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2017年7月20日

 記事のカテゴリー : 学会・講演会・展覧会情報

●横光利一文学会 第17回研究集会(2017年8月26日(土)、同志社女子大学 今出川キャンパス)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
http://yokomitsu.jpn.org

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第17回研究集会
2017年 8月 26日(土) 13:00
同志社女子大学 今出川キャンパス 純正館一階S106教室
◇自由発表
謝惠貞  東アジアにおける横光利一「恋愛もの」受容の射程――劉吶鴎「遊戯」、翁鬧「残雪」、李箱「童骸」をめぐって
  中・台・韓など東アジア植民地作家による横光利一受容の間にある差異や共通性の探求は、横光文学受容の残された課題とも言える。本発表は、「恋愛・結婚」をテーマとした横光利一「皮膚」(『改造』一九二七・一一)などの「恋愛もの」と、劉吶鴎「遊戯」(『都市風景線』一九三〇・四)、翁鬧「残雪」(『台湾文芸』一九三五・八)、李箱「童骸」(『朝光』一九三七・二)などの「恋愛・結婚」をキーワードとした作品を比較したいと考える。
「皮膚」の人物造形は「銀座について」(『読売新聞』一九二七年三月一六日)における横光の「生殖そのものさへ一片の美しい硝子のやうに取り扱つた清新なリリシズムの芸術」を実践していると言える。 
  「皮膚」を模作した劉の「遊戯」は、伝統的な思想を持つ男性がダンスホールでモダン女性の肉体に惚れこむが、女性が恋愛関係に時効をかけていることに気づく。男性は女性の「ナンセンス」な恋愛観を「都市の冗談」だと皮肉りながらも、憂鬱を覚えざるを得ない。それに対して、翁鬧「残雪」は、台湾女性との恋愛を成就できないまま上京した主人公が、北海道出身の銀座のカフェの女給に恋心を抱き、自らの欲望を「不純」だと批判しつつ、二人の女性の間で迷い続ける。李箱「童骸」は、友人の妻を寝取って自分の妻にした男性が、妻の火遊びを認めながら女性に貞操責任を問いかける自分に失望する。
 これらの作品の特徴として挙げられるのは、売春婦や女給、不貞の女性との自由恋愛や結婚という点である。男性主人公は、いずれも自由恋愛を享受する一方で、自虐的な行動を展開し、独自の恋愛哲学を相手や恋敵、親にぶつけていく。さらに、横光を受容した作品は、(半)植民地の中国、台湾、韓国を舞台とした描写が存在し、植民地出身の周縁者と近代社会との抗拮が、模倣のもとになった作品からいかに変容をきたしたかにも着目したい。影響研究と対照研究を交差的に検証し、越境的な受容の特徴を提示したい。
◇ラウンドテーブル
横光利一とプロレタリア文学
〈趣旨〉
 横光利一とプロレタリア文学という問題設定は、「文学革命」と「革命文学」という文学史的構図を超えて、「政治」と「文学」への本質的な問いとして投げかけられている。
 島村輝氏が研究動向(『横光利一研究』第14号)で指摘するように、「政治は文学であり、文学は政治である」(『国文学』二〇〇九・一)という問題意識は、「3.11」以来ますます重要となっている。しかしながら、プロレタリア文学とモダニズム領域の本質的な関係性を明らかにすべしとする島村氏の提言は、4回にわたる特集「新感覚派の系譜学」、ならびに共同研究発表「新感覚派文学の通時性と共時性」を通しても、いまだ充分に共有しえていない。そこで、本ラウンドテーブルでは、以下のような問題系を設定し、意見交換を試みたい。
一、 横光利一のマルクス体験/マルクス理解
 年譜事項や読書歴に即し、横光が接触した(可能性のある)マルクス関連文献などを実証的に明らかにしつつ、それらの影響や横光における「唯物論」の可能性を考える。
二、 相互理解/相互評価の実態と変遷
 横光と個々のプロレタリア作家との相互理解、とくに文学作品・批評活動における評価の変遷を通時的に明らかにし、両者の関係性を掘り下げる。
三、一九三〇年代以降の両者の関係性
 新感覚派を継ぐ新興芸術派の動向や、プロレタリア文学退潮後の「国民文学」論などを視野に入れ、戦時体制に移行するなかで両者の概念を問い直す。
四、 表現や文体の同時代性
 イデオロギーの水準とはべつに、表現や文体の類縁性を明らかにする。共通するモチーフ(身体・空間・事物etc.)に注目し、従来の文学史では見えなかった両者の回路をさぐる。
 むろん、問題はこれに尽きるものではないだろう。しかし、参加者の積極的なコミットがあれば、有意義な情報交換は可能だし、なにがしかの共通理解に至ることも不可能ではない。会員諸氏の積極的な参加を期待したい。

