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2012年11月 9日

 記事のカテゴリー : リポート笠間掲載コンテンツ

●エッセイ●岡部晋典「錆びはじめてきた、図書館の伝家の宝刀を研ぐことは可能か」【リポート笠間53号・掲載】

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エッセイ●
岡部晋典「錆びはじめてきた、図書館の伝家の宝刀を研ぐことは可能か」

岡部晋典[近大姫路大学教育学部専任講師]▼一九八二年生まれ。筑波大学大学院図書館情報メディア研究科博士後期課程、千里金蘭大学現代社会学部専任講師を経て現職。論文に『Popper理論の情報学への適用に対する批判的検討:客観的知識のPopper哲学内部の関連性に着目して』 (社会情報学研究13・2、二〇〇七年)等。


 図書館関係者のある種の倫理綱領、「図書館の自由に関する宣言」(以降自由宣言)というものがある。ベストセラーになった有川浩の『図書館戦争』では、この自由宣言を小説の各章のタイトルとして用いており、そのためか、以前よりよく知られるようになってきているように思われる。現行では第5条からなり、図書館による資料収集、提供の自由(不公平なく図書館資料を収集し、提供すること)、利用者のプライバシー保護、検閲への反対、そして図書館の自由を侵害するようなケースがあった場合には、図書館関係者は団結してそれに抵抗することが記されている。

 図書館は知識を伝達する機関である以上、たとえば思想的に偏った図書の場合、それと対となる思想を持つ資料を揃えることが必要であるだとか、利用者の読書の履歴は、プライバシーその他人権に関するものである以上、絶対に秘密を漏らさない、などと宣言されている。だって図書館で財産分与の本を借りた直後にがめつい親戚から電話がかかってきたり、ハゲ対策の本を借りたあとに育毛剤の広告がポストに投函されたら、それはイヤでしょ?(と、ここ数年で後退しつつある筆者の前頭部を眺めながら)。

 この自由宣言は図書館司書の資格課程の受講者は必ず最初に叩き込まれる。一九五四年に採択され、一九七九年に一度改訂が行われているが、条文の基本的な骨子は、一九五四年に採択されたものからほぼ変更されていない。この宣言を戦後五〇年以上にも亘って、図書館関係者は墨守してきたといってもよい。

 近年、この自由宣言は、図書館関係者以外にも注目を集めるようになってきている。一番のきっかけは、佐賀県武雄市の首長が図書館で借りた本の冊数に応じてTポイントを付与する、と言い始めたことにある。Tポイントとは、カルチュア・コンビニエンス・クラブが運営するポイントサービスで、ファミリーマートやTSUTAYAなどで利用できる。確かに本を借りるだけでポイントがつくのは一見ハッピーなように思われるものの、しかしその裏で、本人が借りた本の履歴が一企業に流れ、その結果がマーケティング等に利用されるのは本当に望ましいことなのか、という疑義はある。武雄市図書館の事例は図書館関係者以外にも、たとえば情報処理技術関係者をも含めて大きな騒動となっている。図書館外に自由宣言が「発見」されたと言っていいだろう。

 とあるインタビューで有川浩が自由宣言を評して「勇ましい」と述べていたが、まさにこの感覚は自由宣言に最初に触れた人がまず思うことであろう。筆者自身も常に感じ続けている。なにせ最後のシメは「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。」である。カッコ良く高らかに謳っているわけである。このカッコ良さにシビれてしまう人もいるようだが、一方でそれは関係諸団体との連携を無視した、図書館関係に限定したカッコ良さのようにも思える。

 図書館の現職関係者がしばしば登壇する学会などに出向くと「自由宣言は守らねばなりません!」と勇ましく壇上で吠えていることもしばしばで、天邪鬼な自分としては常に「ほんまかいな」という感覚がある。

 そこで筆者は自由宣言が採択されるに至った経緯を調査してみることにした。成立の舞台は図書館関係者に多く読まれている『図書館雑誌』である。一九五二年から数年間に亘って読者投稿欄を主戦場として議論が行われ、東京で行われた図書館関係者の集いで採択された。この経緯は図書として数回に亘って覆刻もされている。しかし、どのような人たちが、当時、どんな思いでこれを作り上げたのかという点については、なかなか誌面そのものから拾い上げるのは困難である。そこで他の資料と付きあわせて、どのような文脈のもとでそれが採択されるに至ったか、時代の空気をも含めて調べてみた。

 まず『図書館雑誌』の原本にあたるとともに、図書館員の職員録等も探してみることにした。当時は個人情報保護という言葉はない。図書館員の住所から年齢まで分かる職員録を発見できた。研究者としては調べ物が容易で喜ばしい限りだが、いささか後ろめたい気持ちもありつつ、とにかくその個人名を住所や勤務先と紐付けし、『図書館雑誌』の投稿欄に掲載されていた人々の当時の年齢を確認した。結果は個人的には驚くべきものであった。

 おおよその投稿者は二〇代の若手が主であったのだ。いわゆるベテランの年齢層の図書館員からの投稿は、主たる投稿者層と比して少なかった。また一九五〇年代の若手であるから、従軍した経験を持つものも少なくなかったようである。後に日野市長になり、また、現在の公共図書館の流れを決定づけたといわれる前川恒雄の後ろ盾となった有山崧は、『図書館雑誌』48・5(一九五二年)で「そしてその執筆者の多くは30前の青年である。...時代が変わつたのか、今更青臭い議論を一緒になって出来ないと思うのか、何れにせよその館の強いては館界の動向を実際的に決定する地位にある館長・ベテランの連中が意見を出さない」と述べているが、この発言自体を裏付けることができた。

