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2015年11月30日

 記事のカテゴリー : リポート笠間掲載コンテンツ

●面白かった、この3つ...滝川幸司●リポート笠間59号より公開

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リポート笠間59号より、面白かった、この3つ...滝川幸司、を公開いたします。

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面白かった、この3つ...滝川幸司(京都女子大学)


 三木雅博「菅原道真「舟行五事」再読─「讃州客中詩」の形成と「詩人無用」論─」(二〇一四年十一月二十九日、和漢比較文学会例会)は、「舟中五事」を詳細に読解して、讃岐国の抱える問題点の告発の作であると説く。そうした姿勢は、道真の讃岐時代の作に多く見られ、中国を視野に入れてもあまり例を見ないという。三木は、こうした道真の姿勢に「詩人無用」論への反撥を想定する。

 「詩人無用」の声は、道真を「純粋な文学創作者」に導いたと論じられるのがもっぱらであったが、「詩人無用」への道真の対峙の方法は、自らを「詩臣」と規定することで、「詩臣」は道真に特化して見られる用語なのだが、道真に即す限り宮廷詩宴での献詩者を意味する以上、「純粋な文学創作者」に導いたという理解は不十分であると、以前論じ、「詩人無用」という批判も「詩や詩人が根本的に無用であると非難しているのではなく、実務官僚である儒家が主張している以上、政事、実務にとって詩など無用だという批判として解すべきではないか」と述べた(滝川『菅原道真論』塙書房)。筆者は、「詩臣」以外に及ばなかったのだが、三木報告は、讃岐での特異な詩作も「詩人無用」論への反撥であったと指摘する。道真は「詩人無用」論に反撥する姿勢を持ち続け、政事、実務に役に立つ詩を讃岐に於いても試みていたのだと、納得した次第である。

 廖栄発「紀長谷雄の「詩言志」の宣言―「延喜以後詩序」を読み直す―」(二〇一五年七月二十五日、和漢比較文学会例会)の主眼は長谷雄の「詩言志」の再検討だが、瞠目すべきは、「延喜以後詩序」(本朝文粋巻八)本文の再検証である。我々は本朝文粋の本文を、新日本古典文学大系で用いるが、その校訂に疑問が提出されたのである。新大系以前、柿村重松『本朝文粋註釈』、新訂増補国史大系が用いられていたが、前者は正保刊本を底本とした田中参『校訂本朝文粋』を、後者は寛永古活字本を底本としている。しかし、新大系の底本は古写本の身延山久遠寺本である。廖報告に拠れば、「延喜以後詩序」の身延山本本文に、古活字本に拠って十文字餘が挿入されており、結果、国史大系、本朝文粋註釈と同じ本文になったのだが、この校訂は不必要で、底本のままで読解すべきだという。文脈からも首肯される。この十文字餘は、「沙門敬公集序」の本文だったのだが、古活字本に従って混入と判断され、「延喜以後詩序」に挿入されたのである(新大系校異欄参照)。古活字本に拠る校訂だが、柿村注がそのような本文を持っていることも判断基準となっていよう。折角の古写本、善本を底本としながら、このような校訂がなされてしまっているのである(土方洋一・中尾真樹編『本朝文粋の研究 校本篇』勉誠出版も同じ)。なお報告の際の質疑で、別の古写本も身延山本と同じ本文を持つことが指摘され、身延山本の本文の正当性が補強された(前掲校本篇にも注記あり)。古活字本あたりで起こった錯簡と思しいが、その錯簡のままで我々は読んで来たのであり、折角の古写本を古活字本で校訂してしまったことに疑問を抱かなかったのである。

 近年、善本の影印が多く刊行され、ウエッブサイト上でも見られるようになり、校訂本の底本に遡ることがかなり容易になった。校訂本に寄りかからない姿勢を持ちたい。が、校訂本は、読解にはやはり必要であり、どのように提供すべきなのか、或いは校本とはどうあるべきなのか、『新時代の源氏学7 複数化する源氏物語』(竹林舎、二〇一五年)は、源氏物語を題材とするが、そのヒントがある。特に中川照将「『源氏物語大成』校異篇の歴史的意義」、久保木秀夫「本文校訂のモラル」は参照すべきである。

 現在の平安朝漢文学研究の大きな問題は、良質な校訂本の提供が少なすぎる点にあると思う。すぐ手に取れるのは、菅家文草、菅家後集、本朝文粋等だろう。詳細な注釈が付された、凌雲集、本朝無題詩、田氏家集などあるものの、江吏部集を始め、未だ群書類従でしか読めない作品も多い。漢文学に目が向けられない傾向があるのも、簡便で良質な校訂本、注釈書が少ないことが一因ではなかろうか。専門とする我々は写本、版本を用いてでも読まねばならないが、初学者、他分野の研究者にそれを望むのは酷であろう。読んでもらえなければ始まらない。この点は、学界全体で考えねばならない課題であろう。

滝川幸司(たきがわ・こうじ)。著書に『天皇と文壇―平安前期の公的文学』(和泉書院)、『菅原道真論』(塙書房)、共著に『菅家文草注釈 文章篇 第一冊 巻七上』(勉誠出版)など。


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