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2013年12月17日

 記事のカテゴリー : リポート笠間掲載コンテンツ

●石上阿希・春画を展示すること●リポート笠間55号より公開

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そろそろお手元に届き始めたと思いますが(ヤマト運輸のメール便でお送りしています。今週中に届かなかったら、ご連絡下さい。再送いたします。届いていない方、ほんとうにすみません...)、リポート笠間55号・特集[近世文学研究のなかの「壁」]より、石上阿希[立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー]氏のエッセイ、春画を展示すること、を公開いたします。

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http://kasamashoin.jp/2013/11/pr55.html

ご連絡お待ちしております。

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春画を展示すること


石上阿希[立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェロー]

近世文化史、近世文学。論文に「リチャード・レインコレクション蔵 西沢一風作『風流足分船』について―初期上方艶本に関する考察―」(「近世文藝」85号、二〇〇七年)など。編著に『西川祐信を読む』(立命館大学アート・リサーチセンター、二〇一三年)、共著に『Shunga : sex and pleasure in Japanese art 』(The British Museum Press 、二〇一三年)がある。


 「What is shunga?」、大英博物館で開催されている春画展はこのような問いかけで始まる。春画とは、春画が存在した社会とは、春画の背景にあるものとは、何だったのか。春画をひとつの文化的産物として捉え、春画のコンテクストを読み解くことによって、その美術的意義だけではなく、歴史的・文化的資料としての重要性を示すことが、本展覧会の目的の一つである。

 今年一〇月三日から始まった大英博物館特別展「Shunga : sex and pleasure in Japanese art(春画―日本美術の性とたのしみ)」(以下「大英春画展」、二〇一四年一月五日まで)は、イギリスで初となる大規模な春画展ということもあり、開催前から大きな話題を呼んだ。本展覧会については日本の新聞やテレビでも報道されたが、特に新聞の関心はこの展覧会が日本で開催されないことに向いていた。なぜ、日本では春画展を開くことが出来ないのか。本稿では、日本社会における春画受容の変遷をおいながら、大英春画展での展示方法とその反応を踏まえ、日本での開催へ向けての展望を示すことが出来ればと思う▼注1

 本題に入る前に、簡単に大英春画展と筆者の関わりについて説明しておきたい。本展覧会は、二〇〇九年にスタートした「国際春画研究プロジェクト」の一環である(プロジェクト代表、ロンドン大学アジア・アフリカ学院(SOAS)アンドリュー・ガーストル教授、大英博物館アジア部日本セクション長ティモシー・クラーク氏)。このプロジェクトは、ロンドン大学SOAS、大英博物館、国際日本文化研究センター、立命館大学アート・リサーチセンターの共同プロジェクトであり、これまでに国内外での資料調査やシンポジウムや研究会を定期的に行い、二〇〇九年には立命館大学で春画展も行っている。筆者は、プロジェクト開始時よりガーストル教授、クラーク氏、ロンドン大学SOASの矢野明子氏と共にこれらの研究活動を進めた。また、二〇一一年からの一年間はプロジェクトキュレイターとして大英博物館で展覧会準備を行った。二〇一〇年には、これらの活動で収集した資料情報を含む「近世艶本総合データベース」(www.arc.ritsumei.ac.jp/ehon/)の公開を開始した。

1 近代以降の春画受容―春画展示研究会

 イギリスで開催出来る春画展が、なぜ日本では開催出来ないのか。これは、自国の文化・歴史を現在の我々がどう受け止め、捉えるべきかという重要な問題につながる疑問である。このような状況を受け、二〇一三年五月より「春画展示研究会」という名の研究会がスタートした。本研究会は文化資源学会を母体としたもので、二〇一二年十二月の辻惟雄氏の講演をプレイベントとして始まり、二〇一四年までに五回を予定している。研究会代表である東京大学木下直之教授は、研究会発足にあたり次のように述べている▼注2

