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2014年10月 8日

 記事のカテゴリー : 学界時評

●学界時評【日本漢文学】2011-2014.7●堀川貴司[慶應義塾大学附属研究所斯道文庫教授]

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 学界時評をお届けいたします。まもなく刊行予定の「リポート笠間57号」に掲載のものを、先行配信いたします。

 小社では「リポート笠間53号」から試みに学界時評をスタートさせました。
 時代区分・ジャンルは、上代・中古・中世・近世・和歌・日本語の歴史的研究と設定いたしました。この設定は、しかし既存の学会にあわせた時代区分をなぞっていて、近年の、時代を越境しつつある研究動向には必ずしもマッチしたものではありません。また、文学研究の範囲は歴史・美術・言語等にも広がってもいます。現時点では、こういった動向にあわせた時評の在り方の、良い答えを考えることができず、結果的に従来の枠組みをなぞることにしました。

 加えて、この時代区分のなかでお一人の評者に網羅的に論じてもらうのも限度があります。
 ですので、あくまでも「評者の目からみた」学界というものをお書きいただくことにしました。あえて網羅的であることを望んでおりません。このような趣旨でスタートしたもので、年2回、5月・11月に、リポート笠間に掲載していきます。

 これまでの時評は以下にまとめられています。あわせてご覧下さい。
http://kasamashoin.jp/jihyo.html

●以下に掲載の原稿は、編集部でインターネット向けに改行等を加えてあります。正式版は、ぜひ紙版の「リポート笠間」をご覧下さい。

※「リポート笠間」を読んだことがない方で、購読希望の方は、info@kasamashoin.co.jp宛に、郵便番号・住所・お名前をお知らせ下さい。無料でお送りいたします【送料無料・購読料無料】。
※ご購読いただいている方へ。最新刊の57号は、11/10〜30日ころには到着する予定です。

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学界時評【日本漢文学】2011-2014.7●堀川貴司[慶應義塾大学附属研究所斯道文庫教授]

 二〇一一年以降、一四年七月までの約三年半に発表された日本漢文学関係の論文や著書のうち、日本人の漢文学作品を対象とするもの、および日本における漢籍受容について論じたものを中心に、一部範囲外のものにも言及しつつ、稿者の関心に沿って取り上げる。なお、中国語書名の表記は繁体字・簡体字とも日本の通行字体に改めた。

【全般】
 この期間、和漢比較文学会創立三〇年記念シンポジウム(11年9月、その記録は『和漢比較文学』48、12年2月)、COEプログラムを継承した二松学舎大学の「日本漢文資料による日本像構築の国際的研究」(機関誌は『日本漢文学研究』)、特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成―寧波を焦点とする学際的創生」(05年〜09年)から派生したさまざまな学際・国際的研究(その総まとめは「東アジア海域に漕ぎだす」全六巻、東京大学出版会、13年〜14年、また個別の成果報告は「東アジア海域叢書」全20巻、汲古書院、10年〜刊行中)、中国における日本所在漢籍を対象とした研究の活発化(南京大学域外漢籍研究所《域外漢籍研究集刊》《(同)叢書》、北京大学国際漢学家研修基地《国際漢学研究通訊》など)、といった動きが見られた。近世については、西の『混沌』、東の『太平詩文』に加え、徳田武編集の『江戸風雅』が09年11月創刊され、資料紹介や注釈も活発に行われている。

 特に注目を浴びたテーマは、文化の接触・受容・変容といった視点からの把握が可能になってきた漢文訓読で、金文京『漢文と東アジア―訓読の文化圏』(岩波新書、10年8月、堀川書評『和漢比較文学』47、11年8月)や齋藤希史『漢字世界の地平 私たちにとって文字とは何か』(新潮選書、14年5月)、中村春作編『訓読から見なおす東アジア』(東アジア海域に漕ぎだす5、14年7月)が一般読者をも意識した問題提起を行っている。なお専門家からの発言では小助川貞次「句読点の機能から見た東アジア漢文訓読史」(『訓点語と訓点資料』127、11年9月)などがある。

