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2013年9月26日

 記事のカテゴリー : 新刊案内

●河北騰『今鏡全注釈』(笠間書院)

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10月下旬の刊行です。

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河北騰『今鏡全注釈』(笠間書院)
ISBN978-4-305-70704-8 C0093
定価:本体13,000円(税別)
A5判・上製・函入・728頁

○本書のパンフレットはこちらから。
http://kasamashoin.jp/shoten/978-4-305-70704-8.pdf

後一条帝から安徳帝の前まで、十三代、一四五年間を採り上げた、紀伝体の歴史物語の全注釈。
法皇親政を理想視し、尚古主義の一般的価値意識、また芸文尊重、そして又、貴族たちへの和歌の啓発啓蒙的意識を心に秘めつつ、和歌や芸文の美というものを、時代の流れに添って、濃やかに述べ現わした、傑れた歴史物語。
【本書の特色】 1●本文・語釈・通釈に加え、随所に「評釈」をおり込み、読みすすめ易くなるよう工夫してある。 2●平易明快な現代語訳。 3●巻末に人名索引を配した。

【 今鏡は、後一条帝から安徳帝の前までの、十三代、一四五年間を採り上げた歴史物語である。更に具体的に言えば、「大鏡」が語る万寿二年(一〇五二)の後を嗣ぎ、「増鏡」が説き始める後鳥羽院の建久年間(一一九八)の時代ごろ迄に相当をする、いわゆる紀伝体の歴史物語である。
 内容的には、この間の政治(院政政治が主となるが)の実相やその現実、貴族生活の中での芸能や文芸尊重の優美な有様、男女愛恋の王朝的優艶の日常生活の営みなどに重点を置いて、この時代の文化のありの儘の姿を、通史的な立場に立ちながら述べた作品である。】

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【著者略歴】
河北騰(かわきた・のぼる)
昭和2年(1927)京都府綾部市に生まれる。東京大学文学部国文学科卒業。東京大学大学院(旧制)満期修了。文学博士。専攻は平安時代歴史物語。立正大学大学院教授を勤め、獨協大学名誉教授。
主要著書に、『栄花物語研究』(桜楓社・昭和43年)、『栄花物語論攷』(桜楓社・昭和48年)、『歴史物語の新研究』(明治書院・昭和57年)、『歴史物語論考』(笠間書院・昭和61年)、『大鏡・栄花物語』(国書刊行会・昭和63年)、『歴史物語の世界』(風間書房・平成4年)、『歴史物語と古記録』(おうふう・平成10年)、『歴史物語入門』(武蔵野書院・平成15年)、『大鏡全注釈』(明治書院・平成20年)、『歴史物語講座(全7巻)』(編著・風間書房・平成9〜10年)、『水鏡全評釈』(笠間書院、平成23年)ほか。

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■ご予約・ご注文は版元ドットコムで
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-305-70704-8.html
または、直接小社まで、メールで info@kasamashoin.co.jp ご連絡いただいても構いません。またはこちらのフォームで、購入希望としてご連絡ください(書名・冊数・お名前・ご住所・電話番号を明記してください)。
http://kasamashoin.jp/mailform.html
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【目次】

第一編 今鏡概説―総論と解題―
一 今鏡の成立のこと/二 今鏡の構成/三 成立時期と作者について/四 和歌詳述のこと/五 今鏡の特色について/六 文化的意義

凡例

第二編 今鏡全注釈

序文
すべらぎの上 第一
雲井/子の日/はつ春/星合ひ/望月/菊の宴/黄金の御法/司召し
すべらぎの中 第二
手向け/御法の師/紅葉の御狩り/釣せぬ浦々/たまづさ/所々の御寺/白河の花の宴/鳥羽の御賀/春の調べ/八重の潮路
すべらぎの下 第三
男山/虫の音/大内わたり/内宴/をとめの姿/鄙の別れ/花園の匂ひ/二葉の松
藤波の上 第四
藤波/梅の匂ひ/伏見の雪の朝/雲の返し/白河のわたり/はちすの露/小野の御幸/薄花桜/波の上の杯/宇治の川瀬
藤波の中 第五
み笠の松/菊の露/藤の初花/浜千鳥/使合せ/飾り太刀/苔の衣/花の山/水茎/故郷の花の色
藤波の下 第六
絵合の歌/唐人の遊び/旅寝のとこ/弓の音/雁がね/ますみの影/竹の節/梅の木のもと/花散る庭の面/宮城野/志賀のみそぎ
村上の源氏 第七
うたたね/堀河の流れ/夢の通ひ路/根合せ/有栖川/紫のゆかり/新枕/武蔵野の草/藻塩の煙
御子たち 第八
源氏の御息所/花のあるじ/伏し柴/月の隱るる山の端/腹々の御子
昔語り 第九
あしたづ/祈る験/からうた/真の道/賢き道々
打聞き 第十
敷島の打聞き/奈良の御代/作り物語の行方

