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2014年1月20日

 記事のカテゴリー : 新刊案内

●伊原 昭『源氏物語の色 いろなきものの世界へ』(笠間書院)

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2月中旬の刊行予定です。

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伊原 昭『源氏物語の色 いろなきものの世界へ』(笠間書院)
ISBN978-4-305-70716-1 C0095
A5判・上製・カバー装・440頁
定価:本体4,800円(税別)

古典文学と色彩の関係を追い続けてきた著者の『源氏物語』色彩論集成。
絢爛とした美の世界とともに変容する、豊穣な色相の変遷を追う。

物語の深化の果てに辿り着いた究極の色とは?
それは色のない世界、すなわち、無彩色の思想ではないか。

【 古典文学と色彩の関係を追いつづけてきて、漸くうっすらと見えてきたものがある。自分なりの結論を検証してみようと思う。
 散文では『源氏物語』の豊饒な色の絢爛とした美の世界とともに、変容する色相の変遷がある。そして物語の深化の果てに辿りついた究極の色とは? それは色のない世界、すなわち、無彩色の思想といえる。
 平安時代に極まった『源氏物語』のネガティブなこの思想が時代を経て、享受され、昇華した律文がある。鎌倉から南北朝時代の『玉葉和歌集』『風雅和歌集』の色たち、いわゆる京極派の歌たちである。この京極派歌人たちは『源氏物語』を読んで読んで読み込んだ末、身につまされる受難の実体験から、自身の生か死か、極まった厳しい現実と『源氏物語』が重なり、やがて『宇治十帖』の宗教的命題へと両者は深化し、交錯してゆく。その情景なり哲学が一層凝縮されて、歌に表現されたもの、それはつまるところ、透明な色といっていいだろう。時代を隔てて、両作品は散文と律文ながら奇しくも色のない世界に到達する。】

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■著者紹介

伊原 昭(いはら・あき)IHARA Aki

神奈川県鎌倉市に生まれる。
東京女子大学卒業、日本大学大学院文学研究科修了。国立国会図書館主査、和洋女子大学、梅光女学院大学教授を経て、現在、梅光学院大学名誉教授。文学博士。
著書 『色彩と文学―古典和歌をしらべて―』(桜楓社出版 昭32)、『萬葉の色相』(塙書房 昭39)、『平安朝文学の色相―特に散文作品について―』(笠間書院 昭42)、『色彩と文芸美―古典における―』(笠間書院 昭46)、『日本文学色彩用語集成―中世―』(笠間書院  昭50、風俗史学会第一回「野口眞造記念染色研究奨励金」受賞)、『日本文学色彩用語集成―中古―』(笠間書院 昭52、風俗史学会第六回「江馬賞」受賞)、 『古典文学における色彩』(笠間書院 昭54)、『日本文学色彩用語集成―上代一―』(笠間書院 昭55)、『平安朝の文学と色彩』(中央公論社 昭 57)、『日本文学色彩用語集成―上代二―』(笠間書院 昭61)、『万葉の色―その背景をさぐる―』(笠間書院 平元)、『文学にみる日本の色』(朝日新聞社 平6)、『王朝の色と美』(笠間書院 平11)、『日本文学色彩用語集成―近世―』(笠間書院 平18)、『増補版 万葉の色―その背景をさぐる―』(笠間書院 平22)、『色へのことばをのこしたい』(笠間書院 平23、「ビューティサイエンス学会賞」受賞)。
上記に明記した他に、以下の受賞がある。『日本文学色彩用語集成―上代一〜近世―』(笠間書院 昭50〜平18)全5巻に「エイボン芸術賞」(平19年度)受賞。『日本文学色彩用語集成―上代一〜近世―』全5巻に「ビューティサイエンス学会賞」(平19年度)受賞。
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■ご予約・ご注文は版元ドットコムで
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-305-70716-1.html
または、直接小社まで、メールでinfo@kasamashoin.co.jpご連絡いただいても構いません。またはこちらのフォームで、購入希望としてご連絡ください(書名・冊数・お名前・ご住所・電話番号を明記してください)。
http://kasamashoin.jp/mailform.html
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【目次】