 どういうことなのだろうか。当時の流行語は破防法、ヤンキー・ゴー・ホーム、火炎瓶といったものだった。また、戦争に対する反省が多くなされていた時代的背景であることも押さえておく必要がある。ということは、そのような「戦争でひどい目にあった」人々が、二度と戦争に巻き込まれないように図書館ができること、と真剣に考えて作り上げたのが、自由宣言だと捉えることができる。当時の真剣な熱気を誌面から感じつつも、若年層ならではの高揚した気分が、自由宣言を成立させる背景になっていたのはおそらく間違いはない。

 年齢層に着目したものではないものの、成立背景の高揚した雰囲気と、それが実践に繋がらなかったという指摘は塩見昇が既に行なっている。宣言が直接実践に繋がらなかったという反省を一部背景として、自由宣言は一九七九年に一度、改訂がなされている。しかし、今日でも自由宣言に反する事例の収集のみに留まったり、あるいは起こってしまった事例に対し、自由宣言を遵守していないので批判するべきだという議論が主だったトーンを占めている現状を鑑みると、自由宣言を取り巻く各所の人々の意欲等には頭が下がりつつも、批判等が結果として実りある議論に繋がっていない現状は、小声になりつつも残念ながら指摘できそうである。

 自由宣言の持つ勇ましさと、それ自身が成立するに至った時代的背景をいったん押さえた上で、現在の自由宣言の「使われ方」を見ると、現代と成立過程には、当然のことながらいささかの齟齬があるように思われる。

 いざ何か図書館に関するトラブルが発生した途端に「あの図書館では自由宣言の遵守が行われていないので批判するべきだ」という意見はよく目にする所であるが、その発言自体はむしろ自由宣言の想定していた射程距離から離れているようにも思われる。自由宣言、自由宣言、と繰り返すことが、逆に伝家の宝刀を抜きすぎることとなり、皮肉な目で見ればもはや刀が錆びてしまっているようにも思われる。また、図書館関係者には知られている自由宣言だが、逆に他業種の人々、たとえば秘密を保持する責任を持つ医師...などからは、「武雄図書館に関する事件をきっかけに自由宣言を知ったが、自由宣言自体はきわめて内輪向けの議論であり、外から見ると好ましくない」という指摘すら筆者に寄せられたこともある。

 さて、幸いにして武雄市のTポイントカード付与をきっかけに、自由宣言は図書館外にも知られるようになった。これをどう奇貨とし図書館関係者が動くか、個人的に注目している。というのも、数年前、利用者に自動的に本のオススメをしてくれるシステムをウェブサイトに実装した公共図書館に対し、自由宣言にある「読者の秘密を守る」を遵守していないと脊髄反射で批判が行われたことがある。その図書館は二重三重で個人情報保護の配慮をしているにもかかわらずである。そののち、そのシステムを実装した仕掛け人のライブラリアンが、自由宣言はもはや時代的文脈にそぐわないため適宜改訂を行なってもいいのではないか、という提言を行なっているが、実際のところ、その発言は黙殺に近いところがある。武雄市のポイント付与は一見素晴らしいように見えるが、看過できない怖さはある。市長は読書の履歴を「私は平気なのでみんなも平気なはず」「文句があるなら選挙で落とせ」という論法で押し切ってきた。

 図書館側は「あなたが平気でも、誰かが嫌なら、その嫌がっている人の側に寄り添う」という論法の反論や、ビッグデータの運用方法と自由宣言をすり合わせる手法を提案していない。また、プライバシーの概念そのものが「一人にしてもらう権利」から「自己情報コントロール権」へ、そして「自己情報コントロール権」の過大な解釈から、近年では揺り戻しが起こりつつあるということをも踏まえた上での提案等もしていない。相変わらず「自由宣言が〜」と言うばかりで、結局のところ露呈してしまった自由宣言の運用の「無力さ」については軽重なく押さえておく必要がありそうである。

 大量の熱気に支えられて成立した「自由宣言」には重要なことが含まれていることは間違いない。そして、自由宣言が図書館関係者以外にも知られた今だからこそ、図書館関係者たる我々にはいくつかの選択肢が提示されている。

 従来通り文言を守り続けて内にこもるか、それとも理念と現実をともに批判的討議に晒して開かれた自由宣言を作りに行くか、ないしは宣言を墨守しつつも適切な運用方法を考え、自由宣言に適した運用方法をプラクティカルに提案するか、である。もちろん結果として自由宣言の改訂はしなくとも一向に構わないが、現状の、単に自分たちの信念を述べるだけという非生産的な状況からは脱出できるのではないだろうか。もちろん、内にこもるか、外に飛び出すか以外の道もあるのかもしれないが、それは現段階では筆者の想像の範囲外である。ともあれ、武雄市図書館の事例と自由宣言を仮に引き付けるとしたら、これは近現代図書館史の一つのターニングポイントにもなりえるのではないか、と直感はしている。