【上代・中古】
 上代に関しては時代別の時評でも多く取り上げられているので、漢籍受容に関して興味深い論考を三点、王小林『日本古代文献の漢籍受容に関する研究』(和泉書院、11年5月、敦煌願文と山上憶良の漢文・和歌の比較論など)、池田昌広「『日本書紀』の出典問題―『漢書』を例にして―」(新川登亀男・早川万年編『史料としての『日本書紀』―津田左右吉を読みなおす』勉誠出版、11年10月、『紀』の出典として類書『華林遍略』を想定し、『漢書』もそこからの間接引用だとするもの)、瀬間正之「『古事記』序文生成論典拠再考―上代日本の作文の一例として―」(河野貴美子、ヴィーブケ・デーネーケ編『日本における「文」と「ブンガク」』勉誠出版、13年3月、六朝期の生成論の受容を考察したもの)を挙げておく。

 中古では後藤昭雄『平安朝漢文学史論考』(12年4月)、『本朝漢詩文資料論』(12年11月、上代も含む)、『本朝文粋抄 三』(14年7月、いずれも勉誠出版)が出た。金剛寺を中心とした新資料の発掘とその意義付け、既存資料の校勘・考察・注釈、それらを通した平安朝漢文学史の構築、すなわち文学研究のすべてを含んだ著作群である。また渡辺秀夫『和歌の詩学 平安朝文学と漢文世界』(勉誠出版、14年6月)は、思想と表現の両面から漢文学と和歌・物語の関係を考察する。

 漢籍受容では高田宗平「日本古代『論語義疏』受容史初探」(『国立歴史民俗博物館研究報告』163、11年3月)、袴田光康「金沢文庫本「長恨歌」の本文と訓読」「(同)訓読文」(『白居易研究年報』11、12、10年12月、11年12月)、陳翀『白居易の文学と白氏文集の成立』(勉誠出版、11年4月、下定雅弘書評『白居易研究年報』14、13年12月)、濱田寛「『世俗諺文』注文の構成について―李善注『文選』を媒介とする施注を巡って―」(『和漢比較文学』50、13年2月)があった。濱田論文は『文選』の注の受容を具体的に示したもので、漢籍受容の見落とされがちな面を捉えている。なお、金沢文庫本白氏文集巻23・28の二軸(三井文庫所蔵)が出現し、14年に重要文化財に指定された。今後の研究を待ちたい。

 平安前期では李宇玲『古代宮廷文学論』(勉誠出版、11年6月、渡辺秀夫紹介『和漢比較文学』49、12年8月)が唐代宮廷文化の摂取とその日本的変容を詳細に論じている。漢詩論では滝川幸司「応制詩の述懐―勅撰三集から菅原道真へ―」(伊井春樹編『日本古典文学研究の新展開』笠間書院、11年3月)、笹川勲「菅原道真の桜花詠―寛平期宇多朝における『菅家文草』巻五・三八四番詩の位相―」(『國學院大學紀要』50、12年2月)、また柳澤良一「『菅家後集』注解稿(三十二)」(『北陸古典研究』28、13年11月)が継続している。和歌序については前掲『本朝文粋抄 三』でまとまって取り上げられているが、これを物語の典拠として論じた山本真由子「大江千里の和歌序と源氏物語胡蝶巻―初期和歌序の様相と物語文学への影響―」(『国語国文』83・6、14年6月)が興味深い。

 『和漢朗詠集』研究は大きな実りがあった。佐藤道生・柳澤良一『和漢朗詠集 新撰朗詠集』(和歌文学大系47、明治書院、11年7月)、三木雅博『和漢朗詠集 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫、13年9月)はそれぞれ校注者年来の研究を生かした個性的な注釈、また佐藤道生『三河鳳来寺旧蔵暦応二年書写 和漢朗詠集 影印と研究』(勉誠出版、14年2月)は、訓点注記が最も豊富に存する重要伝本の全篇カラー図版と詳密な翻刻に関連する重要論考を付したもの。さらに柳澤良一『新撰朗詠集全注釈』(全4巻、新典社、11年2月〜7月)も著者長年の研究の集大成である。

