阿部泰郎「人文学アーカイヴス・リサーチ・ネットワーク構想の夢」【説話文学会五十周年に寄せて】

7月に刊行する、説話文学会編『説話から世界をどう解き明かすのか 説話文学会設立50周年記念シンポジウム[日本・韓国]の記録』に収録されたエッセイを公開いたします。
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ISBN978-4-305-70698-0 C0095
定価:本体2,800円(税別)
A5判・並製・カバー装・564頁
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エッセイ●説話文学会五十周年に寄せて
人文学アーカイヴス・リサーチ・ネットワーク構想の夢

阿部泰郎
1953年生まれ。所属:名古屋大学大学院文学研究科教授。専門分野:中世宗教文芸、宗教テクスト学研究。主要著書:『湯屋の皇后』『聖者の推参』『中世日本の宗教テクスト体系』(名古屋大学出版会)、など。
夢みた場との邂逅
 少年の頃、旅の途上でいつか見た夢のような場所に出逢うことがあった。行きあたった寺社や御堂には、古えの信仰の残り香が漂い、嘗て祭祀芸能が営まれていたであろう痕跡や道具が積み上げられた廃墟も、今なお生きた信心の舞台として参詣する人々の猥雑なまでの喧騒に満ちた霊場もあった。
 それら〈聖なるもの〉の場については、その意味を託されて書かれたものこそ、解釈されることを待ち望み、或いは嘗て読まれることにおいて、その場を構成するものをはたらかせる役割を担ったこと、更には祀られる尊像、ひいては伽藍社頭の空間のすべてが、そこに響く祭儀の声や繰りひろげられる所作と共に、曼荼羅の如く〈聖なるもの〉の世界を織りなすテクストであること、総じてテクストこそは、その世界を解き明かす鍵であることを、これも少年の頃に通い始めた金沢文庫で学芸員たちから教えられた。
 その頃初めて訪れた奈良の、元興寺極楽坊に隣りあう町屋の一隅を住処としたのは、大学院入学の時である。夢中に智光が赴いた浄土と仏の姿を掌に図した曼荼羅を、縁起説話と共に伝承する市中の霊場は、古代の国家寺院から中世に念仏道場へと変貌し、聖による納骨と作善、そして芸能者による勧進興行が営まれる無縁の公庭となった。
 その一画で、一旦は廃棄されたその遺物群を保存、復原する調査研究から、中世の宗教世界が甦った(五来重『元興寺極楽坊庶民信仰資料の研究』一九七六)。木下密運氏と水野正好先生に導かれて、この、中世仏教民俗の世界を今に伝える遺産のアーカイヴス化に端を発した元興寺文化財研究所において、中世の宗教空間の諸課題を調査研究することを任務として学ぶことができたのは、夢のように贅沢な幸いだった。
 以降、畿内の社寺や文庫への採訪と遍歴を重ね、その果てに辿りついたのは、御室法親王、とりわけ後白河院皇子守覚の見果てぬ夢の結晶というべき、仁和寺御経蔵に秘蔵される『密要肝心鈔』という聖教群であり、これを補完する儀礼書『紺表紙小双紙』などの宗教テクストのアーカイヴであった(『守覚法親王の儀礼世界』一九九五、『守覚法親王と仁和寺御流の文献学的研究』一九九八)。
 それは一切経や章疏の基盤のうえに築かれた院政期の王権における顕密仏教の法儀遂行に必須な、美麗な図像を含む高度な水準の宗教遺産そのものであった。元興寺の庶民信仰資料とは対照的な、この格別な一箇の宗教テクスト体系の全体を、復原的に再構成するという稀有な経験は(御経蔵それ自体に目録が備わっていたからこそ可能となったのだが)、悉皆調査によってひとつの世界の扉を開く、既に幾多の先達が追求し成し遂げていた調査研究の道を自らも確かめることであった。
 そして、文学研究者がこれら寺社資料の調査研究に率先して取り組む主体となるべきことは、伊藤正義先生と共に参入した西教寺正教蔵を対象とする悉皆調査から発展した、国文学研究資料館の文献収集事業を通して、これに参加した研究者に共有された志と言ってよい。その経験はまた、叡山麓の坂本という、清流のせせらぎが里坊の穴太積の石垣を洗う、中世の夢がいまだに息づいている場で育まれたのである。
