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2014年11月 5日

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●近刊・小松英雄『日本語を動的にとらえる ことばは使い手が進化させる』冒頭・序章・1章公開(2)

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小松英雄氏の近刊(11月21日刊行予定)『日本語を動的にとらえる ことばは使い手が進化させる』の冒頭から1章を毎日すこしずつ公開していきます。
本書の詳細はこちらから。

小松英雄『日本語を動的にとらえる ことばは使い手が進化させる』(笠間書院)
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http://kasamashoin.jp/2014/10/post_3029.html

なお、本書について、刊行記念イベントを開催いたします。

開催日時:2014年11月15日(土)19:30 ~
ジュンク堂書店 池袋本店
タイトル「内外の専門学者が気づいていない 日本語運用の巧妙なメカニズム」

●公式サイトはこちら
http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=7066

ご来場、お待ちしております。要申し込みです。

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近刊・小松英雄『日本語を動的にとらえる ことばは使い手が進化させる』冒頭・序章・1章公開(1)はこちら。


金田一春彦 『日本語』 

 『万葉集の謎』の二年後、一九五七年に、金田一春彦の『日本語』(岩波新書)が刊行された。日限と紙数の制限のために予定の半分で打ち切らざるをえないのが残念だと「おわりに」に記されていることを深読みすると、『万葉集の謎』の批判を早く出版したいと要請されたのかと想像されるが、その当否はともかくとして、「日本語はどこからきたか」という小見出しのなかに、「注意すべきことは、日本語は、地球上のあらゆる種類の言語と結びつけられて説かれたことである」として、その実例を列挙し、最後に、つぎの表現で同書に言及している。

最近では、安田徳太郎氏がヒマラヤ山麓に住むレプチャ人の言語との親族関係を力説していること周知のとおりである。(p.11)

 レプチャ語起源説を肯定も否定もしていないのは、まともには相手にできないということであろう。

 万人向きの平易な内容ではなかったが、親しみやすい文体で、ふつうの日本語話者が気づいていない日本語の特徴をいろいろと指摘して、自信喪失に陥った日本人に、「日本語捨てるべからず」(おわりに)と自信を取り戻させたことは大きな救いであった。この本もたちまちベストセラーになったままロングセラーとして生き残り、売り上げが百数十万部に達したという。前節の素人云々との関わりで言うなら、序の末尾に、国語学者の橋本進吉と並んで言語学者の服部四郎の名をあげて、「コトバの学問のおもしろさときびしさを教えられた」ことに謝辞を述べている。奥付には専攻が国語学になっているが、言語学の素養が生かされているので、日本語しか視野にない国語学者の著作とは大きな隔たりがあり、『万葉集の謎』とは比較にならない。日本の大衆が日本語にこれほど強い関心をいだいたのは、長い歴史をつうじて初めてのことであろうが、大衆が関心を寄せた日本語は、母語ではなく、日本民族の心性の反映である母国語であった。

 このように、日本語ブームの動因(motivation)は、敗戦で白紙にもどされた日本民族のアイデンティティーを再確認したいという願いにほかならなかった。日本民族の自分探しは、国語学の専門研究者が主導権を握ることになった。

 『日本語』は、初版から三十一年を経た一九八八年に、文字どおりの「新版」、上下二冊に置き換えられてますますのベストセラー、ロングセラーになり、本書を執筆している時点でもなお増刷されて書店の目立つ位置に置かれている。

 言語学は日進月歩であるから古くなっているところはあるが、分野ごとに分担執筆された寄せ集めの国語学概論と違って、ひとりの著者が日本語の全体を頭に入れたうえで叙述しており、日本語以外の言語との違いにも目が配られているので、その先まで学ぼうと志している人たちのための入門書として役に立つであろう。

 『日本語』新版が一般大衆の心をつかんだのは、日本語を体系的に叙述した中心部分よりも、おそらく、著者の人柄がそのまま表われた、世界に類のない日本女性の、相手に対する細かい心遣いや奥ゆかしさを、「お茶が入りました」という表現を例にして説いたような部分(下巻・Ⅶ・日本人の言語表現)であろう。引用は省略するが、名文家であるだけに、思わず引き込まれてうなづいてしまった人たちがたくさんいたとしても不思議はない。 

