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2016年3月29日

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●福田安典『医学書のなかの「文学」 江戸の医学と文学が作り上げた世界』(笠間書院)

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5月上旬の刊行予定です。

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福田安典『医学書のなかの「文学」 江戸の医学と文学が作り上げた世界』(笠間書院)
ISBN978-4-305-70804-5 C0095
A5判・並製・カバー装・280頁
定価:本体2,200円(税別)

それは「医学書」なのか、「読み物」なのか。理系×文系という対立構造のなかでは読み解けない、面白い江戸の本の世界!
江戸時代には医学書や本草書の知識無しには理解できない作品や文化交流が存在していた。それは現代風に医学と文学とにジャンル分けして論じていては、そのありようを把握できるはずもないものである。
本書は、医学書に通じていなければ読み解けない作品、逆に言えば医学書に通じていれば簡単に読み解くことのできる作品を紹介、また、江戸期を通じて愛されたヤブ医者竹斎(ちくさい)の周辺を詳しくたどりながら、医学と文学が手を携えて作り上げた豊かな世界をつぶさに検証する。本書により、いままでとはまったく違ったもう一つの「江戸時代」が導き出される。

【......医学書と読み物がそれぞれの必要性から、接近あるいは越境する現象が近世にはあったのである。というよりは、その当たり前の現象を、現代の学問体系から勝手に理系/文系の対立構造を押しつけて、別の領域として存在しているがごとくの共同幻想を抱く側にそもそもの問題があるのかもしれない。医学書と読み物との間には実は何もなく、ただ現代の学問が作り上げた「異領域」という幻想があるだけなのかもしれない。】......第1章第6節より

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■著者紹介

福田安典(ふくだ・やすのり) Fukuda Yasunori

1962年大阪生。大阪大学文学部卒。同大学院文学研究科後期課程単位取得退学。博士(文学)。専門は日本近世文学。
大阪大学助手、愛媛大学教育学部教授を経て、現在日本女子大学文学部教授。
著書に『浪速烟花名録』(大阪大学国語学国文学研究室編、和泉書院、1995年)、『都賀庭鐘・伊丹椿園集』(共著、国書刊行会、2001年)、『医説』(三弥井書店、2002年)、『三輪田米山日記を読む』(共著、創風社、2011年)、『平賀源内の研究 大坂篇―源内と上方学界』(ぺりかん社、2013年)などがある。

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■ご予約・ご注文こちら
直接小社まで、メール info@kasamashoin.co.jp または下記のフォームで、購入希望としてご連絡ください(書名・冊数・お名前・ご住所・電話番号を明記してください)。
http://kasamashoin.jp/mailform.html

■オンライン書店でのご購入はこちらをご参照ください
http://www.hanmoto.com/bd/isbn9784305708045.html

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【目次】

序 章●医学書のなかの「文学」

第1章●それは「医学書」なのか、「読み物」なのか

はじめに

第1節●愉快な書物―「読み物」としての医学書
近世滑稽文学なのか、医学史資料なのか/読ませて楽しませる、挿絵に「仕掛け」のある医書

第2節●『医者談義』談義―人文学と自然科学という対立を無化する書物
『医者談義』は談義本か―教訓書の姿勢/浮世草子も談義の道具になる

第3節●医学書に擬態する文学作品たち、さまざま
医書人気にすがるマンネリ談義本―『教訓衆方規矩』/『万病回春』の精神の後継者、医学書『世間万病回春』/ありきたりの教訓書に飽き足りない読者への新趣向/
1 売らんかなのための医書擬態―『神農花合戦』『加古川本草綱目』
薬と病の異類合戦『神農花合戦』/発売直前に医学書の扮装をした『加古川本草綱目』
2 題名のみの擬態―本草綱目物
忠臣蔵ものの新趣向『加古川本蔵綱目』/「綱目」から「盲目」へ、『垣覗本草盲目』/平賀源内の死を当て込んだ『翻草盲目』/「見立絵本」の系譜にある『本草盲目集』
3 医家書生の戯作1―『瓢軽雑病論』
日本の医師批判の洒落本『瓢軽雑病論』は単なるもじりなのか/まずは文章を比較してみる/作者の意識を探る―もじりを逸脱し、当代の医者を揶揄する/もじり、揶揄のその先にある、単純ではない事情/「医家書生の戯作」を読み解くには/医学界のスキャンダルを当て込んだ?/作者が上方のグループと交渉があって、彼らを意識した?/出版を巡る大坂と江戸のいざこざ?
4 医家書生の戯作2―『本朝色鑑』
初期の医学書生の正統戯作
5 本草書に擬態した漢詩文の傑作―柏木如亭『詩本草』
ブリヤ・サバラン『美味礼讃』と並ぶグルメ詩話/本草書を傍らに置けば読書の愉悦が増える『詩本草』の読み方/「医学書に擬態する文学作品たち」の優品『詩本草』

