福田武史「『齋藤和英大辞典』」[これが面白い! 古典の訳さまざま]【特集・古典の現代語訳を考える】●リポート笠間59号より公開

リポート笠間59号より、福田武史「『齋藤和英大辞典』」[これが面白い! 古典の訳さまざま]、を公開いたします。
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福田武史「『齋藤和英大辞典』」
 編集部から与えられた題目の趣旨にはずれるが、日本文学の優れた英訳を存分に楽しめる一冊として、稀代の英文学者であった齋藤秀三郎(一八六六年~一九二九年)の学識と感性が詰めこまれた『齋藤和英大辞典』を紹介したい。戦前に刊行された和英辞典であるが、読むたびに新しい発見があり、今なお色あせない。たとえば、取り合わせの良いもののたとえ「梅に鴬」、これに相当する表現はthe rose and the nightingale(バラとナイチンゲール)だと本書はいう。花と鳥の組み合わせが対応しているだけでなく、ナイチンゲールは別名「夜鴬」であり、さらに白バラに恋するナイチンゲールの哀しい古伝説をふまえているわけで(これに取材したオスカー・ワイルドの「ナイチンゲールとバラの花」The Nightingale and the Rose等が想起される)、まさに絶妙な配合ではないか。
 さて、本書の特徴の一つは、よく知られている俳句・俗謡・和歌・漢詩を例文として採用していることにある。しかも、そのような日本語の韻文が英詩のスタイルに則して訳出されており、齋藤の真骨頂を示すものだといえる。たとえば、「ほととぎす」の項目に見られる用例文は以下の通り。
The cuckoo sings his thrilling tune ―
My eye doth sweep the scene,
And only see the waning moon
Hang lonesome and serene.
百人一首を知らなければ、これが和歌(「ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる」藤原実定)の翻訳であるとは誰も気づかないであろう。tuneとmoonと、sceneとsereneとが正しく押韻しているだけではなく、韻律(meter)、つまり音の強弱の規則的な繰り返しがあり(今回の訳に関していえば、始めから終わりまで、音節ごとに弱強弱強弱強…と強勢が交互にあらわれる)、これはまさに伝統的な英語の四行連(quatrain)そのものなのである。
一見して明らかなように、齋藤訳は厳密な逐語訳ではない。しかし、これほど的確に原作の雰囲気を読者に伝える翻訳はほかにはないのではないか。もう一例挙げてみよう。
Old garden lake!
The frog thy depths doth seek,
And sleeping echoes wake.
「かはづ」の項目。言うまでもなく「古池や蛙飛びこむ水の音」の英訳であるが、静寂を破った「水の音」をsleeping echoes wake(眠っている響きが目をさます)と擬人化して訳すセンスには目を見張るものがある。このechoesは音の反響だけでなく、蛙が池に飛びこんだことで生じた水紋の反射を視覚的に表現しているとも考えられ、また、忘れていたかつての記憶が呼び覚まされるという意味合いもある。ひとつひとつの訳語が周到に、注意深く選択されているのである。
 翻訳というものはニュートラルなものではありえず、つまるところ、それは訳者による解釈にほかならない。日本の古典文学を現代日本語に直したときには曖昧にできるものが、英訳の際にはどうしても訳者による理解を読者に明示しなくてはいけない点がいくつかある。最もわかりやすいのは、単数/複数の問題と性別の問題であろう。
 たとえば、池に飛びこんだ蛙は一匹だったのか、複数だったのか。芭蕉の研究史に疎いので、すでに決着していることなのかもしれないが、一匹の蛙だと捉えた齋藤に対してfrogsとして理解することは決して不可能ではないであろう。英訳者を常に悩ませる難問である。
 また、性別の問題に関しては、「あるじ」の項目に見られる「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」(『平家物語』)の英訳が興味深い。
Belated, ‘neath a cherry’s shade
A shelter for the night I found;
And well the fragrant flower played
The hostess to my slumber sound.
ここでは「あるじ」がhostess(女性の主人)と訳されており、性別を特定していることが目をひく。そういえば、前述の実定の歌ではほととぎすは男であった(his thrilling tune)。要するに、男が女のもとを訪ねる妻問いを自然現象の上に認めるという和歌の伝統(参照、窪田空穂「萬葉集 巻第八概説」『萬葉集評釈』)に立脚した解釈であり、動物は男性で、動かない植物は女性だという認識が齋藤のなかにあったのであろう。
 『齋藤和英大辞典』に見られる名訳の数々は、齋藤の日本文学・英文学双方にわたる造詣の深さによって誕生したもので、古典を読むにあたっての示唆に富む。英語学習者はもとより、日本文学研究者にも本書を推薦する所以である。
◎齋藤秀三郎『齋藤和英大辞典』(日英社、一九二八年)。一九七九年に名著普及会より覆刻版が刊行された。さらに、配列をローマ字から五十音順に改めるなどの修訂を施した『NEW斎藤和英大辞典』が一九九九年に日外アソシエーツから刊行され、これが広く利用されている。
◎日外アソシエーツ辞書編集部編『NEW斎藤英和対訳表現辞典』(日外アソシエーツ、一九九九年)。齋藤の日本語用例文の対訳のなかに用いられる英単語をとりだし、それを見出し語として掲出した辞典で、和英辞典から英和辞典に再編集したという性質のものである。
福田武史(東京大学特任講師)日本古典文学(上代文学、比較文学)。論文に「李嶠百詠詩題注における和名抄の利用」(『汲古』第六十四号)、翻訳に「偉大なる収斂 日本における自然環境の発見」(ブレット・ウォーカー著。『岩波講座日本の思想 第四巻』)など。