学界における学術研究の段階
 名古屋大学へ移ってから、やはり資料館の文献収集事業として行われていた真福寺大須文庫の調査研究に参加することになった。中心となった小峯和明・山崎誠両氏に協力してのその成果は、『真福寺善本叢刊』(第一期・第二期全24巻、一九九八〜二〇一一)として結実し、新出資料を含めた多くの貴重な文献が学界に提供されている。それを支えるため計画し採択された科研「中世寺院の知的体系の研究」(二〇〇〇〜〇七)、更に文学研究科が企て、採用された21世紀COE、後継のグローバルCOEによるテクスト学研究拠点形成(二〇〇二〜二〇一一)のための基盤研究ともなって、人文学の普遍的な課題を探究する夢の一翼を担うことになった。
 その過程で、筆者自身の研究も、大須文庫を主な調査フィールドとしながら、更に範囲を拡げて、中世の「宗教テクスト」という研究概念をテーマに掲げるに至る。それは、たとえば断片化したテクストから一箇の世界や思想を甦らせる基礎作業に始まり、目録を水先案内としつつ、密教という領域に代表される、儀礼を媒ちとして、そこに詠まれた歌の声に誘われながら、神祇を祀りあらわし、図像に表象される中世の〈聖なるもの〉の諸相を統合する座標を探ろうとする、人文学諸分野(仏教学、歴史学、人類学、民俗学、文学、神道史学、美術史学など)の研究者との綜合的な国際研究集会の開催に至った(名古屋大学GCOE第四回国際研究集会報告書『日本における宗教テクストの諸位相と統辞法』二〇〇九)。
 こうした研究活動の水準を更に高度化するべく計画し採択された科研課題「中世宗教テクストの総合的研究―寺院経蔵聖教と儀礼図像の統合」(二〇一〇〜)は、もはや文献調査の次元に留まらず、唱導や法会との関連から儀礼芸能に及び、また絵本や絵巻、密教図像から大画面説話画までを包摂して綜合的に中世の宗教空間を捉え、考察するための研究枠組を提案している。
 そのために、儀礼については国立歴史民俗博物館の共同研究「中世における儀礼テクストの総合的研究」と連動し、図像については学習院大学(佐野みどり代表)の科研「大画面仏教説話画の総合研究」との連携によって、その多元的な研究が各専門分野での本格的かつ基盤的な調査研究の高度化と協同して行われている。加えて、対象とする人文学遺産というべき豊かな世界を理念化する方法論について、「宗教遺産学」の構築を目指す京都大学(上島享代表)の科研共同研究に参加するなど、他の大型研究との提携により、それぞれの研究の成果を相乗的に発展させることが期されている。
 こうした、分野や研究機関を越えた研究者間の相互連携という研究形態が自ずとなされるようになった動向は、つい近年のことである。
社会と地域への研究成果還元
 名古屋に赴くと同時に愛知県史編纂事業に参加を求められ、宮治昭氏(龍谷ミュージアム館長)の許で文化財部会において『典籍』篇一巻の担当を委ねられた。そこで提案した構想は、大須文庫を含む県内の主要な文庫の成立・変遷とその蔵書の世界を最新の成果にもとづいて紹介しつつ、それらが織り成す歴史とその価値を、書物そのものに語らせるという夢であった。
 その一環として取り組んだのは猿投神社の聖教典籍の悉皆調査とその目録化である(豊田史料叢書『猿投神社聖教典籍目録』二〇〇五)。やがて編まれるべき『典籍』の一冊は、古代は七寺一切経の調査研究に取り組む国際仏教学大学院大学の落合俊典教授、近代は西尾市岩瀬文庫の悉皆記述目録データベース作成に取り組みながら、市民の為の”古書のミュージアム”への再生を成し遂げた同僚の塩村耕教授らと協同して(徳川美術館・蓬左文庫はもちろんのこと)、更に広汎な諸文庫とその蔵書を網羅し、自ずからなる文庫と書物の文化史を示そうとする企てである。
 このうち、大須文庫については、文化財としての管理を担う名古屋市博物館に筆者が協力し、その整理保存ひいて一括重文指定を目標に、所有する大須観音宝生院の意向と将来構想の許で前述の調査研究が進められていた。その活動は、科研を基盤として共同研究の分担者と連携研究者を中心に「真福寺大須文庫調査研究会」の設立(二〇一〇〜)に至り、一種の法人化を実現し、既に研究者の認識や学界の範囲を超えた、広汎な成果やデータの共有を目指し、市民社会に還元することも使命のひとつである。
