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2015年5月14日

 記事のカテゴリー : いただいた本・送られてきた本

●前田雅之『アイロニカルな共感 近代・古典・ナショナリズム』(ひつじ書房)

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前田雅之氏よりいただきました。

9784894767447.jpg

前田雅之著
四六判上製 定価4,800円+税
ISBN 978-4-89476-744-7
ひつじ書房

版元公式サイト
http://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-89476-744-7.htm

日本近代は古典を捨てて成立した。だから、近代と古典とは相容れぬ関係にあるわけだ。それなのに、ナショナリズムには古典が導入される。これこそアイロニーでなくてなんだろうか。本書は、古典研究者である前田雅之が、古典と近代のアイロニカルにして、時にシニカルな関係、あるいは、近代・現代批判、そして、現代人がものした古典研究の書評からなっている。古典研究者は古典と闘い、同時に、近代とも戦うのである。

著者紹介
前田雅之(まえだ まさゆき)
1987年早稲田大学大学院日本文学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。現在、明星大学人文学部教授。主な著書に、『今昔物語集の世界構想』(笠間書院 1999)、『記憶の帝国-- 【終わった時代】の古典論』(右文書院 2004)、『古典的思考』(笠間書院 2011)、『高校生からの古典読本』(共編著 平凡社 2012)、『古典論考--日本という視座』(新典社 2014)がある。

【目次】
はじめに

Ⅰ 近代と古典
政治神学と古典的公共圏
 1 『ローマ書』の「権威」と「神」
 2 「仏法」=「王法」と「公秩序」
 3 古典的公共圏としての和歌

反動的な古典との出会い方のすすめ
 はじめに
 1 近代における古典との不幸にして特権的な出会い―深奥を極めた知識人の証―
 2 古典との出会いを不可能にした近代教育
 3 おわりにかえて―反動的な古典との出会い方のすすめ―

国文学に「偉大な敗北」はあるか― 人文科学の総崩壊を目前にして―
 1 カルスタとアナロジー
 2 近代知と古典知
 3 古注釈のアナロジーと普遍としての古典テクスト

人文学総崩壊の時代と日文協


Ⅱ 近代・教育・大衆
文学は「教科書」で教育できるのか
 1 問題の所在
 2 教科書というテクスト
 3 国語という教科
 4 おわりにかえて

井上毅と北村透谷― 「近代」と「東洋」の裂け目から―
 1 合理的と黙示録的と
 2 井上毅における東洋・日本―切断されつつも脅かすもの―
 3 透谷における東洋・日本―一体感のありか―

菊池寛『新今昔物語』― 大衆社会と古典の屈折なき出会い―
 1 菊池寛の生の有り様
 2 菊池寛における古典受容の方法
 3 『新今昔物語』の作品世界―「六宮姫君」を通して―


Ⅲ ナショナリズム
物語としてのナショナリズム― 前近代・近代・現在そして未来―
 1 はじめに
 2 カール・シュミットの呪縛―国民国家の存立と敵=他者―
 3 日本における二つのナショナリズム―前近代と近代以降―
 4 脱民族主義への過程

「熱禱」と「恋闕」、そして「海ゆかば」

《男》を捨てた男と「普遍性」

鎮魂の作法

「自虐史観」の優越性

「追悼」の作法

「大義」の行方


Ⅳ 古典をめぐる書評
森正人著『今昔物語集の生成』

探究ということ― 『池上洵一著作集第一巻 今昔物語集の研究』・『池上洵一著作集第二巻 説話と記録の研究』に寄せて―

兵藤裕己著『物語・オーラリティ・共同体』

初出一覧
あとがき
索引     


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