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2016年11月11日

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●「三島由紀夫」誕生の自筆原稿を発見 筆名に書き直し跡(朝日新聞)【「花ざかりの森」の自筆とみられる原稿】【「平岡公威(きみたけ)」と書いた後、2本の線で消して筆名に書き直したことが確認できる】

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【作家・三島由紀夫(1925~70)が16歳のときに初めて筆名で書いたデビュー作「花ざかりの森」の自筆とみられる原稿が、熊本市内で見つかった。原稿用紙にいったん本名の「平岡公威(きみたけ)」と書いた後、2本の線で消して筆名に書き直したことが確認できる。三島文学に詳しい近畿大の佐藤秀明教授(日本近代文学)は「文筆家としての『三島由紀夫』が誕生したと言える貴重な原稿だ」と話す。】
つづきはこちらから。朝日新聞。
http://www.asahi.com/articles/ASJCC5G4VJCCULZU00C.html

『文藝文化』の誕生過程がわかる清水文雄の戦中日記を先日小社で刊行しました。
人名索引をPDFで公開していますので、ぜひご覧下さい

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『清水文雄「戦中日記」 文学・教育・時局』(笠間書院)

ISBN978-4-305-70816-8 C0095
A5判・上製・カバー装・628頁 口絵4頁
定価:本体3,700円(税別)

「天皇と三島。清水は二人の紛れもない師であった。」(松岡正剛)
「この時代が見失っている原型を浮かびあがらせる」(保阪正康)
和泉式部を中心とする平安朝文学の研究者で、三島由紀夫を見出したことで知られる清水文雄の戦中日記。
大学ノートに記された、昭和十二年より昭和二十年八月十五日までの「日本文学の会日誌」(昭和十三年三月〜十六年二月)「雑記帳」「碌々斎日記」(昭和十八年七月二十九日以降の名称)の全文を収録する。

本日記には、三島由紀夫『花ざかりの森』が掲載されたことで知られる雑誌『文藝文化』(齋藤清衛・蓮田善明・栗山理一・池田勉など)が生まれてくる過程や、文藝文化グループ以外の人々(伊東静雄・保田與重郎など)と清水の交流がわかるなど、戦時期文学運動の実態が綴られるほか、皇太子(現今上天皇)を中心とする皇族教育起草案(国文教科書編纂)の策定過程、今まで知られていなかった、三島以外との文学的交流―戦時下の恋歌鑑賞、連歌、和歌の贈答など―は、「戦時下のみやび」を伝えて余りある。戦時下、教師として研究者として、国家や天皇をどう考えていたのか。初めて明かされる貴重な記録。

○『清水文雄「戦中日記」 文学・教育・時局』人名索引公開
http://kasamashoin.jp/shoten/shimizu_senchu_jimeisakuin.pdf

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推薦

保阪正康氏

 昭和精神史の中に脈々と流れる日本主義、その息吹はどのような形で「歴史」の海をつくりえたのか、古典文学の研究者、学習院にあっての教育者、その二つの顔をもつ文人の息づかいが本書の魅力である。加えて、昭和の軸ともいうべき国語教育、そして古典文学の粋を見つめる日本精神、その道を歩みつづけた一教育者の時代の記録は、改めてこの時代が見失っている原型を浮かびあがらせる。

松岡正剛氏

 「心が晴れる本」があるとしたら―この日記を繙くべきである

 ヴァイニング女史の前に清水文雄がいた。少年東宮であった今上天皇を教えたのは清水だった。三島由紀夫の前に清水文雄がいた。少年平岡公威の『花ざかりの森』を三島由紀夫として世に送り出したのは清水だった。天皇と三島。清水は二人の紛れもない師であった。
 もとより清水は和泉式部研究の第一人者でありつづけた孤高かつ浩瀚の国文学者である。和泉式部の生き字引といえば清水をおいてはいなかった。私には衣通姫伝承の奥にいったい何が秘められていたのか、その謎に導いてくれた人でもあった。
 けれども、このたび『戦中日記』のゲラを読んで愕然とし、そして沛然とした。「惟神の国振」を昭和を代表する人士に吹き入れていたのは清水だったのである。三島の師や皇太子の教授掛にとどまっていない。日記が示しているものは、天皇家に伝えるべき魂魄の教育の計画全般に及んでいた。富士谷成章の脚結抄の活用にまでふれていることなどにも驚いた。
 日記は昭和十三年の「様式とは個性原理である」に始まって、敗戦八月十五日の「何か思ひ当たる予感のやうなものがある」で擱筆されている。この日記は二一世紀日本の「欠如の一隅」をきっと埋めるものになるだろう。
 もうひとつ、加えたい。清水日記はかけがえのない読書録にもなっている。世の中に「心が晴れる本」があるとしたら何なのか、そのことを知りたいのなら、この日記を繙くべきである。