人名索引
あとがき
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【本文より】

第一編 今鏡概説―総論と解題―

 今鏡は、後一条帝から安徳帝の前までの、十三代、一四五年間を採り上げた歴史物語である。更に具体的に言えば、「大鏡」が語る万寿二年(一〇五二)の後を嗣ぎ、「増鏡」が説き始める後鳥羽院の建久年間(一一九八)の時代ごろ迄に相当をする、いわゆる紀伝体の歴史物語である。

 内容的には、この間の政治(院政政治が主となるが)の実相やその現実、貴族生活の中での芸能や文芸尊重の優美な有様、男女愛恋の王朝的優艶の日常生活の営みなどに重点を置いて、この時代の文化のありの儘の姿を、通史的な立場に立ちながら述べた作品である。

 今鏡の成立のこと 長谷寺還りの一五〇歳の老媼が、同じ様な大和の寺巡りの老女たちに、ここ百四十余年のさまざまな歴史語りをして聞かせる。彼女が伴なう一人の少女が、稀にその話に批評的な意見を挟みながら、進めて行くという形を採る。然もこの語り手の老媼は、「大鏡」の語り手の大宅世継の直系の孫に当り、若い頃は紫式部の侍女として長く仕え、その間の日常の中で、かの清少納言にも勧めて生活などの種々の事を聞かせて貰うような事もあったと、その様な環境でいたことを、問わず語りに打ち明ける。

 ここには、この語り手が、紫式部のころの、いわゆる王朝の文化については、自身、その優雅高尚の世界を知っている事を確かに知らせたいと思い、揚言しているのは勿論、作品今鏡を、形体的にもまた、思想的にも、大鏡を直接継承するものとして完成しようとする意図が、よく窺われるのである。

 今鏡の構成面では、これも、大鏡の構成に大いに共通したものがある。すなわち、全十巻から成る今鏡は、初めの第一から第三までの巻々である「すべらぎ」の上、中、下は歴代天皇紀、つまり帝紀であり、「藤波」の上、中、下は藤原摂関家などの列伝、「村上の源氏」「御子たち」の二巻は、皇孫源氏と皇子女たちの列伝に当る。その後の、終りの「昔語り」「打聞き」二巻は、正に補遺とも呼ぶべき部分、つまり大鏡では「雑々の物語」に当る。

 ここにも、作品大鏡の構成に範を求める、という今鏡作者の意図や意識が、よく現われている序文だと言って良い。

 成立時期と作者について これは近年まで諸説が出され論議は盛んだが、まだ断定するには至らない。しかし、諸々の記事や一々の徴証から見て、前述高倉天皇の嘉応二年の末、又は承安年間の初頭の頃の成立と見て良いかと思われる。

 作者は、これ又、諸説並び立っていて断言できないが、崇徳朝の蔵人であり受領も経歴し、その後、若くして出家した藤原為経であると、言って良いだろう。彼の僧名は「寂超」であり、すぐれた歌人で、いわゆる「大原の三寂」の一と言われた人。

 なお、父の為忠も歌を能くし、母は待賢門院安芸。妻はこれ又歌人で美福門院加賀であり、この人は為経の出家後に藤原俊成に再嫁して、定家や俊成女を生んだ人。為経その人は、若年の頃から西行法師とは長い親交があった。又俊成(前の名は顕広)とは、歌友ともいうべき親昵の間柄であった。三十歳を幾つか過ぎて出家をし、比叡山に入り、専心修行に精励。歌道にも又、心をひそめ、のち、大原で閑居をした歌人である。

 和歌詳述のこと 為経のこの様な歌才や親縁関係、歌界に於ける地位や活躍などを心得るならば、今鏡という作品の本質探求に、又新しい視点が加えられるに違いない。それは、今鏡に見る煩瑣な程の、和歌の説述の詳しさは何ゆえかという点である。即ち今鏡では、他の歴史物語の系列、つまり大鏡や水鏡、増鏡に比べて甚だしく相違するように、和歌を採り上げたり、又和歌を批評称賛したり、論評貶謫をするという場合が多いのである。又、各時代の勅撰集に寄せる批評や、その当時の連歌についての感想批判、更に有名歌人の秀歌の取扱い、更に自分の縁者(祖父や父や兄弟たち)を露わに登場させての多くの和歌説話を述べる所や、源俊頼や藤原基俊のような専門歌人の、薄遇冷遇に対する批判や非難の意見が見える点なども、確かに作者の意志と意図との、強い現われと言って良いだろう。

 これらの著しい和歌関連の記述から考えて、和歌というものを広く一般貴族社会に理解させ、啓発させようという啓蒙的意図が強くあっただろう事に考え着くのである。こう考える事で、今鏡の和歌詳述という特徴も理解ができて、今鏡の特色探求に一点を加えることであろう。

