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2016年5月15日

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●ウェブサイト「殿様が作った美しい浮世絵 江戸廼花也(長州藩主毛利斉元)の狂歌遊び」【慶應義塾大学・津田眞弓氏】にて、摺物データベース、リスト公開[2016年3月30日]。

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●公式サイトはこちら
殿様が作った美しい浮世絵 江戸廼花也(長州藩主毛利斉元)の狂歌遊び
http://user.keio.ac.jp/~sakura/hananari/index.html

江戸廼花也(長州藩主 毛利斉元)摺物データベース
http://user.keio.ac.jp/~sakura/hananari/sdb/

江戸廼花也摺物リスト
http://user.keio.ac.jp/~sakura/hananari/list.html

【江戸廼花也(毛利斉元)について

はじめに

 毛利斉元は、狂歌師「江戸廼花也(えどのはななり)」として1820年代から没する1830年代半ばまで、初代歌川国貞、渓斎英泉、歌川国芳を中心とした人気絵師に依頼して、私家版の美しい狂歌摺物を数多く作った。その正体は浮世絵研究においては長らく不明で、しばしば自作の俗謡の歌詞を載せた浮世絵の出来は、研究者に音曲関連の人物かと錯覚させるほどであった。
 毛利家の資料には斉元の狂歌名がわかる資料がいくつか存在するにも関わらず、なぜ花也の正体が不明だったかと言えば、彼の地元の主要機関(山口県立文書館、毛利博物館、萩市美術館)に、その浮世絵が残っていないことが原因だろう。経緯は未詳だが、ほかの摺物同様、花也の摺物の多くは海外にわたっている。県下の人物が大正期にその摺物を見た記録(「斉元公御戯作集」)があるが、その後は浮世絵の存在すら忘れられてしまった。一方、浮世絵関係者の間には、それらが長州藩主の手になるという情報は伝わらなかった。両者の情報が長い間むすび合わなかったのである。
 花也の摺物はその関連作や肉筆の絵も含めれば、八十に迫る。これらの浮世絵は絵画や文学、また長州藩の歴史的資料として有益なのはもちろんだが、近世期の大名が作ったということを念頭に見直すと、さらに広い研究領域を越えた視野を与えてくれるように思う。なぜなら、殿様の意外な趣味は、藩主の私生活における身分を越えた様々な人物との交流がなくして成立せず、江戸時代の文化形成がいかなるものだったかを考えさせてくれるからだ。そこにこそ、この資料群の大きな価値があると考える。
 私は2008年に行われたリートベルグ博物館(スイス)の摺物展に際して、ジョン・カーペンター氏の要請で「柳桜亭江戸廼花也」という狂歌摺物の制作者が誰かということを報告した。それ以来、斉元に関する調査を続けてきたが、欧米に散らばる資料を追いかけるには限界がある。そこで海外はもちろん、日本国内における所蔵の確認や新たなる資料の発見を期し、現在の時点で知りえた情報を誰もが見やすいウエブサイトの形で公開することにした。
 このサイトの出発に際し、最初の報告以来、惜しまぬ協力をしてくださった方々、また調査の便を図ってくださった所蔵機関の皆さまに心よりの感謝を申し上げる。このデータベースがささやかな恩返しになることを願っている。】


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