文学研究の世界に「学際化・国際化」が求められ続け、何年にもなります。
最近では、本誌でもたびたび報告している、国文学研究資料館の「日本語の歴史典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」や、早稲田大学が文部科学省平成26年度「スーパーグ ローバル大学創成支援」トップ型(タイプA)に採択されたことによりスタートした国際日本学への取り組みなど、たくさんのプロジェクトが進行しています。
ですが正直なところ、目に見えて「いままでと変わったもの」を指摘するのは難しく感じます。
とはいえ、何も変わっていないということはないはずです。
果たして「学際化・国際化」からはいままで、どのようなアウトプットがなされ、私たちに還元されてきたのでしょうか。
これらの文脈をすべて追っていくのは難しいです。では二〇一七年現在の状況のなかで、何がどう変わりつつあるのか。変えていくべきものは何なのか。今後のみちしるべとすべく、本特集を編みました。「学際化・国際化」に加え、ジャンル・分野の「越境」というキーワードも加え、文学研究以外の方々も交え、二〇一七年の現在地を幅広く捉え返してみたいと思います。
※web版では、ルビをカット、傍点を太字に、また、改行等適宜行っています。ご了承ください。
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超域史・隣接学概説の射程
―上智大学文学部史学科のささやかな試み

北條勝貴
日本史・東洋史・西洋史の三区分を解体する
 上智大学文学部史学科では、二〇一七年度から、学科開設以来の日本史・東洋史・西洋史のコース制を廃止し、アジア・日本史系、ヨーロッパ・アメリカ史系の緩やかな繋がりへと移行した。同時に、初年次生を対象にした日本史・東洋史・西洋史の各概説が消え、より横断的な内容を持ったアジア・日本史系概説、ヨーロッパ・アメリカ史系概説、超域史・隣接学概説が開講となった。
 そもそも、日本史・東洋史・西洋史という一見説得的な(日本の教育を受けた我々にはアプリオリにみえる)領域区分は、一九一九年、帝国大学文科大学より再編された文学部へ、国史学科・西洋史学科・東洋史学科が分立設置されたことに始まる。ルートヴィヒ・リースの招聘に基づくヨーロッパ史研究から、その実証主義的方法を援用した国史研究、両者の隙間を埋める東洋史研究へと展開したディシプリンは、そのまま近代日本の世界認識を反映した個別特殊なものである。日本の場合、かかる三区分は学会レベルでも採用されているが、グローバルな視野のもと各研究分野の対象が拡大を続ける昨今、「教育上の便法」以上の正当性は見出せまい。
 改変の背景には、団塊世代の定年退職と教員数削減の傾向が重なり、三区分コース制を維持困難になった現実的事情もあったが、もちろん学生側のメリットこそがまず重視された。任意のゼミに所属し卒業論文を仕上げてゆく基本軸は変わらないが、コース制廃止により授業選択の自由度を広げた形である。
 例えばかつては、日本史のゼミに進みたい学生は、各時代の日本史・東洋史・西洋史の概説から、日本史を六単位(三科目)、東洋史・西洋史をそれぞれ四単位(二科目)取得しなければならなかった。それが今年度からは、アジア・日本史系、ヨーロッパ・アメリカ史系、超域史・隣接学の各概説より、各系最低四単位(二科目)以上を取得すればよいことになったのだ。すなわち、日本史で卒業論文を書きたい学生でも、ヨーロッパ・アメリカ史系を多く受講したり、超域史・隣接学を中心に受講したりできるようにしたわけである。
 ただし、将来的には主/副専攻制を採用し、〈共同体としてのゼミ〉を解体する必要も生じるかもしれず、そうした意味では今回は、未だささやかな改変に止まっているといえようか。
「超域史・隣接学概説」をどのような講義にしたか
 では、およその内容を想像できるアジア・日本史系/ヨーロッパ・アメリカ史系の概説はともかく、「超域史・隣接学概説」とは、具体的にどのような講義なのだろうか。
 簡単にいえば、他の二系を対象・方法において越境するグローバル・ヒストリー的内容、トランスナショナリティ的効果が企図されている。同概説に設定されたⅠ〜Ⅳのうち、Ⅰ・Ⅱには、もともと同種の内容を持っていた近世日欧交渉史の旧日本史概説Ⅲ、近現代東アジア外交史の旧日本史概説Ⅳを当て、新設したⅢ・Ⅳは、前者を史学史(メタヒストリー)、後者を隣接諸科学との協働を追究するものとした。私はもともと、言語論的転回以降の歴史学のあり方に関心があり、理論や方法論についても拙い文章を書いてきたので、前者Ⅲの初年度の講義を、とりあえずは引き受けることになった。