 この著者は、『日本語』のあとにも、日本語に関する一般向けの図書をいろいろ書いており、よく読まれたが、一方で水準の高い専門書をいくつも世に出しているので、天賦のカリスマ性が日本語ブームを支えつづけたことは事実であっても、有力な脇役であり、主役は大野晋(1919-2008)であった。  

日本語の源流を求めて──大野晋の試み
 金田一春彦『日本語』の初版と同じ一九五七年に、大野晋『日本語の起源』(岩波新書)が出版されている。ユーラシア大陸のアルタイ語や南方の言語などをあげて、レプチャ語起源説が成り立たないことを証明している。この段階で、著者はまだインドの言語に関心を示していない。 

 大野晋の尊敬する師であった国語学者の橋本進吉がその研究の半ばで他界した、いわゆる上代特殊仮名遣の研究のあとを託され、それをまとめたことを出発点として、我々の言語である日本語を手掛かりにして、我々日本人の起源をつきとめるために、朝鮮半島から始めて、遠く海を越えたインド南部まで歩を進め、研究の進展を、大衆の目に触れやすい新書版や文庫本などで公表し続けた。この著者が大衆の心を最後までつかんで離さなかったのは、その研究主題が強い関心と期待とを呼びおこしただけでなく、日本の言語学者たちによる一貫した全面否定を物ともせず、孤軍奮闘を続ける国語学者のひたむきな情熱であった。大野晋の没後に出版された伝記『孤高』(川村二郎・東京書籍・2009)というタイトルは、一般大衆がいだいていたこの著者の人物像をよく表わしている。

 『日本語をさかのぼる』とか『日本語の源流を求めて』とかいうタイトルは、敗戦によって民族の独自性(アイデンティティー)を見失った日本人に大きな希望をいだかせた。なぜなら、それは、神話にすぎなくなった高天原ではなく、地球上のどこかに、我々日本人の故郷があることを前提にしていたからである。

日本はヨーロッパ、その後継者であるアメリカと戦って敗れた。(略)一転してゆく世間の激動の中で、「日本とは一体何だったのか。そして何なのか」という問いは私の心の中でゆるがなかった。(略)もし日本語の系統を明らかにすることができれば、この日本文化の由来、この日本人の物の見方、考え方の基本的な型の成立の次第を知ることができるのではないか。推測がそのように展開するとき私の心は次第に日本語の系統、同系語の探索へと傾いて行った。〔『日本語の起源』新版・岩波新書・1994〕

 この著者は著書の奥書に一貫して専攻を「国語学」と書いているが、傍線部の表現から明らかなように、目指すところは、「日本とは一体何だったのか。そして何なのか」の解明であったから、国語学者というよりも、国学者としての問題設定であり、日本語研究は、その目的を達成するための手段であった。あえて名づけるならネオ国学であろうか。

 言語の歴史を河川の流れになぞらえて〈源流〉をたどっても、行き着くはずの〈源流〉は存在しない。それは人類の歴史をたどるにひとしいからである。現在までに知られている限りでは西アフリカのどこかであろうが、その源流らしきものは、日本人だけの源流ではない。日本人と日本語とが一体不可分であることを前提にしたその研究は、幻の非存在地を求めて出発したことになる。なぜなら、そのような意味における源流は神話や伝承の世界にしか存在しないからである。たどり着いたのは、優秀な日本民族と日本語との発祥の地にふさわしい、古代文明の栄えた南インドの、古い歴史をもつタミル語であった。

研究者のクセを見抜く
 どの研究者にもそれぞれクセがある。ひとつの文が長すぎるとか、説明がくどいとかいうクセも、なおしたほうがよいが、問題にしなければならないのは、論理の飛躍が多いために説得力がまるでないとか、自論にとって不都合な事実を無視するとか、そういう悪いクセである。客観的にみて現在の研究水準では解明できるはずがないことを問題として設定するとか、その研究にとって不可欠の知識をないがしろにして枝葉末節にこだわり、評価のしようがない帰結を導いているとかいう悪いクセである。クセであるから一事が万事で、どんな問題を手がけても同じクセが出る。筆者自身にも複数のクセがあることを自覚しているが、ここでは、筆者以外の事例を取り上げる。