 このパーティーに託した夢は、名古屋市博物館が開催し、名古屋大学文学研究科と共催した「大須観音展」(二〇一二〜一三)においてひとまず実を結んだ。その企画から実施と広報活動に至る全てを博物館の学芸員と協同して提案・実行する、その最大の成果は筆者が監修をつとめた図録『大須観音』の制作であった。この一冊をはじめとして、子供向けガイドブックから市民講座、講演会、シンポジウム、ひいてはTV報道取材や新聞文化欄執筆まで、およそ考えられる成果公開のアイデアは全て試みられた。それも、かねてからの研究成果の社会発信と共有という夢の実現でもあるのだった。
学会へのフィードバック
 大学における教育と一体化した調査研究と、対象となる人文遺産の所蔵―伝承者および保存管理に従事する担い手が協同して、その成果を社会と共有するという活動の成果は、研究者のギルドである学界とその単位組織である各学会にもフィードバックされて、将来の人文遺産に何かしら携わることを期待される次世代の専門家や理解者を育成する素地を、少しでも培っておかなくてはならない。
 それならば、関連諸学会において、ただ研究成果を誇るのではなく、そこから導き出された人文学全般に通ずる普遍的な課題の提示や調査研究の未来への意義を問いかけるメッセージを発信することが、絶えずなされるべきだろう(筆者は、末木文美士氏に依頼されて『日本思想史学』に「魂の書物の発見をめざして」という一文を草した)。
 その一端は、中世文学会50周年記念シンポジウム「資料学―学問・注釈をめぐる」(二〇〇五)、説話文学会平成17年度大会シンポジウム「経蔵と文庫の世界―一切経・聖教・宝蔵」(二〇〇五)、中世文学会平成22年度春季大会シンポジウム「寺院資料調査研究と中世文学研究」(二〇一〇)などで、筆者が関わった人文遺産としてのアーカイヴス調査研究に従事した経験を元に、この過程で関わった諸分野の研究者やさまざまな立場から、その成果を普遍化する試みがなされている。
 しかし、これら折角の報告や発言は、殆どがそれぞれの学術誌に掲載されるばかりで、市販された『中世文学研究は日本文化を解明できるか』(笠間書院、二〇〇六)以外は学界内部で流通するだけの言説に終始している。そこに留まっているばかりでは社会に対して何も発信しないに等しく、状況を進展させることはできない。
超領域調査研究の連携と国際的交流へ
 人文学においては、もはや、細分化された学術分野の内部で完結し、学界の仲間内でのみ評価される研究は、ブレイク・スルーに至るような発展を期すのは難しい。
 嘗ての「学際」が古びて聞こえるほど、既成の学問範疇を超えた領域複合ないし領域融合と称すべき研究が、最先端の成果を挙げている。それは当然ながら各分野の伝統的ディシプリンに蓄えられた知識と技法に立脚しているが、なお、それらを越境統合しようとする批判的な対話精神の賜物であろう。
 大須文庫にその典型をみる中世宗教テクストのフィールドでは、各自の専門分野でそれぞれすぐれた業績を挙げられた研究者が領域を超えたところで活躍する。歴史学は無論のこと、およそ仏教学のあらゆる分野の専門家がその解読と位置付けに必要不可欠で、すぐれた専門研究者の参加如何で仏教史上の発見が生ずる状況である(末木文美士編『栄西集』中世禅籍叢刊1、二〇一三)。その事情は神道史学においても顕著であり、何より度会行忠による伊勢神道書の著作が自筆本の確認により明らかになった、岡田莊司氏による調査研究(真福寺善本叢刊『伊勢神道集』二〇〇五、「中世神仏文化の点と線―真福寺の神道書と伊勢神道」『神道宗教』二〇二、二〇〇六)は画期的な研究史上の出来事であった。その全ての過程で、米田真理子氏、牧野淳司氏、原克昭氏ら若い文学研究者たちが大きな役割を果たしたこともまた銘記される。
 高山寺調査団のように、寺院資料を専ら扱う研究者集団の中心は、かつて訓点資料を専門とする国語学研究者であった。その多大な達成と蓄積のうえに、今は、たとえば後藤昭雄氏と落合俊典氏を中心とする金剛寺一切経と聖教の調査の如く、漢文学を含む日本文学研究者が諸分野の人文学研究者と連携し、全体として協同して取り組むべき宝庫が、これら経蔵文庫というアーカイヴスなのである。