はしがき

Ⅰ 源氏物語の指向するもの―豊饒ないろから無彩色の世界へ

序にかえて―上代の人たちの色意識
王朝物語の色彩表現―『源氏物語』を中心に

 一 襲の発明
 二 多彩な衣装の配色と文芸
 三 「紫の上」の色―自然の色どり、人工の色、人のあり方を結実
『源氏物語』における色のモチーフ―〝末摘花〟の場合
 一 平安の色
 二 末摘花
 三 『源氏物語』における色の象徴
 四 "末摘花"という人物
 五 "末摘花"像の先蹤
 六 "末摘花"造型の意図
 七 『源氏物語』における色のモチーフ
 八 色そのものを名とする登場人物
『源氏物語』にみる女性の服色
 一 歌合にみられる服色
 二 左方が上位
 三 左方が赤系統・右方が青系統
 四 服装がその人の全体を表現
 五 光源氏をめぐる最も主要な女性方の評価
むらさき
『源氏物語』の色

 一 平安時代の色
 二 『源氏物語』の色
 三 光源氏の究極の白―黒の服色
このごろ摘み出だしたる花してはかなく染め出で給へる、いと、あらまほしき色したり。
『源氏物語』と色―その一端

 一 紫式部の自画像
 二 「人から」と服色
 三 一場面と色―「絵合」
 四 光源氏の無常観と服色
光源氏の一面―その服色の象徴するもの
 一 晴の服色を描かない源氏
 二 枕草子の華美な色彩表現
 三 地味で暗調の光源氏
 四 主人公光源氏、固有の服色
 五 超人的な美
 六 色を捨てた黒―白
 七 現世を超えた無彩色の世界
「山吹」について―宇治の中君の場合
 一 「山吹」は春季か
 二 不吉な色をとりつくろい、平常の色合に
宇治の大君
 一 色なきものの世界
 二 薫からみた宇治の大君
 三 薫―宗教と一体渾然となった深層の美
 四 美は倫理よりも高い
『源氏物語』の美―死にかかわる描写をとおして
 一 文芸世界での死者―源氏物語以前
 二 文芸世界での死者―源氏物語以後
 三 諸作品の容貌 白―赤、黒―青色
『源氏物語』―「すさまじ」の対象をとおして
 一 紫式部は「すさまじ」に何を見出したのか
 二 和歌、散文における「すさまじ」の用例から
 三 「すさまじ」の意味の変遷
 四 源氏物語の特異な或る境地
『源氏物語』の指向するもの―色なきものの身にしみて
 一 正月の衣裳はそれぞれの人たちの個性を表わす
 二 冬の夜の澄める月、雪の光(り)―色なきものゝ身にしみて
 三 冬の月光と、白雪の光りあう夜景に美を
 四 『紫式部日記』は色を超えた白―無彩色の世界
 五 紫式部、理解されぬ孤独の魂―精神は中世に向かっていた
 六 無彩色の白一色を、無上の美として見出す

Ⅱ 色なきものを指向する世界―散文から律文へ[京極派和歌たち]

「にほふ」―京極派和歌の美的世界
「すゞし」"色彩の固有感情"とのかかわり―京極派の和歌をとおして
「すさまじ」―『玉葉』・『風雅』の一世界
薄明の桜―『玉葉集』・『風雅集』にみる
ともし火―『玉葉』・『風雅』の歌人の心

初出一覧
あとがき

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「はしがき」より

 古典文学と色彩の関係を追いつづけてきて、漸くうっすらと見えてきたものがある。自分なりの結論を検証してみようと思う。
 散文では『源氏物語』の豊饒な色の絢爛とした美の世界とともに、変容する色相の変遷がある。そして物語の深化の果てに辿りついた究極の色とは? それは色のない世界、すなわち、無彩色の思想といえる。