 中期から後期では、中丸貴史「漢文日記叙述と漢籍―摂関家の日記としての『後二条師通記』―」(『日本中国学会報』63、11年10月)は日記の文体の変化と漢籍学習とを連動するものと論じる。本間洋一「院政期の漢詩世界序説(三)―漢詩と和歌と―」(『北陸古典研究』26、11年11月)はこの時期の詩歌の交流をまとまった形で取り上げる。大江匡房については、山崎誠『江都督納言願文集注解』(塙書房、10年2月)が出た。今後院政期の歴史・文学・仏教・美術の研究に必須の一書となるであろう。同「古代末期漢文表現の仿古と創造」(『日本文学』59・7、10年7月)ではさらに藤原通憲との連続性や、この時期の北宋文物の移入にも注意を促している。そこでも言及される李育娟論文は《《江談抄》与唐宋筆記研究 論平安対北宋文学文化之受容》(台北・文史哲出版社、13年8月)に収められた。山崎は同様の関心から「ジャンルとしての題跋」(『日本文学』61・7、12年7月)も発表している。匡房では他に山崎明「大江匡房の願文に見る『明皇雑録』の受容」(『中古文学』88、11年12月)がこれまで見過ごされてきた漢籍受容を指摘している。なお手島崇裕「入宋僧の聖地巡礼と往生をめぐる諸問題―成尋と後続僧侶を中心に―」(『死生学研究』17、12年3月)も、近年の対外交渉史研究の進展を知ることができる論として触れておく。

【中世】
 錦仁「題詠論・続稿―結題の詠み方をめぐって―」(錦仁編『中世詩歌の本質と連関』中世文学と隣接諸学6、竹林舎、12年4月)を読むと、句題詩から和歌の結題へという影響関係を考えるとき、そもそも歌論や実作における結題詠法をどう把握すればよいか、まだまだ難しい問題があることがわかるが、まずは漢詩研究のなかで、大木美乃「近衛家実詩壇の考察」(『中世文学』58、13年6月)のように対象を広げる努力が必要であろう。小野泰央『中世漢文学の形象』(勉誠出版、11年11月、朝倉和書評『和漢比較文学』50、13年2月)は平安から室町まで幅広く扱い、各所に興味深い指摘が見られるが、それぞれに先行研究との関係を明確にする必要があろう。

 鎌倉時代については大木論文のほか、福島金治「鎌倉中期の京・鎌倉における漢籍受容者群―『管見抄』と『鳩嶺集』のあいだ―」(『国立歴史民俗博物館研究報告』175、13年1月)が五山文学前夜の様相を照らし出す。南北朝時代については小川剛生校訂による東坊城秀長の日記『迎陽記』第一(史料纂集、八木書店、11年3月)が出た。続刊が待たれる。時代は飛ぶが、伊藤慎吾『室町戦国期の公家社会と文事』(三弥井書店、12年10月)は、これまでほとんど研究がない一六世紀の博士家、特に菅原家の文筆活動を網羅的に取り上げたもので、室町文芸との関わりはもちろん、五山との影響関係あるいは棲み分けのようなものについても本書を踏まえて考える必要があろう。

 五山文学では、『文学』12・5(11年9月)において特集が組まれた。また、住吉朋彦『中世日本漢学の基礎研究 韻類編』(汲古書院、12年2月、芳村弘道書評『和漢比較文学』50、13年2月)が中国・朝鮮・日本における漢学の基礎的書物である類書のうち韻により分類がなされているものを版本学的に研究した上で、各国の学問状況との関わりを論じている。五山版の独自性を明らかにした点、個別の伝本の伝来や書き入れ等にも目配りしている点など、新見に富む。五山版に関しては太田亨「五山版『新刊五百家註音辯唐柳先生文集』について―五山版の再検討をめぐって―」(前掲『文学』)が同様の指摘を行っている。ほかに西尾賢隆『中世禅僧の墨蹟と日中交流』(吉川弘文館、11年2月)や榎本渉『南宋・元代日中渡航僧伝記集成 附 江戸時代における僧伝集積過程の研究』(勉誠出版、13年3月)、中本大『名庸集 影印と解題』(思文閣出版、13年10月、漢詩文作成のための五山僧による中国歴史人名事典)が文学のみならず五山全般の研究に役立つ資料集成・考察である。京都大学国文学研究室・中国文学研究室編『看聞日記紙背 和漢聯句訳注』(臨川書店、11年2月)は一連の和漢聯句研究の最終冊。その成果は楊昆鵬「五山文学と和漢聯句」(前掲『文学』)など氏の研究に継承されている。