 今鏡の特色について ここでは本書の性格上、論証は一さい割愛して、結論的なもののみという事になるのを諒察されたいが、

㈠政治の面では、作者は「延喜天暦の治」をいつも理想視して居り、どの時代をも、それと比較して世態を論じたり、批判を加えたりする事を試みている。即ち天皇親政、又は院政、例えば白河院政・鳥羽院政・後白河院政のあり方を肯定讃美し、こういう天皇親政の政治形態が望ましいものだとして、その具体的な政治の方策を、一々挙げて、好意的な批評を記述する。
 「延喜天暦の治」を理想視しての、天皇親政のあり方を望ましいものとする政治観が、強く存在している事は、大きな特色の一つである。

㈡この事から当然言える点であるが、今鏡には、全体的にあらゆる文化文物について懐旧的・懐古的な心情や思考が強く、いわゆる尚古主義的傾向が、価値意識の面では支配的である。

㈢歴史記述という面では、その記述が作者の縁者や知人に、些かなりとも望ましくない影響を与えそうな、極く稀な場合を別として、今鏡は、史実にはかなり正確であり、史料に拠りながら、歴史的には正確な記述を果たそうと努めている。従っても良い歴史事実の記述である。

㈣今鏡は、この様な歴史編述の姿勢を保ちながら、院政期の(広く言って)文化の万般、即ち貴族生活の上での優雅華麗で豪奢なもの、例えば政治の儀礼や有職の壮厳さ・造営建築の華麗さ・歌舞宴遊の優雅さ・芸文和歌の高雅幽深性、又は男女愛恋の様々な情緒を心から謳歌する心情を以て、くわしく細かく述べるのである。芸文風雅の尊重、併せ風流韻事の優美追尋が、この作品今鏡の本領とする所だと言える。

また反面、国の政治や民衆の生活、経済や、広義での時代その物に、一大変革を齎らす戦争又は大戦乱に関しては、今鏡は余りにも無関心で冷淡な、客観的な考え方であり過ぎる、と言わねばならない。実際、あの重大厄難たる「保元の乱」「平治の乱」についても、その勃発は、「世に聞ゆる事ありて」「かかるあさましき事をし出だせるなり」と述べるだけであり、その終結は、「世も変りたるやうにて(中略)、いとあさましき頃なり」とか、又「いとあさましとも、詞も及ばぬ事なるべし」と批評するだけである。

 この点については、「今鏡は歴史物語であって歴史書ではないのだ。戦争や大戦乱を詳しく論述するのを求めるのは筋違いである」(要旨)との意見もある(「今鏡全釈」海野泰男説)。

 文化的意義 再三の大戦乱が、思想や経済、生活そのもの、即ち時代を全く変革させてしまった事は、今更、ここに云々する迄もない。高い思考や文化方面に、戦争という大厄難が強い、そして齎らした影響は無視しているようで、これは又、いわゆる一種の文芸至上主義、つまり一種の芸術至上主義のような作者の考え方であろう。そして、このすぐ近い時代に、専門歌人で歌学者の藤原定家の「世上の乱逆追討は俗耳に入るも記さず、紅旗征戎はわが事にあらず」と揚言したあの精神に、恰も直結し通じ合い止揚される芸術精神ではなかろうか。これこそ日本文化思想史の取上げたい論点である。

 以上要するに今鏡は、法皇親政を理想視し、尚古主義の一般的価値意識、また芸文尊重、そして又、貴族たちへの和歌の啓発啓蒙的意識を心に秘めつつ、和歌や芸文の美というものを、時代の流れに添って、濃やかに述べ現わした。この点では傑れた歴史物語作品である。

○凡例
 一、本文として本書は、畠山本の校訂本文である「今鏡本文及び総索引」(榊原邦彦ら、笠間書院)の本文に拠った。
 1、畠山本の原本には句読点や段落区切りはないが、理解し易くする為、これを付け加え、段落も設けた。
 2、読み易くする為、畠山本の仮名には適宜、漢字を充てた。
 3、仮名遣いは、例えば「らむ」「らん」の混用は「らむ」ですべて統一した。
 4、漢字ばかりの表記、例えば「申侍覧」は「申し侍るらむ」に改めた。
 5、畠山本の表記、例えば「人く」「少く」は、「人々」「少々」のように踊り字を改めた。
 6、「皇大弟」「照陽舎」「宮こ」などは一般に通用の「皇太弟」「昭陽舎」「都」に改めた。
 7、人名・地名などの個有名詞は、ふつう使用される人名・地名の漢字に改めた。
 二、今鏡本文の系統別を示す時は、次の略称を用いる。
  和田英松所持今鏡→和田本
  国史大系今鏡→大系本
  尊経閣本今鏡→前田本
 三、注釈・注解の文献略称は、次の通りとした。
  関根正直「今鏡新註」→新註
  板橋倫行「日本古典全書今鏡」→全書今鏡
  海野泰男氏「今鏡全釈」上、下→全釈上、下
  竹鼻績氏「今鏡」上、中、下→文庫上、中、下
  松本治久氏「並木の里」連載の論稿→並木の里
 四、‌この全注釈にあたっては、右に掲げた多くの論著などに多大の学恩を賜った。ここに、深甚なる感謝の念をささげたい。


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