第4節●江戸のカルテ、医案の世界―『武道伝来記』にみる西鶴のねらい
玄芳の「種方付」(処方プラン)/周益の「種方付」(処方プラン)/両者の言い分を整理する/玄芳の見立ては本当にデタラメだったのか/では、周益の見立ては正しかったのか/では何故西鶴は「種方付」の趣向を案出したのか
1 医道のまじはり、医師のドラマ
『武道伝来記』と展開が似ている曲直瀬玄朔(二代目道三)『医学天正記』/将軍から庶民まで、曝かれたカルテ集『医学天正記』/他の医師の失敗を記すことが、医案の信頼性を担保するという、江戸期のスタイル/『武道伝来記』の長々とした漢文「種方付」の可笑しさを解く鍵/西鶴が描いてみせた「医道のまじはり」の狙い

第5節●江戸以前の医学の文芸―御伽草子『不老不死』
医学知識を披瀝しながら神仙の世界を描こうとする
1 漢方医学を装わせて描く『不老不死』―耆婆の伝
『不老不死』の典拠と、逸脱している増補/増補部分に漢方医学と仏教医学が混在する理由―笑いを狙った増補ではないか/都賀庭鐘の『通俗医王耆婆伝』
2 医学知識は新趣向のスパイス―読者層を考える
『不老不死』の製作・享受の場には医学に通じた人物が必要だった/確実に読者層の変化と広がりを裏づける『不老不死』/近世初頭の草子屋は医学の世界にも食指を動かしていた

第6節●「医学書」と「読み物」の間にある幻想

第1章・注

第2章●江戸期を通じて愛されたヤブ医者、竹斎

はじめに
近世小説は誕生した時から「医学書」と切っても切れない関係にあった

第1節●『竹斎』のモデルは誰か―曲直瀬流医学と関わって
1 知苦斎と竹斎
竹斎は何かの名を借りて、そのもじりとして「竹の斎」と命名された/「知苦」を「竹」に転じたうえで道三をもじって、藪医の物語『竹斎』は作られた
2 東下り、京見物について
東下りプラス藪治療という組み合わせはどう作られたか/曲直瀬玄朔と豊臣、徳川―裏切りと「おもねり」/玄朔の東下り前の知己との惜別のパロディ
3 曲直瀬の落ちこぼれとしての竹斎
曲直瀬流の医学に従った描写/眼に鉄屑が入った鍛冶を磁石で治すトンデモ治療―落ちこぼれとして竹斎を上手に描く/揃えられた医書からわかること/曲直瀬の講釈は医学を超えて文化人の関心を集めていた/大慌てで逃げ去る竹斎―『竹斎』は間に曲直瀬を置けば読み解ける/曲直瀬秘伝の膏薬と竹斎/仮名草子の読者の姿―近世小説はスタートから医学書に通じていればなお面白いという要素を胚胎していた
4 「道三ばなし」の流行
真偽を問わず人気を博していた「道三ばなし」/竹斎伝説の母胎となったものは何か―曲直瀬流を標榜する医者たちの失敗談が原動力になる

第2節●『竹斎』作者・富山道冶の家―仮名草子のふるさと
1 富山家について
文化繁栄の地、伊勢射和/西鶴にも描かれた豪奢な富山家/身代を潰してまで芸能に狂うDNAがあった
2 『竹斎』と富山道冶
道冶が富山一族であったことを踏まえた『竹斎』論のために/生育環境・連歌との関わり・富山家の蔵書/富山家の財力と文化的豊饒が生んだ『竹斎』
3 富山家とその後の文芸
大淀三千風・西鶴・香川景樹/『万葉集』の善本、富山家にあり
4 現存する富山家屋敷
『竹斎』を誕生させるに相応しい、仮名草子のふるさと