 江静《赴日宋僧無学祖元研究》(北京・商務印書館、11年2月)は円覚寺開山無学祖元の伝記研究、衣川賢次「送別詩集『一帆風』の成立過程」(『駒澤大学禅研究所年報』25、13年12月)は陳捷「日本入宋僧南浦紹明および宋僧の詩集『一帆風』について」(堀川貴司・浅見洋二編『蒼海に交わされる詩文』東アジア海域叢書13、汲古書院、12年10月)の研究を発展させ新資料を紹介する。金文京「中巌円月の中国体験―科挙との関係を中心として―」(前掲『文学』)は元代の政治社会との関係から中巌の言説を読み解く。朝倉尚「禅林における艶詞文芸をめぐって―研究の現状と現存作品集(群)」(『中世文学』56、11年6月)ほか一連の艶詞文芸研究は、五山というある意味閉じられた社会における文学の役割を考えさせる。同「景徐周麟の文筆活動―延徳四年=明応元年(3)」(『鈴峯女子短期大学人文社会科学研究集報』60、13年12月)は広島大学『地域文化研究』10(85年2月)以来通算28回目となる連載。田村航『一条兼良の学問と室町文化』(勉誠出版、13年2月)は兼良の文化的役割を論じたものだが、五山とも深く関わる。一休宗純については、中川徳之助『髑髏の世界 一休宗純和尚の跡をたどる』(水声社、13年3月)が作品を読み込んだ評伝、矢内一麿「一休宗純『自戒集』の語彙とその比喩するもの―堺布教の問題を中心に―」(『文学・語学』207、13年11月)が堺という地域性を踏まえた『自戒集』論。朝倉和「五山文学版『百人一首』と『花上集』の基礎的研究―伝本とその周辺―」(前掲『文学』)は五山詩のアンソロジー二種の伝本および本文の研究。岩山泰三「『後素集』玄宗楊貴妃関係画題攷」(『和漢比較文学』49、12年8月)は表題の画題詩における日中の表現内容の差異を論じる。渡瀬淳子「林逋の詩と梅の歌―室町時代の詠梅歌の変化と宋詩―」(『中世文学』58、13年6月)は五山を媒介にした室町期の和歌表現の変容を考察する。須田牧子ほか「妙智院所蔵『初渡集』巻中・解題/翻刻」(中島楽章・伊藤幸司編『寧波と博多』東アジア海域叢書11、汲古書院、13年3月)は策彦周良の渡明日記の厳密な翻刻と、現在の研究を反映した解題。芳澤元「慶長期の絵画・漢詩の製作過程―前田利家夫人・芳春院の女人図―」(前掲『文学』)は複数の画賛を持つ絵画の製作過程とその含意を周辺資料や時代状況を踏まえて読み解く。また、卞東波(高橋幸吉訳)「域外漢籍に見られる南宋江湖詩人の新資料およびその価値」(『江湖派研究』3、13年12月)は本国で失われた南宋詩人の作品を五山文学の関係資料に見出している。

