堀 新・井上泰至編『秀吉の虚像と実像』の序文、井上泰至「秀吉の「夢」、語り手の「夢」」・堀 新「実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白い」全文公開!

最新刊、堀 新・井上泰至編『秀吉の虚像と実像』(笠間書院)の序文、井上泰至「秀吉の「夢」、語り手の「夢」」・堀 新「実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白い」を全文公開いたします。ぜひご一読ください。
本書、堀 新・井上泰至編『秀吉の虚像と実像』(笠間書院)の詳細情報はこちらから。全14章から構成されますが、それぞれのリード文も以下に掲載しています。
http://kasamashoin.jp/2016/05/post_3672.html
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堀 新・井上泰至編『秀吉の虚像と実像』(笠間書院)
ISBN978-4-305-70814-4 C0021
定価:本体2,800円(税別)
A5判・並製・カバー装・408頁
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序文全文公開
■虚像編・編者より
秀吉の「夢」、語り手の「夢」………井上泰至

 秀吉とは、どういう「個性」であったのか? 学問的な問いとしては、ひどく困難な課題だが、ひとたび秀吉を軸にこの時代の歴史を語ろうとする時、これは避けては通れない。特に文学上の秀吉像とは、その「個性」についての解釈の歴史そのものだったと言ってよい。こうして「レジェンド」となった秀吉の「個性」といえば―明るさの中にある狡知・機転・精励・寛容・大志、そして、出自の低さからくるコンプレックスと一体の承認願望といった言葉がまずは浮かぶが、詳しくは虚像編の各章によられたい。
  露と落ち露と消えにし我が身かな難波のことも夢のまた夢
 信長に見出されてから、武将としては異例の幸運に恵まれるが、家族の縁は薄く、しかし妻は賢夫人、晩年側室との間に子に恵まれるがその将来を心配しつつ、この世を去る他はない。人間の抱える矛盾と魅力が、これほど語られてきた存在も、日本の長い歴史で稀有なのである。秀吉が実際そのような個性であったかどうかは今おくとして、本書の章立ては、実像編の編者堀新さんの提案を、丸呑みできたことから見ても、この時期の政治史は秀吉という個性と切っても切り離せないことは明らかだ。
 本書の実像編は、一次史料を中心に、高度に精緻な形で構築された秀吉とその活動の「実像」を解き明かしている。虚像編からは、それを鏡とし、バネとして飛躍していった、秀吉を巡る「レジェンド」の成り立ちと、その有りようを確認できる。これまでになかった試みである。
 思えば、それは秀吉だからこそ可能であったというべきか。その秘密は、秀吉の異例の出世にある。ひどく身分の低いところから天下人になったという「夢」、それも大きい。当然、条件に恵まれない後世の人々の「夢」を託すことができる。
 しかし、裏返せば、彼は本能寺の変の後、山崎の合戦で明智光秀を討つことで突如主役に躍り出たからこそ、「レジェンド」になりえたという見方もできるだろう。そのドラマチックな展開も魅力だが、誰も注目していなかったところに史料は残りにくい。かえってそこにこそ、伝説化の沃野は拡がっている、という逆説がある。
 人々は、関白任官・大坂城築城・天下統一・太閤検地・近世京都の整備・二度の外征と、評価はさまざまだが、彼の大仕事の数々と、それに比しては哀れな豊臣家の末路を知っている。ひるがえって、その前半生は謎に満ちたままである。結果、「実はこうであったのだ」「実はそうであったのか」、というふくらましがこれほど期待される政権担当者も、日本史上そうはいなかったのではないか。
 このありそうでなかった本の、その先にある問題についても少しふれておきたい。本書を手に取られた方は、実像編の各章が、可能な限り一次史料によって記述がなされ、その学問的な最新の果実にふれて、別の意味で、「実はそうであったのか」と知的興奮を得ることだろう。また、そこから虚像編に進むと、お馴染みの「レジェンド」がどうして生まれていったのかを知って、半ば苦笑いしながら読むことだろう。
 しかし、注意して読むと、実像編にあげられた史料の中には、虚像編と同じものが、多くはないがあることに気づくはずである。特に、戦の経緯については一次史料が残りにくく、残されたものは、豊臣家を亡ぼした徳川家の支配の時代の意識を反映していたり、自分の先祖の顕彰を意図して記述されたりするから、虚実の選り分けが難しい。ここにこそ、歴史学の研究者と文学の研究者が共同で討議すべき課題も残っている。本書は、秀吉をめぐる問題系について、新しい視角からの整理がなされていると共に、今後考えるべき問題がそこここに潜んでいるのである。
■実像編・編者より
実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白い………堀 新

