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2015年5月29日

 記事のカテゴリー : リポート笠間掲載コンテンツ

●合山林太郞「日本漢詩文とカノン 「日本漢文学プロジェクト」 活動報告」【特集・研究会の「今」】●リポート笠間58号より公開

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リポート笠間58号より、合山林太郞「日本漢詩文とカノン 「日本漢文学プロジェクト」 活動報告」、を公開いたします。

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http://kasamashoin.jp/report.html

ご連絡お待ちしております。

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日本漢詩文とカノン 「日本漢文学プロジェクト」活動報告


合山林太郞[大阪大学准教授]

 国文学研究資料館共同研究「日本漢文学プロジェクト」(「日本漢詩文における古典形成の研究ならびに研究環境のグローバル化に対応した日本漢文学の通史の検討」)は開始から半年が経過した。これまで、他誌において数回にわたりその目指すところについて述べてきたが、今回は、通史の検討と並んで活動の柱の一つである「日本漢詩文における古典形成の研究」について説明したい。

 この検討項目における作業内容は、今日までに国内で刊行された日本漢詩文のアンソロジーや注解書、評論などを網羅的に調査しながら、どのような作品が収録され、どう評価されているかについて、分析することにある。これらの文献における選詩や個々の詩に対する批評のあり方をつぶさに見ることによって、詩文をめぐる多様な価値観を析出することができる。

 一例として、江戸後期の漢詩人菅茶山(かんちゃざん)について見ることにしよう。古来、茶山の代表的な作品として知られているのは、湊川の近くの生田村において、楠木正成の精忠(せいちゅう)に思いを馳せる「生田に宿す」や、また、夜中に書を読む際、かたわらの灯火に古代の大賢の心を重ね見る「冬夜読書(とうやどくしょ)」などであろう。明治期から現代まで、九十種に及ぶ注解書を調査し、収録された日本漢詩を作品ごとにデータ化した大沼宜規の「日本漢詩翻訳索引」(『参考書誌研究』七五号、二〇一一年)によれば、「生田に宿す」については三三の、「冬夜読書」については二八の文献に解説が掲げられており、これは茶山の詩の中では群を抜いて多い。歴史をさかのぼると、二首の詩は、ともに江戸後期に刊行された『文政十七家絶句(ぶんせいじゅうしちかぜっく)』(一八二九年)に収録されており、このことが、二首が人口に膾炙する一つの契機であったと考えられる。

 ただ、今日、茶山の作品としてよく話題にのぼるのは、谷間の村の夏の昼下がりの情景を、蝉の声や槐の樹の影、鮎を売る山童などを点描しつつ詠った「即事」という詩である。この詩は、名著として知られる富士川英郎『江戸後期の詩人たち』(麦書房、一九六六年、後、平凡社・東洋文庫、二〇一二年)において、茶山の章の冒頭に掲げられて有名になり、その後、中村真一郎『江戸漢詩』(岩波書店、一九八五年)や芳賀徹『詩歌の森へ―日本詩へのいざない』(中央公論新社・中公新書、二〇〇二年)などにおいて言及されている。調査がなお不足している可能性もあるが、この「即事」詩は、江戸・明治期の主要な詞華集には収録されていないように思われる。つまり、時代や文化圏によって、評価される茶山の詩は大きく異なっているのであり、こうした複数の文学観を精査することによって、私たちは、自身の持つ評価基準の位置や偏りを認識することができるのである。

 いずれにせよ、特定の詩文が"名詩"や"名文"として浮上する過程には、様々な思潮が複雑に絡み合っている。本プロジェクトでは、研究史として整理することが可能な、文学・学術に関係する動きだけではなく、新聞・雑誌や詩吟・剣舞などの文化的・社会的な営みにも目を配りながら、日本漢詩文を取り巻く状況について立体的に描き出したいと考えている。

 本プロジェクトでは、海外において日本漢文学がどのように研究・鑑賞されたかについても、この「古典形成の研究」の一部として調査を予定している。漢詩文は、古典中国語の知識があれば、日本語に習熟していなくとも理解することは可能であり、その意味で最も国際的に共有されやすい日本文学の形式の一つと言える。

 実際に国外では、日本漢詩に関する詞華集が多数編纂されている。まず、中国においては、筆者が偶目しただけでも、黄新銘『日本歴代名家七絶百首注』(書目文献出版社、一九八四年)、劉硯・馬沁『日本漢詩新編』(安徽文芸出版社、一九八五年)、程千帆・孫望『日本漢詩選評』(江蘇古籍出版社、同)、馬歌東『日本漢詩三百首』(世界図書出版、一九九四年)、王福祥・汪玉林・呉漢櫻『日本漢詩擷英』(外語教学与研究出版社、一九九五年)、厳明『花鳥風月的絶唱―日本漢詩中的四季歌咏』(寧夏人民出版社、二〇〇六年)、李寅生『日本漢詩精品賞析』(中華書局、二〇〇九年)などを、近年刊行されたものとして挙げ得る。

 英語圏の場合、漢詩は翻訳を通じて理解されることとなるが、古代から近代にいたるまでの日本漢詩文が、著名な東洋文学研究者であるバートン・ワトソン(Burton Watson)によって翻訳されており(Japanese literature in Chinese, Columbia University Press, 1975-1976)、その後も、ブラッドストックとラビノヴィッチ(Timothy R. Bradstock and Judith N. Rabinovitch)により、江戸漢詩のアンソロジーが編まれるなどしている(An anthology of Kanshi (Chinese verse) by Japanese poets of the Edo period (1603-1868), Edwin Mellen Press, 1997)。

 これらの文献は、日本の注解書や詞華集を参照しながら作られているが、同時に、それぞれの国や地域の好尚をも反映している。注解や翻訳のあり方なども含めて、異なる言語文化における日本漢詩文の受け止められ方について分析し、現在の日本における漢詩文研究の枠組みを再考する契機としたい。

 最後にカノン(正典、古典)としての日本漢詩という問題について一言する。すでに述べたように、このプロジェクトでは、日本漢文学における〝名詩〟や〝名文〟と呼ばれる作品が、いつ、どのような過程を経て定まっていったのかを分析しようとしている。すなわち、日本漢詩文のカノン・フォーメーション(古典形成)について理解を深めることを企図している。

 しかし、より俯瞰的に見た場合、日本人が作った漢詩や漢文の作品は、とくに戦後において、日本文学におけるカノンの地位から脱落したと解することもできる(「公開シンポジウム 第1回日本漢文学総合討論」における飯倉洋一氏のご指摘による)。先に見た富士川英郎による再評価など、いくつかの新しい動きがあったものの、総体的に見れば、ここ数十年、日本漢詩文は忘れ去られる傾向にあったと言えよう。今日、大学で授業をしても、「日本人が漢詩を作っていたことに驚いた」という感想を、受講者からもらうことが多い。

 かつては愛誦されていた「雲か山か呉か越か、水天 髣髴 青一髪」(頼山陽「天草洋に泊す」)などの詩句が、人々の記憶から消えたのはいつ頃なのか、そしてそれはなぜなのか。中学や高校の漢文教科書に、日本人の漢文作品が掲載されなくなったことが大きな影響を与えているように思われるが、こうした問題についても、本プロジェクトでは、先行の研究を参照しつつ、より正確な経緯の把握につとめたいと考えている。

ご協力をいただいております関係者、関係団体の方に、あつく御礼申し上げます。本プロジェクトの活動は次のURLのブログで随時発信しています。http://nihonkanbungaku.blogspot.jp/


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