 前述のように、その解明には各分野のスペシャリストが求められるが、同時に個別の知見を綜合し人文学全体の見地から展望するジェネラリストもまた必要なのである。大須文庫の損じほどけて断簡となった紙片の束からは何が出てくるか予測もつかない。それを見極め適切な担当者に検討を委ねる「目利き」でなければ、それは単なる一覧表のデータの中に埋もれてしまうだろう。実際、その中には凡ゆる種類の宗教テクストが含まれており、荒神祭文のような修験や陰陽師の儀礼テクストから古浄瑠璃正本まで見いだされるのである。
 寺院文献に限らず、一次資料やフィールドに立脚した”日本研究”は、現在、まさしく国際化している。欧米と中韓を中心に、海外のすぐれた日本研究者が、最新の資料や知見にもとづいて、先端的な成果を挙げている。それらの研究は、特に欧米の研究者に顕著な傾向として理論的思考に鍛えられ、また意識的に文化比較の方法を用いて対象を普遍的な人文学の俎上に乗せる。むしろ、そうした方法論を試みる格好のフィールドとして”日本”は立ちあらわれる。
 その点で近年のインパクトのある研究は、宗教、儀礼芸能、文学と美術にまたがる領域で次々と登場している(一例を挙げれば、コロンビア大学日本宗教研究所においてベルナール・フォール教授が主催した国際研究集会[二〇〇七〜一一]は、中世神道、修験道、陰陽道、仏教美術、仏教芸能について内外から一線の研究者を集めたが、特に米国の若手研究者たちが挑戦的な議論を展開して刺激的であった。更にハーバード大学の阿部龍一教授の許で、近本謙介氏が共同で開催した国際研究集会「日本仏教の領域複合的解明の試み―宗派性の超克」は、テーマそのものが超領域的であり、国内学会では容易に実現できない諸分野の先端研究と米国の若手研究者の斬新で意欲的な研究がぶつかり合う、今後の国際的研究連携の可能性を示唆する機会であった)。
人文学アーカイヴス・リサーチ・ネットワークの創案
 こうした我々にとってのフィールドワークである調査研究の唯一無二の拠り所である人文遺産、それは、あらかじめ登録され検索番号を付された資料として存在するばかりではない。幸いにも現在に伝えられ、あらゆる知の探究の前に開かれた先人の文化の営みの所産であり、それは書物文献であるのみか、ひとつの世界を構成する諸次元のテクストが複合しつつ豊かな体系をつくりあげている。
 たとえば、東大寺二月堂修二会の如きがそれである。天平の昔から絶えることなく伝承され、しかも時代の変化を刻み込んで蓄えているこの法会は、生身の観音を本尊として祀る建築空間から聖典、縁起、記録文書まで多くの位相のテクストと、何よりその〈聖なる宗教空間〉を生気付ける練行衆をめぐる人々の儀礼の営みにおいてこそ成り立つ、今も生きた宗教テクストの創出され、はたらく場である。
 すなわち全体が、有形無形の宗教文化遺産そのものであり、その運動の流れが「歴史」として立ちあらわれる。ここに現象し、なお示し続けている世界は、その所産として厖大な遺産を生じ、その蓄積ごと伝承され、更にはそれを種子とした新たな文化創造の契機となり、研究を含めたテクストを派生し続けている。それは、ただ古いものが化石化して保存されるのでなく、絶えず更新され、また一旦消滅したと思われたものが復活再生しながら継承されていく、ダイナミズムに満ちた空間である。
 つまり、そこから想い描かれる人文学遺産としてのアーカイヴスとは、標本のような死物の収蔵庫ではなく、今なお、そして未来にわたって、読まれ、解釈され、発見され、なお創造をうながすような運動を生き続ける機構として在らしめられるもの、といえよう。
 そのような可能性を秘めた人文遺産は、日本に限りなく遍在する。それは「文庫」と称す図書館や大学の資史料室、博物館や美術館、公私の研究所、社会教育機関だけではない。
 これまで述べてきた寺社に伝来する経蔵宝蔵から民間の個人所有の許で保管される(時に一括して古文書と称される)資料群まで、散逸し巷間に流通して再びコレクションされたものも含めて、あらゆる形態で存在するこれらのアーカイヴスが、等しく価値を認められよう。