 歴史学、ことに文献史学の分野では、伝統的に「実証性」を重んじる。さまざまな文献史料があるが、歴史学が重視するのは古文書・古記録であり、これらを一次史料という。戦国時代(ここでは織豊期を含める)でいえば、戦国武将の書状や知行宛行状、戦国武将や公家の日記、さらには検地帳や分国法などである。宣教師の記録や、『李朝実録』などの外国史料も活用される。その一方で、戦前までは多用されていた小瀬甫庵『太閤記』や『川角太閤記』等の軍記物語、いわゆる文学作品は編纂物であるために二次史料とされたうえ、「誤謬が多い」と烙印を押され、歴史研究において使用されることはほとんどなくなっている。たまに言及されていても、「太閤記のここが間違っている」といった内容ばかりであるから、歴史研究者の多くが文学作品だけでなく、文学研究から疎遠になるのは当然である。その結果、「実像を追究する」歴史学と、「虚像を楽しむ」文学という、歴史学側が身勝手な境界線を引いてしまった感がある。こうして、同じく戦国時代を専門としながら、歴史学と文学は「近くて遠い」関係になってしまった。
 こうした距離感は、もちろん個人的には近しい関係もあったが、戦国時代研究においては、数十年間続いていたように思う。こうしたなか、文学研究は作品テキストの徹底的な読み込みを進めていった。軍記物語は実在する合戦や人物を扱った作品であるから、前述した身勝手な境界線で言えば、「虚像を楽しむ」ためには「実像を追究する」必要がある。その過程で、戦国社会や人物の実像に迫る成果をあげていき、「実像も追究する」文学として、歴史学の領域にどんどん迫り始めたのである。
 いっぽう歴史学においても、古文書・古記録にも間違いや、本人が書いたからこその虚偽や誇張もあり、それを踏まえて古文書・古記録を分析しなければならない。「誤謬が多い」ことは、検討対象から外す理由にはならないのである。こうして再び、軍記物語等の文学作品に注目し始めたのである。この点については、以下の文章が参考になろう。
日記と文書のみでどれほどのことが語りうるのか。日記と文書だけではその記述自体を理解することすら容易ではなく、戦国軍記と称される編纂物によって筋道を辿りながら、年次や個々の固有名詞を比定することから始めて、漸く内容が把握されるというのが実のところである。つまり一次史料こそといいながら、実は二次史料によって一次史料を解釈しているのである。
(大桑斉「石山合戦編年史料をめぐる諸問題」〈真宗史料刊行会編『大系真宗史料』文書記録編12石山合戦、法蔵館、二〇一〇年〉)
 こうした状況は、石山合戦だけでなく、戦国時代研究全般に該当しよう。これを克服するためには、文学作品に真摯に向き合うしかない。「虚像も追究する」歴史学である。この転換によって、戦国時代の実像をより深く捉える道が開けて来るだろう。
 こうして、歴史学と文学双方の動きから、両者は再び近づいてきた。学際的研究の必要性が叫ばれて久しいから、むしろ遅すぎたくらいである。ただし、現在はまだ「近くて遠くない」程度の関係であるから、歴史学・文学いずれもが実像と虚像を十分に追究したうえで執筆する段階にはない。それは、「近くて本当に近い」関係になった時まで取っておくことにしたい。
 そこで本書は、豊臣秀吉を素材に、歴史学が実像編、文学が虚像編を、それぞれの学問スタイルで執筆した。実像編は、主に古文書・古記録を使用して、現在何が、どこまで明らかになっているかを述べた。そのさい、必要に応じて典拠となる古文書・古記録を示している。これに対して虚像編は、一般に流布している歴史常識が、どのような軍記物語によっていかに形成されたのか、その虚像のあり方を浮き彫りにしている。この両者があわさることによって、「実像も虚像も追究する」ことができるのである。それは、豊臣秀吉という人物はもちろん、彼の生きた社会もより深く理解することである。それだけでなく、秀吉死後の時代の姿をも、豊臣秀吉という人物とその伝説を通じて掘り下げることでもある。
 「実像も虚像も追究する」歴史学と文学のコラボレーションには、このような大きな可能性と魅力がある。実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白いし重要なのである。本書がそれを十二分に発揮できていないことを危惧するが、その第一歩として、意のあるところを汲んで頂ければ幸いである。