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2011年2月 9日

 記事のカテゴリー : 新刊案内

●名古屋大学日本近現代文化研究センター『JunCture(ジャンクチャー) 超域的日本文化研究 特集:情動/主体/文化』第2号(笠間書院・発売)

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3月4日頃の刊行です。

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名古屋大学日本近現代文化研究センター
『JunCture(ジャンクチャー) 超域的日本文化研究 特集:情動/主体/文化』第2号

ISBN978-4-305-00292-1 C0095
定価:本体1,800円(税別)
B5判・並製・260頁

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名古屋大学日本近現代文化研究センターが昨年から刊行する機関誌、『JunCture(ジャンクチャー) 超域的日本文化研究』第2号を委託販売いたします。

●名古屋大学日本近現代文化研究センター●公式サイトはこちら
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/research/mcjc/

JunCture(ジャンクチャー)、第2号の特集は「情動/主体/文化」です。
理知的なものと区別されてしばしば貶められてきた情動。近年、この情動なるものの社会・文化における積極的な力が問い直されている。この特集では、情動と主体の結びつきや情動と文化のかかわりについて、映像、思想、批評研究、認知心理学、文学という異なる分野から多角的にアプローチすることで、情動のもつ可能性、多義性、問題性について再考を促していく、刺激的な一冊。

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▼「情動と感情は、よかれ悪しかれ、理性のネットワークに絡んで いるのかもしれない。」
アントニオ・R・ダマシオ『デカルトの誤り── 情動、理性、人間の脳』田中三郎訳、ちくま学芸文庫、2010年、21頁(原典初版、1994年)
▼「情動(アフェクト)とは、人間が非人間的〔 なもの〕に生成することである。」
G・ドゥルーズ、F・ガタリ『哲学とは何か』財津理訳、河出書房新社、1997年、245頁(一部訳改変)(原典初版、1991年)
▼「主体という言葉に内在する翻訳の問題を指摘することによって 私が行おうとしたのは、サブジェクトの翻訳を自己完結的な回路から解放することであり、例えば、国民主体という言い方は できても国民シュタイという言い方はできない、ことを提示することであった。」
酒井直樹『日本思想という問題──翻訳と主体』岩波書店、1997年、vii頁

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JunCtureというタイトルには、日本文化を、学際的かつ国際的な研究課題の結節点(juncture)として捉えようという意味合いが込められています。

学問のグローバル化という現代的な課題に対応するために、何をどう発信していくのか。一国主義的・自国中心的な意識や方法をいかに克服していくか。それらに具体的に取り組んでいく、実践の書です。


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[本書の販売方法]
全国の書店でご注文頂けます。
また、以下のサイトで予約・購入可能です。

版元ドットコム●JunCture(ジャンクチャー) 超域的日本文化研究 第2号
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-305-00292-1.html

または、直接小社まで、メールで info@kasamashoin.co.jp ご連絡いただいても構いません。またはこちらのフォームで、購入希望としてご連絡ください(書名・冊数・お名前・ご住所・電話番号を明記してください)。
http://kasamashoin.jp/mailform.html

●バックナンバー
名古屋大学日本近現代文化研究センター『JunCture(ジャンクチャー) 超域的日本文化研究』第1号はこちら

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目次PDF(英文目次も含む)

【目次】
[巻頭グラビア]
●三上晴子「欲望のコード」展
四方幸子

特集:情動/主体/文化

●『ザ・コーヴ』と情動の文化──序に代えて
藤木秀朗
●情動の帝国──探究のためのノート
水嶋一憲
●Therefore、デリダを視た動物
リピット水田堯
●ノスタルジアとは何か──記憶の心理学的研究から
川口潤
●映像体験という情動──谷崎潤一郎『青塚氏の話』
生方智子

[研究論文]
●記憶との対話──『歩いても 歩いても』
ミツヨ・ワダ・マルシアーノ
●「薄さ」を与えられた平面──藤幡正樹の作品における「平面」の諸相
水野勝仁
●「国民文学」の問題
三原芳秋
●日本統治下文化工作における上海バレエ・リュスと小牧正英──『大陸新報』報道を追って
星野幸代
●限られた視界──豊島与志雄が見た1940年の上海
張 鈴
●黄氏鳳姿、〈台湾の少女〉を綴る──植民地台湾における綴方少女の主体性と文学場のイデオロギー
杉田智美
●有島武郎に潜む政治と外交──フランス語訳『或る女(前編)』(1926)から
杉淵洋一
●知覚の変容と映画──内田百閒「「旅順入城式」(1925)
山田桃子
●共同体への憧憬──小山内薫の芸術観と大本教信仰
竹内瑞穂
●複製技術時代の挿絵──田中良/岩田専太郎/視覚文化
諸岡知徳

[研究ノート]
●中国における〈竹内好〉という問題
高 峡

[レヴュー]
●翻訳の翻訳から翻訳のフラット化へ──ユルゲン・シュタルフ、クリストフ・ペーターマン、マティアス・ヴィティッヒ編 『書誌・ドイツ語に翻訳された近代日本文学:1868-2008年』
坪井秀人
●トランスナショナル・ヒストリーのために──林志弦著『新しい世代のための世界史手紙』
朴 貞蘭
●英訳『娘巡礼記』の登場とその意義──高群逸枝研究の動向に照らして
格清久美子
●越境するモダンガール──伊藤るり、坂本ひろ子、タニ・E・バーロウ編『モダンガールと植民地的近代──東アジアにおける帝国・資本・ジェンダー』
伊藤麻衣子
●1968年論と「反乱する若者たち」への応答──名古屋大学でのシンポジウムをめぐって
大野光明
●オルタナティブな上映の場であるために──あいち国際女性映画祭2010
大竹瑞穂

・英文要旨
・MCJCについて
・事業報告(2010年1月〜2010年12月)
・著者・訳者紹介
・投稿募集+投稿規定
・バックナンバー(『JunCture』01号)
・編集後記