田中道雄[佐賀大学名誉教授]・日本詩歌史の忘れられた巨星―蝶夢の佳句のもたらす不思議さ●リポート笠間55号より公開

リポート笠間55号・特集[近世文学研究のなかの「壁」]より、田中道雄[佐賀大学名誉教授]・日本詩歌史の忘れられた巨星―蝶夢の佳句のもたらす不思議さ、を公開いたします。
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日本詩歌史の忘れられた巨星
―蝶夢の佳句のもたらす不思議さ

田中道雄[佐賀大学名誉教授]
▼近世文学研究。『天明俳諧集』新日本古典文学大系73(共著、岩波書店、一九九八年)、『蕉風復興運動と蕪村』(岩波書店、二〇〇〇年)、『蝶夢全集』(共編著、和泉書院、二〇一三年)などがある。
 春の近世文学会で蝶夢について話した。『蝶夢全集』(和泉書院刊、二〇一三年)の解説を執筆した際、蝶夢のいだいた表現理念の斬新さに気づき、学会の皆さんに報告しておこうと思ったからである。
 蝶夢というのは、十八世紀後半に活躍した京都の俳人である。浄土僧で俗姓名不詳。初めて芭蕉の作品を集成し本格的な伝記をまとめたので、戦前までは芭蕉顕彰上の最大の功労者として知られたが、今は名を忘れられている。組織的な門下をもたなかったし、自分の名を包む人で、永年整えてきた大部の句集の刊行を、没前になって急に取りやめた。その高潔さゆえに、人々の記憶から消えていった。
 私は、安永天明期俳壇を席捲した蕉風復興運動の中心人物として注目しており、蕪村につよい影響を与えたことをかつて指摘したことがある。
 また私はこれまで、蝶夢の表現理念が小沢蘆庵の「たゞ今思へることを我が言はるゝ詞をもて」(布留の中道)との言辞によく似ることに気づき、蝶夢がその先駆けではあるまいか、と疑ってきた。永くその確証を得ずに過ぎていたが、このたび全集を編んでようやく解決できた。蝶夢の多様な活動のいずれについても、作者の主体性を重視する点で、その表現理念との一致を見出したからである。例えば、旅を好んだのは、題詠をきらい名所の実見を重んじたからだった。秘伝書を否定したのは、作者自身の主体的探求を求めたからだった。
 蝶夢の表現理念についての発言は、理論として組織化されたものではない。書簡の中に断章風に織り込む形式が多い。そういう意味では素朴で単純であり、俳論として未熟である。しかしウブであるがゆえの、確乎としたつよい主張がそこにある。
 従来、俳諧関係の文献の中に文芸思想を読み取ろうとする場合、多くは既成のそれの影響として把握することが多かった。例えば、漢詩壇のしかじかの論が俳諧に、という具合に。それが外来思想によることもある。でも、私は思うのである。よしや外からの影響があるとしても、俳人自身が新しい感じ方、考え方を内部に胚胎していたからこそ、その受容は成り立ったのではあるまいか、と。さらに言えば、影響を受ける前に、俳人自身が自らの営みの中で新しい文芸の在り方を模索することもあるのではないか、ある意味では、俳諧というジャンルだからこそ、俳人は民衆レベルの文芸の志向を敏感に感じとり得たのではあるまいか、新しい理念を求めたのではなかろうか、などとも。
 蝶夢は、人の評価や褒貶にかかわるな、ただただ「自己の楽しみ」として詠めと、多くの人に繰り返し説いていた。ひいては、作品の出来ばえは二の次のこと、心の内に生まれ出た、言葉になる
前の感動体験こそ大切だと主張した。〈言葉の巧み〉もいらないと。
 大宰府天満宮で境内の飛び梅を見た蝶夢は、
  青梅や仰げば口に酢のたまる
と詠み、これを「たゞまことをもはらとして」と説明した。酸味を感じて無意識に唾をのみこむ生理現象を詠んだもので、現代人なら〝条件反射〟の語を思い出し、簡単に納得するだろう。蝶夢には、このささやかなショックが新鮮な体験だった、ゆえに句にする価値があったのである。このような句もある。
  むすぶ手の袂へつたふ清水哉   (全集未収、続編に収録予定)