 平安時代に極まった『源氏物語』のネガティブなこの思想が時代を経て、享受され、昇華した律文がある。鎌倉から南北朝時代の『玉葉和歌集』『風雅和歌集』の色たち、いわゆる京極派の歌たちである。この京極派歌人たちは『源氏物語』を読んで読んで読み込んだ末、身につまされる受難の実体験から、自身の生か死か、極まった厳しい現実と『源氏物語』が重なり、やがて『宇治十帖』の宗教的命題へと両者は深化し、交錯してゆく。その情景なり哲学が一層凝縮されて、歌に表現されたもの、それはつまるところ、透明な色といっていいだろう。時代を隔てて、両作品は散文と律文ながら奇しくも色のない世界に到達する。

 一般に『源氏物語』では内容に伴なって潤沢な色彩世界が展開された、という解釈が通説である。しかし、若菜巻以降では栄耀栄華を疑いはじめる源氏がいる。自己否定を内にひそめ、内面的憂愁の世界に傾斜しつつ、次第に色相はうすくなってゆく。そして、光源氏没後の『宇治十帖』では無彩色の色といえばいいのだろうか、私たちが知る王朝の華麗な色彩美で彩られた『源氏物語』からは程遠い世界が展開される。薫と匂宮、ふたりの愛に進退極まった浮舟の存在。これら、不条理としかいいようのないこの世界こそが現実(虚構)として表現されたものだろう。『宇治十帖』によって雅な源氏世界が瓦解されてゆく。だが、この『宇治十帖』にこそ作者紫式部の思想は収斂されていったと思う。宗教も身近なものとして捉えられつつ、この「色のない世界」にこそ人間社会の実相を感じ取ったのだろう。京極派和歌もつまるところ、同様の思想に到達したといえる。

光厳院の御集中「燈」連作六首は宗教的内観性を追求した、京極派の代表作といえよう。

 さ夜ふくる窓の燈つく??とかけもしつけし我もしつけし  (一四一)
 心とてよもにうつるよ何そこれたゝ此むかふともし火のかけ (一四二)
 むかひなす心に物やあはれなるあはれにもあらし燈のかけ  (一四三)
 ふくる夜の燈のかけををのつから物のあはれにむかひなしぬる(一四四)
 過ぎにし世いまゆくさきと思うつる心よいつらともし火の本 (一四五)
 ともし火に我もむかはす燈もわれにむかはすをのかまに (一四六)

 ともし火が風でほのかにゆらぐ、作者の心のゆらぎとともに、夜の時間帯、雨の時間帯があらわれる。死を前にした真の孤独をくぐり、自然と渾然とひとつに融合した闇の世界、人間存在の極みが表現されたものだろう。

中世の、ことに南北朝の時代、多くの人々は、戦乱と術数の中にあけくれ、そこに生きるために、現世の様々の苦悩をそのままその身に受けとめていたことであろう。
 ことに多感な歌人達にとっては、現実に憂世の出来事を彼岸のこととして、和歌の風雅にのみ徹することができたであろうか。古い伝統の中で、父祖の教えを墨守しながら、現世の相に目をむけることなく歌作することで満足するならば、それはそれとして可能でもあったろう。
 しかし、京極派の人々は「心のままに詞のにほひゆく」(『為兼卿和歌抄』)ことを願った故に、月雪花の世界へもおのずから自己の心の波が滲み出ていったようである。現世の苦悩を歌の世界でのり切ろうとすれば、自然の姿も真剣に凝視せざるを得なくなるであろう。そこに生まれる心の翳が歌作に憂愁や悲哀をこめて投影されているのである。

 尽しきれただろうか、こころもとない。以下の各論にて「はしがき」の論理が検証できていればいいのだが。
 大方のご批正をお願いする。


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