【出版でも研究でも、実物を目にすることが大前提であり、公的な収集・保管は重要な課題です。そして、それらは公開されることではじめて補完され、公共財産=文化資源となるはずです。本研究会は、こうした春画を公開することが社会でどのように受け止められてきたのかを検証し、今後はどうあるべきかを考える機会とします。それゆえに、春画研究会ではなく春画展示研究会とします。】

 春画がどのように社会に受容され、あるいは拒絶されてきたのか。その問題について考えようというのが本研究会である。第一回目の研究会では、大英春画展のメインキュレイターであるティモシー・クラーク氏が大英春画展の目的と概要について発表された。また、筆者は「近現代の日本における春画受容の変遷―笑い絵から醜画へ―」というテーマで、春画がどのように社会のタブーとなったのかについて発表を行った。

 筆者の専門は、本来近世期の浮世絵や文学であるが、大英春画展のプロジェクトキュレイターとして展覧会準備に関わった過程で、春画展を開催することの問題を目の当たりにし、春画の展覧会を行うためには江戸時代までの春画だけを考察するのではなく、現代に繋がる問題点を明らかにしなければならないと思い至った。

 確かに、近世期においても春画は社会の表舞台に存在していたわけではない。享保の改革以降、春画は取締や自主規制の対象となり、公然に売買されることはなかった。しかし、人々の春画に対する認識は必ずしも「排除すべきもの」といったものではなかった。例えば、春画が嫁入りの贈答品として扱われたり、新年のお祝い物として配られたりすることは、春画=「めでたいもの」という意識のあらわれであろう。また、文人画家でもあった柳沢淇園は書棚に春画を置き、「すべて此たぐひも文宝物也。書をよみ、手ならひなどして、気つきたらん時よむべし。心を養ふてよし。」と述べている▼注3。近代以前において、春画は決して蔑視され、忌み嫌われるものではなかったのである。

 しかし、明治に入りそのような意識も徐々に変化していく。早くも明治二年(一八六九)には、春画の売買を禁ずる条例が東京で布達される。為政者によって、春画を含む前時代的な習慣、風俗が否定され始め、明治五年(一八七二)の違式詿違条例では、春画をはじめ、性具やあぶな絵の売買を禁止し、裸体で往来を歩くことや男女の混浴、刺青といった風俗も禁令の対象となった。また、明治八年(一八七五)の出版条例でも「猥褻俗ヲ乱ルノ図書」を著訳し、出版したものに対する懲罰が記されている。

 これらの条例によって、春画の流通に関わっていた古道具屋や貸本屋、書肆などが取締を受けることとなった。当初の取締はそれほど大々的に行われたものではなかったが、明治三八年(一九〇五)を期に、大規模な検挙や取締が行われたという記事が新聞各紙に頻繁に掲載されるようになる。折しも、明治三七年(一九〇四)から始まった日露戦争の真っ直中である。終戦と前後して、春画に対する風当たりは強くなっていった。

 例えば、明治三九年(一九〇六)の五月、八月に行われた検挙では、六十名以上の関係者を逮捕者し、押収品も一万五千枚を超えている▼注4。このような取締は大正・昭和前期に至っても引き続き行われた。

 また、昭和初期頃からは、江戸時代の春画を研究する専門書や復刻本なども数多く出版されるようになっていったが、これらも取締の対象となった。その中で、会員内頒布というシステムを確立し、地下出版の一大ブームを築いたのが梅原北明である。北明が関わった出版は百種以上にのぼるとされるが、ほとんど毎月のように禁止や押収を被っていたといわれる▼注5

 一方、大正末期から昭和初期にかけて、春画研究の基礎ともなる目録類や画集が出版されるようになる。特に、『元禄古版画集英』(大正一五年[一九二六])や『ウキヨエ内史』二巻(昭和七、八年[一九三二、三三])など学術性の高い目録、画集を出版した渋井清氏の仕事は貴重なものである。