第3節●「芸能者」としてのヤブ医者―唄われた竹斎
なぜ『竹斎』は「舞并草紙」に分類されたのか―「舞の本に近い要素」とは何か/草子群の末尾―「草子読みの功徳」型/草子群の末尾―「語りものの常套表現」型/共通するのは舞・語りものに近似する末尾を持ち、芸能気分に溢れていること
1 唄われた『竹斎』
黙読して楽しむものだと断ずるのは早計な『恨の介』/では『竹斎』はどうなのか―声を出し拍子や節をつけて読まれ、時には歌謡に仕立てられたのではないか
2 『竹斎』亜流作品と芸能
指摘されていた、竹斎亜流物への新視点/『医者談義』の「糞得斎」と道化人形「ふんとく人形」―道化の面影/ヤブ医の物語に見るべき、滑稽を演じる芸能者の要素

第4節●『竹斎』と文化圏が重なる『恨の介』―戦国期の医師について
女性殉死というはかなく美しい物語―これを書き得たのはどのような人物か
1 木村常陸介の娘
常陸介の娘は虚構だったのか―医家・竹田家の記録を繙く
2 医家、竹田家について
歌い舞う医師、竹田法印/竹田家を概観する/『恨の介』は文芸製作とも無縁ではない竹田家周辺で生まれたか
3 『恨の介』と芸能
「語りもの」の枠組みを持つ『恨の介』の冒頭と末尾/『恨の介』作者の芸能に対する並々ならぬ精通ぶりと気配り
4 『恨の介』の作者が竹田家周辺にいたと想定してみる
5 読者は『恨の介』に何を見ていたのか
『恨の介』の作者/曲直瀬と竹田の対抗意識が及んだその先/奇妙な『恨の介』主人公設定の理由/近世初期小説を解明するために必要な資料

第5節●江戸文芸の発展を映し出す、御伽の医師の「書いた物」
曲直瀬玄朔と竹田家周辺/御伽の医師の「語り」は「書き物」となり、滑稽、芸能と結び付く「文学書」になる/ヤブ医の物語の行方―滑稽と教訓/貞享年間〈一六八四〜八八〉には出来上がっていた『竹斎』が医道教訓だとする捉え方/近世文芸の発展を映し出す、滑稽・教訓・謙辞という三つの展開

第2章・注

結 章●近世文学の新領域
文学とは何か/近世期から指摘されていた、医学書と文学書との接近や境界のゆらぎ

コラム●医学書のある文学部研究室から―いかなる手順で医学書を操ったか

●あとがき
●図版一覧/初出一覧
●書名索引/人名索引/事項索引
中醫經典被「另類改編」成娛樂刊物!?[陳羿秀]
Breaking boundaries between literature and medicine [ボグダン真理愛]

本書所収▼医学書メモ一覧
『本草備要』/『歴代名医伝略』/『黄帝内経素問』/『衆方規矩』/『万病回春』/『傷寒論』/『神農本草経』/『本草綱目』/『金匱要略』/『本朝食鑑』/『大和本草』/『医学正伝』/『医学天正記』/『医案類語』/『啓廸集』


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中醫經典被「另類改編」成娛樂刊物!?

陳 羿秀[お茶の水女子大学(院)]

 在日本江戶時代(十七世紀初至十九世紀後半)出現了一些需具有醫學(指以中醫理論為基礎的日本漢方醫術)知識及須精通相關醫學著作方能理解的文學作品。而從事這類著作的作者抑或其讀者,具有醫學背景,平時可能一面運用醫書從事醫業,一面卻將這些嚴肅的醫學專書改寫成通俗文學作品,或成為其讀者。因此,醫學專書既是他們賴以為生的工具;亦是其自娛自樂的一種方式。

 然而,隨著時代的推進,從事醫學著作改編的作者漸漸的已不侷限為醫師,一些非醫師本業者也加入改編醫書以娛樂大眾的行列,使原本枯燥乏味的醫學經典,經由作者巧妙的改寫後,搖身成為通俗的大眾文學,使作者與讀者層面擴大,即使非醫學專家的讀者也能藉由閱讀這些作品而間接獲得醫學相關知識。但對他們而言,閱讀這些讀物的初衷並不是為了獲得醫學知識,而只是單純為了打發時間並娛樂自己而已。