 現行の古語辞典は、悪貨が良貨を駆逐した状態にあるが、駆逐されずにロングセラーを続けている数少ないひとつに大野晋を主編者とする『岩波古語辞典』(1974、1990)がある。どんな辞書でも叩けばホコリは出るが、力量ある少数の研究者が有能な協力者を得て取り組んだだけのことはある。そのメリットを評価したうえで、辞書としての大きな問題点を指摘せざるをえない。理論の構築とその証明のしかたとに関わることなので、つぎの一文をよく読んだうえで、筆者の見解と対比していただきたい。カッコ内には二例ずつ示されているが、第二例を省略して引用する

今日では、動詞は終止形を見出し項目として配列するのが普通である。しかし、終止形は実は全活用形の中で、わずか一割前後の使用度数しか持たない。最も多いのは六割に達する使用度数を持つ連用形である。連用形は名詞形(遊び)でもあり、複合語を作るにもそのまま前項となる(遊びくらす)。古典語の終止形は現代語では形の異なるものがあるが(起く→起きる)、しかし、連用形ならば古典語も現代語も同形である(起きて→起きて)。従って、動詞を連用形(起き)で見出しとすれば、文献に出てくるままの形で語を検索できる割合が高い。動詞と名詞との関連も把握しやすい。そして、終止形を求め出す困難なしに動詞項目を引くことができるであろう。これは、連用形が動詞の基本形であるという国語史的事実の反映である。(大野晋「序にかえて」)

 自信に満ちた、説得力に富む叙述に、さすがは、と思った読者がいるかもしれないが、連用形基本説が現実に即しているかどうかを、『土左日記』の冒頭に近い、よく知られた一文を選んで検証してみよう。「講師(かう じ)」は、国分寺に配置された僧官。国内の僧尼を統括する。「馬のはなむけ」は、旅立つ人のために催す送別の宴。

廿四日 講師、馬のはなむけしに、いでませり

 「いでませり」の意味を辞書で引く場合、読者は、どういう形の見出しを探すであろうか。おそらく、①イデマ+セリか、②イデマセ+リかのどちらかにまず分割するであろう。①にすると、残ったセリを始末できそうもないので、②を選ぶであろうが、イデマセの連用形がとっさには浮かばない。四段活用だということは引いたあとでわかることだからである。

 序文には、「終止形を求め出す困難なしに」とあるが、たいていの人たちが勘で見当がつくのは、これがイデマスという動詞らしいということである。イデマスは、「求め出すのが困難」とされている終止形にほかならない。「連用形が動詞の基本形である」というのが「国語史的事実」であるかどうかはともかくとして、動詞活用の基本形なら、それは、連用形ではなく、母語話者の直覚で反射的に回帰できる終止形である。しかし、終止形が反射的に浮かんだのでは右の筋道にとって都合が悪いので、「終止形を求め出す困難」をデメリットとして指摘することになる

 おそらく、書き手は事実を歪曲しているつもりはない。自身が立てた整然たる筋道が誤っているはずはないので、その筋道を妨げる事実のほうがあやまちに違いないからである。

 イデマセリから反射的に浮かんだ終止形イデマスで辞書を引けば求める見出しに直行できるのに、イデマスの連用形は?となると脱落者が出ることになる。文法が得意なら連用形イデマシに直して引くことができるが、無駄な手順を踏むことに変わりはない。

 連用形見出し方式について賛否のコメントを読んだおぼえはないが、現代語辞書を含めてこれを模倣する辞書が現われない理由は確実に推察できる。

 『岩波古語辞典』でイデマシを探すと、四段活用で、「《「出で」の尊敬語》お出になる。行幸になる。」とあるが、「お出になる」の意味をひとつに絞れない。「君と時時─して」(万葉集・196)という用例が添えてあるが、出典をたどらないと、〈行幸する〉という意味だとはわからない。行幸なら天皇がお出かけになる、である。この意味を『土左日記』に当てはめると、国分寺の住職がどこにお出かけになったのかわからないが、実は、いかにも偉そうな態度で現われたことへの皮肉である。意味用法を知らないからこそ辞書を引くのであるから、辞書として大切なのは引きやすくわかりやすいことである。