◇基調報告
和田 崇 「純粋小説論」の裏側で
 本発表では、横光利一「純粋小説論」(一九三五年)について、文学大衆化論を媒介としたプロレタリア文学との関係性を考察する。横光が同論で提示した「純文学にして通俗小説」という「文芸復興」の条件は、ほぼ同時期に主張された広津和郎の陣地回復論や久米正雄の純文学余技説を吸引している。一方で、同じ頃に組織瓦解後のプロレタリア文学内でも、「実録文学論争」において通俗性の止揚が論じられていたことはあまり知られていない。尾崎秀樹は「純文学の世界で「純粋小説論争」がたたかわれたのと同じ社会的条件が、「実録文学論争」にもかかっている」(『大衆文学論』)といち早く指摘したが、今日に至るまでこの関係性は探究されていない。それは、「純粋小説論」が「現代小説を論じながら、プロレタリア文学については一句も言及しない」(『現代日本文学論争下巻』)と平野謙が指摘した横光の態度を、後世の研究者までが内面化しているからではないか。ならば、プロレタリア文学研究者の側から照射して、この問題を俎上に載せてみたい。
中川成美 横光利一とマルキシズム
 一九三五年(昭和10)に刊行した『書方草紙』(白水社)の「序」に付した、「大正七年」、すなわち一九一八年から一九二六年(「昭和元年」)に到る10年間の「国語との不逞極る血戦時代から、マルキシズムとの格闘時代」という一節は、いまでも横光研究にとって、楔のように効力をもった言葉である。いわば、プロレタリア文学の発生から隆盛期を含みこんだこの期間について、感慨を以て回想した言辞を、どのように解釈していくのかが、今回の私の発表の主たるテーマである。
 この言葉を記した翌年、横光はヨーロッパに旅立つ。そこで遭遇するのは、人民戦線によって混乱するパリの姿であった。パリ・コミューン以来の岐路に立たされたパリが、反ファシズムの名のもとにレオン・ブルム政権を発足させ、共同戦線を張って、守ろうとしたものは何であったのか。その現場に立ち会ってしまった横光が、困惑のなかに発見したのは、何であったのか。マルキシズムとの対決という軸が揺らぐ瞬間をとらえてみたい。作品としては『旅愁』『欧州紀行』「厨房日記」などを対象とする。
◇全体討議
第1部――問題提起
横光利一のマルクス受容(理論編)                   杣谷英紀
横光利一のマルクス受容(実作編)                   八原瑠里
横光利一と平林たい子                         島村健司
横光利一と葉山嘉樹                          田口律男
横光利一と片岡鐵兵                          石井佑佳
横光利一と平林初之輔                         友添太貴
横光利一と『プロレタリア科学』                    加藤夢三
第2部――ディスカッション
参加者全員による自由討議
司会進行
黒田大河・松村良・山義光
◇閉会の辞
横光利一文学会代表  柳沢孝子

午前中に『横光利一研究』の合評会を行います。
懇親会をフレンチレストラン will(同志社大学 室町キャンパス 寒梅館7F)でおこないます。当日、会場受付にてお申込みください。


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