現代人潛意識裡認為醫學與文學是各屬不同的領域,但於江戶時代,醫學與文學確實是無法分類的。而藉由這些具有娛樂性質,但卻也需有醫學或本草知識才可理解的醫學改編文學,印證醫學與文學是可相容的,且經由改編者的巧思將其發揮得淋漓盡致。透過這些漢方「醫學」經典改編成的詼諧「文學」作品,闡明醫學與文學間的關係,是本書作者福田安典教授特別想深入探討的。

 於江戶時代的確存在不少需要醫學知識才能理解的文學作品,例如在江戶中期,有一本在日本京都出版以妓院為題材名為《本草妓要》寶曆年間(1751─1764)的庶民文學,《本草妓要》的書名是參照《本草備要》而命名,即使是序的部份也依據《本草備要》的和刻本(於日本刻版複製且漢字旁附有日文讀法之中國書籍)的「序」逐字改寫成符合妓院情境的內容。而內文中的插圖〈妓類附圖〉(圖1)則仿照李時珍的《本草綱目》中之〈木部香木類附圖〉(圖2),將原本為植物圖鑑的內容, 詼諧改編成各類層級妓女的使用器具示意圖。提及《本草綱目》,江戶時代中後期出現許多看中《本草綱目》的知名度,而模仿《本草綱目》的書名,藉以吸引當代讀者的注目,進而換取銷售量的文學作品。譬如明和5年(1768年)出版的《加古川本草綱目》,其書名即是融合《本草綱目》與當代知名的淨瑠璃劇本《假名手本忠臣藏》中的出場人物「加古川本藏」,本書除了書名及故事最初介紹本草學歷史的部分參考《本草綱目》「歷代諸家本草」之外,其餘的內容與《本草綱目》皆無關係;而文政2年(1819年)出版的《本草盲目集》是本娛樂取向刊物,其書名雖取自《本草綱目》之諧音,但內容與《本草綱目》毫無相關,若將《本草盲目集》(圖3)與《本草綱目》(圖4)的封面擺在一起,應可更清楚看出兩書性質之差異。


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《本草妓要》(圖1)
「太夫,天神,白人,藝子為關西地區妓女之階級名稱」

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《本草綱目》(圖2)

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《本草盲目集》(圖3)

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《本草綱目》(圖4)

 《本草妓要》與上述作品相對照,其不僅是書名參照醫學著作,文章主體內容也依照當時日本京都著名的漢方醫師香川修庵的兩本著作《一本堂藥選》和《一本堂行余醫言》來作巧妙的通俗化。例如:
 
凡藥之美惡真偽故,醫人之所當識辨,藥不真美病不可癒。《一本堂藥選・凡例》
凡妓之美惡真偽故,嫖客之所當識辨,妓不真美茍不可買。《本草妓要》

 以上兩則對照可顯示出經過改編後,能將一本原來生澀的醫學專書轉換成會心一笑的刊物。因此,若想要了解《本草妓要》究竟如何被<另類>改編,必須要先精通《本草綱目》及修庵的《一本堂藥選》《一本堂行余醫言》,以它們作為基石,才能完全理解本書的詼諧之處;但遺憾的是《一本堂行余醫言》的刊本至今尚未齊全,當時此書的流傳僅靠其子弟間的抄寫本,一般大眾無法窺其全貌,可見《本草妓要》的作者及讀者必然是精通修庵著作的人,例如都賀庭鐘這位修庵的得意門生,他擅於寫雅俗共賞的作品,就極有可能是此書的作者或讀者。本書屬當代典型的醫書改編著作,這類的作品可能當時在同好之間私下流傳,而其作者或讀者就如同都賀庭鐘一般,一邊從事醫業,一邊於閒暇時將醫書改編成妓院文學用以抒發壓力。

 修庵是提倡儒醫一體的古方派(江戶中期興起的漢方醫學門派,批判宋代以後的醫學著作,提倡重現宋以前的醫學療法)大家,但因其個性擇善固執,而易引發當代文人對他的嘲諷,如平賀源內在他的《放屁論》等著作中對他嘲弄和批判;但也有敬佩他的人,比如曾私淑修庵的江戶後期漢方醫師橘南溪,就曾在其隨筆《北窗瑣談》裡提到修庵年少時因太忙於醫治病人,而不曾在行醫時中途如廁的軼事,諸如此類的逸聞,傳為美談,可見其行醫之認真態度。而其弟子中自然有景仰這位老師者也有嘲弄的,對他的弟子而言,平時奉老師的著作為金科玉律,當一旦脫下醫袍化為文人騷客時,老師的著作即刻轉變成他們調侃改編的對象。