夏の日、清水を両手ですくおうとして、油断で掌から水が漏れて袂に流れてきた。冷たいと感じた瞬間のショックを詠んだのである。
 右の二句に共通するのは、外界の何かから加えられた軽い刺激の実体験である。その刺激を味覚や触覚という感覚として受容したわけだが、感覚は身体を通して主体の実在をもっとも敏感に自覚させる。それゆえに、主体性にこだわり始めた作者は、この体験をことに新鮮に感じる。そこで、このような句に価値を認めることになる。
 こう考えてくると、安永天明期俳諧の特色の一つとされる感覚性が、まことに素朴な表現の喜びの中において意識化され、新しい句風に育っていったことを察し得る。
  朝露や木の間にたるゝ蜘蛛の囲
朝の冷気の中で見た、昇る日を受けてイルミネーションのように光る露の列の美しさ。外からの刺激を受け入れることに慣れてきた感覚は、外界の美しいものに敏感に反応するようになる。こうして「自己の楽しみ」は拡がり深まっていく。次の句はいかがか。
  月さすや髭のきらめくきり〴〵す (全集未収、続編に収録予定)
ことさら解釈するまでもない、夜の庭の片隅の瞬間の美しさを詠んだまでである。稲妻のように消えてしまう……。しかしこれをとらえた蝶夢は、何と繊細な感受性の持ち主だろう。このうえなく細い光の筋のゆらめき、そこにか細い命がたまゆら輝く。
 ここで私は、思いもかけぬ事実にであってたじろぐ。右の「朝露や」「月さすや」の両句は、蝶夢が整えた大部の自句集に見えないのである。どう考えればよいのだろうか。現代の私たちが感性豊かだと評価できる句を詠んだのに、蝶夢は、「久々に佳句を得た」と心に刻み込むほどに喜んではいなかった―そう理解するしかあるまい。みずみずしい感動を体験できたと、その段階で十分に満足していて……。そう解してみても、何かいぶかしい思いが残る。心の問題と言葉の問題との間には、それほどの隔たりがあるものだろうか、と。でも考えてみると、蝶夢は新しい文芸の在り方を模索していたのである。新しい思想の誕生に際しては、ウブであるがゆえの無骨な思考があるのかも知れない。そこに、創造という営みの不思議さをみるような気がする。
 迷いの中で摸索していた蝶夢は、このような形で新しい表現理念を獲得していったのではなかろうか。そして、内からこみあげてくる何か、熱いものやみずみずしいもの、それを表現することこそが俳諧だ、と確信する。このような思想を、つとに明和期にはいだいていた。蝶夢は、俳諧の弟子達にこの持論を繰り返し説いている。多くの詩人や歌人と交わる蝶夢である。この思想は俳壇以外にも拡がっていったはずである。小沢蘆庵にも間違いなく影響していたと思う。
 簡単に言うと、蝶夢の主張は、〈感情や認識の内発性〉を至上とする表現理念の成立を意味するだろう。これに〈言葉の巧み〉を超える価値が与えられた。この立場に立つと、従来の表現上の最重要課題であった〝趣向〟が次第にその価値を低めていく。蕪村の俳諧も、〈言葉の巧み〉を至上とする点で新古今集から遠からぬものとなる。
 こうして俳諧の表現理念は変わっていくが、この理念が俳諧以外の詩歌にも広く及ぶとしたら、日本詩歌史においてパラダイムの転換が起きた、と考えざるを得ないだろう。近世中期の始点から近代のある時点まで、それは口語自由詩が現れる時だろうか、その時点に至るまでの長い年月、日本の詩歌史は一進一退を重ねながら、そのパラダイムの転換を少しずつ進行させていったものと思われる。
 最後に、老いのたわ言。
 グローバル化ということは、文芸研究にも及ぶだろう。外国人に尋ねられて、日本の詩歌の大きな流れを説明してやれるだろうか。和歌・連歌・俳諧・漢詩・近代詩等々、それぞれの歴史の説明はできるとしても……。日本人はその生活の中で、詩歌にどのような歓びを求めて創ってきたのか、その心の歴史が在らねばならぬだろう。どの分野の研究者も、日本の詩歌への愛をいだいている。智慧を出し合って、日本詩歌史を構想すべき時代に入っているように思う。困難だろうが、試みは必要ではあるまいか。