 抄物については柳田征司『日本語の歴史3 中世口語資料を読む』『(同)4 抄物、広大な沃野』(武蔵野書院、12年5月、13年4月)が出た。これまでの研究の蓄積を踏まえた概説のなかに、興味深い事例を惜しげもなく盛り込んでいる。また戸川芳郎ほか監修『大学聴塵』(清原宣賢漢籍抄翻印叢刊1、汲古書院、11年10月)は続刊が待たれる。論文では川本慎自「江西龍派の農業知識」(西山美香編『古代中世日本の内なる「禅」』勉誠出版、11年5月)が、抄物に見える農業関係の知識は、聴衆である禅僧や武士ら荘園経営に関わる人々の要求に応じたものであると推定、新鮮な視点を提示している。野上潤一「清原宣賢抄物と『燈前夜話』―手控本生成の一端と講釈における利用をめぐって―」(『国語国文』81・3、12年3月)、同「『燈前夜話』の享受について―非抄物典籍における禅林抄物利用と中世後期の学問の一隅をめぐって―」(『説話文学研究』47、12年7月)は中国史概説書である表題の抄物が同時代のさまざまな文献に利用されていることを明らかにし、五山の学芸の影響を近世初期、仮名草子の成立にまで見ようとするものである。他に曹洞宗系統の抄物については安藤嘉則『中世禅宗における公案禅の研究』(国書刊行会、11年2月)、飯塚大展「禅籍抄物における和歌の引用について―林下曹洞宗における相伝史料を中心にして―」(『駒澤大学仏教文学研究』17、14年2月)があり、これらもやはり近世へと連続していくだろう。

【近世・近代】

 齋藤文俊『漢文訓読と近代日本語の形成』(勉誠出版、11年2月、堀川書評『名古屋大学国語国文学』104、11年11月)、前田勉『江戸の読書会 会読の思想史』(平凡社選書、12年10月)、土田健次郎『江戸の朱子学』(筑摩選書、14年1月)は国語学および思想史分野での研究であるが、文学研究においても示唆に富む。

 漢籍受容については、奈良場勝『近世易学研究―江戸時代の易占―』(おうふう、10年5月)、青山英正「古典知としての近世観相学―この不思議なる身体の解釈学」(前田雅之編『もう一つの古典知 前近代日本の知の可能性』勉誠出版、12年7月)、石上阿希「日本春画における外来思想の受容と展開」(『立命館文学』630、13年3月)、江戸初期の知られざる大蔵書家の存在を明らかにした長坂成行「篠屋宗礀と多福文庫旧蔵本」(『汲古』62、12年12月)、京都所司代板倉重矩の出版活動を初めて指摘した湯谷祐三解説『殿様は、すごい本を出していた』(西尾市岩瀬文庫展示図録、14年4月)など、一七世紀における学芸や出版が広く深く中国明代の出版物と結びついていることが知られるようになった。

 中世からの流れとそういった新潮流とが混じり合い、また和と漢とが交差するこの時期の面白さは、鍛治宏介「近江八景詩歌の誕生」(『国語国文』81・2、12年2月)、山下善也「狩野山雪聖賢図押絵貼屏風について」(『学叢』34、12年5月)、陳可冉「芭蕉における『本朝一人一首』の受容―『嵯峨日記』・『おくのほそ道』を中心に―」(『総研大文化科学研究』8、12年3月)、同「岡西惟中と林家の学問」(『国文学研究資料館紀要 文学研究篇』38、12年3月)にも見られる。その中心にある林家については他に徳田武編『鳳岡林先生全集』(勉誠出版、14年2月)や揖斐高『江戸幕府と儒学者 林羅山・鵞峰・鳳岡三代の闘い』(中公新書、14年6月)が出た。井上敏幸「校本楓園叢談」(『佐賀大国文』42、14年3月)は鹿島藩主鍋島直條の著作の翻刻で、林家周辺の逸話に富むもの。柳川文化資料集成第二集―四『安東省菴集 翻字編』(柳川市、14年3月)など、氏を中心とするメンバーによる九州北部の漢学や黄檗文化受容を示す資料の紹介が続いている。若木太一編『長崎 東西文化交渉史の舞台(ステージ) 明・清時代の長崎 支配の構図と文化の諸相』(勉誠出版、13年9月)も長崎を焦点としたもので、大庭卓也「貝原益軒と朝鮮の文献」や川平敏文「聖堂儒者の人と思想―南部草寿伝略」などを収める。