 《本草妓要》一書出乎意料的受到當時讀者們的熱烈歡迎,而不斷的再版,其讀者群也擴展至修庵的弟子以外的一般民眾,而這本書的讀者大多是不精通醫學的門外漢,他們有可能會發現這本書與修庵的著作有相關,進而在閒暇時將修庵的著作找出來閱讀嗎?還是只有醫生才能看穿本書與修庵著作的關連呢?若真為了將《本草妓要》「融會貫通」,而特地去翻閱如《一本堂藥選》等專業醫書的讀者存在的話,那麼,我們是否可說修庵的著作不僅只是醫學專書,並具有近似文學讀物般的存在意義呢?從《本草妓要》書中所舉的例子可知於江戶時代醫書與文學作品的界線比現代人想像中更為模糊。

以下再舉一例,各位是否可分辨出A與B何者為醫學作品,又何者為文學作品呢?

A太陽病,項背強几几,無汗惡風,葛根湯主之。
B知是太陽病,脈浮頭項強,藥方何所主,仲景葛根湯。

 A是醫學書《傷寒論・弁太陽病脈證并治》裡的醫學理論,而B為文學作品《茶果子初編》裡的五言絕句,這首詩在文句上很難說它有改變成詼諧的詩文意味,只是將《傷寒論》的文章改寫成韻文以利於當代人背誦;它的重點並不在於其文學價值,而在於它不僅是作者自得其樂的小品文,且因獲出版商青睞,將其印刷成為民間廣為流傳的讀物。由此觀之,醫學經典也因改寫成為大眾文學而使讀者群擴大。

 江戶中期的醫師兼文人勝部青魚曾於《剪燈隨筆》中提到,當時的思想界流行伊藤仁齋等人的古學派(否定宋明理學,強調回到孔孟時代的復古運動),而此派之風氣傳至醫學,更甚至影響國學(盛行於十七十八世紀的日本,專門研究考據日本古代文學與神道),以致萬葉集和歌的研究因而盛行。換言之,當代確實有文人認為儒學的古學派影響擴及到醫學的古方派甚而再傳至國學的研究,可見醫學融合文學,它們之間的相關性在那個時代是有其脈絡可尋的。綜觀前所述,現代人總認為醫學與文學是不相關的領域,但這樣的分類法卻無法完全掌握江戶文化之全貌。期盼各位讀者能透過本著作,對江戶時代的醫學與文學之間的關係有全新的認識。

---日本語訳---

パロディ化された中国医学書!?
陳 羿秀[お茶の水女子大学(院)]


 日本の江戸時代(17世紀〜19世紀)には、医学知識(ここでの医学とは、古代中国医学をベースとした日本漢方医術を指します)がないと理解できない文芸作品が数多くありました。この種の作品に携わる作者と読者は、いつもは医術に従事しながらも、その合間に、医学専門書をパロディ化したり、そうして出来上がったパロディ作品の読者になったりしました。医書は彼らにとって、商売道具であると同時に、自分を楽しませてくれる娯楽書でもあったのです。
 そういった医学書をパロディ化するという遊びは、時代が進むとやがて医学の関係者でない人にも及んでいきます。固苦しいはずの医学書も巧みな改編によって、娯楽性に富んだものに変身し、通俗的な大衆文学になっていきます。本来は医学の専門家でない読者も、これらの作品に目を通すことによって、間接的ながらも医学知識を身につけることができるようになったのでした。パロディ化された医学書は、もはや専門書ではなくなり、「文学作品」になってしまったのです。
 本書は、こういった医学書及び本草学の知識を必要とする医学書のパロディ作品を中心に取り上げ、医学と文学の関係を明らかにするものです。