 「動詞を連用形で見出しとすれば、文献に出てくるままの形で語を検索できる割合が高い」としても、残り四割弱は、そのほかの活用形で出てくるし、また、その比率が一割だけだとしても、辞書としての必要条件を満たしていない。

 習った文法は忘れてしまっても、日本語話者の直覚で、これがイデマスという動詞であることはたいてい見当がつくのに、ヒラメキの正しさにとらわれて、利用者を振り回す結果になっている。なお、形容詞の見出しが終止形になっている理由については説明がない。

 ほかの辞書は反射的に浮かぶ語形で引けるのに、この辞書だけが、利用者を玄関口でつまずかせる。これが筆者の偏見や言いがかりでないことは、読者自身が任意の動詞項目をいくつか、この辞書で引いてみればよくわかる。大野晋の遺志を継いで出版された『古典基礎語辞典・日本語の成り立ちを知る』(角川学芸出版・2011)は動詞の見出しが終止形になっているが、妥当な判断である。

 これはこうなのだとひらめくと、それに相違ないと確信し、その正当性を裏づける証拠になる事例、事象を取り集めて補強し、不都合にみえる事例、事象があれば既定の筋道に合うように解釈して議論を進め、それが困難な場合には例外とみなすことによって牽強付会(けん きょう ふ かい)の空論を固めてしまうので、導かれる結論はつねにヒラメキのとおり、すなわち、俗にいう〈結論ありき〉の証明になることが、この研究者の常套(クセ)なのである。右の序文をここで検討したのは、日本語ブームの原動力でありつづけた日本語の源流の究明なども、そのクセの産物である可能性をこの段階で指摘しておくためである。

 『日本語の源流を求めて』 (岩波新書・2007)の「まえがき」に「『古事記』の本文の最初の部分」が引用されて、コメントが加えられている。

あめつちはじめてひらけしとき たか あま はら  なり ませ  かみ あめ なか ぬし かみ
この『古事記』の文章、延べ二八個の単語で、タミル語と共通な単語に傍線をひくと、二〇語に達する。そして、文法形式も古代タミル語と基本的に同様である。(略)たまたま取り上げた『古事記』の文の単語の七割強がタミル語と共通、文法構造もタミル語とほぼ同様だということは、不思議ではないか。どうしてこんな結果に至ったのか。それをこれから述べようとするのである。 

 『古事記』のテクストを見たことがない読者は、目を疑うほどの重なりに驚いて、期待に胸を躍らせるであろう。しかし、原文を見たことがあれば、この説明に大きな疑問をいだいたはずである。
 
『古事記』のこの部分は漢字だけで書かれており、いくとおりにも訓読できるので、このような検証のためのサンプルに選ばないことが文献資料を扱う場合の常識になっている。

天地初発之時、於高天原、成神名、天之御中主神 訓高下天云阿麻、下效此

 漢文の知識が少しあれば、内容は見当がつく。最後の注は、「高」の下の「天」はアマと読む、以下も同じ、ということで、「高天原」は、「高(たか)=天原(あま はら)」とも「高天=原(たかあめのはら)」とも読めるが、ここは前者だという指示である。この注の主目的は語構成を示すことにある(『国語史学基礎論』)。

 正確な語形が大切であれば「多加阿麻波羅」と書いたはずであるが、それでは意味を確定しにくいので漢字で表記し、語構成を示すためにこの注を付けたのである。

 国学者の本居宣長(1730-1801)は、『古事記』がやまとことばだけで書いてあるという前提で全文を訓読しており、以後の研究者も同じ前提で訓読を工夫しているが、意味がわかりさえすればそれでよい部分には漢字が当てられているので、訓読すればいくとおりにもなるのは当然であるし、それでかまわないというのが太安万侶の用字方針だったのである。

『古事記伝』(三之巻)では「天地初発之時」をアメツチノハジメノトキ、『古事記』(日本思想大系・岩波書店・1982)は、アメツチハジメテオコリシトキ(小林芳規担当)、そして、大野晋は、アメツチハジメテヒラケシトキと訓読しているが、右の引用は著者みずからの訓読に基づいている。「ヒラケシトキ」には傍線が二個所にあるが、他のふたつの訓読にはそれらの語がない。アメやカミを「延べ」で数えて語数が水増しされているのは、ひとつでも多くあってほしいという著者の願望の反映であろう。タミル語に対応する語が「天(アメ)」にはあるが「地(ツチ)」にないということなら、その理由を考えてみるべきである。批判的に読む姿勢を身につけていないと、ひたむきな情熱と歯切れよくたたみかける論理構築とに感嘆するが、この訓読が著者による意図的なトリックでないとしたら、責任は権威を盲信して鵜呑みにした読者の側にもある。 