 中期に入る。太田由佳『松岡恕庵本草学の研究』(思文閣出版、12年3月)は表題の人物の基礎研究。紫陽会編『新井白石『陶情詩集』の研究』(汲古書院、12年2月、池澤一郎書評『和漢比較文学』51、13年8月)は白石青年期の詩集の注釈と論考で、『円機活法』など当時の類書を附録のCDに収める。康盛国「雨森芳洲の漢詩観―『橘窓茶話』を中心に―」(『近世文藝』96、12年7月)、同「朝鮮通信使の日本漢詩批評―『梅所詩稿』の申維翰序文をめぐって―」(大阪大学『語文』99、12年12月)は同じ木下順庵門下の芳洲や、彼が深く関わった正徳度通信使を取り上げる。本間洋一「『桑華蒙求』概略・出典覚書(上巻)」「(同)(中巻)」(『同志社女子大学学術研究年報』63、64、12年12月、13年12月)は足守藩主木下公定の著作である表題の書の典拠考察。和漢の歴史知識の流布の様相が知られる。

 徂徠学派については、宮崎修多「江戸中期における擬古主義の流行に関する臆見」(笠谷和比古編『一八世紀日本の文化状況と国際環境』思文閣出版、11年8月)が長年の研究の一端を披露、また白石真子『太宰春台の詩文論 徂徠学の継承と転回』(笠間書院、12年1月)、高山大毅「『滄溟先生尺牘』の時代―古文辞派と漢文書簡―」(『日本漢文学研究』6、11年3月)など、漢文の文章論や実作に取り組んだ論考の出現は心強い。『唐詩選』については、大庭卓也「和刻『唐詩選』出版の盛況」(前掲『蒼海に交わされる詩文』)や有木大輔『唐詩選版本研究』(好文出版、13年7月)が研究を深化させている。

 明和元年(一七六四)に来日した朝鮮通信使については、東アジア学芸の相互影響を考える論考が相継いだ。高橋博巳「十八世紀東アジアを行き交う詩と絵画」(前掲『蒼海に交わされる詩文』)は「東アジア学芸共和国」構想を掲げる氏が朝鮮・中国・ヴェトナム・琉球および日本の知識人の、詩書画を通じた交流を述べる。一方、張伯偉(内山精也訳)「漢文学史における一七六四年」(同前)は徂徠学派の学問に衝撃を受けた通信使がその背後にある清朝の学問を再認識するというドラマを描き出す。後者は藍弘岳「徂徠学派文士と朝鮮通信使―「古文辞学」の展開をめぐって―」(『日本漢文学研究』9、14年3月)に継承されている。なお、この研究に先鞭を付けた夫馬進「朝鮮通信使による日本古学の認識―朝鮮燕行使による清朝漢学の把握を視野に入れ―」(『思想』981、06年1月)および「一七六四年朝鮮通信使と日本の徂徠学」(『史林』89・5、06年9月)の存在を『蒼海に交わされる詩文』の総説で言及しなかったことをお詫びし、ここに明記したい。張には、本論文の原文を含む《作為方法的漢文化圏》(方法としての漢文化圏)(北京・中華書局、11年9月、堀川書評『中国文学報』82、12年4月)があり、域外漢籍研究の方法論とその実践例を見ることができる。

 ほかに、稲田篤信「和刻本『世説新語補』の書入三種」(『日本漢文学研究』8、13年3月)、山田尚子「細川重賢の蔵書と学問―漢文資料をめぐって―」(森正人・稲葉継陽編『細川家の歴史資料と書籍』吉川弘文館、13年3月)、浅川哲也「漢籍国字解『唐詩選国字解』とその異本―服部南郭は『唐詩選国字解』の講述者ではない―」(『近代語研究』17、武蔵野書院、13年10月)は、古文辞派の学問の影響下で読まれた漢籍とその講読、また蔵書形成などについて述べている。高橋昌彦「『日本詩選』の編纂と刊行」(中野三敏・楠元六男編『江戸の漢文脈文化』竹林舎、12年4月)は表題の書の精密な書誌研究である。