 医学書の知識がなければ理解できない作品には、例えば、京都の初期洒落本(江戸中期の戯作の一種で、主に遊廓(妓院)を舞台にしている)に『本草妓要(ほんぞうぎよう)』(宝暦頃〈1751〜1764年〉)があります。この作品は題名からして、『本草備要(ほんぞうびよう)』(1682年頃、清・汪昴著)という中国の医学書のもじりであることがわかるのですが、その序文の内容も『本草備要』の和刻本(中国などの本を日本で覆刻し、さらに訓読のための返り点やルビなどを付加したもの)を逐語的にもじったものなのです。この『本草妓要』の挿絵「妓類附図」(図1)も『本草綱目』の挿絵「木部香木類附図」を模したもので(図2)、『本草綱目』の本来植物図鑑的な内容を、見事に遊女(妓女)の持ち物にパロディ化したのでした。『本草綱目』といえば、江戸時代中後期に『本草綱目』の知名度を見込んで、その書名をもじって出版された、いわゆる「本草綱目物」が数多く誕生しました。例えば明和5年(1768年)刊『加古川本草綱目』の書名は、まさに『本草綱目』と『仮名手本忠臣蔵』(人形浄瑠璃及び歌舞伎の演目で、1748年が初演)の登場人物である「加古川本蔵」を融合させたものです。『加古川本草綱目』と『本草綱目』との関係は、書名と冒頭の本草学の歴史を紹介する部分だけにとどまります。その他、文政2年(1819年)に刊行された『本草盲目集』も大衆向けの娯楽作品ですが、書名こそ『本草綱目』の影響を受けていますが、内容はは全く『本草綱目』のパロディになっていません。両書の表紙を並べると一目瞭然です(図3・4)。
 『本草妓要』はこれらパロディの方法と比べると違いがあります。書名を『本草備要』からもじっただけでなく、内容も、当時京都著名な医師香川修庵(かがわしゅうあん)(1683〜1755年、江戸中期の漢方医)の著作『一本堂薬選(いっぽんどうやくせん)』と『一本堂行余医言(いっぽんどうこうよいげん)』を遊廓の世界に即して巧妙にもじって作っているのです。一例を挙げましょう。

  凡薬之美惡真偽故,医人之所当識辨,藥不真美病不可癒。『一本堂薬選』
  【訳】凡そ薬の美悪は、もとより医人が識り弁ずる所である。薬が真美でなければ病は癒えないであろう。
  凡妓之美惡真偽故,嫖客之所当識辨,妓不真美茍不可買。『本草妓要』
  【訳】凡そ妓(遊女)の美悪や真偽は、もとより漂客(遊客)が識り弁ずる所である。妓がまことに美しくなければ、買ってはいけない。

というように、固苦しい医学書は一転して遊廓のガイドブックに変わってしまうのです。

 問題は、この『本草妓要』の面白さを理解するに、修庵の著作に精通しなければいけないことが条件だということです。しかも『一本堂行余医言』のほうは、当時写本で門人の間に流通していたに過ぎず、『本草妓要』の作者はもちろんのこと、読者も修庵の作品に詳しくないとこの作品を鑑賞することはできません。本書の作者や読者は、例えば修庵の弟子で雅と俗という二つの領域の文芸にまたがる人物、都賀庭鐘(つがていしょう)(1718〜1794年、江戸中期の読本作家、医師)以外は考えられません。この作品は、いかにも京都の初期洒落本らしく、当初は仲間内だけで閲覧されたものでした。その作者や読者は、庭鐘のように、日頃修庵の医書をもって医術に従事し、そのかたわら医書をもって色遊びを語っていたに違いありません。

 修庵は「儒医一本論」を唱えた古方家(江戸中期に起こった漢方医学の党派。宋代以後の医学を批判し、宋以前の医学療法を重用した)の大家でした。しかし頑固で真面目な性格で、時には当代の文人たちの間で嘲笑されていました。平賀源内(ひらがげんない)はそれを『放屁論(ほうひろん)』という作品で皮肉っています。逆に江戸後期に修庵に私淑した橘南溪(たちばななんけい)は『北窓瑣談(ほくそうさだん)』に、修庵が治療が忙しいときにはトイレさえ我慢していたという美談を記しています。そのきまじめな修庵の性格は賞賛されると同時に、嘲笑の対象にもなったのです。

