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2014年12月 2日

 記事のカテゴリー : リポート笠間掲載コンテンツ

●田中貴子「西岸寺所蔵「九相図」絵解き「再生」の試み」●リポート笠間57号より公開

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リポート笠間57号より、田中貴子「西岸寺所蔵「九相図」絵解き「再生」の試み」、を公開いたします。

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西岸寺所蔵「九相図」絵解き「再生」の試み

田中貴子[甲南大学教授]

▼中世日本文学。『〈悪女〉論(『悪女伝説の秘密』に改題)』(角川ソフィア文庫)、『あやかし考―不思議の中世へ』(平凡社、二〇〇四年)、『日本ファザコン文学史』(紀伊國屋書店、一九九八年)、『検定絶対不合格教科書古文』(朝日新聞社、二〇〇七年)、『猫の古典文学誌―鈴の音が聞こえる(淡交社版を改訂増補)』(講談社学術文庫、二〇一四年)など。

 京都市伏見区にある浄土真宗本願寺派西岸寺(さいがんじ)は、九条兼実(かねざね)ゆかりの古刹として「法性寺小御堂(こみどう)」と呼ばれている。境内には親鸞の「妻」とされた玉日姫御前の廟(びょう)が存し、近年その発掘調査が話題となった。ここには、いつごろからか彩色豊かな掛幅形式の九相図(五幅)が伝わっているものの、今までほとんど公開されたことがないため、その詳細を知る人は少なかった。しかし、この九相図は全五幅という変則的な構成をとる上、山本聡美・西山美香編『九相図資料集成』(岩田書院、二〇〇九年)に収録された版本の『般若九想図賛』と酷似した図様で、他に類例を見ない珍しいものである。特に、通常は女性の死体が単独で描かれる九相図に対して、本作は男女二体の死体が腐敗するさまを描くという点が注目される。

 本作の制作年代はおおよそ江戸後期と推定されるが、『般若九想図賛』との先後関係も考慮する必要があり、推定年代以前にさかのぼる多様な九相図の「アーカイブ」に依拠していると考えられる。また、九相図は女性の死体の変化を「不浄」とみなす不浄観法とのかかわりが説かれるが、本作は男女の死体が同じように腐敗する過程を描いているので、男性修行者の煩悩を滅却するという目的には当たらない。なにより掛幅形式であることは、近世における民衆への絵解きが目的であったことを物語っている。

 西岸寺で近世に九相図の絵解きが行われたという記録は、残念ながら残ってはいない。そもそも、真宗寺院で九相図絵解きがなされた形跡は管見の限り見当たらないのである。浄土真宗の僧籍を持つ研究者からも、九相図絵解きは宗旨になじまないという意見を聞いたことがある。しかし、近世寺院は民衆の生活に密着しつつ布教活動を行う必要があり、絵解きはその代表的活動と考えられるので、西岸寺に限らずかつてはさまざまな絵解きが参詣の場を賑わわせていたと思われる。本九相図もおそらくはそうした活動の遺品であろう。

 私は二〇一二年、表具の老舗である宇佐美松鶴堂のご紹介を得て西岸寺の九相図を調査させて頂き、その後、傷みの激しかった九相図の修復披露(二〇一四年二月二二日、三月十五日両日開催)に合わせて九相図絵解きを実演することとなった。だが、現在でも九相図絵解きを行っている寺院はきわめて少なく(▼注1)、台本とされるものもほとんど残っていないので、今回は新たに現代人のための絵解きを作成することにした。その意味ではもとあったものを復元するのではなく、今を生きる人々の心情に合う絵解きを「再生」する、といったほうが妥当である。絵解きは聞く人と語る人が醸成する「場」を抜きにしては存在しえず、その時代の趨勢とも無関係ではいられない「生きもの」なので、説く内容が時代とともに変化するのは必然だと思われる。

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西岸寺本堂での絵解きの様子

 さて、絵解きを作成するに当たり参考としたのが、滋賀県大津市の聖衆来迎寺に所蔵される国宝「六道絵」十五幅(13世紀)の、江戸時代に行われた絵解きの台本である(▼注2)。六道絵は絵解きを目的として制作された可能性があり、江戸時代には実際の絵解き用の模本と台本が作られている。この台本である「六道絵相略縁起」(▼注3)は、源信の『往生要集』に多くを負う内容であるが、近世における九相図絵解きの語り口を彷彿とするものと考えられる。

 九相図の図様が『摩訶止観』に依拠するという説(山本聡美「日本における九相図の成立と展開」『九相図資料集成』所収)は首肯されるが、近世民衆が九相図の絵解きを享受する場合、『摩訶止観』の所説をそのまま説くことは難しい。中世でも、『摩訶止観』は注釈を付して読まれていたのである。ならば、「六道絵相略縁起」のように『往生要集』を核とするのがいいのではないか。『往生要集』は絵入り本版本や仮名書き本などが版行されており、一般になじんでいるからである。「六道絵相略縁起」は数種伝わるが、明治二十九年(一八九六)に書写された田中家蔵本(林雅彦氏引用)の「第九人間道」を見ると、人間が不浄なることを遺体の腐敗に即して語る場面で和歌が挿入された箇所が散見する。たとえば、「新死相」の説明に入る直前には次のような和歌が引用されている。