2 春画の出版と展覧会―戦後から現代まで

 戦後になっても、春画に対する取締はたびたび行われた。昭和二二年(一九四七)には刑法一七五条が改正され▼注6、これに則り様々な文学作品や春画に関連する出版物が「猥褻図書」として摘発を受けることになるが、その中でも春画研究に大きな影響を与えたものが、『艶本研究国貞』をめぐる裁判、いわゆる「国貞裁判」である。

 昭和三五年(一九六〇)に有光書房から出版された林美一氏の『艶本研究国貞』に付された参考資料が猥褻文書として摘発され、その後一三年に亘り、裁判が行われた。結局、有光書房と林氏は有罪となり、罰金刑を受けることとなったものの▼注7、林氏は裁判中も精力的に研究書の出版を続け、平成元年(一九八九)には完全無修正の図版を含む『江戸枕絵師集成国貞』を上梓した。その二年後には学習出版社から無修正の完全復刻版『浮世絵秘蔵名品集』シリーズが出版され、以降春画の出版物に修正がかけられることはなくなった。

 最近では、二〇〇六年から刊行された『別冊太陽』の春画シリーズがベストセラーとなり、二〇一〇年には「芸術新潮」で「恋する春画」と題して女性読者を想定した特集も組まれた。このように、近年の出版物をながめれば、春画に対するタブー視は完全に払拭され、研究書だけではなく、芸術品として楽しむものや、描かれた表現を読み解いて楽しむものなど多様な視点から春画が享受されているように感じる。

 一方で、展示された春画の「実物」を見る機会も徐々に増えてきている。国内では、二〇〇一年に京都国立博物館で開催された「ヒューマン・イメージ」展に、喜多川歌麿の『歌満くら』などが出品された例が早いものであろう。これ以降も同様の事例はしばしばみられ、展示品の一部に春画が含まれることについて問題視されることはないようである。また、二〇〇九年には立命館大学アート・リサーチセンターで春画をメインとした「近世春本・春画とそのコンテクスト」展が開催された。大学の研究所でひっそりと行われたということもあろうが、この時にも批判的な意見が出ることはなかった。最近では、森美術館の「LOVE」展の一部や、フェルメール・センター銀座の「あっぱれ北斎!光の王国」展の一部に春画が展示されたが、いずれもカーテンで隔てられた一室の中で、展覧会の流れを遮った形で展示されていたことが印象的であった。

 一方、海外ではすでに何度か春画を中心に据えた展覧会が開かれている。最も早いものは、一九八九年のベルギー・イクセル美術館の春画展である。その後二〇〇〇年代に入り、フィンランドやイタリア、スペインなどヨーロッパでの春画展が続いた。二〇一二年には、アメリカ・ホノルル美術館でも開催されている。そのような流れの中で、最大規模の春画展となったのが、今回の大英春画展である。

3 大英博物館春画展について 

 本展覧会では、肉筆から版画・版本、明治時代の写真や西洋のエロティックアートまで一六五点の作品が並べられている【写真1~3】。

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図1 大英博物館正面玄関

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図2 展覧会会場

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図3 内覧会で作品を観る記者たち

 展覧会の構成は以下の通り。

(一)イントロダクション―春画とは?
(二)春画の初期、一七六五年まで
(三)春画の名品、一七六五 ―一八五〇年
(四)春画と検閲
(五)春画の用途、流通―春画とパロディー・春   画と「浮世」
(六)春画と近代世界

 展覧会の前半では、「小柴垣草子」、「袋法師絵詞」といった絵巻や杉村治兵衛、鳥居清信などの墨摺絵、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、葛飾北斎などの錦絵に描かれた春画の名品を紹介し、後半では春画のコンテクストを、検閲やパロディー、吉原や歌舞伎との関連性などの点から検証している。全作品に付けられた解説では、場面や詞書きなどを詳細に説明し、イメージの美しさだけではなく、テキストと併せて鑑賞することの面白さを提示した。その甲斐あってか、解説を熱心に読む来場者も多く、会場ではしばしば笑い声が起きていた。