 奥三河の山村に伝承される祭祀芸能である花祭を担う花太夫の家に伝えられる祭文はじめ各種宗教テクストや文書を、花祭の映像記録と共に一括して悉皆調査する「花祭アーカイヴス」を立ち上げたのも、同僚の佐々木重洋氏と共に花祭の保存・継承の為のプロジェクトを地域の伝承者の方々と一緒に取り組んでいる活動の一環である(文化庁による「文化遺産を活かした調査研究・地域活性化事業」)。それを通して、祭りと共に大切に伝えられてきたその宗教的基盤であり歴史の記憶そのものでもあるアーカイヴスを、我々が調査研究を介して積極的に価値を認め、記録して未来の解釈に資す為に整理保存をサポートしようと取り組んでいる(松山由布子「テクストに見る花太夫の活動」『説話・伝承学』20、二〇一二)。
 こうした、至るところに存在する我々の人文遺産を発見し、それをアーカイヴスとなす役割とは、およそ、すべての人文学の調査研究に携わる者の責務ではないだろうか。
 空前の大災害となった東日本大震災は、無数のアーカイヴスを押し流し、消滅させた。しかしなお、その復原や再生に取り組んでいる多くの人々が居り、そのはたらきの許で我々の記憶が護られ継承されていることを、忘れないでおこう(その一例として国立歴史民俗博物館による『東日本大震災と気仙沼の生活文化 図録と活動報告』二〇一三、を紹介しよう)。それは、既に一九九五年の阪神淡路大震災において研究者たちの自発的なボランティア活動を介して自覚された運動であった。災害に限らず、戦争や失火など、遺産を滅ぼそうとする敵は至るところに潜んでいる。
 何よりも人間と、その社会の無関心こそが最大の敵である。先祖や古えの人々が創りだした文化遺産を破壊する張本は人間自らにほかならないとは大いなる皮肉であるが、その反省を前提として、ここで、かねてから想い描いているひとつの夢を語りたい。
 未来へ人類の文化遺産を継承する、人文学の任務というべき 不断の運動を含めた、価値を明らめ解釈に及ぶ記録化のための調査・研究がアーカイヴス化であるとすれば、ここにいう人文学アーカイヴスは至るところに現前する、いま、ここに在る我らの課題である。
 但し、このような対象を見いだし、それに取り組む研究者たちは、前述の如き多種多様な組織の中にあり、立場や状況に束縛されて、その制約の中で研究費など資金の獲得も含めて苦闘している。大学の中でも、教育と研究の狭間で、こうした営みは積極的に評価されにくく、ほとんどボランティア的な認識に留まっている。こうした隔たりと制約を超えて、既知・未知のアーカイヴスを我々人文学研究者が調査・研究(リサーチ)を通して保全し、ひいては社会・市民に共有され、等しく価値を認められ、未来へ受け継がれる知の共同体が希い望まれる。
 そのために、アーカイヴスの調査・研究に従事する、とくに若い、未来の人文学を担う世代のための、ゆるやかなネットワークと、それを支え、活動を助成し、その成果や情報を共有するフォーラム、ひいては社会に発信、公開し、海外の若い研究者たちとその調査・研究そのものを介して交流できるような、また海外のアーカイヴス活動とその達成を学び、自由に貢献できるような、そうしたシステムを創りだしたい。
 上述した既成の諸研究やそれを推進する機関のプロジェクトにおいて始まっている連携を、更に一層相乗し、進展させる、全く新しい発想でのセンターができないだろうか。それは大きな建物や支援組織を殆ど必要としない、柔軟な繋がりとして運営されてよい。必要と進展に応じて姿を変えるような、また新たな発見や常ならぬ事態に直面して連携し即応できるような、見えないけれど確かに役割を果たす機関を、人文学アーカイブス・リサーチ・ネットワークとして設立してはどうだろうか。
 そのとき、未来の説話文学会は、こうした運動を支えるネットワークの一環となってくれるだろうか。具体的には、まず足許の、目前のアーカイヴスの調査・研究から始まり、いま始動した連携を実質的に深めていくしかないのであるが、その夢だけは持ち続けていきたい。