 小財陽平「三宅嘯山の『唐詩選』受容」(『和漢比較文学』47、11年8月)は俳諧作者の漢詩理解を分析、門脇むつみ「若冲と大典―『素絢石冊』、『玄圃瑤華』の画と詩―」(中野三敏監修、河野実編『詩歌とイメージ 江戸の板本・一枚摺にみる夢』勉誠出版、13年5月)は詩画一体の作品を読解する。これらジャンルを越えた研究の先駆者である池澤一郎は近年の論文を『雅俗往還 近世文人の詩と絵画』(若草書房、12年2月)にまとめたほか、「画譜の中の漢詩―『建氏画苑』を中心に―」(前掲『詩歌とイメージ』)、「葛西因是の唐詩論―館柳湾編書の序文と「辨唐詩」―」(『江戸風雅』7、13年1月)などを陸続と発表している。

 中期から後期にかけて。眞壁仁「徳川儒学思想における明清交替―江戸儒学界における正統の転位とその変遷―」(『北大法学論集』62・6、12年3月)は、松下忠の研究を援用しつつ、古文辞派から性霊派への詩風交替を儒学全体における明から清へのモデル交替の先駆と位置づける。主眼は同時代の清朝考証学、特に歴史学の摂取と幕末の幕府漢学者の政治的役割の考察にあるが、文学思潮を考える上でも重要な視点である。劉芳亮《日本江戸漢詩対明代詩歌的接受研究》(済南・山東大学出版社、13年4月)は近世全般にわたる研究だが、性霊派の出版活動に注目するなど、この時期に関する論が参考になる。山本嘉孝「山本北山の技芸論」(『近世文藝』99、14年1月)は北山の詩論を彼の活動の総体から捉え直そうという試み、張淘「大窪詩仏詠物詩考―中国詠物詩との関わりを中心に―」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』58、13年2月)は詩仏の詠物詩の特徴を丁寧な読解によって分析する。黒川桃子「江馬細香自画賛「墨竹図」考―その光の表現をめぐって―」(『和漢比較文学』47、11年8月)は細香画の竹の特徴的な表現の由来を日中の詩画から探る。

 幕末・明治では、合山林太郎『幕末・明治期における日本漢詩文の研究』(和泉書院、14年2月)が表題通り、この時期の漢文学、特に漢詩の流れを、近代文学をも視野に入れながら追っている。明治初期の重要人物、森春濤については日野俊彦『森春濤の基礎的研究』(汲古書院、13年2月)も出た。堀口育男「「山居」「江居」「村居」三十律の唱和と伝本の形成に就いて―久子翠峰・勝村蠖斎・斎藤竹堂―」(『斯文』124、14年3月)は数年来行ってきた注釈作業を踏まえた成果。鈴木俊幸「『幼学便覧』考―幕末の詩作熱とその行方―」(『国語と国文学』91・7、14年7月)は、幕末期の漢学啓蒙書の出版と流布を見渡す著者の一連の研究の一つ。清朝の文人兪樾の編になる日本漢詩選集『東瀛詩選』については、川邉雄大「『東瀛詩選』編纂に関する一考察―明治漢詩壇と日中関係との関わりを中心に―」(『日本漢文学研究』8、13年3月)が真宗大谷派僧侶(北方心泉・松本白華ら)との関わりを明らかにする。一方、郭穎《漢詩与和習―従《東瀛詩選》到日本的詩歌自覚》(廈門・廈門大学出版社、13年5月)は兪樾による収録作品の添削を詳細に検討し、そこから逆に日本漢詩の特徴をあぶり出そうとする。マシュー・フレーリ「成島柳北の戯文と擬文―『伊都満底草』から新聞雑録まで」(前掲『日本における「文」と「ブンガク」』)は著者長年の柳北研究の一端である。河野貴美子「北京大学図書館蔵余嘉錫校『弘決外典鈔』について」(『汲古』58、10年12月)は中国伝統の校勘学と日本の文献との出会いを描く。


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