 展覧会図録は▼注8、四年にわたるプロジェクトの成果とあって、五三〇頁を超えるものとなった。エッセイ・解説の執筆者は三五名にのぼり、イギリス・日本をはじめ、スペイン・北米・メキシコと幅広く、多様な視点から春画とその文化的・歴史的背景を照射している。

 展覧会の来場者数は我々の予想を上回り、時には入場制限がかかる程である。メディアからも高い評価を得ており、ガーディアン紙やテレグラフ紙などでは、同展に五つ星中の四つ星評価を付けている。彼らは春画の性的表現に注目するだけでなく、男も女も性のたのしみを享受する姿や、普遍的な色恋のやりとりに驚き、時には笑いをもって共感している。

4 日本での春画展開催に向けて

 ただし、当然ながら大英春画展は無条件で誰でも見ることが出来る展覧会ではない。一六歳未満の場合は、親の同伴が必要となる。また、展覧会では子どもが描かれている作品、及び暴力的な描写がある作品は極力展示されていない▼注9。年齢制限と内容による自主規制。これが、春画を公共の場に並べ、不特定多数の人々に見せるために大英博物館がとった措置である。

 冒頭で述べたように、大英春画展の日本開催は難しい状況にある。「こどもへの配慮」、「スポンサーの問題」「批判への危惧」など、日本の博物館・美術館が春画展を受け入れない理由は多々あるだろう。しかし、今回の大英春画展を一つのモデルとして展覧会の実現を探ることは出来る。

 また、「春画とは何だったのか」という問題をどのように捉え、どのようにその答えを提示するのか。その展示方法も重要である。大英春画展では、古事記や陰陽思想、民間信仰などを背景とした男女和合を寿ぐ春画の世界、同時代の文化と表裏一体となって発展した表現、また絵師の画業の一部として見出される優れた描写・技術などを提示した。単に、春画の性的表現の特異性を見せるのではなく、春画がどのような社会や文化の中で存在していたのかを示すことが出来てこそ、春画展の意味があると考える。

 イギリスと日本では、文化的遺産/産物をめぐる社会的背景も歴史も異なる。果たして今の日本社会において「春画」は展示すべき「文化的産物」なのか、という問題も含め、そもそも、博物館・美術館というものが何のための場なのかを改めて議論する必要があるのではないだろうか。


▼(1)「春画」には「枕絵」や「笑い絵」など様々な呼称がある。また、版本の形態をとるものについては「艶本」「会本」「笑本」などと呼ぶが(いずれも「えほん」と読む)、本稿では肉筆・一枚摺・版本など形態に限らず、全てのものを含めて「春画」という言葉を使用する。
▼(2)木下直之「春画展示研究会 趣旨」http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR/acr/shunga.html
▼(3)柳沢淇園『ひとりね』(『近世随想集 日本古典文学大系96』、一九六五年、五七頁)。
▼(4)「朝日新聞」明治三九年(一九〇六)五月二四日、同年八月一五日、同年八月二五日。
▼(5)斎藤夜居『大正昭和艶本資料の探求』、一九六九年、芳賀書店、六八頁。
▼(6)「猥褻ノ文書、図画其他ノ物ヲ頒布若クハ販売シ又ハ公然之ヲ陳列シタル者ハ二年以下ノ懲役又ハ五千円以下ノ罰金若クハ科料ニ処ス販売ノ目的ヲ以テ之ヲ所持シタル者亦同シ」
▼(7)林美一、坂本篤、竹中労『[国貞]裁判・始末』、一九七九年、三一書房、五〜三九頁。
▼(8)大英春画展図録「Shunga : sex and pleasure in Japanese art」(British Museum Press、二〇一三年)→Amazon
▼(9)なお、春画では子どもを性的対象として描いたものはほとんどなく、多くは両親の交わりの傍らにいる存在として描かれるが、そのような作品も含め展示対象から外した。


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