 『本草妓要』は当時の読者に歓迎され、その後も版を重ねていきました。読者は修庵の弟子を越え、一般大衆に広がっていきます。その読者はほとんどが医学に堪能ではありませんでした。読者はこの作品と修庵の医学書との関連を見出すべく、暇な時間に医学書を読んでいたのでしょうか。それとも医師だけがその関係と、そこに潜むおもしろさに気付くことが出来たのでしょうか。『本草妓要』を読むためには修庵の医学書だけではなく、医学全般の知識も必要です。この事情は「医学書」と「読み物」が限りなく近いことを示します。江戸の医学書や文学との境は、現代の私たちの世界では想像できないほど、明確ではなかったといえるでしょう。

 最後に別の例をあげます。以下の、AとB、どちらが文学書で、どちらが医学書でしょうか。

  A 太陽病,項背強几几,無汗惡風,葛根湯主之。
  B 知是太陽病,脈浮頭項強,藥方何所主,仲景葛根湯。

 Aが医学書『傷寒論(しょうかんろん)』「弁太陽病脈證并治」で、Bが文学作品『茶果子初編(ちゃかししょへん)』の五言絶句なのです。この狂詩は『傷寒論』の文章を利用しているのですが、そこにどこまで面白さを見出せるでしょうか。医学書を知っていてこその面白みがわかり、読者ももちろんそれを知っていなければならなかったのです。

 江戸中期の医師にして文人の勝部青魚(かつべせいぎよ)は『剪燈随筆(せんとうずいひつ)』に次のよう記しています。「当時の思想界は、儒学では伊藤仁斎らの古学派(宋明代を否定し、孔孟に戻れとの運動)が起こり、それが医学の古方家に伝わり、やがて日本の国学(17〜18世紀の日本で流行した日本古代研究)に発展し、万葉集や和歌の研究が進んだ」と。医学と文学とのとの融合や関連は、江戸時代において不可分でした。現代では医学と文学は全くの別領域ですが、その意識では日本の江戸文化の全体像を把握できません。この本で読者は、江戸時代の文学と医学との関係について、新しい見方を持つことができるはずです。

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Breaking boundaries between literature and medicine

ボグダン真理愛[愛媛大学(院)]


  When a person hears the expressions "medical books" or "books on herbal medicine" (『本草書』honzousho in Japanese), they often associate them with scholarly (and often dry) reports on research and findings in these sciences. Yasunori Fukuda, however, takes a fresh look at this "scientific literature" and opens our eyes to the fact that it is, in fact, literature.

  In the academic world, we often see a focus on differences between subjects, a focus that leads to the creation of multiple, highly specialized genres. A problem with this line of thinking is that when you concentrate on the differences, you tend to view genres in isolation―as though they have been developed completely independently of each other―and can often miss the important connections that exist between them. We need to realize that a genre is merely an artificial construct in a person's mind used in categorizing the outside world which we perceive.

  Once the foundation has been laid in which objects or concepts have been separated, given individual concrete definitions, and organized into systems, we also need to shift our focus more onto examining the connections and interactions between them. Finding new connections and offering ways to see the everyday world from a more holistic point of view can lead to us having a richer, deeper perspective of the universe.

  The shift to an interdisciplinary focus can be observed in recent changes in pedagogical approaches. For example, the new curriculum which Finland will put into effect in August of 2016 will depend heavily on a move toward phenomenon-based teaching, which is a move away from subjects and toward interdisciplinary topics. In Switzerland, another country renowned worldwide for its educational system, elementary school students, rather than being taught "subjects", are able to decide on a theme and learn whatever is related to that theme through a certain period of time.

  For instance, if they decide to learn about horses, they may read stories about horses, learn the history of the horse, look into their bone structure, or even calculate their average speed when they run. In this way, the learning process for such a project can, for example, draw upon Physical Education (by actually riding a horse) and Art (by drawing pictures of horses), among other disciplines. Even though this novel approach to education can be difficult to put into practice in an ideal way―considering what is involved in trying to balance the level of the things you teach and attempting to cover every field―it shows great potential in children's education and has been gathering attention from all around the world. It is becoming evident that more and more people are realizing the importance of looking into the connections and interactions between different genres and the value of building a holistic point of view.

  In recent years, interest in analyzing medical books, a genre which had been largely neglected in the past, has been on the rise. However, those who have worked with only "pure" literature in the past can find the prospect of dealing with medical texts quite daunting. This book by Professor Fukuda provides an easy-to-understand introduction for such readers.

