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2013年11月22日

 記事のカテゴリー : 学界時評

●学界時評【和歌】2013.1-2013.7●岡﨑真紀子[奈良女子大学准教授]

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 学界時評をお届けいたします。まもなく刊行予定の「リポート笠間55号」に掲載のものを、先行配信いたします。

 小社では「リポート笠間53号」から試みに学界時評をスタートさせました。
 時代区分・ジャンルは、上代・中古・中世・近世・和歌・日本語の歴史的研究と設定いたしました。この設定は、しかし既存の学会にあわせた時代区分をなぞっていて、近年の、時代を越境しつつある研究動向には必ずしもマッチしたものではありません。また、文学研究の範囲は歴史・美術・言語等にも広がってもいます。現時点では、こういった動向にあわせた時評の在り方の、良い答えを考えることができず、結果的に従来の枠組みをなぞることにしました。

 加えて、この時代区分のなかでお一人の評者に網羅的に論じてもらうのも限度があります。
 ですので、あくまでも「評者の目からみた」学界というものをお書きいただくことにしました。あえて網羅的であることを望んでおりません。このような趣旨でスタートしたもので、年2回、5月・11月に、リポート笠間に掲載していきます。

 これまでの時評は以下にまとめられています。あわせてご覧下さい。
http://kasamashoin.jp/jihyo.html

●以下に掲載の原稿は、編集部でインターネット向けに改行等を加えてあります。正式版は、ぜひ紙版の「リポート笠間」をご覧下さい。

※「リポート笠間」を読んだことがない方で、購読希望の方は、info@kasamashoin.co.jp宛に、郵便番号・住所・お名前をお知らせ下さい。無料でお送りいたします【送料無料・購読料無料】。
※ご購読いただいている方へ。最新刊の55号は、12/6〜13日ころには到着する予定です。

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学界時評【和歌】2013.1-2013.7●岡﨑真紀子[奈良女子大学准教授]

 かつて文学にとりくむ姿勢について、「ジャンルという、近代の文学研究が方便的に用いている概念で、文学の歴史を細く狭く分割すると、その細分化したジャンル別の歴史の帯の内側に、作品を閉じ込めてしまう」(「『大鏡』とその作者」'80年)と提言したのは益田勝実であった。これと読み合わせたのが、錦仁「和歌を超えて、時代を超えて」(『説話から世界をどう解き明かすのか』笠間書院、7月)である。近世の地方藩主および菅江真澄や堀秀成の和歌活動をふまえ、地理的にも歴史的にもひろがりをもった視野から「ジャンルを超え」た構想をもって和歌にきりこむ必要性を説いている。そのとおりで、ジャンルと歴史(時代)は文学研究の横糸と縦糸をなす基本的な枠組みではあるけれども、その枠組みのみにとらわれず横断する思考を兼ね備えることも肝要であろう。そもそも「和歌」という括りは、近代以降のジャンルという概念と、重なる部分もあるが決して同じではない。古来和歌は和歌だけの閉じた体系として存したのではなく、時代時代における多様な文化現象や言語表現と関わりながら、絶えることなく歴史を紡いできた。よって、研究する側も柔軟さが求められるのであり、近年、諸領域にひらいた観点の研究も自ずから浸透しつつある感がある。

 小川剛生「足利義尚の私家集蒐集とその伝来について」(『和歌文学研究』106、6月)は、義尚の歌書蒐集のありようを明らかにし、歌書の書写・献上・移動が室町将軍の権力および当時の人的交流と不可分であることを浮かび上がらせつつ、家集を「部類」する作業への志向に室町中期という時代の趨勢を見てとる。記録類や奥書を読解する堅固な実証にもとづいてひらかれる地平は広い。

 歌書の書写と伝来の過程といえば見逃せないのが、藤原定家およびいわゆる定家本の存在であろう。久保木秀夫「『三十六人歌合』書陵部御所本をめぐって」(『国文鶴見』47、3月)は、定家筆本の忠実な模写と認定される御所本の書写態度をとりあげ、遠藤邦基「擬定家本の定家仮名づかい」(『国語国文』82・4、4月)は擬定家本と親本の資経本との間の表記上の差異をとりあげる。それぞれ書誌学的立場と語学的立場から、定家仮名遣で書くことが書写者に規範として意識されていた面を指摘する。歌論書を再検討する立場からの論では、渡邉裕美子「〈毎月百首を詠む〉ということ」(『日本文学』62・7、7月)があった。詠作の修練を説く『毎月抄』の内容を時代に置き直して分析し、その存立基盤が為家以後にあると位置づけ、定家真作か偽作かの議論に新たな観点から一石を投じている。以上のような諸論に接し、定家的なるものが権威性を帯びて後代に享受されていったことを、多角的な立場から再認識できた。