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■著者紹介

清水文雄(しみず・ふみお)
1903(明治36)年6月6日〜1998(平成10)年2月4日。国文学者。和泉式部を中心とする平安朝文学の研究者。三島由紀夫を見出したことで知られる。著書に、『王朝女流文学史』、『衣通姫の流』、『和泉式部研究』、『和泉式部歌集の研究』など。また三島由紀夫との交流を示すものとして、『師・清水文雄への手紙』(新潮社、2003年)がある。

[編者]
清水明雄
(しみず・あきお)
1946(昭和21)年7月、広島県に生まれる。1977(昭和52)年3月、関西大学大学院文学研究科国文学専攻修了。1977(昭和52)年4月〜2007(平成19)年3月、広島県内公立高校教諭勤務、祇園北高校で定年退職。

[解説]
前田雅之
(まえだ・まさゆき)
1954年生まれ。明星大学教授。中古・中世文学(説話・和歌・注釈)専攻。著書に『今昔物語集の世界構想』(笠間書院、1994年)、『古典的思考』(笠間書院、2011年)などがある。

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■ご予約・ご注文はこちら

○全国の書店でご予約・ご注文出来ます。お近くの書店にご注文下さい。

○笠間書院から直接購入することも可能です。笠間書院 Web Shop[クレジット決済]。ネット書店での購入をご希望の場合もこちらをご覧下さい。
http://shop.kasamashoin.jp/bd/isbn/9784305708168/

○公費・郵便振替でのご購入の場合
直接小社まで、メール info@kasamashoin.co.jp または下記のフォームで、購入希望としてご連絡ください(書名・冊数・お名前・ご住所・電話番号を明記してください)。
http://kasamashoin.jp/mailform.html

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【目次】

はしがき
凡例

日本文学の会日誌
 昭和十三年(一九三八)三十五歳
 昭和十五年(一九四〇)三十七歳
 昭和十六年(一九四一)三十八歳

戦中日記(その1)
 昭和十二年〜十五年(一九三七〜四〇)三十四歳〜三十七歳
 昭和十八年(一九四三)四十歳
 昭和十九年二月・六月(一九四四)四十一歳
 昭和十九年七月
 昭和十九年八月

戦中日記(その2)
 昭和十九年九月(一九四四)
 昭和十九年十月
 昭和十九年十一月・十二月
 昭和二十年一月(一九四五)四十二歳
 昭和二十年二月・三月
 昭和二十年四月〜八月

清水家略系図
児玉家略系図
山廣家略系図
清水文雄略年譜
清水文雄著書・論文等目録

解説 前田雅之

あとがき
人名索引

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【凡例】

一、本書は、大学ノート(一部自由日記)に記された、昭和十二年より昭和二十年八月十五日までの、「日本文学の会日誌」(昭和十三年三月〜十六年二月)「雑記帳」「碌々斎日記」(昭和十八年七月二十九日以降の名称)の全文である。「碌々斎」という名称の由来は、文雄が生年月日(明治三十六年六月六日)に引っかけて戯れに名付けたもので、俳号にも用いている。なお、「日本文学の会日誌」の昭和十三年三月十日、二十日、二十三日、二十九日、三十一日は、「戦中日記」と重複している。また、「戦中日記」の十六年・十七年は、記載がない。
一、ノートには随所に当時の新聞の切り抜きが貼付されているが、ここでは割愛した。
一、仮名遣いは原文通りとし、漢字は人名などの一部を除き新字体とした。ただし、促音の「つ」は、大文字とも小文字とも判然としない表記が多いので読み易さを考えて、小さい「つ」に統一した。
一、平仮名の踊り字は原稿表記を尊重して、片仮名表記で統一した。
一、誤字脱字の明らかな物は訂正した。判読不能の場合は「・」で示し、判別に迷う場合は〔ママ〕とした。
一、差し障りのある個人情報については、イニシャルで記した。
一、編者の注記は、文中に*を入れ脚注とした。また、文中に(補注)と記した長い注は段末においた。さらにまた、文中に〔傍点平岡〕のように注記を入れた。
一、「目次」に示した大きな段落毎に、「解説」を記し、「参考文献」をあげた。
一、特に、日記中に頻出する「皇太子殿下のご受業方針」については、戦後七十年の今日からすると違和感をもたれる向もあるかと思うが、「東宮の教育はいかにあるべきか」という難題に、学習院の教師と側近の方々、更に清水周辺の有識者が真摯に向き合った貴重な記録として、煩を厭わずすべてを翻刻した。
一、本書は、清水文雄の「日記」であり、清水個人の当時の印象が書き記されたものである。


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