  One can not consider research into or enjoyment of literary works written from around the early seventeenth century to the late nineteenth century complete without a look into the medical books written during that period. In order to understand those types of books, you need to be well-informed about medical books that are related to them. The authors and readers of these medical works viewed them not only as reference material for their medical practice, but also as literature to be enjoyed for its own sake.

  While such books were, of course, usually used as tools in the medical trade, they also began to be regarded as works of parody that could be enjoyed away from the job. In this way, we can see a process of evolution in which medical books came to be used in a way apart from their original purpose.

  Eventually, this type of literary pursuit started to spread among people who did not practice medicine, and many parodies of medical books began to emerge. This trend had the end result of producing many readers who did not actually practice medicine, but who held a knowledge of medical books. They would pick up medical books just to enjoy them for their "literary" value. The present book introduces us to examples of such works and shows where "medical" and "literary" can crossover with one another, making a distinction between them blurred.

  On p.102, we see a case in which a medical work takes on aspects of a literary work. It is a "fill-in-the-blank form" published in 1778 to aid in easily producing a medical chart/record for a patient, in which the doctor can fill in the pertinent data. Medical records based on such forms were quite common in the period.

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  The doctor can begin by including information one would typically expect, such as the name, age, and symptoms of the patient. It then goes on, however, to describe failed treatments by other doctors as "murder" and then suddenly stress the amazing success of the present treatment and how it surprises even the doctor himself and astonishes relatives. In this way, the medical record reads as if it comes from the scene from a highly dramatical play.

  In Dr. Fukuda's commentary, he suggests that such sensationalism was deemed necessary to add to the credibility and vividness of the record. Reading such records gives the reader a certain sense of enjoyment or entertainment, as if they were reading the script from a dramatized literary work.

  Now let us look at another example from the book (p. 30-31). Can you tell which of the two is the original medical book?

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  It is the one on the left. This was a medical book written by a skilled medical practitioner from the early Edo Period named Dousan Manase, a book which was in widespread use at the time. On the right, however, you see a literary work which imitates the original medical book in order to get people's attention. In this parody, a prescription to cure a "distortion of the mind" is written by merely making an analogy to the medical book. Doctors can cure optic and oral distortions, but not distortions of the mind. You can see in the lower part of the right-hand figure an itemized section which resembles a list of medicines, but which is actually a list of books of moral teachings and Dangibon books (literary works that contained both humor and teachings popular in the Edo Period). In this way the parody plays on the medical book, and it only worked effectively based on the presupposition of the fact that "Deviated eyes and mouth lead to optic and oral distortion" was widely known to people.

  Such medical texts stood not as specialized books, but were treated as "reading material". We need to throw out the preconceived notion of seeing literature and medical books as being completely separate entities with no common ground, and then we can realize the value in reading medical works published in the early modern era.

  This present work discusses books that require a knowledge and an understanding of the world of medicine and medical herbs especially for people who have not studied medicine in order for them to understand these "literary works".

  As the title of this book, "The 'Literature' You see in Medical Books", clearly suggests, we can find elements of what we would commonly consider to be "literature" contained in medical works.

  You could say that Yasunori Fukuda is opening a new window onto the study of literature.

  The book consists of the following sections:

Introduction
Chapter One: "Medical books"? or "Literature"?
Chapter Two: Chikusai; a Fictional Quack Doctor beloved by readers during the Edo Period
Conclusion: New Fields of Edo-Period Literature

  In the first chapter, the author begins with an analysis of a book titled "Isha Dangi (Lectures for Doctors)", a work which can not be easily categorized as a medical book or a literary work, but rather takes on both roles. He then goes on to provide an overview of other works which, at first glance, have the appearance of medical books, and then follows this with a discussion of medical records from the Edo Period.

  The second chapter centers upon a work called "Chikusai", which is considered to be a representative of kanazoshi, or "books written in kana" and has been called an exemplary novel from the modern period. It also discuss books that are in the same category as "Chikusai" and other relevant material from the viewpoint of the Manase "School" of medical science.

  The final section provides us with general observations and conclusions based on the analyses and discussions of the earlier sections.
  Even the reader who wants to look into medical books from solely literary point of view will still need some basic medical knowledge. With this book, Yasunori Fukuda has provided us with entertaining and insightful perspectives on how to create a foundation which will allow us to enjoy this intriguing area of literature.


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