 史学史といっても(ヘイドン・ホワイト『メタヒストリー』の視角に拠るかどうかは別として)単なる学説の羅列に止まらず、個人的には、何らかの形で歴史学という営為全体を俯瞰するものにしたかった。しかし、入学したばかりの一年次生を主な対象とするため、あまり難解になるのは避けなければならない。幾つかの制約はあったが、結局、シラバスは以下のような内容にまとめた。
 一九八〇年代後半に生じたポストモダン的風潮と、それに伴う歴史学批判のなかで、史料を通じ過去の事実に到達しうるとした実証主義歴史学の認識論、方法論は大きく揺らぎ、歴史を過去そのものとみるような幻想は破壊された。かかる変動の中心にいたアメリカの歴史学者ヘイドン・ホワイトは、近代歴史学の生み出す狭義の歴史=ヒストリカル・パスト(historical past)と、前近代社会、民族社会の多くでなされてきた広義の歴史語り=プラクティカル・パスト(practical past)を区別、支配的な地位にあった前者の価値を相対化し、近代が葬り去ろうとした後者の豊かさを再獲得しようとしている。それでは、我々の研究する近代学問=歴史学にはまったくアクチュアルな意義がなく、学問的正当性を持ちえないのだろうか。歴史学はこれから、いったいどこへ向かってゆくのだろうか。本講義では、人類の文化に胚胎した〈歴史〉なるものの意義と、それを研究し叙述する学問の成立と展開を、それぞれの時代・社会情況との関連のうちに跡づけ、そこで得た知識に基づいて、現代歴史学の問題点と課題を浮き彫りにしてゆく。
 別に担当している全学共通科目の日本史では、教職課程の「教科に関する科目」に設定されていることもあり、教科書検定の新基準が現政権の意向を強く反映したものになるなか、学生たちがこれまで学んできた「日本史」が、①過去そのものではなく何者かの叙述に過ぎないこと、②国民統合の装置であるナショナル・ヒストリーに過ぎないことを自覚してもらうべく、近代日本における日本史教育/研究の成立過程についてメタ・ヒストリカルに説明している。
 一方超域史・隣接学概説Ⅲでは、その枠組みを歴史学全体にまで拡張し、ヒトという生物が一定の形式に沿って過去を物語り始めた始原から、言語論的転回以降の歴史学までを展望し、人々が過去についてどのように考えてきたか、なぜ人間は過去を語ることを必要とするのかなど、根本的な問いに答えようとした。いわば、歴史学においては自明の歴史叙述を、人類学などで対象化される〈歴史実践(歴史語り)〉へと置き換え、より鳥瞰的に把握しようとしたのである。
 昨年度、民俗学の菅豊氏が主催するパブリック・ヒストリー科研公開研究会でコメンテーターを務めた折、近代学問としての歴史学を、「近代科学主義部族の歴史実践」と位置づけ相対化したが、この講義でもそのことは冒頭で触れた。そして最後は、私自身も検討中のパブリック・ヒストリー論を、社会的分断を乗り越える歴史実践として紹介し、結びとした。
明確になった課題
 いま、実際に春学期一四回の講義を終えてみて、幾つかの課題が明確になってきた。ひとつには当然のことながら、右の内容を一年次生が理解するのは至難である、ということだ。実証主義歴史学の何たるかを理解していない受講生に対し、ポストモダンの立場からの批判は充分な意味を持たない。しかしまた彼らのリアクションから、中高の教育で、いかに強固な客観性礼讃が植え付けられているかもはっきりした。彼らは自分でも気付かぬまま、主観は歪曲に過ぎず客観こそ真理であるとの、近代科学主義のドグマを身体化されている。「実証は重要だが実証主義が絶対ではない」とのささやかな爪痕さえ残れば、そうした生硬な態度を少しでも柔軟にしてゆく助けとなるかもしれない。
 もうひとつは、やはり「歴史学表現論(叙述論)」とでもいうべき授業の必要性である。右の講義は、メタ・ヒストリカルな思考のツールを育てるためのものだが、『メタヒストリー』がそもそも歴史叙述を問う内容であったように、思考と記述形式とは密接に結びついている。日本で未だに実証主義偏重の傾向が強いのは、(「私は」という主格、「思う」という述語は用いないなど)客観性を標榜する独特な文章作法が横行しているためでもあろう。方法論的議論が華やかだった一九九〇年代には、歴史叙述の自由化を図る論考も多かったが、近年ではほとんど見受けられなくなっている。卒業論文指導などでは、学生の文章力の低下に唖然とすることがあるが、初年次教育に関わる(場合によっては、より根本的な解決を目指し高大連携も視野に入れた)レポートの書き方、記録・プレゼン双方への映像の活用なども含め、理論・方法論と直結した叙述論の提供が急務であろう。
 意外にも根深い課題が山積し、需要/供給との関係で空回りすることも屡々だが、学生や一般社会にその需要自体を創出することも検討しつつ、模索を続けてゆかねばなるまい。
北條勝貴(ほうじょう・かつたか)上智大学准教授。『環境と心性の文化史』(共編、勉誠出版)、『寺院縁起の古層』(共編、法藏館)、『歴史を学ぶ人々のために』(共著、岩波書店)など