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2015年5月21日

 記事のカテゴリー : お知らせ

●西原大輔『日本名詩選』全3巻 パンフレット公開、推薦文[林 望氏/荒川洋治氏]

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2015年6月15日発売の西原大輔『日本名詩選』全3巻のパンフレットを公開します。

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●パンフレット(PDF)は下記URLよりダウンロードできます!
http://kasamashoin.jp/shoten/meishisen_info.pdf

パンフレットの現物も送料無料でお送りいたします。
以下までご一報ください。

お待ちしております。

【連絡先】
〒101-0064
東京都千代田区猿楽町2-2-3
笠間書院 WEB編集部 
●メール
info@kasamashoin.co.jp

■各巻について

●西原大輔『日本名詩選1[明治・大正篇]』(笠間書院)
http://kasamashoin.jp/2015/05/post_3285.html
●西原大輔『日本名詩選2[昭和戦前篇]』(笠間書院)
http://kasamashoin.jp/2015/05/post_3286.html
●西原大輔『日本名詩選3[昭和戦後篇]』(笠間書院)
http://kasamashoin.jp/2015/05/post_3287.html

■推薦文

朗唱し、暗誦し、血肉に
── 林 望(作家・国文学者)

 まだ高校生だった頃、私は、「まだあげ初めし前髪の...」と、島崎藤村など諳(そら)んじては、そのおずおずとした恋情を、おのれの心と重ねあわせて、ひそかに溜息など吐(つ)いたものであった。
 やがて、高校も終わろうとするころには、「ふらんすへ行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し」と、萩原朔太郎の調べを朗唱して、自分も一個のヴァガボンドになったように思い、さかんにその模倣式の詩を書き散らしては...そうだ、俺は将来必ず詩人になろう...と遠い空を見上げもした。その頃の日々を回想した自伝的小説『帰らぬ日遠い昔』は、むろん三好達治の詩の題名を拝借したものである。
 思えば、若い時代に詩を愛し、これを朗唱し、やがて暗誦していたことが、どれほどその後の私の「ことば」を豊かにしてくれたことであろう。
 現代は、詩にとって冬の時代で、ことに若い人たちがあまり詩に熱中しなくなったのは、一つに現代詩があまりに難解になりすぎて日々の言葉から乖離(かいり)し、心に訴えなくなってしまったこともひとつの原因かもしれないが、また通史的に日本の近現代の詩を縦覧し、これを愛読できる簡要適切なテキストがなかったせいもあるだろう。
 ここに『日本名詩選』が、まさにその通史としての意識を以て、近現代の名詩を選び、付するに注釈と読解鑑賞を以てしたのは、まことに時宜に適(かな)ってめでたいと言わねばならぬ。無数の名作詩の森に分け入って、これらの詩を「選ぶ」という仕事は、按ずるに、さぞ悩ましいことであったろうと想像されるのだが、その苦辛の果てに本書を撰(つく)った西原さんの読解鑑賞が、冷静に醒めた意識で書かれているのもめでたい。
 あとは一人でも多くの、特に若い読者が、この詩の世界を縦横渉猟して、自分の好きな作家や作品に邂逅し、之を朗唱し暗誦し、さらにその詩人の詩集や周辺詩壇へと歩みを進めて行ってくれるのを願うばかりである。


詩を読む「新しい」世界
── 荒川洋治(現代詩作家)

 『日本名詩選』全三巻は、明治から現代までの名詩の集成だ。近代詩・現代詩のアンソロジーは、いま極端に少ない。あっても編者の個人的な意向を反映したもので、客観性に乏しい。詩を書く人は多いのに、詩を読む人はいない。読むよろこびを知る機会がない。アンソロジーの空白は、そのような事態をもたらした。
 本書は、評価の定まった詩を中心にしたものだが、重要な詩の存在にも目を向けている。また、解釈も精確で、作品の背景、時代の起伏を見渡すことができるよう工夫されている。
 詩を読んでいて思うことは、どんなにいい詩にも、知られている詩にも、ときあかせない語句、表現があることだ。それらについても編著者による適切な注記があるので、作品の世界をこころゆくまで楽しみ、味わうことができる。詩が読まれる「世界」をひろげたという意味で、画期的なものだと思う。
 詩は、散文と定型詩の中間の位置にある。かたちも影もないところをさまよう。社会的なもの、習慣的なものにゆだねることはできない。かといって型にはまった世界の住人ともなれない。どちらにも身を寄せ切れないのだ。それは、人の心そのものかもしれない。詩は、そうした人の思いに終始、寄り添ってきた。あるべき個人の姿をめざして書かれてきた。個人というものの感触を濃厚に映し出してきた。
 だから詩は、人のもっとも近くにあるもの、身近なものなのだ。散文に支配された現代の日本で、そのことを意識する人は少ない。また、詩は、詩を書いている人にも知られないものを秘めている。それを意識する機会でもある。『日本名詩選』は、読む人にも、書く人にも大切なものである。


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