  盛リナル花ノ姿モ散リ果テゝ哀ニ見ユル春ノ夕グレ

 これは伝・蘇東坡(そとうば)作「九想詩」に付随する和歌と同一であり、六道絵の絵解きに際して「九相和歌」が利用されていたことがわかる。憶測をたくましくすれば、九相図に付随する伝・蘇東坡作「九想詩」と各相に二首ずつ付けられる和歌は、九相図の絵解きと関係して生まれた可能性があるかも知れない。

 実は、実際に絵解きの台本を作るに当たって参考となったのは、残されている絵解き台本よりも、youtubeにアップされている現代の絵解きや、私がかつて聞いた絵解きのほうである。絵巻を使用することで有名な紀州道成寺の絵解きは恒常的に参詣者に披露されているが、そのほかの絵解きを総合すると文言には次のような特徴があった。

1、台本があっても、それを見て説くことはしない。ただ、台本は丁重に扱われ演台の上に置かれる場合もある(単なる感想だが、文楽の太夫における床本の扱いに似ている)。

2、主に現代語での語りであるが、時折、経文や和歌、漢詩などの「典拠」をそのまま唱える

3、絵解きの根幹は変わらないが、参詣者の年齢性別などを瞬時に把握し、適宜それに応じた世俗的な話題を混じえる。最近のニュースや、笑える話も厭わない。

4、参詣者との間に双方向性を持たせる。一方的な語りではなく、ときに参詣者に声をかけて返答を促したり、挙手を求めたりする。

5、難しい用語は、必ず直後に別のわかりやすい言葉で言い換える。

6、今に生きる人に応じた内容を心がける。戒めや説教ばかりで終わらない。

 これらを踏まえて考えると、「九相図」の本来的目的とされる「不浄観」を説いても現代人に響くところは少ないと思われる。日本では早くから「不浄」より「無常」を説く方法へと傾斜していったのではないか、との予測もあり、「人は誰でも死ぬ。それが無常である。しかし、無常だからといって生きることを疎かにしてはいけない。よく生きることが大切なのだ」という点を強調して語った。特に三年前の東日本大震災以後、人々の「死」と「生」への関心が高まっていることも鑑み、なるべく前向きに生きることを願う内容にしようと考えた。

 台本は、あえてきっちり作らないようにした。九相の説明は必要であるが、絵解きはその「場」の性格によっていかようにも変化するものであり、台本に固定することは絵解きと相反する行為だと思ったからである。来聴者の反応を見ながら語り口はなるべく柔らかく、しかし先述の「九相和歌」や蓮如の「白骨の御文章」などをそのまま唱えてめりはりをつけた。絵解きに不可欠な「はざし」(指し棒)は、(いわゆる「きもかわいい」)布製ドクロを先端に付けたものを用意し、陰々滅々としがちな九相図に笑いの要素を盛り込んでみた。

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布製ドクロを先端に付けた「はざし」(指し棒)。「九相夫妻」がご案内役(作成・河本俊子氏)。

 今回は、絵解きの対象とする場面をパワーポイントでスクリーンに映写したが、村松加奈子氏「あらためて、絵解きってなあに?―掛幅説話画の「場」をめぐる小考―」(図録『絵解きってなあに?』龍谷ミュージアム、二〇一二年)には、絵解きの絵は離れた人には見えにくく、個々の絵を指しそれについて語るというスタイルは本来の絵解きの姿ではないという指摘があった。おそらく絵解きとは定期的に開催されるものであり、聴衆の多くは絵の内容を周知していたと思われるから、一々見る必要がないのだ。「今年の絵解きはようわからんかった」などと後で月旦する楽しみもあったのではないだろうか。

 西岸寺の絵解きは、今後恒例化が検討されている。人文学研究を現代に生かすための一つの試みとして、ご報告する次第である。


(1)愛知県江南市の曼荼羅寺(浄土宗西山派)には「小野小町九相図」と称される掛幅が所蔵され、かつては陰暦六月二十三日の虫干しの際に絵解きが行われた(関山和夫『説教と話芸』青蛙房、一九六四年)が、現在では途絶えているそうである。その江戸時代の様子は、龍谷ミュージアムで開催された「絵解きってなあに?」展に出陳された『開帳談話』(名古屋蓬左文庫)にうかがえる。
(2)九相図の掛幅を所蔵する他の寺院でも、おそらく江戸時代には絵解きを行っていたと覚しいが、その台本はもとより記録さえ残っていないことが多い。例えば京都鹿ヶ谷の浄土宗安楽寺にも三幅の九相図が所蔵されているが、前ご住職にうかがった限りでは絵解きの記録はないようである。
(3)真保亨「〈資料紹介〉六道絵相略縁起」(『日本佛教』第26号、一九六六年)に翻刻。また、林雅彦「「人生の階段図」から「九相図」―女人の終焉をめぐる小攷」(『九相図資料集成』岩田書院、二〇〇九年)にも別伝本が引用されている。


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