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2015年4月27日

 記事のカテゴリー : 学会・講演会・展覧会情報

●古代文学会5月例会(第665回)(2015年5月9日(土)、共立女子大学 神田一橋キャンパス)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
http://www.ne.jp/asahi/kodai/bungaku/reikai-annai.html
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古代文学会5月例会(第665回)のご案内

日 時 2015年5月9日(土)午後2時〜5時

場 所 共立女子大学 神田一橋キャンパス 本館1213教室
 ・東京メトロ東西線「竹橋」駅下車1b出口から徒歩3分
 ・東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄三田線・都営地下鉄新宿線「神保町」駅下車A9出口から徒歩4分
 ・東京メトロ東西線・半蔵門線・都営地下鉄新宿線「九段下」駅下車6番出口から徒歩5分
 →アクセスマップ

発表者 石川 久美子 氏
題 目 「中央と地方」
要 旨
 それぞれの地域には、それぞれの言葉や文化がある。そういう中で古代国家が成立するには、共通の言葉や文化が必要である。したがって中央の側は、中央の言葉や文化でもって地方を「覆う」ことになる。その語られ方はいろいろあるが、次の二つのケースを考えてみたい。
 一、『万葉集』には都人と地元の人が接する歌は、都人を送る宴の場以外にほとんど見られないが、象徴的な例が巻一六・三八〇七にある。「前(さき)の采女」が陸奥で和歌を含む「風流」を発揮している。これは地方に都の歌や文化が伝わることを語っている。そして和歌が地域の言葉と文化の差を超えて、〈共通語〉としての役割を担っていたことも意味している。
 二、中央の人が旅をし、地方伝承に接する場合を取り上げる。巻九・一八〇九〜一八一一の高橋虫麻呂歌集では、二人に恋されたゆえ入水した若い女の伝承が詠まれている。同様に若い女が入水した伝承が河辺宮人の短歌(巻二・二二八、二二九)にも想定できる。題詞は「和銅四年歳次辛亥、河辺宮人の姫島の松原に嬢子の屍を見て、悲しび嘆きて作れる歌二首」であるが、ほぼ同じ題詞が巻三・四三四〜四三七にもある。この二組の歌を先に述べた伝承という観点から考察し、そのような伝承を詠むことが一つの様式として成り立っていた可能性を示す。そして、なぜこのように詠むのか考えてみたい。

司 会 津田 博幸 氏


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