日本語ブームの終焉
 半世紀あまりにわたった日本語ブームは、二十一世紀に入ると間もなく、急に勢いを失って急速に忘れられてしまった。それは、金田一春彦が二〇〇四年に、そして、大野晋が二〇〇八年に亡くなって、推進力を失ったからである。

 金田一春彦は日本語研究の歴史に大きな金字塔を打ち立てたが、大衆の心をつかんだのは、親しみやすい人柄と軽妙な筆致とで愛読されたポピュラー日本語学であった。

 『金田一春彦著作集』十二巻+別巻(玉川大学出版部・2003-2006)には、珠玉の名編がぎっしり詰まって圧倒される。それらを読んで育った多くの有能な研究者が多方面で活躍している。有能組とは一線を画すが、筆者もまた、修士課程に在学していたときに学会発表で絶賛していただいて感激し、気を取り直して研究を続けたひとりである。あとでわかったが、この先生は、十のうちにひとつでもほめどころがあれば、九を無視して、そのひとつをほめて励ましてくださるかたであった。

 大野晋による〈日本とは何か〉を解明する手段であった日本語の源流追求は由緒正しいタミル語にたどり着いてひとまず結論を得たが、その先に歩を進める研究者が現われるとは思えない。
 大野晋の研究が国民的な期待の的になったのは、日本人が集団的アイデンティティー クライシスに陥っていたときに、高天原に代わるべき、地上にあるはずの日本人の源流を明らかにしようとする頼もしい学者が現われたからであった。その試みは着々と進み、インドで研究している姿がNHKテレビで放映されたりしたことも期待感を高揚させた。新たな進展が報告されるたびに日本の言語学者たちが全面否定の論陣を張ったが、ひるむことなく初志貫徹のために敢然と歩を進める英雄に対する応援の気持ちや判官(ほう がん)贔屓(びいき)も大きかったであろう。今にして思えば、言語学者の側も、提示された結果を否定するだけでなく、以上に指摘したような、ヒラメキをそのまま結論として証明する〈結論ありき〉の手法であることを問題にしたほうが有効だったかもしれない。

 日本民族の源流が高天原でなかったならば、地球上の源流は、古代文明の発祥の地、あるいはそれに準じる、世界の諸民族に誇ることのできる高度な文化をもつ民族であったに違いない。だとすれば、その候補は、仏教の発祥の地インドの周辺、そして、サンスクリットが話されている地域に近い民族のはずである。そのヒラメキは的中したが、残念なことに、提示された音韻対応の証拠は、とうてい受け入れがたいものであった。母語の日本語を研究する場合にも、民族主義にとらわれることなく、言語学の方法を積極的に取り入れなければ、実りある成果は得られないという貴重な教訓である。

 長く続いた日本語ブームのほとぼりとして、いわゆる日本語本の出版は依然として続いている。図書館や書店でランダムに手に取ったなかで目立つのは、りっぱな肩書きを一流専門家であることの証明にして、このわたしが正しい日本語を教えてあげよう、という姿勢で書いたり書かせたりした読み捨て本か、さもなければ、あいも変わらぬ〈美しい日本語〉の賛美である。そういう俗な流れと無関係に、地道な日本語研究が進められていることを一般の人たちは知らない。 

 おふたりの国語学者が日本語ブームの立役者になったのは、敗戦後の日本社会がそういう国語学者を求めていたからである。その意味で〈戦後〉は二十一世紀初頭まで続いたことになる。化粧品などの広告と同じ手法で、日本語について無知であることを不安にさせ、それならこの本をどうぞ、と売りつける日本語本は、長く続いた空疎な日本語ブームの挽歌でもあろう。そういう転換期に、あらためて日本語の姿を見なおそうとよびかけている本書が、つぎの時代の先駆けのひとつとして応分の役割を果たすことができればと、筆者なりに真剣に考えて本書を書いている。

続きはこちら。(3)。


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