 勅撰集の編纂と本文に関連する論では、田渕句美子「隠岐本『新古今和歌集』考」(『国語国文』82・7、7月)があった。隠岐本の原形態は、隠岐本にある歌もしくは削除された歌に記号を付した形の伝本ではなく、精撰された歌だけを書写した本であったと結論づける。鶴見大学所蔵の古筆手鑑に『新古今集』の編纂過程で削除されたと思われる歌が見出されたことが全国紙にとりあげられたのは記憶に新しいが(『朝日新聞』10月4日など)、まことに『新古今集』とは分厚い研究史の蓄積の上になお知的関心を喚起してやまない歌集である。酒井茂幸「『新勅撰和歌集』伝本考」(『国語国文』82・2、2月)は本文異同の検討から諸本の位置づけを論じ、君嶋亜紀「『新葉集』恋部の読人不知詠」(『国語と国文学』90・6、6月)は、撰者宗良親王の先行する勅撰集への意識と二条家説への意識を読みとる。

 歌説および和歌実作の伝授については、高木浩明「『百人一首抄』(幽斎抄)成立前後」(『中世文学』58、6月)が、幽斎抄が編纂・成長してゆく過程における中院通勝の役割を論じる。森正人・稲葉継陽編『細川家の歴史資料と書籍』(吉川弘文館、3月)所収の德岡涼「細川幽斎の蔵書形成について」を読むと、幽斎から通勝へという流れが古典享受史上の重要な画期をなすことが、さらに鮮明にうかがえる。大山和哉「中院通村の和歌添削指導と役割」(『国語国文』82・7、7月)は、通勝の子通村による添削資料である近衛尚嗣宛書状を読みこんで、先例が無い表現を用いる詠作に対する通村の批評性を探った。日高愛子「飛鳥井雅豊『和歌樵談』と歌学継承」(『語文研究』105、6月)は、歌学書『和歌樵談』の内容と構成から、歌道家の正統たらんとする飛鳥井家の姿勢がうかがえるとする。富田志津子「二条家俳諧と玉屑」(『近世文藝』98、7月)の論も、歌道家に関連することがらとして視野にはいった。こうして人々が後世に言葉を受け渡してゆく行為が、和歌の歴史と権威を形づくっていったのである。

 和歌が生まれる場の問題にも注意をはらいたい。場とは狭義には空間的な場所のことであり、広義には言語表現を生む背景にある人と人との交流や雰囲気といった環境全般のことでもある。中世文学会春季大会のシンポジウム(6月1日、於日本大学)のテーマは「中世文学と鎌倉」であったが、昨年度の『方丈記』八百年を承けた論文においても、五味文彦「長明の身体」と木下華子「鴨長明の和歌観」(以上『中世文学』58)が、長明を論ずるにあたり鎌倉下向を重視している。上記シンポジウムで登壇した中川博夫の「『瓊玉和歌集』の和歌について」(『鶴見日本文学』17、3月)は、既に発表されている同集の注釈と諸本研究とともに、宗尊親王の和歌および関東歌壇を考える際には参照すべきもの。具体的な表現の分析には、木村尚志「宗尊親王の和歌」(『国語と国文学』2月)の論もある。中世の関東をめぐっては、鎌倉期以後戦国期までを通して今後いっそう研究が進展することを期待したい。鎌倉期について言えば、当時の政治社会の構造や交通史はもちろん、仙覚の万葉学や河内家の源氏学といった古典研究が興隆したことも視野に入れて和歌活動をとらえかえすと、関東における文事のなかでの和歌の位置がより立体的に見えてくるのではないか。一方、平安期の都での和歌活動に目を転じると、歌人の伝記考証を手がかりとして和歌が生まれる場を考えることが、研究の一方法となっている感がある。高柳祐子「歌人式子内親王の揺籃期をめぐって」(『和歌文学研究』106)、竹下豊「堀河院中宮と堀川中宮」(『百舌鳥国文』24、3月)、高橋由記「後冷泉朝の後宮と文化圏」(『中古文学』91、5月)、同「脩子内親王の文化圏」(『大妻国文』44号、3月)があり、平安中期から末期に至るまでの時期をおさえることができた。

 廣木一人「「韻字和歌」の諸相」(『青山語文』43、3月)は、榊原家史料の紹介を起点として、和歌の末尾に「韻字」を詠みこむ詠法について再検討をくわえる。「韻字和歌」という用語が適しているかどうかよりも、「韻字」を詠みこむ和歌の実態を具体例にそくして検討した考察を興味深く読んだ。日本語の詩歌において中国の漢詩の押韻がそのままでは受容されないのは言語上の必然と言えるが、では「韻」「韻字」といった漢詩文に淵源のある概念が和歌においてはどのようにずれて受容され、詠作として実践されたのか。それを通して、和歌の本質を照らし出すこともできるのではないかと思う。

 同様のことは、俊成の題詠歌に俊成以前とは異なる特徴を見出した家永香織「藤原俊成の題詠歌」(『和歌文学研究』106)が触れる、和歌の題詠と漢詩の句題詩との関係においても言えるだろう。和歌の結題の詠法は、句題詩で慣例化していた構成方法(佐藤道生の研究による)と関わりが深いが、和歌には和歌独自の発想と表現が醸成されていった。俊成の題詠歌はそれを如実にものがたっている。折柄、句題詩の解読にもとづき『猪隈関白記紙背詩懐紙』所収詩を復元して詩壇の考察に及んだ大木美乃「近衛家実詩壇の考察」(『中世文学』58)があり、読み合わせたい。

 また、渡瀬淳子「林逋の詩と梅の歌」(同上)は、和歌における宋詩の受容を五山文学や和漢聯句にも目配りして論じており、室町和歌を考える上で欠かせない視座を提示している。平安期に遡って、山本真由子「『順集』の「うたの序」」(『国語国文』82・6、6月)は、源順の仮名文の和歌序を丹念に読み解き、漢文の詩序の様式と文体に倣って書かれていることを具体的に指摘する。これをふまえて漢文の詩序との異なりの方にも目を向けると、仮名文による和歌序の特質がより明らかになるのではないだろうか。

 和歌のことばのありようは、和歌ならぬものとの関係と差異を通して見えてくるということである。松本麻子「歌連歌と連歌歌」(『中世文学』58)は、正徹の詠作を軸として、室町期の和歌と連歌の表現が相互に関連し合っていたことを明らかにした。植木朝子「合歓の木の歌」(『同志社国文学』78、3月)は、合歓を詠む詩歌を通時的にとりあげ、平安以後の和歌にはあまり詠まれなかったことばが、『閑吟集』の小歌では比喩的イメージを帯びて生きているとする。和歌と連歌、和歌と歌謡。それぞれ通底する部分もあれば質的に異なる部分もあり、個々の具体的な表現にそくした検討を積み重ねてゆきたいものである。

 また、絵画と和歌の関係という観点では、近世の画賛・題画歌に関する研究をまとめた田代一葉『近世和歌画賛の研究』(汲古書院、5月)が出た。「総論―和歌画賛とは何か」において、中国の題画詩に始まり屏風歌や五山の詩画軸を経て近世に至る題画文学の歴史的流れと、近世における和歌画賛をめぐる状況と資料が整理されており、清水浜臣・香川景樹・本居大平らの画賛について考察してきた著者の研究の見取り図が示されている。

 久保田淳『富士山の文学』(初版文春新書、'04年)が改訂のうえ角川ソフィア文庫で再版され(7月)、手に取りやすくなったのはありがたい。鈴木健一『日本漢詩への招待』(東京堂出版、5月)は、漢詩の歴史と読み方を簡明にしるす。このように、要を得た内容をわかりやすい文章で著した本は、後学の者にとって良き道しるべである。

 はじめに誤解をおそれず、基本的な枠組みのみにとらわれず横断する、などという言い方をした。だがそうは言っても、考え方の枠組みを何かしら持っていなければ、文学を読み解くこともできないし、研究成果を論文という物語にまとめることもできない。そこで『文学』14・3(岩波書店、5月)の創刊八〇年記念エッセイにおいて渡部泰明が、座談会「和歌のふるまい」(6・4、'05年7月)と「詩歌のことば」(7・4、'06年7月〜8・6、'07年11月)を印象深く振り返っていることに思いをいたす。この座談会を読み返すと、和歌を繊細にときほぐす読みの背後には、強靱な考え方の枠組みを持った抽象度の高い思考があることがうかがえるはずである。以上、今回は本誌前号の学界時評(担当・渡邉裕美子)でとりあげられたもの以降本年七月あたりまでを概ね範囲とした。三月以前に刊行された主な単著と一部の論文は前号で評されているので、あわせて参照されたい。なお、紙幅の都合で論文等の副題は省略、また著者名等は敬称略とさせていただいた。(二〇一三年十月十五日記)


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